意趣返し
島の名前はイグニフェル・インスラ。巨大な火山島であり十つの国で形成される。そのうち国土が最小でありながら、あることで雑誌に載るほど有名な国――ミノル。地元住民が二割に対して外から来る人間が八割という観光事業で成り立ち、島の財源もほぼ観光収入。それもそのはず、ここには世界屈指の娯楽施設が存在するのだ。
サボは隣を歩く、物珍しそうに目を輝かせる恋人――フレイヤに視線を移した。いつものスカートではなく、歩きやすいジーンズパンツに上もTシャツ一枚とラフな格好の彼女は、どこかソワソワしていてさっきから目線があちこちに動いて忙しない。それもそうだろう、今サボ達がいるのはミノル王国の大型遊園地「ミノルパーク」だからだ。
任務で訪れた島から本部までの帰還航路の途中に、イグニフェル・インスラがあることに気づいたコアラからの提案で立ち寄ることになった今回、どうやら事前にフレイヤと彼女との間で話題にあがった遊園地だという。トレンド雑誌によれば、数年前に開業したばかりだが業績はうなぎ登りで絶好調。今や水中を通る観覧車と速さが世界一のジェットコースターが売りの人気観光地だった。
フレイヤがここに来たがっているという話をコアラ伝いに聞いて、サボは休暇もかねて立ち寄ることを決意した。遊園地の反対側は地元民の居住地や宿泊施設などがあり、生活物資もそこで調達可能だというので一部の仲間はそっちに向かい買い物をしている。コアラや部下達が気を遣って二人きりにしてくれたおかげで、現在サボはフレイヤと園内を歩いているというわけだ。
エントランスから左手側に向かうと、食事や土産物の店が立ち並ぶ通りのようで、どこもかしこも人が多かった。バルーンを片手に子どもがはしゃいだり、カップルが仲睦まじい様子で食事をしたり、革命軍として世界を奔走する自分がまるで一般人になったような錯覚を起こす。
「こういう場所、憧れてたんだ」
不意にぽつりとフレイヤが呟いた。自分と同じで元貴族の彼女は、家を出るまでの十年間をゴア王国の高町で過ごした。当然のことながら規則が厳しく、拘束時間も長いので自由にできる時間はほとんどない。家族とも良い思い出がない彼女は、だから遊園地なんて夢の場所だったと語る。
「連れてきてくれてありがとう。初めてがサボと一緒で嬉しい」
「お前が楽しそうだとおれも嬉しいよ」
「ふふ。サボのそれ、似合うよ」
フレイヤの視線が自分の頭部に向けられる。笑いをこらえるように小さく息をもらした彼女は「私と対になってるんだよ」と自身が身につけているソレに触れて楽しそうに言った。薄い茶色の耳を模した被りものはウサギを表現している。
ミノルパークの特徴の一つに、動物をテーマにしたユニークなグッズが挙げられる。誰の案なのか知らないが、犬や猫といった小さな生き物からライオンやクマなどの大きな生き物まで可愛らしいキャラクターになってこの遊園地を彩っているのだ。グッズは日用品から園内で楽しむための被りもの、洋服、アクセサリーまで用意されていた。それぞれの動物には名前まであるらしく、サボが被っているウサギは"ピョンたん"と言う、らしい。生物学上でいうところのメスだが、なんと最近ピョン吉というピョンたんの恋人までキャラクター化したとフレイヤから聞いた。
園内に入ってすぐ彼女がお揃いで被ろうなんて可愛いことを言うので、二つ返事で承諾したはいいものの一つだけ納得いかない。
「百歩譲って被るのはいいが、なんでおれがピョンたんなんだよ。普通おれはピョン吉だろ?」
むっとしてサボはフレイヤの額を軽く小突いた。しかし、彼女は面白おかしそうに笑って「私が好きなのはピョン吉なの」と譲らない。
被りものはただ動物の耳を模しているだけでなく、キャラクターに寄せて作られているので、ピョンたんとピョン吉それぞれの特徴がグッズにも反映される。ピョンたんは赤のリボンを右耳につけているので、サボが被る耳にも当然のように大きなリボンが右耳部分にあしらわれているのだ。断じてサボの趣味ではない。ちなみにピョン吉は首元にリボンタイをしているので、耳には特に装飾がなく別売りのリボンタイとセットで買えば、ピョン吉になれるというわけだ(もちろんフレイヤはリボンタイも購入してしっかりピョン吉を装っていた)。
「あいつらに見られたら絶対からかわれる」
「変じゃないよ、かわいい。あとで写真撮ろうね」
「勘弁してくれ」
顔を覆って嘆く。コアラやハックならまだしも、部下達に見られた日には何を言われるか想像しただけで憂鬱になる。
しかし、どこ吹く風のフレイヤは何か目ぼしいものでも見つけたのか、繋いでいる手を引いて「あっちに行こう」といつものように笑うので、彼女に関してほとほと甘いサボは仕方ねェか、と苦笑してついていくことにした。
*
「ねえサボ、近いよ」
「フレイヤが教えてくれって言ったんじゃねェか」
「や、耳元で喋らないでっ……」
人前だというのに、サボがぴたりと後ろにくっつきフレイヤの身長に合わせて屈むので、声が耳に直撃して変な感覚が全身に走る。抱き込むように両腕が自分の腕に重なり、数メートル先の対象物を目がけて照準を合わせる。彼の大きな手に自分のそれがすっぽり収まってしまって、フレイヤは指すら自由に動かせない状態だった。
きっかけは自分の「やってみたい」という安易な一言だった。
ミノルパークには、お祭りの縁日のように気軽に参加できるゲームも複数置かれている。そのうちの一つが、長い銃を使って対象物を撃って落とす「射的」と呼ばれるゲームだ。もちろん遊びで使われる銃なので、中身はコルク程度の軽い玉を、空気を圧縮させてバネで押し出すのだが、これが全然的に当たらず先ほどから外してばかりなので、とうとうサボに教えを乞うことにした。そこまではよかったのに――
「どうしたフレイヤ。的に集中しないと当たらねェぞ」
「わ、わかってる」
サボは下手な自分のために教えてくれているだけだ。何も意識する必要ないのに、抱きしめるように覆いかぶさる体も大きな手も低音の優しい声も、全部が違う方向に捉えようとして邪魔をする。
利き手とは逆の手で銃を持ち、脇をしっかりしめて支える。肩の力を抜いて的の下のほうから右上あたりを狙っていく。
サボの口から漏れる声が鼓膜をくすぐって聴覚に訴えかけてくる。たかがこんなことでどうして――と、フレイヤは自分で自分がわからなくなった。前はここまで意識したことがなかったのに、彼の指がまるでそのときを彷彿させる触れ方をしているように思えて仕方ない。フレイヤはぐっと唇をかんで気を紛らわせる。
「おれの声で身体が疼いちまったか?」
「――ッ」
サボの一言を耳が捉えた瞬間、条件反射で指が不用意に動き、その反動でパンと勢いよく何かが飛び出した。誤射したと気づいたときには遅く、しかしなぜか「おめでとうございま〜す」と左右から拍手が沸き起こりフレイヤは唖然として固まる。何が起こったのかわからなかった。
「お、当たったな」
呑気な声が頭上で聞こえたかと思うと、フレイヤの体は早々に解放されて自由に動けるようになった。ようやく状況を掴めたときには、ゲームを運営するスタッフからピョン吉のぬいぐるみを渡され笑顔で見送られるという始末。サボだけがニコニコと楽しそうにしていた。
こうしてゲームのエリアを抜け、彼の手に引かれるままあてもなく園内を歩く。どこに向かっているのかわからなかったが、近くにベンチを見つけるとそこに腰を下ろし、隣をぽんぽん叩かれたので戸惑いながら彼の隣に座った。
「まさか、あんなので当たるとは思わなかったな」
「サボが急にあんなこと言うから……」
「ビクビク体を震わせてるお前がかわいくてつい」
悪びれる様子のないサボに、フレイヤは困惑した。意地悪なことを言われたり、されたりすることはよくあることだが、人前で恥ずかしくなるようなことはやめてほしい。身が持たない。そう抗議すれば、なぜか彼はニッとこれまた意地の悪い笑みを浮かべてこちらを見つめる。何か間違えただろうかと不安になった。
「恥ずかしく思うってことはやっぱりおれの声に反応したのか」
「ちがっ、」わねェよな。
違うという主張は遮られ、「なァフレイヤ。おれが教えてる間、ナニを想像したのか聞かせてくれ」至近距離まで迫ってきた彼の親指がフレイヤの下唇をなぞった。その仕草が官能を引き出すかのように誘惑してきて眩暈を起こしそうだった。正直に答えたら自分がはしたないような気がするし、誤魔化したとしてもそうじゃないとすぐバレるに決まっている。どっちを選んでも、フレイヤには分が悪い。
「えっと、その……」
「冗談だよ。やられっぱなしは性に合わねェからな」
真剣に悩んでいたら、余裕たっぷりといった感じのサボがいたずらっぽく笑っていた。やられっぱなしという言葉にフレイヤは一瞬首を傾げたが、すぐにピョンたんの耳のことだと気づいてたじろいだ。不服そうにしていたのはわかっていたが、仕返しするほど嫌だったとは思わなくて戸惑う。
「やっぱりピョンたんは嫌だった……?」
「違ェって。そうじゃない。いや、良くもねェんだが……正直な話、フレイヤが楽しければあとはどうでもいいんだ」
「本当? 無理しなくてもいいよ」
「無理はしてねェから心配しなくていい。おれもお前との思い出は作りたいからさ」
肩を引き寄せられて体がサボにくっついた。優しく笑う瞳とかち合って心臓がどくどくと脈を打つ。無理はしていないと言っているが、自分に合わせてくれているのだということはわかった。それを、「思い出を作りたい」という言葉でフォローしてくれるさりげない優しさには胸を打たれる思いだった。誰にでも優しいわけじゃないと言っていた彼だが、フレイヤの知る彼はやはり仲間には基本的に優しい。しかし、自分にだけ見せてくれる表情があることも知って、それがちょっとだけ優越感を覚えて嬉しさを隠せない。
参謀総長のときのサボと恋人のサボ。どちらも"彼"であることに変わりないし、フレイヤにとって大切な姿だ。
「とりあえず腹減ったよなァ。ラーメン屋は……さすがにねェか」
「ラーメン屋さんはないけど、ラーメンを扱ってるお店ならさっき歩いてるときに見つけたよ。行ってみよう」
右の手のひらを差し出す。すぐに破顔したサボの大きな左手が重なって、ぎゅっと握られる。
フレイヤはこの大きな手が大好きだ。革命軍として任務を全うする彼に守られるだけじゃなくて、彼を支えられる器になりたいと思う。それはきっと力の強さじゃなく目に見えない何か。危険な世界にいる彼に、安易に「任せて」とは口に出せないけれど、"帰りたい"と思える場所を作って待つ。自分にできるのはそれくらいだ。
そんなことを想いながら、フレイヤは彼の手をそっと握り返した。