夜を越えてはやく会いにいくよ(1)

 記憶を取り戻してから、エースの件で精神的なダメージを受けしばらく寝込んでいたサボがようやく快復したとき、けれど心の中にはもう一つ後悔があることに気づいて途方に暮れた。
 フレイヤ・カートレット。
 サボが家出をする前に出会ったゴア王国の貴族の女の子であり、将来を誓った相手でもある。出会って数か月後に家を出たサボは、その後五年間彼女と音信不通状態だったので、彼女からすれば裏切ったように見えただろう。実際、エースと過ごしている間は高町に足を踏み入れなかったからそう思われても仕方ない。訳あって家に連れ戻される結果になったが、例の火事のあとサボは一足先に国を出ることにした。
 エースとルフィ――兄弟のほかに、サボの心には一人の少女が浮かぶ。ある日突然姿を消して、今さらこんなことを言うのは卑怯かもしれない。しかし、それでもサボは彼女という存在を忘れることができなかった。幼いながら、初めて心が揺れ動いた女の子。"貴族"という立場に同じ違和感を抱く女の子のことを。
 とはいえ、これだけ時が経ってしまった時点で望みは薄いだろうことはサボ自身わかっていた。気づくのが遅すぎたのだ。彼女の中で自分は死んだことになっているだろうし、そうなれば幼い頃の誓いなどなんの効力もない。すでに新しい相手と幸せに過ごしている可能性だってあった。だというのに。

「総長。あれがセント・ヴィーナス島です」

 甲板の上。進行方向に見える島を指して部下が告げた。指先の方向に視線をやってから目を細めたサボは、噂通りの青と白の光景に「へェ……」と感嘆の声を漏らした。
 セント・ヴィーナス島――火山の爆発で形成された島の形が女性の横顔に似ているという理由からその名がついた観光地として有名な島。
 ここに、フレイヤがいるという情報を得たのは一か月ほど前のことだった。任務に出ていた仲間から、とある情報誌で"かわいいカフェ店員"特集が組まれたときに偶然彼女を見つけたという。フレイヤという名前と年齢、セント・ヴィーナス島とグランツ・カヴァナというカフェの名前。顔写真も載っていたことからその情報誌を見せてもらったが、正直四歳の記憶しかないサボにとって彼女だという確信は持てなかった。にもかかわらず、その島へ行く決意をしたのは直感が働いたからだ。
 写真から四歳のフレイヤの面影を感じたのは、もしかしたらサボの希望的観測かもしれないが、名前と年齢が一致するだけでも行ってみる価値はあった。島にいるフレイヤという女性がサボの探している人物と同じであれば、彼女はカートレット家から出たことになる。

「よし。上陸の準備をする」

 サボは期待と不安の入り交じった複雑な心境で島を見据えながら部下にそう言うと、くるりと踵を返して船室に向かった。


*


 ベルツェという島の北部に位置する港町にフレイヤの経営するカフェ<グランツ・カヴァナ>があると事前に情報を得ていたサボは、コアラとともに青と白の町を歩いていた。遺跡が多く残っているようで、あちこちにその片鱗を見ることができる。
 海面からだいぶ離れた位置に町が存在するせいで、港からここへ来るのにケーブルカーを使用することになり、かなりの時間を要したものの日が沈む前にたどり着けた。情報誌によれば、カフェは町の中間部あたりにあるという。小さな図書館を持つ二階建ての店、だそうだ。
 サボの記憶が正しければ、フレイヤは料理が得意になっていてもおかしくなかった。文通内容とわずかな思い出の中に、彼女がメイドとともに料理をしていた記憶がある。使用人のような真似をするなと注意されたけど、楽しいから陰でこっそり手伝っている。そんなふうに語っていたことがあった彼女のことだから、大人になってカフェを経営していても不思議はない。

「サボ君。ここまで来たはいいけど、どうやって自分の存在を明かすつもり?」

 後ろを歩くコアラが声をかけてきた。振り返って、一度足を止める。心配そうな彼女の視線を浴びてサボは戸惑いの表情を作った。
 実はここに着いてからカフェに向かう途中、先に情報収集を済ませていたサボたちは<グランツ・カヴァナ>を経営する女性が、自分の探すフレイヤ・カートレットであることに間違いないと結論付けた。小さな町であることが幸いし、彼女をよく知る人間に会ってすぐにわかったことだ。
 三年前に突然この島へやって来た彼女は、フレイヤという名前と"東の海"のゴア王国から来たことだけを告げてカフェを始めたそうだ。観光目的で訪れる人間が多い中、移住してくる彼女は珍しかったようで快く町の人間に受け入れられたという。最初こそ厳しい意見もあったようだが、今では地元の人間に愛されるカフェなのだそうだ。

「そりゃあもちろん本当のことを伝えるだけだ。ルフィと同じで向こうは驚くだろうがな」
「彼女に相手がいても?」

 コアラが容赦ない質問をするので苦笑する。
 その件については考えなかったわけではない。常に頭のどこかにまとわりついていたことだ。十七年も会いに来れず、そのうちの十年は彼女のことを忘れていたという事実。もちろんサボにも事情はあったが、すでに彼女が新しい人生を歩み幸せに暮らしているなら、今さら自分が現れたとしてどんな言葉をかけても無意味というか邪魔をすることになる。

「考えなかったわけじゃねェよ。十七年も離れてた人間が今更会ってどうするんだって。けど――」

 会いてェんだ。
 ぽつりと漏らした最後の一言がコアラに聞こえたかどうかわからなかったが、そっかと短く答えて歩き出した彼女がそれ以上なにも言ってこなかったので、こちらの複雑な心境が伝わったのだと都合のいい解釈をした。
 正直な話、自分でもわかっていなかった。仮に、フレイヤがここで知らない男と家庭を築き暮らしていたとして自分がどうしたいのか。彼女の生活を壊したいとは思わないが、でもその隣にいるのが自分ではないと思うと胸が苦しく、どうしたって奪いたくなる。相反する気持ちがせめぎ合っていた。
 前方で、ふいに何かが倒れた音と赤ん坊の泣き声が響き渡ったのはそのときだった。狭くて階段上になっている道の左手から一人の女が飛び出してきたかと思うと、サボたちの存在に気づいて近づいてくる。

「わ、もしかしてお客様ですか? すみません。いま手が離せないので先に中へどうぞ」

 突然のことに呆気にとられて、しばらくその場から動けなかった。
 女は、サボがこの二年間会いたくてたまらなかったフレイヤ・カートレットその人だったが、驚いたのはそこではなかった。彼女の両腕に抱かれて泣き声をあげている小さな存在――赤ん坊に、サボの目は釘付けになった。

2023/03/31
10周年リクエスト3 再会ifのお話 前編