融点まではあと少し
どうやって着るのだろうと、サボは不思議に思いながらあらゆるファッションが揃っているらしい町の一角を歩いていた。
立ち並ぶ店のショーウィンドウには等身大の人形がポーズをとって様々な服を着こなしているが、サボにはそれがいいのかさっぱりわからない。脳内で、フレイヤが着たらこうなるという想像だけして、足が見えすぎ、胸が開きすぎと勝手に品定めする。よく見るとトレンド、最先端といった単語が謳い文句になっていて、通りを歩く人々の比率は女のほうが圧倒的に多い。
一緒に服を買いに行かないかと誘いを受けたのは昨日の夜のことだ。
久しぶりに自由時間がとれたとフレイヤに伝えたらそう言われて、今日は朝からモモイロ島に近い、小さい島だが生活必需品を揃えるには困らない町まで買い物に来ていた。
どうせならプレゼントしたくなったサボは、彼女に似合いそうな服を先ほどから吟味しているのだが、どうにも奇抜で肌が晒されるものが多く却下し続けて次の店で三軒目になる。雑誌のコーディネート一覧なんかも見せてもらって考えてみたものの、やはりイマイチだった。自分好みにしたい一方、ほかの男の目につく格好はさせたくないという複雑な事情である。
衣類、食品、雑貨など商品のジャンルで区画されている町は初めて来た人間にもわかりやすくなっていて、ここは衣類のみのエリアになっている。数分としないうちに目的の店が見つかったらしく、フレイヤが地図から顔を上げた。
「あ、ここだね。男女ともに人気のブランドのお店」
フレイヤの示す先に見えたのは通りでもひと際目立つ大きな看板を掲げた二階建ての建物。ほかの店と同様、ショーウィンドウには男女それぞれで決められた格好をしている人形が複数設置されている。
この店を選んだ理由は、彼女が「サボの服を選んでいいか」と聞いてきたからだ。前の二軒で、自分が彼女の服を物色しているのを見て触発されたのか、私も選びたいと言ってきた。いつも大体決まった服装をするサボにとって、他人が――それも恋人が選んでくれた服を着るという想像をしたらなんだか背中がむずがゆくなった。いつか互いに選び合った服でデートする日もあるかもしれない。
こうして、一緒に選ぶことを決めたサボ達は男女両方の服を取りそろえた店に来たというわけである。お洒落な両開きの木製扉を押して中に入ると、洋服屋らしく壁にはいくつもの見本が飾られており、等身大の人形もいくつか見えた。客はそれなりに入っているが、混み合っているというほどではない。
「一階は男物で二階が女物になってるみたい。先にサボの服を選んでもいい?」
「いいよ。お前が選んでくれたやつなら何でも着る」
「え〜なにそれ。そんな適当なこと言うと奇抜なデザインを選ぶよ、これとか」
と、フレイヤが近くにあったシャツを適当にとって持ってきた。さまざまな動物の顔がデフォルメされてプリントしてある男物にしてはかなりメルヘンチックなデザインにサボは思わず「ゲッ……」と声を漏らした。
「これはさすがにやめてくれ……悪かった」
「う・そ。冗談だよ、サボは身長が高くてすらっとしてるから本当に何でも着こなせそうだよね」
ケラケラ楽しそうに笑いながらシャツを元の場所に戻したフレイヤがそのままほかのエリアに向かっていくので、サボもそれに続く。
カジュアルで着やすい服もあれば、お洒落の上級者でなければ着こなせないような――つまりサボにはよくわからない服などいろいろ取り揃えている店だった。体の動かしやすさを重視した服もある。なるほど、これでは目移りするのも頷ける。
売り場の中央あたりまで来たフレイヤが立ち止まり、何着もの服がまとまって並べられている中からうんうん唸っている。
「この色、明るくていいかも。ボトムはだぼっとしたものより足のラインがわかるスキニーパンツがいいかな。あれとか!」
「おい、そんなはしゃぐと――」フレイヤが目ぼしいものでも見つけたのか、宝を見つけた子どものように駆けていくので引き止めようとした直後、彼女の体が傾いた。転倒すると思った瞬間に、サボの腕は彼女の腹部を抱えるようにして後ろに引いた。間一髪、倒れるのを防いでふうっと安堵の息が漏れる。
「ひゃ」
「言わんこっちゃねェ。服は逃げないからそんな急ぐな、危ねェだろ?」
「ごめんなさい、気をつけます」
でもこれ見て。サボに似合うと思う。
そう言われて渡されたシャツとボトム。普段よりも少しカジュアルな雰囲気だが、かといってゆるすぎないところにフレイヤの配慮を感じた。色合いもやわらかい青みの強い緑で、これからの季節にちょうどいい。下は逆に控えめで派手すぎない。
「いいな、これ」
サボはフレイヤから服を受け取ると、はにかんで「次はフレイヤだな」と彼女の手をとり二階に続く階段を目指した。
*
薄いオレンジ色のカーテンの中は姿見と椅子が一脚あるのみで、あとは着替えるために設けられたスペースが二人分くらいならなんとかという程度。そんな決して広くはない試着用スペースに、フレイヤはなぜかサボと一緒にいた。女性服の階に設置されたスペースを男性が使用してはいけないというルールはないものの、二人で入っているのは明らかにおかしい。
なぜこんなことになったのかといえば、遡ること数分前。
サボの服が決まり、次は自分の番だと彼に連れられて二階へ来たフレイヤ達はいろいろ吟味していた。服にこだわりがないように見えて、彼が持ってくるのはどれもやさしい色合いの服で、シンプルなのにワンポイントが入っていたり、レースになっていたりと可愛らしさがどこかにあるお洒落なデザインだった。華美なものを好まない自分にちょうどよく、それをわかっているのか否か、どっちにしろ嬉しかった。
彼がいくつか持ってきた服を試着してみることになったフレイヤは着替えては披露するというのを繰り返す。女性店員の世辞言葉「お似合いですね」を受けながら、四着目に着替えている最中にそれは起きた。
背中にファスナーがあるタイプのワンピースだったのだが、あいにく今日は髪の毛を下ろしてゆるく巻いているため途中で髪が引っかかったりしてうまく閉められずにいた。しばらくファスナーと格闘しつつようやく半分ほど閉められたと思った矢先、「待ちくたびれた。おれが手伝ってやる」と断りもなくサボがカーテンを開けて入ってきたのだ。
偶然店員がこのワンピースに合う靴を選んでくると言って席を外しているときだったのでよかったものの(よくはない)、一般的に試着室は一人で利用するものである。
「ねえサボ。やっぱりここに二人でいるのはまずいんじゃないかな」
一応伝えてみるものの、サボはどこ吹く風でケロッとしている。店員がいつ戻ってくるかもわからないというのに、どうしてそんなに余裕なのだろう。何も怪しいことはしていないとしても男女で狭い場所にいるのは不埒なイメージがついてしまう。
「フレイヤの着替えを手伝ってやるだけだ。問題ねェよ」
「……」
嘘つき。さっきからそう言っているのに、手伝う素振りは一切なくこちらの恰好をじろじろ見ては満足そうに笑うだけだ。きっと待っているのに疲れてヒマを持て余しているのだろう。こういうところは子どもっぽくてサボの義弟・ルフィと似ているなと思ってしまう。
コルボ山で一緒に暮らしていた頃、料理の出来が待てずに勝手につまみ食いをしようとしてエースに怒られていたことを思い出してフレイヤはつい笑ってしまった。
「なに笑ってんだ」
「あ、ごめんね。今のサボがまるで料理の完成が待てずにつまみ食いする昔のルフィに似てるな〜って思って。やっぱり兄弟だね」
フレイヤにしてみればそれは良い意味の言葉なのだが、サボはそう受け取らなかったらしくなぜか眉をひそめた。どうしてだろうとフレイヤが口を開こうとしたとき、
「お客様、靴をお持ちしました。まずはこちらから履いてみましょうか」
薄い布の向こう側で店員の声がしたので、慌ててカーテンから顔だけ出して「ひゃいっ……」不自然なほどぎこちない返事をしてしまった。おまけに噛んだ……。後ろでククッと笑う声が聞こえたが、聞かなかったことにする。
「あれ、そういえば彼氏さんはどちらに?」
きょろきょろと女性店員が辺りを見回し、サボがいないことに気づいてそう口にした。
「えっと……彼はほかの商品が見たいそうで一階に行ったみたいです」
「なるほど。まあでもすべて揃った状態で見るのがいいかもしれませんね」
店員がとっさについた嘘を信じてくれたおかげで事なきを得る。まさか待つのに飽きてカーテンの中に侵入してきましたとは言えない。誤魔化しながら、フレイヤは彼女と会話を続ける。
「でも素敵な方ですね。全身をコーディネートしたいだなんて愛が深いと思いますよ」
「ありがとうございます。……優しくて私には甘すぎるなって思うのでたまに心配になりますけど」フレイヤが照れくさそうに言うと、
「まあ! じゃあ実際ほかでもああいう感じなのね」
急に砕けた口調で手を叩き、顔を綻ばせたのでフレイヤは面食らった。目をしばたたかせて、しかしすぐに「はい」と受け答えると店員の表情はますます楽しそうに緩んだ。
他愛ない話が続いていく。たとえば自分が作った料理を美味しそうに食べてくれるとか、花が好きな自分を気遣って珍しい花をプレゼントしてくれたこととか。他人の惚気話を彼女はにこにこと聞いてくれるので、フレイヤもついいろいろ話してしまう。気づけば後ろにサボ本人がいることを忘れて、夢中で彼女と女子トークを繰り広げていた。
しかし、忘れていた頃にそれは突然やってきたのである。
「なのに、たまに子どもっぽくて可愛い面もあって――ッ」
「そうでしたか。でもそれはそれで微笑ましい」
「ぁ……そ、そうっ……なんです」
店員と恋人のことで盛り上がっている最中、背中に何かが触れる感覚がしてフレイヤはびくりと肩を震わせた。そのことに彼女は特に気づいた様子はなく話を続けるので、なんとかそのまま気づかれないよう平静を装って答える。
後ろから忍び寄ってきた手は、フレイヤの背中を這いずり回りするすると撫でて往復していく。背中は苦手――というより敏感に反応してしまうから弱点というほうが正しいかもしれないが、それをわかっているこの手は動くのをやめる気が一切ない。
それどころか右手が脇腹を通って体の前側に移動していき胸に触れた。サボのばかっ。
「けど、羨ましいなあ。うちは結構淡泊だから、あなたの彼氏みたいにたまには甘いこと一つや二つやってほしいわ」
「……んッ」
「あれ? 顔が赤いけど大丈夫? 疲れちゃったかな」
すっかり友達感覚の店員が心配そうな顔で見てくるので、早く大丈夫だと答えないと余計に心配させてしまう。それなのにサボの手が胸をまさぐり、器用に服の上から中心を狙ってくるのでフレイヤの口からは切ない吐息しか出てこない。
私はカーテンの中で何やってるんだろうと冷静な自分が問う。彼が選んでくれたワンピースを着て、それに合う靴を待っている最中だったのに。ファスナーは開いたまま、彼に背中を晒して悪戯されるのを甘んじて受け入れている。
「ほらフレイヤ。答えてやらなきゃ店員が心配するだろ?」サボの囁く声が耳の後ろで聴こえる。くつくつと小さい笑い声が聞こえた直後、ブラジャーのホック付近にぬるっとした何かが触れた。それは肩のほうに向かって移動していき、軽く吸いついて離れていく。
――まさか舌……? やめて、声が出ちゃう。
フレイヤはぎゅっと目をつぶる。しかし離れたサボの唇は再び背中に触れて、小さいリップ音を鳴らしながらあちこちにキスしてくる。
「早く答えろフレイヤ。店員がカーテンを開けたら全部見られちまうぞ。それとも見られるほうが興奮するのか?」
そんなわけないでしょ!
胸中で猛抗議して、フレイヤは閉じていた目を開き、首を傾げている店員に向かって、
「あのっ、大丈夫です……ッ、ファスナーを閉めたら終わるのでもう少し待ってていただけますかっ……」
早口でそれだけ言うとカーテンから顔を引っ込めた。
*
悪戯するつもりはなかった。待ちくたびれてフレイヤが着替えている試着スペースに入ったことは事実だが、邪な考えがあって入ったわけじゃない。最初こそ手伝う気でいたのだ。
ところが肝心のフレイヤはチャックが閉められないとあたふたしながら背中を晒すわ、途中でルフィの話を持ち出すわ、無意識にこちらを煽っているとしか思えないことばかりしてくるので、狭い空間にいることも相まっていつもの悪戯心が湧いてきてしまった。
とどめは戻って来た店員との会話だ。後ろに本人がいることを忘れているのか、べらべらと惚気るのでこちらの気が知れない。背中のチャックは中途半端な位置で止まっているし、一部分しか見えていないのも煽られている気分でサボの理性がガタガタと音を立てて崩れていく。
気づけばフレイヤの身体を後ろから抱きすくめていた。柔らかい肢体を包み、そっと背中に触れる。面白いくらいに跳ねたのですっかり楽しくなってしまったサボはそのまま行為を続けた。
そうして数々の悪戯をなんとか切り抜けてカーテンの中に引っ込んだ彼女がふらつくように倒れ込んできたので、器用に抱きとめたサボはそのまま胡坐を組んで彼女を正面に抱く。直後、彼女が胸をどんどん叩いて睨んでくるので思わず肩を竦めた。
「見つかったらどうするのっ」
「大丈夫だったからいいじゃねェか」
「そういう問題じゃない。こんなところで恥ずかしいでしょ」
「お前が悪ィんだぞ。ずっとおれに背中を晒したまま口々に褒めそやすから止まらなくなった」
小声でそんなやり取りをかわしつつ、手探りでフレイヤの着るワンピースのチャックを今度こそ閉めてやる。だいぶ苛めてしまったらしく、頬が赤らんで息も上がっていた。まずいな……可愛い。
しかし、彼女のほうは一刻も早くこの状況から抜け出したかったのか、腕の中から逃げ出して一言。
「と、とにかくっ……服を選んでくれるのは嬉しいけど、こういうのはダメだからね」
「あ、おいフレイヤっ」
こちらの制止を無視して、フレイヤが最後の仕上げである靴を履くためにカーテンを思いっきり開けた。自分のほかにも人間がいることを忘れて――
カーテンの外で待っていた女性店員が口をあんぐり開けて驚いていたのは言うまでもない。フレイヤは彼女の表情を見て、「あっ……」ようやく事の重大さに気づいたのである。
title by Bacca