きみのすべてを侵食したい

 噛みつかれた、と気づいたときには喉元のあたり強烈な痛みを覚えていた。そんな場所に歯なんか立てたら当たり前だが痛いに決まっている。なのに、彼らはこちらの事情も何もまったく考えなしに突然血を求めに私の前に現れるからたまったもんじゃない。
 のしかかる勢いで迫る獣と呼んでもいい二人を押し返そうとするも、男子の――それもどうやら人間よりはるかに怪力らしい彼らに到底敵うはずもなく、いとも簡単に拘束されてしまった。
 相変わらず整理されていないせいで埃っぽい場所だった。どうやら新しい教材室ができたせいでここは普段使われなくなったらしい。そのせいで彼らの休憩室となった旧教材室の奥で、今まさに吸血されている。
 人の話は聞かない、こちらの予定を聞く気がない、そして横暴な振る舞い。しまいには、どういうわけかこちらの交流関係を把握しているらしく、後輩男子と接しようものなら鬼の目で制される。でも仕方なかった。部活で接するのは言わば不可抗力なのだから。
 そもそも彼らに指図される覚えはないのに、どうして理不尽なことばかり言ってくるのだろう。私たちは仲良くなったわけでもない。友人と呼べるかも怪しい。だって、彼らは私を餌だと思っている。

「痛くしてんだから当然だろ」平気な顔してそんなことを言うから思わず、「そんなところに痕残したらもう二度と吸わせない」と、涙目になりながらエースを睨んだ。
「お前にンなこと言われる筋合いはねェ」
「おいエース。なんでいつもそう血気盛んなんだよ。怖がってるじゃねェか」

 私の右側に立っているサボが宥めるように言った。
 親友だという二人はいつも一緒にいるわけではないが、決まって私を呼び出すときは二人でいることのほうが多い。毎回加減を知らない吸血にうんざりしているというのに、どうしてか最終的に流されてしまう。とはいえ抵抗をやめたわけではない。大人しく吸われてやるほど私の心は彼らに服従していないのである。
 サボの言葉にエースはフンと鼻を鳴らして仏頂面を貫いていた。最近こそ普通に喋れるようになったエースだが、一匹狼みたいなところがあって単体じゃかなり話しかけづらいオーラを放っている。逆にサボは社交的で愛想は良いが、正直何を考えているのかわからない。

「で? ルフィとどういう関係なんだよ」
「どういうって別にただの先輩後輩だよ」
「お前はただの後輩にも血ィ吸わせんのか? 目を離した隙に絆されやがって」
「あ、あれはちょっと私の不注意で――ていうか見てたの……?」

 エースの言っていることはめちゃくちゃだ。論理が破綻している。自ら血を捧げたわけではなく、怪我して気づいたらルフィのほうから迫ってきたので不可抗力というやつだ。そもそもルフィを「ただの後輩」と言うならエースもサボも「ただのクラスメイト」だろうに、自分たちのことを棚に上げて怒るとは理不尽にも程がある。
 絆されたと言ったって部活の後輩なのだから接点があるのは当たり前だ。練習日は同じだし、場所だって同じ体育館を使用している。おまけにどうしてそのことを知っているのかも疑問だ。自分の行動が常に二人に筒抜けなのはいまだに納得できない。

「どうでもいいだろ、おれ達の勝手だ」
「落ち着けエース。ルフィはおれ達の弟だ、そこまで怒ることねェだろ」
「ならサボ。おめェはこれを見てもそんなこと言えんのか?」

 ぐいっと、左手を持ち上げられてサボの前に差し出された私の腕の内側には牙の痕が小さく残っていた。目ざとく場所まで把握しているとは、本当に見ていたのかと恐ろしくなる。

 本来今日は練習日ではないのだが、顧問からミーティングがあると連絡が回ってきて二十分ほど集まった。その帰りだ。バド部の荷物が体育館前の廊下に並んでいる中、なぜか通路を邪魔するようにはみ出ている誰かの荷物に足が引っかかった私は、見事に前から倒れて腕や足を擦りむいた。
 それだけならただのどんくさい人間で片づけられるのだが、問題はそのあとだ。擦りむいた腕や足から血が滲み地面に染みができてしまったので、近くの水道で流してから帰ろうと思って方向転換しようとしたとき――後ろから誰かに引っ張られた。後輩のルフィである。
 そこから先はまるで流れるようにいろいろなことが私を襲った。
 ルフィに引かれるまま体育館の裏側に連れていかれ、血の滲んだ腕に噛みつかれ、飢えた獣のように血を奪われる。エースやサボと違って吸い方には少しぎこちなさを感じるものの、吸いつく彼の口の端から見える牙は本物で私は身震いした。押し返してもびくともしないので、女子と男子の力の差を見せつけられる。かわいい後輩だと思って油断した私の誤算だった。
 手加減なしの吸血をするあの二人と違って、ルフィは最初から最後まで優しいところが唯一の救いだろうか。無邪気な笑顔で美味いなんて言われて、どう返したらいいのかわからず結局なにも言葉をかけられなかった。二人に続いて、彼まで”同じ”だと思いたくなかったからかもしれない。
 空腹が満たされて満足したのか、ありがとうと言ったルフィは何事もなかったかのように去っていく。ちらりと自身の腕に視線をやると、滲んだ血は綺麗になっていた。牙の痕だけを残して。

 サボの視線はいまだ私の左手に注がれていた。じっと見つめくるその視線に、まるで肌をなぞられているような気がして自然と身体が火照っていく。
 その表情からは何も読み取れない。エースと違って心の中が読めない分、怖いところもあるのがサボだ。エースほど威圧感がなく時折やさしさを見せる彼は、しかしその笑顔の裏で何を考えているのかわからなかった。

「そりゃあ多少嫉妬はするさ。最初に見つけたのはおれ達だから」
「……その言い方だとまるで私が二人のものみたいに聞こえる」
「事実だろ」エースがさも当たり前みたいに言うので、
「違う! やめてよ、ただでさえ二人ともその容姿で目立つんだから変な噂立てられて被害を受けたらどうするの」

 すかさず否定しておく。そうだ。この二人の正体が吸血鬼であることはたぶんきっと私だけしか知らなくて、だから容姿がいいというだけでみんな騙されている。でもそれを知らない周りから見たら、この二人と仲良くしているように映るのだろう。本当に私に何の得もない。

「どうするも何もねェ。そんな奴ら放っておけよ」
「なにそれ。自分たちの容姿のこと気にしてないの?」
「知るか。んなことより前も言ったが、お前の血はもうおれ達のモンだ。たとえルフィだろうと許されねェ」
「もういいよエース。言葉じゃなくてこれでわからせたほうが早い」

 するりと先ほどエースが噛みついてきたあたりをサボの指先が撫でた。自分で確認することができない位置なのでどうなっているかわからないが、あまり見たくもないのでもうどうでもよかった。
 二人にスイッチが入ってしまえば、抵抗しても意味がないことを知っている。せっかく中断されていた吸血行為も、今のサボの一言でまた始まってしまう。
 制服に手をかけられる。一ミリの躊躇いもなくボタンをはずしていき、胸元が見える位置まで開けられるとその手はぴたりと止まって、「……っ」するするとそこに残っている鬱血を満足げに擦りながら「いい眺めだな」なんてサボが笑って言った。
 もう自分の身体にはいくつもの鬱血痕と牙の痕が残っていた。普段は制服がそれらを隠してくれているが、こうして解いて視界に入れてしまえば彼らから与えられた「所有印」を否が応でも認めなければならない。
 ルフィの牙の痕なんてかわいいものだ。この二人のほうが容赦ないし、私を縛りつけるみたいに見境なくあちこちに残していく。だからあんな小さな痕くらいで怒るなんてどうかしている。

「他人の痕跡を見せつけられるとエースは怒るぞ。まァおれも同じだけどな」

 擦っていた手を離したサボの顔が近づいてくる。ウェーブがかった金色の髪にさらさらと身体をくすぐられて身をよじった瞬間、牙を穿たれる感覚が走った。

「んッ……」

 小さな痛みのあとにやってくるのは痺れるような甘い疼きだ。一気に熱がそこへ集中して、何も考えられなくなる。いつもはもっと荒々しいのに今日はやけに優しく吸いついてくるから余計に脳髄がふやけていく。じゅる、という生々しく啜る音が聴覚から自分を侵食する。抵抗しなきゃいけないのに、身体が言うことをきかない。きいてくれない。
 サボから与えられる刺激を甘受していくうち身体の力が徐々になくなっていき、がくんと膝から崩れ落ちそうになった刹那――首の後ろに強烈な痛みを感じた。

「いっ……や、ぁ」

 髪をかき分けて、ボタンがはずれているのをいいことにいつの間にかブラウスを肩から二の腕まで下ろされて後ろから噛みつかれた。もちろん犯人はエースだ。
 痛みは一瞬でなくなる。今度は浮き出た肩甲骨に触れながらゆっくり背中を撫でていく。その手つきはサボと同じで優しくて一体どうしたんだろうとぼんやりしはじめた頭で考える。さっきはあんなに怒ってたくせに、言葉とは裏腹に扱い方はまるで壊れ物へのそれだった。
 しばらく撫でていた手が離れていった代わりに、今度は柔らかいものが私の肩に触れたかと思うと、かぷ、という音を立てて牙が刺さる。そのあとすぐに血を吸われる。時おり歯も立てられるが、すでに痛みより快楽が身体を占めていた。じりじりと肌を焦がすような感覚に襲われて、二人に支えてもらわなければもう立つことも叶わなかった。

「サボにばっか集中してるともっと強く吸うぞ」
「あ、あっ……ゃ、だ」
「おれにも敵意むき出しか。ならこっちも遠慮しねェ」
「……ッ」

 下着で隠れた胸の少し上、ぎこちない谷間あたりにサボが吸いついた。片手がやんわり胸にも触れる。下着越しとはいえ揉まれていると理解した途端、羞恥に身体が逃げ出そうとするが、私の行動を先読みしていたかのようにしっかり押さえ込まれてしまう。
 胸も背中も食まれて、私の口はすっかり甘い吐息ばかり吐き出していた。喘ぐつもりなんてないのに、勝手に漏れてくる。
 嫌だ。かろうじて残っている反抗心が悪あがきするように身をねじる。「意味ねェことすんな」エースが背中に歯を立てた。「抵抗する割にはとろけた顔だけどな」サボが意地悪な笑みで見下ろしてくる。
 視界が段々とぼやけてきた。身体の内側が熱くて仕方ない。くすぶる熱をどうにかしてほしい。はやく終わりにしてほしい。

「これでわかっただろ? お前はおれ達のモノだってこと」
「……んッ、や……も、やめっ……」
「今後ほかの奴の痕なんか付けてみろ、もっとすげェことしてやる」

 独占欲の塊のような重たい言葉が私を縛りつける。
 次々に与えられる執拗な刺激に、やがて意識が遠のいていく。ダメだとわかっているのに頭は思考することを諦めて、ただ二人に身を預けることしかできなくなった。
 遠くでチャイムの音が聞こえはじめ、校内に残る生徒の最終下校時刻を告げた。

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