悲しいけれどそれはほんとの感情で

 サボさんは、私が革命軍に入ったときにはすでに参謀総長という立場にいて、若いのにとても頼りになる人だと知った。おまけに仲間にはすごく優しいし、気さくで外見もかっこいい。女遊びを一切せず断っていることもまた女性陣から見て評価が高かった。だから当然彼に対して憧れ以上の感情を抱いている女兵士は少なくなかった。かくいう私もそのうちの一人で、想いを伝えることこそなかったものの密かに慕っていた。
 正直に言えば伝える気はなかった。同じ志を持った仲間同士、たまに執務室を訪れたり、訓練中の彼を見たり、食堂で遭遇したり。そうした何気ないことで一喜一憂するのが楽しかったからそれでよかったのに。私の想いは唐突に終わりを迎える。
 はじまりはサボさんが突然取り乱して意識を失ったことだった。近くにいた兵士の話では「とある新聞記事を見て急に」ということだったが、あとからそれが頂上戦争で亡くなったポートガス・D・エースの件だと知る。しかし、そのまま高熱により寝込んでしまったため事情を聞くこともできず、早く意識が戻り快復することを願うばかりだった。
 それから三日後、意識を取り戻したサボさんから記憶が戻ったこと、兄弟のことなどを聞いた。火拳のエース、麦わらのルフィが彼の義兄弟であることにはもちろん驚いたが、話はそれだけで終わらなかった。自分には婚約者がいて、その人を母国に置いてきてしまったというのだ。
 当然本部はその事実に驚いた。あの参謀総長に女性の影を見たのが初めてだったからだ。彼の部下たちはどんな人なのかと騒ぎ立てたが、私を含めた一部の女兵士たちは呆然として話を聞いていた。夜になってようやく失恋したのだと頭が理解した頃には、心は大きな衝撃を受けていた。
 しかし失恋したと思う一方で、私は「見つかるはずない」とも思っていた。なぜなら早い段階で例の女性はゴア王国の貴族から除名されているという情報が本部に知れ渡ったからだ。少なくともゴア王国にいないことがわかり、この時点で私はきっともう見つからない、そんなふうに考えていた。あとはサボさんの中で、その婚約者が思い出に変わるの待つだけ、そう思っていた。
 思っていたのに――

『落ち着いて聞け。偉大なる航路上で一般人をひとり保護したんだが、ゴア王国の元貴族だそうだ。名前はフレイヤ・カートレット。サボ、お前が探していた子だ』

 総司令官のドラゴンさんから本部へ通信が入ったのは、サボさんが記憶を取り戻してから二年後のことだった。私はその瞬間、別の場所で作業中だったが同じ部屋で生活する仲間が伝えに来てくれた。「サボさんの婚約者が見つかった」と。頭を鈍器で殴られた気分だった。
 その日の食堂内は彼を祝福するムードで、本人より彼の部下たちが勝手に盛り上がっていたことを覚えている。離れた席で、今度こそ失恋が確定した私や同じ思いの女兵士たちは慰め合った。仕方なかった、そう言い聞かせて納得するほかになかったのだ。



 二週間が経ち、いよいよ例の婚約者が本部へ来たのだが、サボさんはちょうど忙しいタイミングだったようでコアラさんが案内をしているところを見かけた。
 これは非常に不本意なことだが、元貴族というだけあって確かに洗練された女性であることは認めざるを得なかった。少し離れたところで見た"彼女"は、小さくて可憐な人だったのだ。
 それだけでも悔しかったのに、「サボさんの大切な女性」という肩書きがあるせいか本部内ではすでに特別扱いを受けていて、たとえば個別に部屋を用意されているし、サボさんのことを呼び捨てにしているのも面白くない。
 しかし、"彼女"の存在はやはりサボさんの中で特別だということが嫌でもわかってしまうから胸が痛んだ。二人で会話している雰囲気は周りを寄せつけない空気を放っていて悔しい。私はあんなに優しい表情を向けられたことがあっただろうか。

 彼女が来てから数か月。ある日、私が報告書を届けにサボさんの執務室まで向かったときのこと。ノックをしたら部下の人に出迎えられた。

「こちらで預かります」
「えっと……」

 気持ちはありがたかったが、わざわざここまで来たのはちょっとでもサボさんと話せると思ったからだ。下っ端である私みたいな兵士は、忙しい参謀総長の彼と直接会って話す機会は滅多にない。
 どうしようかと迷っていると、「あの……じゃあ見ます?」「え」部屋の奥を見てみるよう促されて、視線をそこに向ける。部屋の奥の中央に設置された執務机には、難しい顔で書類を睨みつけているサボさんがいた。息をのむような迫力で仕事をする彼に、私は尻込みした。確かに、あの状態で話しかけられる人は早々いないだろう。時おり、「あー」とか「なんだこれ」とか唸っている声も聞こえた。タイミングが悪かったと諦めて、踵を返そうとしたときである。
 後ろから突然「すみません、少しよろしいですか」と女性の声がした。驚いて振り返った先にいたのは、渦中の人――フレイヤ、さんだった。これほど近くで会うのは初めてだが、遠くから見ていた通り随分と小さい人だった。革命軍に来てから一般女性のそれよりも大きい同性ばかりと接していることが原因でもあるけれど。

「あ、フレイヤさんお疲れ様です。どうぞ、中に総長いますのでよろしくお願いします」
「お疲れ様です。コーヒー持ってきたので置いておきますね」
「え?」

 私が驚いたのは、彼女が堂々と執務室へ入っていったこともそうだが、それだけではなかった。サボさんへ近づいていき、あろうことか声をかけていたのだ。仕事の鬼と化したような空気をまとった彼に平然と。
 開いた口が塞がらない。声をかけられた彼はそれまでの姿が嘘のように表情が弛緩して柔らかくなっていく。おまけに、彼女を膝に乗せてそのまま仕事を始めてしまって、もう訳が分からなかった。私はいま、何を見ているのだろう。
フレイヤ。お前、なんかいい匂いがする」「え、なんだろう。花かな」サボさんが"彼女"の首元に顔を寄せて嬉しそうにする。"彼女"は恥ずかしがって頬を染める。
 ――ちょっと、近くに私もいるんですけど。いつの間に存在消えたの?
 頭の中が混乱していて、気は動転していて。胸中は穏やかじゃなかった。

「あれは一体どういうことなんですか」

 つい聞いてしまった。いくら恋人同士だからって、サボさんの執務室だからって、仮にも仕事中だ。他人もいるというのに、まるでこちらのことなど気にしていない様子だったのが気に食わない。「あー……」言葉を選ぶように、彼の部下は笑いながら、

「セロトニン、らしいです」
「はあ?」
「コアラさんから聞いた話なんですが、ああやって仕事が立て込んで精神的にヤバくなったらフレイヤさんを送り届けると平常心を取り戻してくれるってことみたいです」

 不思議ですよねえ。間の抜けた声でそんなことを言う彼に私は心底呆れた。こんな光景を見せられてどうして平然としていられるのか、それこそ不思議だ。
 詳しい話を聞けば、以前同じようなことがあったという。全然休憩を取らないサボさんに困っていたコアラさんが、その日の夜偶然会った"彼女"と執務室を訪ねたら、彼がたちまち元気になったそうだ。体力的なことではなく、精神的な意味である。
 そこまで聞けば、私だって理解できる。きっとサボさんにとって"彼女"の存在は精神安定剤なのだろう。それまで彼に会えると躍っていた心は急速にしぼんでいき、興ざめした。何もかもどうでもよくなって、報告書を部下の人に預けた私はそのまま自室に戻ることにした。



 この一件があってから、なぜかあちこちで事あるごとに引っついている二人を見かけるようになった。あるときは食堂で、あるときは廊下で、あるときは中庭で。サボさんが構いたくて仕方ないように見えるし、恥ずかしながらも受け入れている"彼女"を見るといよいよ誰も入り込めない雰囲気だった。
 今だって食堂にはほかにも人がいるというのに、二人の世界に入って食べさせ合いをしている。私はそれを少し離れたところからひとりで見ていた。あいにく今日は同僚と昼食時間がずれているせいで、話し相手がいないからどうしたってあの二人に視線がいってしまう。

「なんて顔してんだよ。今度はお前の番だ」
「えっ、私もやるの……?」
「当然だろ。お返しだよ」

 サボさんの右手に握られたフォークが"彼女"の口元へ向けられる。おずおずとそれを口にして咀嚼する"彼女"に、彼は「美味いか?」なんて優しい顔で聞いているからもう胸やけしそうだ。
 そのあとは"彼女"のほうがギブアップという感じで食堂から逃げて行ったのだが、直後にコアラさんとハックさんがサボさんの周りを囲った。会話は途切れ途切れに聞こえるだけで詳細はわからない。それでも確実に私の耳が捉えたサボさんの言葉があった。

「あいつ可愛いよなァ。なんだかんだ言って結局やってくれるんだよ」

 もうこれ以上は無理だった。彼の"彼女"に対する愛は、会えなかった十七年間分が込められているのだとこの数か月で嫌と言うほど思い知った。誰かが入る余地などこれっぽちもない。元より気持ちを伝える気はなかったが、最近の私はあの二人を「バカップル」として認めつつあった。
 もういい。ずっとそのままバカップルでいればいい。そうすれば、私の気持ちは自然と消えていくし、呆れながらもいつかは祝福できるときが来るはずだ。
 やけになって残りの料理を口の中へ詰め込み、コップの水を飲み干す。気持ちを切り替えるべく、ダンっと勢いよく置いたら思いのほか大きな音が響いてしまい、気まずい思いで私は食堂を後にした。
 大丈夫。私は思ったより元気だし、仕事も頑張ることができる。

2023/04/15
10周年リクエスト1 総長に片想いしている女兵士さんの話