春の夜にきみを夢見てた

「なかなか一緒にいれなくて悪い。少し立て込んでるけど、今日の夜は会いに行くよ。遅くなっちまうだろうが」
「ううん、いいの。ほかの皆さんも親切にしてくれてなんとかなってるから」
「そうか」

 微笑むフレイヤに、自然とサボの表情も緩む。これから実践的な特訓を部下達と予定しているのに、締まりがないだろうか。彼女と会話をすると、どうしたってこの温かい雰囲気に吸い込まれてしまうが、それが逆にピリピリした自分を落ち着かせるのにちょうどよかったりもする。
 ただ、一つを除いては。

「お前ら、コソコソ隠れて何してんだ。見えてるぞ」

 サボが廊下の曲がり角に向かって声をかけると、小さく「げっ」と若い男たちの焦る声が聞こえた。隠れているつもりだろうが、髪の一部や肩が見えたりして全然隠れられていない。サボに言われてひょっこり姿を現したのは一人や二人ではなく五人もいた。本当に何してんだ、と呆れる。かくれんぼで見つかったときの子どものようにばつが悪い顔をして、彼らはサボの前まで歩いてきた。

「だって総長が全然紹介してくれないから、こうやって見に行くしかないじゃないですか!」
「そうですよ。今度今度って言ってからもう一週間経ってます」
「おれ達、総長の婚約者のことが気になって夜も眠れません」
「いや、夜は寝ろよ」

 冗談はさておき、彼らは特訓の前にわざわざフレイヤを見ようと自分を尾けてきたらしい。暇な奴らだと言ってやりたかったが、彼女がいる手前あまり粗相をするのも憚られた。おまけに好奇の目を後ろにいるに向けているのは明らかで、サボにはなんだかそれがひどく面白くなかった。

「サボの仕事仲間の方々ですか? はじめまして、フレイヤ・カートレットです。お世話になってます」

 こちらが悶々としている間に、横から姿を現したフレイヤが丁寧に挨拶をした。少しだけ恥ずかしそうにしながら、けれどはきはきと喋る姿はカフェを経営していると聞いているだけあって初対面の人間に対する慣れた印象を受けた。
 しかし肝心の部下達がぽかんと口を開けたまま何も言わずにぼうっとしているので違和感を覚える。

「……無言かお前ら。挨拶くらい返せ」
「え、あ、すいませんっ。はじめまして。こちらこそ、総長――サボさんにはお世話になってます」と次々に頭を下げていく部下達を見ながら、サボはやはり首を傾げた。あれだけ紹介してくれと騒いでいたわりに、会った途端大人しい。何なんだ。
「急にしおらしくなって気持ちわりィな……」
 サボが訝しむように言うと、彼らは耳元に近づいてきて、
「あー……想像以上に貴族感がなくて驚きました。良い意味で」
「どことなくお嬢様感はありますけど、よくいる見下したような感じがなくてめちゃくちゃ好感が持てます」
「というか、いまどき貴族じゃなくてもこんな上品でかわいらしい人に出会えるの珍しい気がしますね」フレイヤに聞こえないよう小声でそう口にした。ますます面白くなくて、サボは眉を寄せる。だから嫌だったんだ。

「もういいだろ、紹介した。早く鍛錬場に向かえ」
「そんなわかりやすく嫉妬しなくても、別に総長から奪おうなんて誰も思ってないですから」
「……」

 言葉に出していないのに心の中を見透かされて思わず口を噤む。その上、自分が子どもみたいなことを言っている気がしてさらに気まずい。そうか、嫉妬……部下に対して抱くこともあるんだな。
 ふと脳裏に、記憶を取り戻したあと彼らにフレイヤについて聞かせてくれとせがまれたことを思い出した。あのときも、こんなふうに部下達が寄ってたかって自分を囲んでいた。彼らがいろいろと聞いてくるせいで、どこで何をしているのかわからない、まだ貴族だったかもしれないフレイヤを毎晩のように想っていたあの頃が懐かしい。
 渋々特訓に向かう彼らの背中を見送りながら、サボは二年前に思いを馳せた。


*


 記憶を取り戻したあと高熱で寝込んだことは全員が知っている事実で、そのあとしばらく気持ちが落ち着くまでそっとしておいてくれたのだが、自身の過去について打ち明けると今度は鬱陶しい連中が騒ぎ立てた。部下達である。最初こそ快気祝いでこちらの事情や心情を慮ってくれたものの、仕事復帰したら気になって仕方ないのかわかりやすくソワソワしているのが視界の端にちらちら映るので、サボは作業していた手を一度止めた。

「なんだよお前ら。鬱陶しいぞさっきから。聞きてェことがあるならはっきり――」
「じゃあ遠慮なく! 例の好きな女性について詳しく聞かせてください!」

 ひとりが口を開いた途端、「おれも」と群がる部下が多数。会議室は瞬く間に休憩中の談話室のような騒がしさに包まれた。
 彼らが前々から自分の恋愛に関する事情を聞きたそうにしていたのは知っていた。任務先で女を引っかけてる奴もいるし、仕事とプライベートを区別できるならサボも口出ししてこなかった。しかし自分のこととなれば別だ。サボは、これまで女に関することで一切自分からは関わりを持たず、誘われても断り続けてきた。それを「なぜ」「どうして」と聞いてきた部下は大勢いるが、自分の心に居座る”存在”の話をしたのはたったの一度だ。記憶が戻る前、年上の兵士にほろ酔い気分でぽろっと語った。その彼は現在別の場所――カラスの下で戦場を駆けまわっているが。
 だから彼らは、サボがどうして頑なに女と関係を持つことを拒否していたのかを知らない。かくいうサボでさえ、記憶を取り戻すまではいまいちわかっていなかったのだ。自身のことなのに記憶がないせいで妙な違和感を抱え、けれど心が拒否するのだからそれに従うほかなかった。
 だが、箱を開けてみればなんてことない。最初から自分には相手がいたのだ。幼少期に将来を誓った女の子が。記憶をなくしても、彼女――フレイヤのことが頭の片隅にあって、ああいう別れ方をしたせいで心はずっとモヤモヤしたまま忘れることができなかったのだろう。
 それに、手紙の中の自分は宣言していた。
 "おれは先に海へ出るけど、いつかまたどこかで会ったら今度こそ結婚しよう"

「わかったよ。少しだけな」
「じゃあおれから。まずその子のお名前は?」
フレイヤフレイヤ・カートレット。ゴア王国じゃ有名な貴族だ」
「え、貴族? あ、でもそうか。総長も元はそっちの出身だったんですもんね、不思議じゃないか」
「そうだ。最初は親が決めた相手だったんだよ。でもそうとは知らずに庭で出会ったんだ」

 窮屈な仕立ての良い服に着替えるよう言われて嫌々ながらカートレット家に向かったのだが、玄関で両親が話し込んでいる隙に抜け出してサボは周辺の庭を散策していた。その時だ、彼女に遭遇したのは。
 木に登って遠くを見ている女の子がいた。綺麗なドレスをまとっているのに、あんな危ないことをしている子を見るのは初めてだった。だから声をかけた。そのせいで木から落ちてしまったのだが、幸いにも自分がクッションになったおかげで大事には至らなかった。
 そのあと木の上でいろんな話をして、四歳のガキが結婚しようなんて冗談とも聞こえる話だが、あの短時間でフレイヤとは心が通ったと自信を持って言える。ガキだったからこそ本気とも言えるが。幼いなりに、家から出る方法を必死で考えていたのだ。

「ぷっ……総長にもそんなかわいいエピソードがあったなんて」
「木の上でプロポーズなんて四歳の総長は斬新っすねえ」
「そのフレイヤさんって子も貴族にしてはなかなかやんちゃですね。それも女の子なのに」

 当時の話をしたら、口々に思いのまま感想を言われて少々むっとする。なにが斬新だ。お前らにどうこう言われる筋合いはない。
 とはいえ、フレイヤに関していえば同じ思いだ。彼女の第一印象は貴族とは思えない振る舞いで、正直ドレスを着ていなかったら貴族とはわからなかったかもしれない。ただ、自分の話を、目をキラキラさせながら聞いてくれるのが嬉しくて、サボにとって貴族かそうではないかは重要ではないが。

「まあな。ドレスを汚したフレイヤはもちろん、おれも一緒に怒られた。そのあとだよ、フレイヤが婚約者だって教えられてお互い驚いた」
「なんていうか、おとぎ話を聞かされてるみたいで信じられないです。だって総長、婚約者だって知る前にその子に一目惚れしたんでしょう?」

 確信に満ちた言い方で聞かれた。
 一目惚れ。あまりそういうのを信じる質ではないと思っていたのだが、四歳の自分が感じたくすぐったさを"恋"と呼ぶなら、それは一目惚れなのだろう。見た目も少しやんちゃな部分もかわいかったし、なにより価値観が同じだった。貴族という集団に違和感や不信感を抱いていたフレイヤ>は、高町に住んでいたほかの子どもたちと明らかに違ったのだ。衝撃と同時に心が躍って当然の出来事である。

「そうだな。すぐに打ち解けられたのもきっと同じだったからだ。おれとフレイヤは自分の家が好きじゃなかった」
「へェ……つまり、総長は四歳ですでに運命の相手を見つけちゃったんですね」
「……よくそんなクサい台詞言えるな」サボは苦笑いした。しかし、部下たちの目は意外にも真剣だったのでたじろぐ。
「だって事実でしょう。同じ貴族かつ同じベクトルで価値観が合うなんて奇跡としか思えない。おれらが知ってる貴族ってはっきり言うと性根腐ってる人間ばっかだし、むしろ総長達が異端です」

 性根腐ってる。異端。部下の言葉には一切の配慮がなくて思わず笑ってしまった。でも当然といえば当然で、サボが見てきた貴族の形そのままを言い表している。彼らにとって自分たち以外の人間はどうでもいいのだ。たとえそれによって死ぬ人間がいたとしても。
 その考え方にひどく嫌悪したサボは家を出てエースと出会い、その五年後にルフィとも出会う。フレイヤのことには心残りがありつつ、けれど高町に戻ることはしなかった。両親に見つかれば連れ戻されるのはわかっていたから。
 彼女には本当に悪いことをしたと思っている。勝手に家を飛び出して、五年間音信不通かと思えば唐突に手紙で先に海へ出ると告げたのだから。くわえてエース達と同様、彼女はサボが死んだと思っているに違いない。

「ここまで来たら必ず見つけたいですね、フレイヤさんのこと」

 誰かがなにげなくぽつりとこぼした言葉に、心臓がぎゅっと音を立てた。
 自分がいなくなってからどんな生活を送っていたのか、知る由もないが、いつか海へ出ると誓った幼い夢が彼女の背中を押して、どうか貴族としてではない自由な生活を送っていたらいいと思う。勝手かもしれないが、そうであってほしい。そして、もし再び会えるのなら――

「ああ、必ず見つけてみせる」

 "今度こそ結婚しよう"
 手紙の中の言葉を現実にするために。彼女と一緒にいられる未来を掴みとるつもりで、サボは拳を強く握った。

2023/04/09
10周年リクエスト8 記憶を取り戻した直後と再会直後のボーイズトーク