やさしい世界に魔法はあるよ(2)

 気に入らない。なんで、どうして。と子どもみたいな言葉が口をついて出てしまいそうで、サボは堪えるように唇を噛んだ。
 驚くべきことに自身が十年前に死んだと思われた兄弟だとエース、それからルフィに告げた晩から一週間と経たないうちに、誰も来ないはずの無人島へフレイヤがやってきたのだ。エースのビブルカードを頼りにこの場所を、なんと複数の商船を渡って来たという。昔からやんちゃな面はあったが、その行動力には目を見張るものがあった。よくこんな場所までたどり着いたなと全員で驚きながら彼女を迎え入れた。
 そこまではよかった。感動の再会に涙を流しながら「よかった」と抱き合い、喜び合う。全員が幼なじみだから喜びもひとしおというやつだ。ところが、彼女はサボの顔を見て「誰?」と戸惑いの表情を作り、距離を置いた。エースの後ろに隠れてちらちらこっちをうかがう視線は正直苦しい。四歳で別れたのだから当然と言えば当然の反応だが、お前が好きなのはエースじゃなくておれだろという言葉が出かかってすんでのところでとどまる。
 ルフィが興奮して疲れてしまい、地面にうつ伏せ状態で寝ているが元々野生児だから放っておいても問題ないだろう。それよりもフレイヤだ。焚火をはさんで向かいにエース――と彼女、そしてこちら側は自分ひとり。気に食わない。彼女の隣にいるべきは自分であるはずなのにどうしてお前がそっちにいるんだ。
 おずおずと立ち上がった彼女がゆっくり近づいてきて、木で作った不格好なカップに手製の飲み物を注いで渡してくる。

「えっと……さ、ぼの分、です」

 ぎこちない仕草に泳いだ目線。明らかに動揺していて、フレイヤの手元は少し震えていた。おまけに気まずいのか、微妙に自分と距離を取っているのもやっぱり気に食わなくて、サボは思わず彼女の手首を掴んで引き寄せた。「きゃっ……ゃめ」彼女が驚いた衝撃でカップの中身が少しこぼれる。

「おいサボ。脅かすなっての。こいつは現実を受け入れるのに時間がかかってるだけだ」

 何せおめェは死んだことになってたからな、と向かいからエースの咎める声がかかる。ちらっとフレイヤに視線を移すと、どうすればいいのか困った様子で地面を見ていた。一向に目が合わなくて歯がゆさを覚えるが、仕方なしに彼女から手を放して自由にしてやる。ぱたぱたと素早くエースの隣に戻っていく姿は、さながら親鳥の元へ帰っていく雛のようだった。完全に自分を避けているのがわかる。
 再びエースの後ろに隠れてしまった彼女に、いよいよどうすればいいのかわからなくなった。早くこの手で抱きしめてその存在を確かめたいのに、それができない。正体を明かして、これまでのことを謝罪して、それでも許してくれるなら自分を選んでほしいと数時間前に伝えたが、彼女の反応は混乱に満ちており、何と返せばいいのか困っているようだった。

「けど、お前もいい加減サボを受け入れてやれよ。十五年ぶりに再会できた好きな相手だろうが」
「ちょ、エースっ……そういうこと言わないでよ」
「あァ? なんでそんな――って顔が赤ェな、熱でもあんのか?」
「み、見ないでッ……」

 と、フレイヤがとっさにエースから離れて顔を覆った。そのやり取りがまるで恋人同士みたいで全然面白くない。自然とサボの眉間は険しくなっていく。
 本当に彼女が好きな相手は自分なのだろうか。エースはああ言っていたが、この十五年で気持ちが変わっちまった可能性だってあるんじゃねェか? 一年半前に会っているというし、彼女が告げていないだけで本当は――いや、やめた。考えるだけで苦しくなってきた。そもそもこれは自分の勝手な想像であって、彼女の口から直接聞いたわけじゃない。とりあえず今の自分を知ってもらうことから始めよう。とはいえ、今日はもうこの場にいたくなかった。二人の距離の近さは正直辛い。

「悪い。今日はもう寝るよ。おやすみ」

 話し込んでいる二人にそう告げて、サボはひとり寂しく昔のように手作りした寝床へ向かった。その背中をフレイヤがどんな目で見つめているかも知らずに。


*


 頂上戦争で命拾いした二人が気になり、エースのビブルカードを頼りに無人島へやってきたフレイヤは、傷だらけでありながらも元気そうな幼なじみの顔を見てほっと息をついた。本当にこんな場所で下船するのかと乗せてもらった商船のおじさんたちに怪訝な目で見られたが、ここに友人がいるという事情を当たり障りなく説明して理解してもらった(二週間後にまた通りかかるので帰りも乗るつもりでいる)。
 こうして再会を喜び、無事を確認して安心したのだが、一人見知らぬ男性が一緒にいることにフレイヤは戸惑った。もしかして例の助けた人だろうかと不思議に思っていると、「久しぶりだなフレイヤ」となぜか自分を知っているような口ぶりで話しかけられてますます混乱した。
 驚くべきことに、彼は十歳で亡くなったはずのサボだという。海に沈んだ自分を助けてくれた人がいて、しかし事故の衝撃でそれまでの記憶をなくし、家に帰りたくないという強い想いからその恩人が所属する組織でずっと生きてきたと、簡単に経緯を説明してもらった。
 ごめん。謝って許されるとは思わない。けど、もしお前がまだおれのことを想ってくれてるならこの手を取ってくれるか。
 申し訳なさそうに言う彼に、フレイヤは何も返せなかった。生きていて嬉しいはずで、もちろん今も彼のことを想っていて。今度こそ一緒にいられるなら一緒にいたい。離れたくない。なのに、彼と上手く話せず目を合わせることすらかなわなかった。
 フレイヤは自分がどうして戸惑っているのか、その理由をはっきり自覚していた。

「サボ……」

 好きな人の名前をぽつりと呟く。言葉にするだけで、すぐにあの頃の甘くて苦い記憶がよみがえる。ようやく見つけた同じ考え持つ男の子。結婚しようと言ってくれた男の子。子どもながらに、自分はこの人以外と一緒になるつもりはないと誓った五歳になったばかりの頃。けれど、彼は突然フレイヤの前から姿を消し、五年も経って手紙をくれたと思ったら死んだって聞かされて……。
 寝床に入ってから一時間。サボのことばかりを考えていた。寝ようと思っても眠れず、気分転換に海のほうへ散歩しに行こうと体を起こしたときだった。ふと、何かの気配が動いた気がしてフレイヤはそっと辺りの様子をうかがう。三人は少し離れたところで寝ているはずだが、誰かが起きたのだろうか。
 目を凝らした視線の先に見えたのは、長身痩躯の背中。月明りに輝くふわっとした金糸の髪。まぎれもなく、あれはサボだ。
 気づけばフレイヤは飛び出してその背中を追いかけていた。あれほど話せなかったくせに、追いかけてどうするつもりだろう。自身に問いかけてみて、けれどわからなかった。ただ、このままじゃ気持ちが通じ合えないことだけはわかる。拙くても、目を合わせられなくても、伝えなければ。

「サボっ……待って!」

 どうやらサボも海のほうへ行くらしく、フレイヤは大きな背中に向かって叫ぶ。まさか自分以外が起きていると思わなかったのか、彼は大げさに肩を揺らして後ろを振り返った。そして現れたのがフレイヤだとわかるとあからさまに動揺してみせて、けれど根っからの優しい性格が自分を無視することなく待ってくれている。
 肩で息をしながらようやくサボまでたどり着くと、困った表情をしながらも「どうした?」と心配する声をかけてくれた。

「眠れなくて……海まで散歩しようかなって」
「そうか」
「……さ、ぼも眠れないの?」
「まァな」
「……」
「……」

 互いに沈黙する。昼間からろくに会話ができていないのだから当たり前だったが、この機会を逃したらもうサボと元に戻れないような不安が押し寄せてきて、気づけば「話したい」と漏らしていた。フレイヤの言葉に彼は目を丸くさせたものの、くしゃっと破顔しておれもと短く返事をしてから二人で海へ向かうことにした。転ぶといけないからと手を繋いでくれる優しさに胸を軋ませながら。



 夜の浜辺は海風が吹いていて少々肌寒かった。晴れているおかげで月が海面を照らし、幻想的な光景を作っている。セント・ヴィーナス島とはまた違う海の色にフレイヤは心を躍らせながら隣を歩く愛する人に視線を投げる。
 寒いだろと気を利かせて貸してくれたサボが使っていたマント。本当に頂上戦争で二人を助けたのが彼なのだと改めて思い知る。じわじわと少しずつ実感しているが、あの頃の面影がほとんどなくて正直戸惑っていた。
 フレイヤが知る彼は丸刈りでやんちゃで少し自分勝手で、でも周りに流されない”自分”を持っている少年だ。あれから約十五年。月日が流れて彼は頼りがいのある逞しい青年に成長した。知らないどこかの貴族のようにも思えて、なのに笑った顔は急速にあの頃の記憶を呼び覚ます。優しい輝きを放つあの表情はやっぱりフレイヤの知る彼だった。
 だから困っている。あまりにも――

フレイヤ。おれが許せねェか……?」

 ぼうっとしていたら突然話しかけられ、驚いた拍子につんのめった。「おいッ……」反射神経の良いサボが体を支えてくれたおかげで転ばずに済みほっとする。「ごめんね……えっと、許せないっていうのは――」と話を戻して、彼と向かい合う。

「お前を裏切って家を飛び出したあげく、手紙だけ残して海で会おうなんて無責任なこと言っちまって悪かった」
「ううん、いいの。そりゃあ最初はどうして私も一緒に連れていってくれなかったのかって思ったけど、サボにも事情があるってわかったから……」
「なら……ッ、エースのことが好きなのか?」
「へっ?」

 突拍子もない質問にフレイヤは素っ頓狂な声をあげた。
 私がエースを? どうして急にそんな――もしかして、さっきのやり取りで勘違いさせちゃった……?

「ちがう! それは絶対に違うからっ……私が好きなのは今も昔もずっと変わらない、サボだよ」

 小刻みにかぶりを振って違うと否定する。サボの表情が苦しそうに歪んでいた。やだ、そんな顔しないで。違う、違うの……。「ごめんなさい。私があんな態度をとったからだよね。でも違うの、そうじゃなくて……ッ」たまらずサボの腕にしがみついて伝えると、「ならどうしておれのことを避けるんだよ」とつらそうに彼が問うてくる。揺れる黒い瞳が泣きそうなのはきっと気のせいじゃない。
 フレイヤは自身が抱える恥ずかしさを捨てる覚悟でサボの顔を見据える。

「――から、どうしていいかわからなかった」
「え……なんて言った?」
「想像よりもすごく、かっこよくて……こんな素敵な人が私の好きな人だなんて信じられなくて、恥ずかしくて……」

 最後のほうはもう尻すぼみになっていき、サボの顔が見られなかった。言うつもりはなかったが、誤解されたままでは困ると思い素直に打ち明けると彼の目が見開いていくのがわかった。痛いほど視線が突き刺さっているのを感じる。
 どのくらい沈黙していたのか、やがて目の前で深く息を吐きだす音が聞こえた。

「嫌われたわけじゃ、ねェんだな……?」
「そんなわけないよ! びっくりしただけで、本当は会えてすごく嬉しい。生きててよかった、ありがとうッ……わっ」

 ようやく本当の気持ちを伝えたところで、サボのほうから抱きしめられた。隙間を埋めるように強く、つよく。首に顔を埋めた彼から「よかった」とくぐもった声が聞こえて胸が締めつけられた。それほど不安にさせてしまったことに申し訳なさが募る。だから安心させるようにフレイヤは彼の背中に腕を回して抱きしめ返した。
 しばらくしない間に風が止み、凪いだ海辺で抱き合っていた。貴族でなくなった二人の距離を阻むものは何もない。もう離れなくていいのだと思ったらどうしようもなく嬉しさと喜びがこみ上げてくる。

「やっと仲直りしたのか」

 後方で突然声がして振り仰ぐと、エースがやれやれと呆れたようなけれどどこか安心したように笑って佇んでいた。昼と夜とでは気温差があるというのに、彼の恰好はシャツを上着代わりに羽織っているだけで(しかも全開)到底寒さをしのげるとは思えないが、昔から感覚が人と違うのでそのことに触れずにフレイヤは「見てたの?」と居心地が悪い思いで聞いた。

「サボが出てったから気になったんだよ」
「悪い、ちょっと気分転換がしたくてさ」
「気にすんな。お前らが丸く収まらねェとおれが困る」

 ぶっきらぼうな言い方で視線をそらしたエースはどうやらフレイヤ達のことを気にかけてくれたようで、一人抜け出したサボを追いかけたらたまたま自分と一緒にいたから様子を見守っていたという。厳しい割に心配性なところは昔から変わっていなくてフレイヤは思わずふっと笑いが漏れた。
 密着していた体がサボの手によって離され、しかし腰を引かれて今度は横にぴったりくっつく形になる。

「悪かったよエース。もう大丈夫だ
「そりゃよかった」

 短い会話の中に言外に含む何かがあって、それはフレイヤにはわからなかったが、二人の表情を見れば事が解決したのだということは理解できた。
 思えば、全員が幼なじみであるのに全員で一緒に過ごしたことは一度もなかったことに気づいて、今この瞬間が奇跡のように感じた。会えなかった分を、この束の間の休息で必死に取り戻そうとしているのだと思う。エースもサボもルフィも、三人それぞれに進むべき道がある。普段交わることはないし、三人がいる場所は常に危険が伴う。けれど、自身で決めた道だからそれに恥じないよう精一杯生きているのだ。フレイヤはそんな幼なじみたちを誇りに思っている。
 だからこそ、こうして四人がそろったことは貴重で次はいつ集まれるかもわからない。そう思ったらいまこの瞬間を大切にしなければならない気がした。フレイヤは満天の星空を指さして、隣のサボと少し離れたところにいるエースに声をかけた。ルフィは寝てしまっているけど、明日も明後日もまだ時間はある。

「ねえ二人とも。ちょっと星を見ていかない?」


*


「こいつ、自分で言い出したくせに寝てやがる」

 浜辺に寝転んで星を見ていたエースは、サボとの間で同じように星を見てはしゃぐフレイヤがいつの間にか静かになっていたことに気づいて呆れた声をあげた。どんな夢を見ているのやら、幸せそうな顔をしている。

「仕方ねェよ、普段は寝てる時間だ」
「……で? フレイヤとは上手くいったってことでいいんだな?」
「ああ。心配かけて悪かった」
「わかってんだろうな。幸せにしなかったら奪うぞ」
「エースが言うと冗談に聞こえねェよ……けど、寂しい思いをさせちまった分しっかり返していくつもりだ。お前には悪ィがフレイヤは渡さない」
「まァ、お前の隣にいるのがこいつにとっての幸せってことくらいはわかる。何があっても守れ、あと死ぬな」
「おいおい、ついこの間はお前が瀕死だったじゃねェか。無茶言うな」
「おれのことはいいんだよ。お前がいなくなってからこいつはすげー泣いたし、無理して明るく振るまってきた。それでもお前への愛を貫き通した良い女だ、幸せにしなきゃ承知しねェ。悔しいがサボ、お前にしかできねェことだ」
「……わかってるよ。ありがとう」
「ってことでこれくらい許せ」

 と、エースは隣で寝るフレイヤの右手に自身の手を重ねて目を閉じた。彼女を挟んだ反対側から何してんだと抗議する声が聞こえたが無視した。
 ――サボ、生きてくれて、助けてくれて、ありがとう。
 言葉にせず胸の内でそう呟いてから、エースはかすかに聞こえる波音を子守歌にして次第にまどろんでいった。

2023/12/28
10周年リクエスト4
エースくん生存ifのたし恋(後編)