水もしたたるおんなのこ

 最近リニューアルオープンしたばかりだと地元の情報誌に掲載されていた「松竹亭」はワノ国に多大な影響を受けて作られた旅館だった。「わびさび」という耳慣れない言葉が売りだというが、自分にはあまりわからずただ単に「年季の入った」と表現するのが一番しっくりくる気がした。
 革命軍にも羽を休める時間というものは存在する。常に緊張感を強いられるわけではなく、いわゆる「つかの間の休息」として長閑な時を過ごすこともある。
 サボは石造りの露天風呂に浸かって、ふうっと息を吐き出してひと心地ついた。年季が入っている旅館の割に、風呂は高級感がある空間で、外の澄んだ空気を吸い込むと非日常を体験している気分にさせられる。緑に囲まれた自然の中にある旅館なので空気も美味しい。少し首を上げて夜空を見れば、綺麗な星々が瞬いている。曇りのない今日は星がよく見えた。
 カラカラ――
 扉が緩慢に開く音が聞こえて、視線を夜空からそちらに向ける。白いタオルを身体に巻きつけたフレイヤがぎこちない足取りで向かってくるのが見えて、サボはクスッと小さく笑った。隠す必要なんかねェのに、という言葉はのみ込んで、かけ湯の代わりに洗い場のシャワーで表面を軽く流す彼女の後ろ姿を見守る。
 温泉に浸かるときは髪留めを使ってひとまとめにしているので細い首が見える。視線を下へずらしていくと、相変わらず美しくたおやかな背中が映り、感嘆のため息がこぼれた。そのままぼうっと見惚れていると、くるりと振り返ったフレイヤがまたタオルで身体を隠しながら気まずそうにこっちへ向かってきた。

「だからなんで隠してるんだよ。おれ達しかいねェのに」

 湯の中から手を出して、フレイヤの手首を握る。あ、と困ったように笑った彼女が遠慮がちにタオルをとると、ちゃぷんという小さな音を立てて自分の隣に浸かった。
 露天風呂付きの客室があるというコアラの勧めで宿泊を決めた今回の部屋は、サボもなかなか気に入っていた。本部にいると一日中一緒にいられるということもないのでフレイヤと二人でゆっくり寛げる時間があるのはありがたい。ほかの連中が行っている大浴場もそれはそれで様々な種類があり楽しそうだが、部屋の露天風呂は誰にも邪魔されずゆったりと湯に浸かりながら体を癒せるので、サボにはこちらのほうが魅力的に映った。

「でも……やっぱり恥ずかしいから」と、目を伏せたフレイヤの頬が桃色に染まる。水滴も相まって全体的に色香が漂う彼女に早くも内なる欲望が腹の底から溢れ出そうとする。「もう恥ずかしがるような間柄じゃねェだろ」誤魔化すようにそう言って、彼女の腰を引き寄せ自身の股の間に連れ込んで逃げられないようにする。
 フレイヤは短い悲鳴をあげたが、逃げられないと悟ったのか大人しくその場にとどまり、恐るおそる背中を預けて寄りかかってきたので満足げに笑ってから彼女の腹に腕を回した。

「温泉って気持ちいいよな。こういう露天風呂は初めて来た」
「私も初めてだよ。自然に囲まれてていいところだね」

 フレイヤがちらっとこちらを振り返って微笑んだ。幼少期の頃、屋敷の風呂もそれなりに大きかっただろうが、華やかさとは無縁の自然が作り出す景色の中の温泉はまた違った良さがあるし、彼女もそれを気に入ったらしい。
 部屋に付いている露天風呂などたかが知れていると想像していたら、想像よりはるかにきちんとした石造りの風呂に美肌効果があるという乳白色の湯、そして季節を感じることができる景色は心も体も癒してくれる。今の季節は新緑で綺麗な緑が多いが、これが秋、冬となるにつれてまた景色は変わっていくのだろう。そうした楽しみ方もこの露天風呂では可能だ。
 フレイヤはしばらく周囲に広がる若葉の緑に目を輝かせていたが、ふいにビクッと身体を震わせるとそのまま固まって微動だにしなくなった。

フレイヤ……?」

 肩口に顔を寄せて呼びかけてみるも、フレイヤは反応を示さない。それどころか俯いてしまい、表情がわからなくなった。何かまずいことでもしてしまっただろうかと内心焦ってもう一度名前を呼ぶと、
「……あたってる」
 消え入りそうな声でたった一言それだけ聞こえた。何のことかすぐに察して、
「あ、悪い」

 反射的に謝ってしまったが、こんなに色気を出したフレイヤと裸でくっついていたらそれも仕方ないことのように思う。服を着ていたって彼女には欲情するのに、素肌で密着していたら自然と反応するのはむしろ健全である証拠だろう。
 乳白色なので湯の中はわからないようになっているとしても、肌の感触や柔らかさはどうしたってこちらに伝わる。胸の谷間もここからはよく見えるし、逆にすべてが見えないからこそ想像を掻き立てられて興奮するというものだ。
 別にそういうつもりがあって一緒に湯に浸かろうと提案したわけではないが、一度意識してしまうと彼女に触れたくてたまらなくなる。露天風呂という空間も相まって、サボは彼女の腹部に回していた両手を胸元に移動させるとやんわり包んで揉みしだいた。

「ん……」

 艶めかしいフレイヤの吐息が漏れ聞こえる。ふにふにと弾力があり、こちらの指を押し返してくる柔らかさは相変わらず心地よくて弄ぶのにふさわしい。
 外だということもあって、声を抑えようとぎゅっと目をつむり耐えている姿は非常にいじらしいが、サボにとっては逆に煽る要素になり、もっと刺激を与えてしまいたくなる。布団に入るまで我慢しようと思っていた理性があっけなく崩れ落ちていく。サボの脳内は可愛い彼女をどう啼かせるかでいっぱいになる。

「さぼやだ、そんな、弄っちゃ……ッ」
「こら、逃げるなって」

 フレイヤが快楽から逃れるために離れていこうとするので、すぐさま片方の手で身体を抱き寄せた。姿勢を変える。胡坐の上に彼女を乗せてがっしり腰を抱けば、彼女の力じゃ到底抜け出すことはできない。
 こうして早くもスイッチが入ってしまったサボは、身体が昂ぶりはじめた彼女をじわじわゆっくり責め立てていくことにした。



 近くに川でもあるのか、せせらぎが聞こえる。自然が作り出す光景に心が洗われていく一方、そこに似つかわしくない妖艶な女の乱れた姿はサボの劣情を掻き立てていく。
 静寂に包まれた露天風呂に微かに響くフレイヤの可愛らしい声は、やはり外だということを意識しているせいかいつもよりも小さい。先ほどから我慢しているのは明らかだった。

「声出してもいいんだぞ」
「やだっ……ン」
「まァいつまで耐えられるのか見ものだけど」
「……ッ」
「今日は時間もあるし、ゆっくりしような」

 耳元で囁いたあと、かぷり――小さな耳たぶを噛んだ。
 正直ここまで耐えるとは思ってもみなくて、フレイヤのしぶとさにはいっそのこと感心する。いつもの何倍も焦らしてお触り程度の軽い愛撫しかしていないが、普段ならこんな責め方をされたらすぐに()を上げて自ら懇願してくるのに、今日はかなり我慢している。あまり強い刺激を与えるといけないので、ずっと中途半端にあちこち触っているだけで、きっと彼女が求めている快感にはほど遠いだろう。身体を震わせて呼吸を乱しながらも、屈しないと言いたげに彼女は必死に耐えていた。
 サボの背中にゾクゾクとした何かが駆け巡る。ああ、フレイヤ。お前は本当におれを煽るが上手い。まだこんなの序の口だというのに、すでに楽しくて仕方なかった。彼女を見ているとどうしてこんなにも加虐心をくすぐられるのだろう。不思議だ。彼女にしか抱かない感情があることが。
 そうしてフレイヤの耐え忍ぶ姿をひとり楽しんでいるときだった。視線を感じてふと顔を上げると、木陰に何かが潜んでこちらを見ていることに気づき、「誰だ!」と声を荒げた。

「ひゃっ」

 自分の声にフレイヤが驚いて、反射的に身体を庇うように湯の中へ隠れた。
 がさがさと動く木々に目を凝らして潜んでいる何かの正体を見極める。人か? それとも――
 直後、その何かが木々の間を縫って勢いよくこちらに飛び出してきた。二人して「わっ」と驚きつつ、その正体を視界に入れた瞬間、サボは目を丸くさせた。
 茶褐色の体毛に赤い顔と尻。大体六十センチほどの大きさの動く生き物――それは、間違いなく猿だった。一定の距離を保って一切動かずにこちらを見ているようだが、どちらかと言えばあれはフレイヤを見ているのか……?
 猿の視線をたどったとき、しかしあることに気づいてサボはとっさに彼女の身体を猿から隠すように自分の懐に抱き寄せた。

「ッ……どうしたのっ……」
「あの猿、お前のこと見てる」
「……え?」
「あれ、絶対オスだ」

 フレイヤを強く抱いて猿の視線から見えないようにすると、あからさまに不貞腐れた表情になったので確信する。あの猿はオスで、生意気にも彼女の裸体に興奮しているのだ。そのことに気づいた途端、サボは言いようのない怒りを覚えた。たかが猿にそんな感情を抱くのもおかしいかもしれないが、オス猿となれば話は別だろう。彼女の身体が見えなくなったことに明らかにがっかりしているので、れっきとしたスケベ猿確定である。
 猿がサボに対してそこをどけと言わんばかりの不満そうな視線を向けてくるので、強く睨み返してやった。覇王色の覇気でもあればよかったが、あいにくと持ち合わせていないのでそれに相応する鋭い目を猿に向けると、面白いことに猿がビクッと震えて恐れ慄く。そのあと、急に走り出して逃げていった。ところが、なぜか外ではなく室内のほうへ向かっていき、呼び止める間もなく器用に扉を開けて中に入ってしまった。一体どういうことだろうか。

「ど、どうして部屋のほうに行ったの……?」
 腕の中のフレイヤが露天風呂と室内を繋ぐ扉を不思議そうに見やって呟いた。猿の姿が見えなくなったところでサボは彼女を解放する。
「さァな。けど、戻ってくる可能性もあるからお前はしばらくここで待ってろ」

 サボはフレイヤを湯の中に残して風呂から出ると、開いたままになっている扉に向かってゆっくり歩く。
 そもそもあの猿はいつからこっちを見ていたのだろう。まさか最初から彼女を狙っていたわけではないだろうから、偶然近辺を通りかかって見つけた、といったところか。生物学上のオスとはいえ相手は猿だが、彼女の身体は動物まで虜にしてしまうらしい。
 と、サボが扉に手をかけた刹那、自身のすぐ横を何かが素早く通り過ぎていった。やっぱり戻ってきやがったか。振り返って猿の行方を目で追うと、サボは信じられないものでも見たように猿から視線が外せなかった。その間も猿は軽々しく外界との仕切りになっている竹垣を登って木に渡り、その身軽さでさっさと離れていく。
 去り際、振り返った猿がサボの顔を見て不敵に笑った――ように見えた。

「おい、お前っ……ッ!」
「ちょっとサボ待ってっ……」

 フレイヤに引きとめられて仕方なくその場に踏みとどまったサボは、しかししばらく猿がいなくなった方向を苦々しく見つめていた。露天風呂には再び静寂が訪れ、先ほどと変わらぬゆったりとした時間が流れている。
 賢い猿はこれまで何度も目にしてきたが、ここまでずる賢い猿は初めてかもしれない。あの猿は逃げるために部屋のほうへ向かったわけではなかったのだ。
 例の猿は、あろうことかフレイヤの下着を持ち出して逃げていったのである。


*


「替えはあるんだし、もうそのことは忘れよう?」

 フレイヤが慰めるように言うが、サボはむすっとしたまま布団を睨みつけていた。
 旅館から用意されている浴衣を着て布団の上で胡坐をかき、腕を組んだまま仏頂面でいる自分と、同じ浴衣を着て髪を一つに束ねた彼女。被害にあったのは彼女のほうだというのにあっけらかんとしているのが納得いかない。もっと怒っていいはずだが、彼女はさもどうでもいいみたいに言うのでこちらとしてはもう少し自分事のように捉えてほしいと思う。
 あの猿にフレイヤのブラジャーが盗られたのはつい三十分ほど前のことだ。どうやってあの場所に下着があるとわかったのか定かではないが、手慣れた感じを見ると前科があるのかもしれない。猿でも賢い種類は一定数いるし、人間に近しい頭脳を持つ猿がいてもおかしくない。
 むくれたまま考え事をしていると、片手で両頬をむにっと内側に寄せるようにして挟まれた。目線を動かした先に、フレイヤがむっと頬を膨らませてつまらなそうにしているのが見える。

「ねえサボ。私はそんなことよりもサボとくっつきたい」

 頬からフレイヤの手が離れていき、次は首に腕が回ってきたかと思うとそのままぎゅっと抱きついてきた。吐息がかかってくすぐったい。彼女にしては珍しく大胆な行動に目を丸くさせたサボはしばらく固まった。今日は酔っているわけでもないのに、もしかして自分が猿のことばかり気にしているから面白くなかったのだろうか。少しだけ自惚れてみる。

「珍しいな。猿に嫉妬か?」

 冗談のつもりで聞いたサボは、しかしフレイヤの顔がぼっと音を立てて赤くなっていく様をこの目で見た。
 ――図星か。
 自分からくっついておきながら、いざ指摘されると真っ赤になるとはいくらなんでもちぐはぐすぎる。無意識なのだとしたらやっぱり彼女は質が悪い。
 顔を覆って深く息を吐き出した。たまにこういうことがあるから心臓に悪い。そのたびに彼女への想いは募る一方だ。

「おれを煽ったなフレイヤ。知らねェぞ」
「煽ってなんか……っ」

 髪を束ねていたゴムを少し強引に解き、首に回っていた腕を外してフレイヤを布団の上に組み敷いた。浴衣のおかげで脱がすのは容易いし、下着も寝るだけだからと付けていない。
 帯をするする紐解いていきながら、頬を染めつつもにこにこと嬉しそうな彼女の顔を見つめる。

「随分と嬉しそうだな」
 そう言うと、ふふっと小さく笑ったフレイヤが「うん」と素直に答えた。本当に珍しい光景だ。けど、それ以上に可愛くてたまらなかった。彼女の両腕がこちらの頬に向かって伸びてくる。
「だって、サボがやっとこっち見た」
 あまりにも嬉しそうに言うから、心臓をぎゅっと掴まれる思いだった。
 ああ、だから――そういうことを軽々しく言わないでくれ。せっかく理性を保とうと必死になっているのに。
 サボは無邪気に笑うフレイヤの顔に近づくと、少し荒々しく口づけた。

2024.07.13 露天風呂でいちゃいちゃハプニング