やさしい世界に魔法はあるよ(1)

 フレイヤがその事実を知ったのはベネット夫婦からニュース記事を見せてもらったことがきっかけだった。
 海軍本部のあるマリンフォードにて、白ひげ海賊団の二番隊隊長、ポートガス・D・エースの公開処刑を歯切りに始まった頂上戦争。多くの負傷者を出したことは報道されたものの、一番大きく取り上げられていたのは大海賊時代の一線で活躍した白ひげ海賊団の船長、エドワード・ニューゲートの死。そして公開処刑が決まったエースとその弟であるモンキー・D・ルフィの行方不明の記事。「物騒な世の中ねえ」というベネット夫人の発言を、しかしフレイヤは他人事とは思えず返す言葉を失った。
 四皇の一人、赤髪のシャンクスの一言で幕を下ろした頂上戦争はフレイヤに大きな衝撃をもたらしたのだ。幼なじみであるエースとルフィが戦争の真っ只中にいたということ。海軍大将"赤犬"の攻撃を突然現れた謎の人物が二人を助けたらしいのだが、その後の消息は不明になっていること。知らずにのうのうと平和に暮らしていた自分を恥じたくなるほど、悔しい思いが渦巻いた。どのみちフレイヤがその場にいたところで何もできはしないけれど。

「エース、ルフィ……」

 カフェのカウンターに腰かけながら記事をじっと見つめる。助けた人物は二人の知り合いだろうか、写真は載っていないが記事によれば全身が黒いマントで覆われていたために特定は難しいという。フレイヤは助けてくれたその人に盛大な感謝の念を送った。
 ――誰かはわからないけど、二人を助けてくれてありがとうございます。
 新聞をぎゅっと握りしめて立ち上がる。こうしてはいられない。二人のところへ行かないと……! きっとほとぼりが冷めるまで身を隠しているに違いない。海軍に場所を突きとめられていない今がチャンスだった。
 フレイヤは急いでカフェの店じまいを済ませ、しばらく休業する旨の札を入口にかけてから<グランツ・カヴァナ>を後にした。
 まずは帰って荷物を詰めて、それから――一年半前にエースからもらった、ビブルカードという紙きれの存在を思い出す。あれが、フレイヤに二人の居場所を教えてくれるはずだ。


*


 サボが駆けつけたときには、すでに二人は動乱の渦の中にいた。体中ぼろぼろで、逃げるのがやっとというところだろう。どうして忘れていたのかと悔しさがこみ上げるほど、サボの中ではとても大切な存在だというのに――正直に打ち明けることは許されない気がした。死んだと思われていた人間が本当は生きていたのに、それまで忘れていたなんて殴られてもおかしくない。
 危機的状況から兄弟のエースとルフィを助けたサボは、命からがら"偉大なる航路"の無人島に逃げてきた。仲間に協力してもらい、たどり着いたマリンフォードで壮絶な光景を目の当たりにしながらどうにか大事なものだけは死守した。上司には事が落ち着くまでしばらく不在にすると伝えてあるので、こうしてサボも二人とともに無人島でひっそり過ごしているのだが。

「おい、いつまで黙ってるつもりだよ」

 全身包帯だらけのエースが口調だけは通常運転で問いかけてくる。
 暗闇の中で焚火の炎がゆらゆらと揺れる。ばちっと薪が爆ぜる音とかすかに聞こえるさざ波。無人島の夜は、壮大な自然を感じることができる。そばでぐっすり眠る弟のルフィを横目にエースと向かい合いながら、うとうとしているときだった。この時を待っていたと言わんばかりにエースの容赦ない追及がはじまる。

「サボなんだろ? いい加減認めろって。ルフィは誤魔化せてもおれの目は誤魔化せねェ、吐いちまったほうが楽だぞ」
「……」
「見たことねェ傷はあるが、こういうのは雰囲気でわかるもんだ。おれ達の絆はちょっとやそっとじゃ切れねェ」
「……」

 鋭い瞳がサボを射抜くように見つめる。サボが知るエースは十歳までのことだ。それ以降どんな人間と出会って、どんなふうに生きてきたのかは知らない。しかし、あれからまたさらに力をつけて成長したのだということは顔つきを見ればわかる。悔しいがサボから見てもエースは良い男なのだ。
 認めてしまえば確かに楽なのかもしれない。肩の荷がようやく下りてほっと息をつける気がする。エースもルフィも自分を受け入れてくれるだろう。ただ、自分で自分が許せないだけだ。二人の隣にいる資格がないんじゃないかという不安と恐怖。おれはお前らのことを少し前まで忘れてたんだぞ……。そんな簡単に――
 サボが俯いてどう返すべきか悩んでいると、目の前でエースの気配が動いた。

「――フレイヤ
「……!」
「こいつの名前を出しても知らん顔してるつもりならおれはお前を殴る」
「……どうしてその名前をエースが――」言いかけてはっとした。エースがニヤリと笑みを浮かべてこちらを見ている。はめられたのだと気づいたときにはもう遅い。
「おーようやく認める気になったか。まァ一発くらいは本当に殴ってもいいが、お前にも事情があったんだろ? 生きててよかった。それと……ありがとな」

 助けに来てくれてよ、と少し恥ずかしそうに続けた。背中がむずがゆい。涙がこぼれそうになって慌てて鼻をすすると、「泣いてんのか」と冷やかされた。しかしそういうエースも涙目だったし、人のことは言えた義理じゃない。
 それから焚火の炎が燃え尽きるまで、互いのこれまでのことを語り合った。エースにはエースの、サボにはサボの冒険があり、そして当然ルフィにもこれまでの冒険物語が存在する。楽なことばかりじゃなかったが、そうした窮地を乗り越えてエースは白ひげ海賊団の二番隊隊長、ルフィは麦わらの一味の船長をやっているようだ。サボもまた海賊の道は断たれたものの、革命軍として自由の灯を世界に照らそうとしている。
 自身の歩んできた道に後悔はなかったが、一つあげるなら"彼女"のことだった。取り戻した記憶は何も兄弟のことだけではない。サボには彼らに会うより前に、将来を誓った大事な女の子がいた。エースとルフィ同様に守りたい存在がいたことを、つい最近思い出したばかりだった。

「おれ達のことはともかく、あいつにはきちんと伝えろよ」

 先ほどの会話の続きなのか、エースが釘をさしてきた。
 思えば"彼女"にはゴア王国を出る前に手紙を出し、そこにエース達の名前を書いたのだ。手紙通り、だから二人が"彼女"に出会っていてもおかしくない。

「お前ら、フレイヤに会ってくれたんだな」
「何かあったらおれ達を頼れなんて無責任に書きやがって……」

 やれやれとエースが肩を落として、消えてしまった火を自身の能力で再生させる。サボはその中に薪を増やして炎の威力を上げた。すると、ばちばち自然の音が鳴る。コルボ山にいるときを思い出して懐かしくなった。三人でよくこうして森での夜を過ごしたものである。
 エースの言うことはもっともだが、"彼女"――フレイヤにもサボは合わせる顔がないと思っていた。結果的に彼女を裏切る形になってしまったというのに、都合よく好きだから結婚してくれなどとどの面下げて言えるだろう。何よりもし彼女がすでにほかの男と幸せに暮らしている姿を見たら、サボはきっと耐えられない。

「おれはあいつを裏切るような真似をしちまった」
「けど、好きなんだろ?」

 エースが間髪入れずに問いかけ、うかがうような視線を投げてくるので、サボはふいをつかれて一瞬口ごもってから「好きだ」とはっきり言葉にした。口にしてみて、記憶を取り戻しても自分の心が変わらないことに驚くと同時に、これまで一切女に興味がわかなかった理由にも納得した。正確に言うと、女に興味がないというわけではなくいつもどこかにフレイヤの存在があって、知らないうちに求めていたようだ。潜在的な意識だと思うが、よほど後悔がなければこんなことにはならないだろう。
 こちらの返しに納得したのか満足げに頷いたエースが、

「フェアじゃねェから言っておくが、おれもあいつが好きで昔に告ってる」唐突に爆弾を投下した。
「……え!」
「驚くことねェだろ。お前がいなくなってから一緒に過ごしてきたんだ、ある意味自然な流れだ。マキノさん以外の女はフレイヤしかいなかったからな」

 ダダンは少し違ェだろ、と続けて豪快に笑う。そのあとしばらく互いに無言のままパチパチと焚火の爆ぜる音だけが辺りを包み、闇夜に炎が溶け込む。
 あり得ない話ではなかった。フレイヤには何かあったらエース達を頼れと確かに伝えた。そして二人には彼女の話をしたことがある。まさか一緒に暮らしていたとは思わなかったが、そこでエースやルフィが彼女に想いを寄せてもおかしくない。貴族でありながら自分と同じ価値観で生きている彼女を、二人も気に入ったに違いなかった。

「えっと……それ、で……フレイヤは、なんて……?」ようやく返せた言葉は、なんとも心許ないものだった。
「動揺しすぎだ。安心しろ、あいつはおめェ一筋だから」
「……」
「サボが大事で、一生サボを愛するって決めてるからだとよ。ケッ、羨ましいぜ」

 吐き捨てるように言って、けれどエースの表情は柔らかくて優しい雰囲気をまとっていた。
 彼の話によれば、十七歳で旅立つ前にフレイヤに想いを告げたが断られたのだという。死んだ人間(実際は生きているが)のことを一生愛すると決めているなんて、十七の女が言えることじゃない。どんな想いで言葉にしたのだろう。もう会えないとわかっててそう言った彼女の心を想うと胸が苦しくなる。同時に、まだ諦めなくていいのだとわかって嬉しさもこみ上げる。
 現在フレイヤはセント・ヴィーナスという島でカフェを経営しているそうだ。十九歳でコルボ山を出て、しっかり自分の足で立って生きている(一年半前にエースは会ったことがあるという)。

「ニヤニヤすんな気持ち悪ィ」

 すべて顔に出ていたらしくエースから睨まれて首をすくめた。ぺたぺたと自身の頬を触りながらそんなにニヤニヤしていたのかと確かめる。けど、だって仕方ない。フレイヤが自分をまだ好きだという事実はどうしたって喜ばずにはいられなかった。
 ほとぼりが冷めたら会いに行こう。そう心に決めて、サボは口を開いた。

「ありがとな、エース」

 気恥ずかしさを覚えながら鼻を擦って言うと、エースは太陽のような眩しい笑顔で「おう」と答えた。

2023/12/16
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