きみが生まれた日〜デート編〜


 その日の朝はやけに清々しくて、目覚めたときの爽快感がいつも以上によかった。理由はわかっている。
 昨日の夜、部下達から突然「仕事を休め」と言い渡されてドラゴンも幹部の連中も知っているというから一体どういう風の吹き回しだと訝しんだが、そのあとが来たことで疑念はすっかり晴れた。
 三月二十日。自分が生まれた日。この世に生を受けた人間なら誰もが持つべきもの。あまり意識したことはなかったが、祝ってくれる人がいるというのは尊ぶべきことだと実感する。今日は仕事のことを一旦忘れて、羽を伸ばしてもいい日なのだ。
 支度を済ませて本部の外へ出ると、すでにが待っていた。普段見かける仕事着ではもちろんなく、今日この日のために選んだのだろうと推測できる服に朝から心臓がうるさく音を立てる。色合いが、普段自分が着ているものに似ているのは気のせいだろうか。何やら少し大きめのバスケットまで持っている。
 鳴り続ける心音を落ち着けるように、サボは平静を装って彼女の前に姿を現した。彼女もまたこちらの気配に気づいて顔を上げる。

「おはよう。かわいいな、その服」
「おはよ。この前コアラちゃんと一緒に買いに行ったんだよ。サボのシャツの色に寄せたんだけどわかる?」
「なんとなくそんな気がしたんだが……実際言われるとすげー嬉しい」
「珍しく照れてるね」顔を覗き込まれて、思わず視線を逸らす。
「……見るなよ。ほら、今日はお前がリードしてくれるんだろ?」

 誤魔化すように手を差し出すと、朗らかに笑ったがうんと頷いて嬉しそうに手を重ねてきた。
 いまこの瞬間を幸せだと思う。こんな小さなことで人間はすぐ満たされる生き物だ。でもこういう小さな幸せの積み重ねが人を強くするし、世界はそうあるべきだとも思う。夢に向かって進む弟、隣で笑っている恋人。そして革命軍の仲間達。大切な人が笑って生きていることは自分にとって心の平穏に繋がっていく。
 手を引かれるまま街へ向かって歩き出す。ふと見上げた空のなんと真っ青なことだろう。柄にもなく浮足立っていることにようやく気づいて、サボはひとり気恥ずかしくなった。


*


「こっちが似合うと思うよ」

 差し出された紺色のそれを自身の首にあてて鏡をじっと見つめる。似合うとは言われたものの、自分では「こういうものか」ぐらいにしか思わないので、お洒落を楽しむやコアラといった女性陣の話はあまりよくわからない。普段から動きやすさを重視しているだけで堅苦しいのは好みではないし、昔の名残で身に着けているアイテムはあるものの、すべて"感覚的"だ。
 とはいえこうして身に着ける物をに見繕ってもらうというのもなかなかどうして良いものだと感じていた。自分のためにあちこち探し回って楽しそうにはしゃぐ彼女はかわいいし、見ていて飽きない。

「じゃあそれでいいよ」
「もう〜さっきからそればっかり。本当にちゃんと見てる?」

 隣に立って同じように鏡を見ていたが頬を膨らませた。こうやって並ぶと一目瞭然だが、彼女はだいぶ小さい。一般女性の平均より少し足りてないらしく、普段から高い場所に手が届かなくて困ると嘆いている。
 鏡越しに目が合うと、彼女はもう一度「見て」と声を出さずに口だけ動かした。

「見てるよ。が小さくてかわいいなってさ」
「……っ、そ、そういうことじゃなくて、ネクタイの話をしてるんだけど……」
「これが似合うんだろ? だったらこれでいいよ、お前が選んでくれたってだけで嬉しいから」
「そんなこと言ったって誤魔化されないし」
「なら……試しにつけてくれるか?」

 そう言って店内に設置された試着可能の表示を指さした。文字を確認したがゆっくり目の前に立って、ぎこちなく自分の首元に触れる。
 いつものスカーフはつけてこないでほしいなんて言うから一体何をするのかと思ったが、店に入ってようやく納得した。どうやら彼女はネクタイをプレゼントしてくれるらしい。つける機会は多くないだろうが、特別な時だけ着用すると思えば自然と気分も上がる。
 彼女が事前に計画したデートはシンプルにショッピングと公園でランチすることだった。ここに来るまでの間、恥ずかしそうにしながら説明してくれた。自分と一緒に選びたいものがあるからという理由でショッピングを、昼食をとったあとゆっくり散歩したいという理由で公園デートを計画した彼女に、思わず笑みがこぼれたのはあまりにも普通すぎたからだ。それは貶しているわけではなく、彼女なりにいろいろ考えた結果が「これ」なのだと思うと健気で愛らしさが勝るというものだ。
 豪華なことが思いつかなくてごめんね。そう言って申し訳なさそうに笑ったのだが、正直な話彼女がいればなんだってよかった。豪華であろうがなかろうが、隣にいてくれたらそれだけで満たされる。彼女が与えてくれる愛情こそ、サボにとって一番の贈り物だから。

「……できた。やっぱりこの色サボに似合ってる」

 気づけばがこちらを見上げて満足げにしていた。今日は白いシャツと青のベスト。紺色をベースにしたストライプのネクタイは落ち着いた色合いで、偶然にも今日の服装に似合う気がする。

「そうか、じゃあやっぱりこれにしよう――って、なに笑ってんだ」
「え、あっ、ごめん。なんかいいなーって思って」
「……?」こちらを見つめてニコニコするに首をかしげる。
「ネクタイをしめてあげるのって、なんか本当の夫婦みたいでいいなって思ったの」

 照れくさそうにしながら目線を斜めに逸らしたは誤魔化すように「一応ほかの柄も探してくるっ」と言ってその場から逃げようとした。
 しかしすかさず手首を掴んで引き寄せる。後ろから抱え込んで逃げられないようにしてから、耳元に顔を寄せた。

「あんまり可愛いこと言うなよ。ここで襲っちまう」
「……っ」

 吐息がくすぐったいのだろう、耳を押さえながらが離れていった。顔を真っ赤に染めて睨まれても全然怖くない。彼女は無意識なのだろうが、自分を煽るのが本当に上手い。

「冗談だ、さすがにこんなとこで襲わねェよ。そっちは帰ってからたっぷり楽しませてもらう」

 意味深に笑ってみせてから、着用したネクタイに手をかける。店の商品だからずっと身に着けているのもよくない。
 サボと距離を取っていたが観念して渋々戻ってくると「会計してくるから外で待ってて」と言ってカウンターに向かっていった。今日の彼女はあの髪留めを付けて一つに束ねているから、髪が動物の尻尾のように背中で揺れている。小さな後ろ姿にサボは口元を緩ませた。
 周りが大きい奴らばかりだから調子が狂うかもしれないが、はサボが知っている基準から見て小さいのであって一般人としては普通の領域なのではないかと思う。平均より小さいとはいっても、それこそ一般人の中で暮らせばあまり気にならないはずだ。彼女が気にしているのでからかいすぎないように心がけているつもりでも、サボの懐に容易に収まってしまう彼女はやはり小さくて庇護欲を掻き立てられる対象だった。
 言われた通り、店の外に出たサボは太陽の位置が東側に見えることに気づいてまだ午前中であることを思い出し、どうも今日はふわふわと宙に浮いたように落ち着かないなとショーウィンドウに映る自分を見て苦笑いした。
 丸一日が休暇というのはとセント・ヴィーナス島に行ったとき以来だ。あのときは違った意味で感情の振れ幅が大きかったが、今日は期待に胸が弾んでいるのかのしてくれることにいちいち心が揺さぶられる。こんなふうに誕生日を祝ってもらったことがなかったから。
 ちょっとした感傷に浸っていると、店の扉からショップの袋を大事そうに抱えた彼女が出てきた。心なしか彼女も嬉しそうにしているのは気のせいではないはずだ。

「お待たせ。せっかくだからそのままつけてくれたら嬉しい」
「もちろん。で、このあとは公園に行くのか?」
「うん。あのね、実は――」


*


 街の中心地から少し離れた場所に公園があることは知っていたが来るのは初めてだった。近くを川が流れていて、教会や博物館、劇場といった施設に囲まれた広大な敷地に、見たことない植物がたくさん植えてあるほか、丘を登ると川や街の景色が一望できる。
 サボはを連れて、園内の芝生の上で昼食をとっていた。彼女が持っていたバスケットの中にはレジャーシートとサンドイッチ、それから透明な瓶が入っている。シートの上に広げられたサンドイッチはかつて――二人がまだ幼かった頃、同じように公園でピクニックをしたことを思い出させた。

と公園でメシを食うなんて懐かしいな」
「覚えてくれてた?」
「当たり前だろ。あのときもすげェ美味かったけど」
「もちろん今日のは私が全部作ったものだよ。カロリーナの味に近づいてるといいな」

 仲違いしてしまった(と聞いた)メイドを懐かしむように言ったは定番のハムとチーズを渡してくれた。パンにはバターが塗ってあって食べやすいサイズに切られているが、サボにとっては一口で難なく平らげられてしまう。
 箱の中のサンドイッチは定番の具材から、コアラと買い物に行ったときに見つけたという不思議な果実のジャム(これはちょっと苦手な味)までいろいろな種類が敷き詰められていた。朝食が早かったからか、腹が減っていて瞬く間にサンドイッチがなくなっていく。

「美味いよ。おれ、の作る料理は全部好きなんだ」
「サボはいつもそう言ってくれるよね」
「いや、別に世辞で言ってるわけじゃねェんだが」
「わかってるよ、ありがと」

 も同じように一つ手に取って口に入れた。
 公園の開けた空から柔らかい日差しが届き、時折優しい風が頬を撫でていく。ほかにも老夫婦や家族連れが公園内でランチを楽しんだり、遊んだり、散歩していて賑わっている。時間がゆっくり流れている気がして、サボの心は穏やかだった。
 完食する頃には太陽が西の方角へ傾いていて、心地よい光が差し込む時間帯になっていた。

「なあ。一つ、頼んでいいか?」
「いいよ。今日はサボの誕生日だからね」
「前やってくれたみたいにさ、膝枕してほしいんだ」
「ここで……?」
「ああ。日差しが気持ちいいから散歩する前に少し休憩しよう」

 といっても、膝枕をしてもらうとなれば休憩するのは自分だけになるのだが。朝、はこう言っていたはずだ。
 "今日はサボが望むこと何でもしてあげるよ"
 誕生日だから特別に、と付け加えて彼女はやさしくはにかんだ。何でもなんて随分大胆なことを言ってくれる。深く考えてないところが彼女らしい。

「ちょっと恥ずかしいけど、サボが望むなら……はい、じゃあどうぞ」
「ん。ありがとう」

 横座りになった彼女の膝に頭を預けたサボは仰向けになってを見上げた。そのまま眠ると思っていたのだろう、自分を見つめたまま目を閉じないサボに彼女は戸惑いながら口を開く。

「な、に……下から見られるの恥ずかしいんだけど」
「別に。恋人がかわいいって思ってるだけだ」
「またすぐそういうこと言う。からかわないでっ!」
「からかってねェよ。いつも言ってるだろ?」

 手を伸ばして彼女の頬に触れる。そのまま下に滑らせて唇をなぞると、顔が真っ赤に染まって固まってしまったので思わず吹き出した。からかってるわけではないのだが、言葉攻めで意地悪しすぎるとせっかくの時間が台無しになるのでサボはそれ以上何も言うまいと言葉をのみ込んでから、

「悪かったよ。今度こそ、少しだけ眠らせてくれ」の顔から手を離して、サボはそっと目を閉じた。
 おやすみ。そよ風のような囁き声が微かに聞こえた。そのあと頭を撫でられる心地よい感覚がして、すぐに微睡んでいった。柔らかい陽光とやさしい温もりに包まれながら、少しの間意識を手放した。

2023.02.19 さぼたん2023デート編