柔らかい砂糖屑のような

 この世界で一番好きなものはと聞かれたら何と答えよう。
 例えば、家族。両親と姉と弟。時々ケンカもするけれど仲の良い家族だと思う。例えば、甘いもの。近くのクレープ屋さんのイチゴとチョコの組み合わせは最高だ。季節限定メニューのチェックも欠かせない。例えば、本。祖母からもらった絵本をきっかけに物語は壮大な世界を見せてくれることを知り、読書に楽しみを見出すようになった。
こうして挙げていくときりがない。彼女には好きなものがたくさんあった。どれが一番だと決めるのは非常に悩ましい問題なのである。
 そして最近になって新しく「好きなもの」としてカテゴリされたものがある。彼女の心を占めるそれは――

「お、なんか美味そうなモン入ってるじゃねェか。もらうぞ」
「ちょ、ちょっとー!あげるなんて言ってない!」

 昼休み。教室の一角に男女の騒がしいやり取りが響き渡る。男の名はサボ。青海高校に通う三年生。女の名は。同じく青海高校の三年である。席が前後である二人は時折こうして攻防を繰り広げるのだが、第三者の目には睦み合っているようにしか映らないので周りが何かを言うことはない。教室のいつもの光景の一つだった。

 きっかけはなんだったか。思い返せば半年ほど前のことだ。
 サボという男は傷の絶えない人間で事あるごとにケンカしただの殴られただのと、教室をざわつかせる所謂「問題児」だった。だが、毎回喧嘩の相手は他校の生徒だとかいう大それた話ではなく隣のクラスにいる義兄弟のエースという男なので校内ではただの「兄弟げんか」と称している。二人そろって容姿が整っていることでも有名な上、一緒に登下校する姿を見かけたことは数知れず。仲の良い兄弟なのかと思いきや、たびたび殴り合いの喧嘩を始めるので周りは肝を冷やしているのだ。
 そんな危ない男とが知り合った日も彼は顔に傷を作っていた。放課後、委員会の仕事が長引いたために部活に遅刻していくことになったは荷物を取りに一度教室に戻った。午後五時近くになる頃だ、誰もいないはずだろうと思って入ると机に突っ伏している人がいて驚いた。
 癖のある綺麗なブロンド。間違いない。サボであると瞬時に判断したは鞄だけ取って早々に立ち去ろうと考えたのだが、遠くからではわからなかった彼の顔の傷に気づいてぎょっとする。血が出ていた。真新しいそれは放課後になってからできた傷だろう。帰る前に教室で見かけたサボの顔に傷などなかったはずだ。は思わず立ち止まって凝視した。寝ているのか幸いにも彼は目を閉じての存在には気づいていないが、このまま血を流した人間を放っておくことは果たして良いものかと思案してしまう。もちろん、知らん顔することもできただろう。クラスメイトとはいえ、仲が良いわけでもなければ話したこともほとんどないので見過ごしたって誰もいない教室では薄情者と後ろ指をさされることはない。
 そうして自問自答を数回繰り返した結果、の生真面目さと世話好きな性格が勝りサボに声をかけることにした。

「ねぇ、その傷早く手当てしたほうがいいよ」
「んあ?」

 重たそうに瞼を開けたサボと視線がかち合う。寝起きのせいか眼光が鋭く、何も悪いことはしていないのに自然と姿勢を正してしまう。けれど、クラスの女子が騒ぐだけあってやはり端正な顔立ちだ。こんな近くで見たことは今までなかったので変に心臓が脈打つ。
 何のことを言われているのか理解したサボは自身の頬に手を当てて苦笑いした。

「まァいつものことだし唾でもつけときゃいいだろ」
「正気?結構切れてるでしょうが!保健室行きなって」
「めんどくせェよ。先生にバレるしな」
「あっそう……ったくもー仕方ないなあ」

 サボが傷を放置するつもりらしいので、は鞄にあるポーチの中から絆創膏を取り出して彼に手渡した。が、一向に受け取ろうとしない。どころか、笑ってこちらを見ているではないか。なんで?

「見たらわかるだろ。自分じゃ傷口がわからない」
 つまり彼はこう言いたいらしい。「お前が貼れ」


 こうしてサボとは出会ったのである。そしてこのお節介がサボの何に響いたのかは不明だが、事あるごとに彼はに手当をしてもらおうとするし、しまいにはほつれたボタンの補修まで頼みにくるようになった。今ではお弁当の中身を勝手に持っていかれる始末。妙に懐かれてしまったというべきか、あの日を境にサボとの距離はほかのクラスメイトに比べてぐっと縮まったと思う。
 そしていつしかの中に芽生えた気持ちもまた少しずつ膨らんでいた。サボがどういうつもりでに接しているのかはわからないし、確かめようとも思わないが彼にいちばん近い女子は自分だという自信はある。性格柄、誰とでも仲良くできるタイプのサボは交友関係が広いし男女隔てなく友人も多い。それをこれまで接点のなかったがいつの間にか近しい存在として傍にいることが不思議だ。依然として関係は友人なのだが。

「それとよ、ここ直してくれねェ?」

 おかずを横取りしたことを悪びれもせず、さらに要求をつきつけてきた。あざとい言い方は果たして確信犯なのか。その甘いマスクで何人の女子が落ちたのか気になるところだ。
 恋愛は惚れたほうが負けとは言い得て妙であるなと思う。が断らないと知りながら、ワイシャツの袖を見せて屈託なく笑って言うのだから末恐ろしい存在である。
 けれど、素直に頷くのも癪なのでしばしの抵抗を試みる。

「話をそらさないでよね!」
「悪いな。けど、やってくれんだろ」と、が好きな笑顔で聞いてくる。これだから奴は侮れない。
「もう!仕方ないなあ」

 呆れながら内心は構ってもらえるのが嬉しくて、今日も今日とてサボに翻弄される平和な一日だ。