きみが生まれた日〜プレゼント編〜
自室で残りの夕食をとって片づけも終えた頃には、夜の十時を過ぎていた。腹が満たされてひと息ついていたサボは、が突然椅子から立ち上がってごそごそと鞄から何かを取り出す様子に首を傾げた。テーブルまで戻って来た彼女が「はい」と自分に手渡すので、「これは?」と受け取った物が何かを聞いた。
もちろん、丁寧に包装されてリボンまでついているところを見れば自分への贈り物だというのはわかったのだが、プレゼントはネクタイをもらったし、豪華な夕食まで作ってもらったのにこれ以上何をくれるのか気になった。
「万年筆。サボは書類仕事も多いでしょう? だからペンは複数あってもいいなと思って、私からプレゼント」
「開けていいか?」
「うん」
包装紙をはがすと、落ち着いた色合いの箱が出てくる。箱の側面に店の名前だろうか、小さな字でサボが聞いたことないブランドの名前が書かれていた。
目の付け所がいい。確かに実践的な仕事が多いが、サボには書類仕事もまた任務の数だけ存在する。日記をつける習慣はないにしろ、仕事上ペンの使用頻度はほかの人間より高いのでありがたい。何しろ自ら選んでくれたものをそばに置いて、仕事で使うことができるのはサボにとってこの上ない喜びだった。
細長い箱を開けると、光沢感のある深い青色が目に入る。万年筆は持続的にインクが出てくると聞いているが、サボは見るのが初めてだった。普段使用する羽根ペンは毎回インクを付けているので、長時間の作業にはこういうのが向いているのかもしれない。
「普段使ってる羽根ペンもいいけど、たまにはこういうシンプルなものもいいよね」
「そうだな。初めて使う材質だ。持ちやすいし、うん……がくれたってだけですげェ嬉しい」
「大げさだなあ……あ、あとこれも一緒に渡しておくね」
思い出したようにまた鞄をあさった彼女は、一枚の封筒を取り出すとサボの目の前に差し出した。から自分へ宛てたもののようで、言われなくてもこれが「手紙」だということはわかる。しかしまさか手紙まで書いているとは、彼女は一体どこまで用意してくれているのだろう。
驚かせるものが何もなくてごめんねと彼女は言っていたが、すでに十分すぎるほど驚いている。尽くしてくれるのは嬉しいし、たまらない気持ちにもなる。ただ一つ、サボは気になることがあった。
「嬉しいけど、お前の体が心配だ……ちゃんと寝てるのか?」
「寝てるよ。ちょっと夜更かしした日もあるけど、仕事はちゃんとこなしてるし。今日の日のためにコアラちゃんたちにも協力してもらったから頑張りたくて……」
夜更かししても仕事をこなせていると得意そうにするに、そういうことじゃなくて体は大丈夫なのか聞いてるんだが、と内心苦笑する。とはいえ、自分のために頑張りたいという想いはサボの胸にきちんと届いていた。相変わらず健気で可愛い奴だと、くすぐったい気持ちにさせられて手を出したい衝動をぐっとこらえる。
もらった万年筆と手紙をテーブルの上に置いて「それはわかってるよ。ありがとう」と邪な感情は一度捨て置いて向き直ると、なぜかもの言いたげな視線でこちらを見ている彼女と目が合った。
「どうした」
「そ、それでねサボ。最後にもうひとつ、プレゼントがあるんだけど……もらってくれる?」
「なんだよ、まだあるのか? もうたくさん受け取ってるのに」
「最後のはプレゼントっていうか……コアラちゃんが提案してくれたことに乗ってみようかなっていうか、ある意味サプライズかも、しれない……」
煮え切らない言い方だった。プレゼントではない、コアラに提案された、ある意味サプライズ? まったく想像つかないサボはに先を促した。
「ちょっと洗面所借りるね。すぐ戻ってくるから」
「……?」
そう言った彼女は、大きな袋を抱えて本当にバスルームのほうへ消えていった。心なしか顔が赤く見えたのは気のせいだろうか。すぐ戻ってくると言ったので何か準備があるのみたいだが、やっぱりサボには想像もつかなくて首を傾げた。
*
数分前の自分をどうして悠長に身構えていたのかと罵りたくて、サボは目の前の光景に開いた口が塞がらずにただじっと見つめていた。バスルームのほうから「笑わないでね」なんて声が聞こえるから何のことだと思ったが、ようやく事情を理解した頃にはもう遅くて。コアラや部下達が訳もわからず騒いでニヤついていたのはこのことだったのかと今更ながら納得する。
慣れない格好と厚底の靴でぎこちない歩き方になっているがゆっくり歩み寄ってくると、恥ずかしさに頬を染めた彼女が「サボ」と自分の名前を紡いだ。
「なにか、言って……そうじゃなきゃ恥ずかしい」
一体その下はどうなっているのか、フリルのついた短いスカートを引っ張って必死に隠そうとするはけれど逆に煽っているようにしか見えなくて目に毒だった。
膝より上の丈から下は生足が見えているのだが、膝から下は靴下で覆われていた。これは前に部下が言っていたニーハイソックスってやつじゃねェのか?
バスルームへ消えたが十分ほど経って姿を現したとき、けれど彼女はいつもの格好ではなくいわゆるメイド服と呼ばれる格好でサボの前に現れた。コアラにまた入れ知恵でもされたのか、恥ずかしそうにちらちらとこちらをうかがっている。
「なにかって、そりゃあ可愛いに決まってるけど……どうせコアラに言われたんだろ?」
「あ、うん。大胆になってみないかって。それ着てサボにおもてなししたら喜ぶって言われたから」
「おもてなしって、あいつはまた――」
余計なことを、と言いかけてやめた。コアラは興味本位かもしれないが、はきっと自分が喜ぶと信じて提案にのってくれたのだろうから。いや、もちろん彼女が着ている分には嫌いじゃないが。
サボの知る"メイド服"は、当然のことながら自身の古い記憶の中にあった。上流階級の人間に従事する女性たちをメイドと呼び、彼女たちが仕事をする際に着用するのがメイド服だ。アウトルック家にも女性の使用人がいたから覚えている。
しかしそれとは別に、あえてこういう格好を好んで着る場合があることを部下から聞いたこともまた記憶の中にあった。好きな女性に着させて、「そういうプレイ」を楽しむ人間がいるらしいのだ。
貴族生活に良い思い出がないサボにとって、使用人との思い出もあまりない。そもそも自分でできることをしてもらうというのが子どもの頃から違和感しかなく、何かと困らせてばかりだった自分はあの家に居場所などなかった。
そういう理由から「主人と使用人」という関係性はサボの中であまり良いイメージがなかったのだが、実際目の前にこんなメイドが現れたらどうしたって手を伸ばさずにはいられなかった。もじもじして動かないを呼び寄せて全身をじっと見つめる。シンプルな白と黒の配色に、かわいらしいフリルがいたるところに施されていて華美すぎない仕様が彼女の雰囲気と相性が良い。しかし、かがんだら見えてしまうだろう胸元は挑発しているようにしか見えないので、サボは意地悪そうに笑ってから彼女の腰を抱き寄せた。
「も随分大胆になったなァ。こんなこと、少し前なら絶対やらなかったくせに」
「……っ」
「けど、悪くないな。おれの専属メイドってことだろ? だったら
そうだ、別にサボとは本物の「主人と使用人」ではない。あくまでこれは彼女が望んだ「おもてなし」というやつだ。誕生日を理由に彼女が尽くしてくれるというのなら、それに乗っからない手はない。何も無理難題なことを命令するわけではないのだから。
「うんもちろん。できる範囲なら」
「違うぞ。そこは"うん"じゃなくて"はい" だ」
「えっ……あ、はい」
いきなり言葉遣いを指摘されて驚いたは、一瞬戸惑いを見せたもののすぐに言い直した。彼女もまた元貴族だから「メイド」という存在が何をするのか知っているだろうが、具体的にこの場で何をするかは計画になかったようだ。つまりこちらが何か指示をしない限り、彼女は動かないということになる。
「じゃあ。コーヒー淹れてくれるか」
「わかっ……かしこまりました」
言ってからぱたぱたと室内にある小さなキッチン(と言えるほどでもないのだが)へ向かっていく。
後ろ姿を今初めて見ているサボは、フリル付きのエプロンが腰でリボン状に結ばれていることに気づいて、ほどいてしまいたい衝動に駆られた。その下のワンピースはチャックを下ろせば脱がすことができるみたいで、卑猥な妄想ばかりしてしまう。
スカートが短いせいで、太腿が見えているのも気になった。角度的には足しか見えないが、がかがんだ瞬間きっと下着が見えてしまうに違いない。
――コアラの奴、過激なデザインを選びやがって。
ここにいない部下へ悪態をついてから、しかし一度気になってしまうと視線はそこに釘付けになって目が離せなくなる。サボは席を立って湯が沸騰するのを待つの後ろにピタリとくっついてから、彼女を腕で挟むようにしてキッチンの淵に手を置いた。
「あの、サボ……」
「こら。メイドは"サボ"なんて呼んじゃダメだろ。ご主人様だ」
「……っ、ご、ご主人さ、ま」
「ん?」
「近い、です。コーヒーが淹れづらい……です」
消え入りそうな声でが言った。
ああ、ダメだ。そんな小動物みたいに縮こまって震えてたら簡単に襲われちまう。紳士の毛皮をかぶった男がここにいるというのに。
「そうか。なら少し離れる」
言葉通り少しだけ彼女から距離を取ったサボは、けれど視線をそのままに彼女の動向を見守る。
ポットを持つ手がぎこちなくて、やっぱり震えていた。いつもならこの程度どうってことないはずだが、メイドをやらされて妙に緊張しているようだった。コーヒーを淹れる作業などにとったら朝飯前の仕事なのに。
ようやくカップを手にした彼女が振り返って恐るおそる近づいてくる。泳いだ目と視線が合わないまま、「できました」と差し出されたそれを受け取ろうとした。しかし、サボはどうしてもそっぽを向く彼女にこちらを見てほしくて直前で手を引っ込めてから、「見られて緊張してるのか?」わざと目線を合わせるように顔を近づけた。
「あっ」
突然のことに驚いたが肩を揺らす。その拍子に、手中にあるカップからコーヒーがこぼれてサボのシャツに染みを作った。「ごめんなさっ……」
すぐさま謝る彼女がようやくこちらに顔を向けてから慌てはじめた。本当にどうしてしまったのかというくらい動揺しているので、サボの悪い癖がまたここで働こうとする。一生懸命な彼女に少しだけ意地悪したくなった。
「こぼしちまったなァ」
「申し訳……ありません」
「コーヒーの染みは落ちにくいって聞いたぞ」
「……あ、の」
「脱がせてくれ」
「え?」
「早く落とさなきゃいけねェだろ? だから脱がせてくれ。おれのメイドならそのくらいできるよな」
戸惑うに向かって、サボは意地の悪い笑みを浮かべた。
*
頬を撫でられている感覚がする。優しい手の動きにすり寄っていくのは、まるで飼われているペットにでもなったような心地だった。
「ん……さ、ぼ……?」
その気持ちよさを味わっていたかったが、布の擦れる音を聞き取ったために眠気眼で目を開けた。寝る前に隣にあったはずの温もりがないのも気になって好きな人の名前を呼ぶ。
「起こしちまったか? 悪ィな」
「ううん。どう、したの……」
「いや、寝顔を見てただけだ」
まだはっきりとしない目でサボの顔を捉えると、笑っている瞳とかち合った気がした。なんだか楽しそうだ。眠ってから数時間と経ってないはずなのに、もう起きてられるほど体力が回復してるなんていつものことながら底が知れない。いくら一日休日だったとはいえ、あちこち歩き回ったというのに。それに寝顔を見られたのも不覚だ。
「見てないで起こしてくれればいいのに」
「おれは寝顔が見たかったんだ。起きたら意味ねェだろ」
「もー……あ、日付とっくに変わっちゃったね」
壁時計の針がようやくしっかり見えるくらいまでに視界がクリアになってから、午前二時であることに気づく。
「ん? あー気にしなくていいよ。散々祝ってもらったし」
「でも……」
「可愛いメイドにももてなしてもらったしな」
と、ベッドの近くに落ちているメイド服を指さしてサボが片笑みを作る。つい数時間前のことがまざまざと思い出されてはかあっと頬を赤くした。
「……っ、あれはもうやらない!」
「なんでだよ。可愛いって言ってるんだからいいじゃねェか」
「だって……サボがえっちなことばっかり言うから」
唇をとがらせて呟くと、サボは「だからそれはお前が可愛いから」の一言で片づけて、の隣に寝転んだ。それからくるりと端正な顔がこっちを向いて嬉しそうに目を細める。
「祝ってくれてありがとう。最高の誕生日だった」サボの手が伸びてきて髪を撫でていく。優しい手つきに、は泣きそうになって堪えた。
「おめでとうサボ。生まれてきてくれてありがとう、大好きだよ」
――三月二十日。あなたが生まれたとても大切な日。
サボくんおめでとう!