悪徳の嘘つき

 意識が浮上してきたとき、埃っぽい臭いが鼻についてフレイヤは目を閉じながら微かに眉をひそめた。明らかに自分の知っている場所ではないところにいることに気づいて、重い瞼をゆっくり開くと案の定見知らぬ木製の部屋にいた。狭くて薄暗くて窓がない部屋はとても息苦しい。扉のすき間から漏れ出る光がわずかに入ってくるだけで、あとは何も見えなかった。せめてどこにいるかだけでも把握しようと近くに誰もいないことを確認してから、身をねじろうとしたそのとき――

「……ッ」

 手首や胴体に締めつけられる痛みが走った。動かせば動かすほど痛みは強さを増し、フレイヤの身体を圧迫する。寝起きのぼうっとした頭では気づかなかった、身体が何かによって抑圧されていることに。
 足元に視線を下ろすと、靴をはぎとられて裸足で立たされていることを理解したが、腕を後ろで拘束しそこから天井にロープを吊るされているせいで微妙にかかとが浮くような姿勢を取らざるを得ない。おまけに胴体にもしっかり縄が縛りつけられていて、身動きがまったくとれなかった。
 フレイヤの身体には縄が張り巡らされていた。気を失っている間に縛られてしまったのだろう、簡単には解けないような縛り方だった。

「これじゃ逃げられない……」

 フレイヤは途方に暮れた。ここに見張りがいないのは拘束を解くことができないと思われているからで、実際フレイヤはこの縄を自力で解くことができない。
 そもそもどうしてこのような状況になったのか。記憶をたどり寄せたとき、ガラの悪い人たちに囲まれたことが思いだされた。腰に短剣や銃をぶら下げている明らかに一般人ではない彼らは、きっとどこかの海賊団だったのだろう。このご時世、人攫いはよくあることだったが、今のフレイヤを攫っても相手には何もメリットがないはずだ。まさか革命軍だと思われたわけではあるまいし。確かにサボと一緒に歩いていたが、彼は正体を隠すためにマントを羽織っていたので気づく者はいなかっただろう。じゃあどうして、とフレイヤの頭には疑問が浮かぶ。
 スペード島は一攫千金を狙って世界各地から人々が集まるカジノ王国だ。夜は特にネオンがあちこちで光り輝き、昼と夜の境目がないことから不夜城と呼ばれる場所でもある。そんな島にフレイヤはサボたち革命軍と来ていた。それも任務などではなく休暇として、だ(手違いでたどり着いてしまったのだが、その話は割愛する)。
 昼間は比較的治安がいいというのでサボと二人で散策していたところ、町中で喧嘩している二人組に遭遇してしまったフレイヤは、誰もが見て見ぬふりをする中、自分を待たせて「仕方ねェ止めてくる」と二人組の間に入っていく彼の背中を見守った。本来ならこうした喧嘩は放っておくのが吉だが、この場にはふさわしくない子どもが多くいたので巻き込まれる可能性を危惧してのことだった。
 しかし、それが運の尽き。自分よりも大柄な男たちに囲まれたかと思うと、口を塞がれそこで意識を失った。助けを呼ぶ暇もなかった。
 そうして気づけばこの部屋にいたというわけである。周囲を見回してみるも、ここには何もない。しいて言うなら椅子が一脚あるだけ。物置部屋かと思ったが、それにしては物が少ないのが気になる。いや、そんなことよりも――どうやってここから出るべきか。

「おっと、目が覚めちまったのか。意外に早ェな。あのマッドサイエンティスト野郎、また効き目のねェ薬を作りやがったな」

 突然扉が乱暴に開かれ、どかどかと無遠慮に入ってきたのは無精ひげを生やした大柄の男だった。その後ろにはひょろひょろとした細身の男と身長が二メートルを超えていると思われる大男が立っている。これで全員ではないだろうが、少なくとも主犯格のような口ぶりだ。

「イイ眺めだな。顔も体つきも悪くねェ。こりゃ高く売れるぞ」
「久々の上玉っすね」
「けど、すぐ売っちまうのはもったいない気もしますねェ船長」
「バカ野郎。このおれが簡単に売るわけねェだろ。もちろん、いただいてから売るんだよ」

 物騒な会話を目の前でされたフレイヤは、自分の立場が思った以上に悪いことに気づいて戦慄した。高く売れるだの、いただくだの、どうやら自分はヒューマンショップへ売られる商品として攫われたらしい。

「あ、の……」
「あー怖がらせたな。けど、大人しくしてりゃ悪いようにはしねェ」
「船長も人が悪ィなァ。さっき堂々といただくとか言ってたじゃないっすか」

 ゲラゲラ下品な笑い方で盛り上がる彼らに恐怖心が増す。つまり、売り飛ばされる前に慰み者にされるということだろう。フレイヤには経験のないことだが、貧困街などの治安が悪い場所ではたびたびそういうことがあると聞き及んでいる。抵抗できないのをいいことに弱い者をいじめるのだ。
 海賊は野蛮で無秩序な人間たちの集まりだが、フレイヤがよく知る海賊は、無秩序ではあってもむやみに人を傷つけたりしない。

「外道」
「そりゃあおれ達は海賊だからな。真っ当な生き方なんざしてねェよ。欲しいモンは奪ってでも手に入れる、それが海賊ってものだろう」
「私はただの一般人です。売っても買い手がいないでしょう」

 ヒューマンショップで高値がつくのは基本的に人間族以外の種族だ。そして競り落とした者には奴隷としての保有権が与えられるので、買われてしまったら最後。飽きられるまで一生奴隷としての生活が待っている。もちろん、海賊などの犯罪者も売り買いに出されるが、フレイヤのような取り入って特技や特徴のない者が売れるとは思えなかった。
 しかし、彼らはそうではないと言う。船長と呼ばれた男の口角が妖しく三日月を描いた。

「ヒューマンショップは何も珍しい種族だけがオークションにかけられるわけじゃない。お前みてェなか弱くていいように啼いてくれそうな女も買う奴がいるんだよ」

 言い換えれば性奴隷ってやつだ、と顎を持ち上げられ男と目が合った。獰猛で貪欲で、意地の悪い暴君という言葉が似合う男だと思う。力で勝てない相手にこうやって高圧的な態度をとるのだろう、こんな男に奪われてしまうくらいなら死んだほうがマシというものだ。
 とはいえ、フレイヤはまだ希望を捨てていなかった。自分があの場から突然いなくなったら、サボは当然何かあったと気づいて探してくれる。彼らがこの島で常習的に人攫いを行っているのだとしたら、何か知っている人が町の中にいてもおかしくない。そうすれば、自ずと海賊団の名前や停泊中の船の場所なども割り出せる。サボたちなら絶対に。
 攫われてからどれくらいの時間が経ったのかわからないが、助けが来るまでフレイヤは時間を稼ぐ必要がある。

「生憎ですが、私はヒューマンショップに売られる気はないし、あなたたちに抱かれる気もありません」

 相手を睨みつけて、フレイヤは強い口調で言った。確かに力では勝てないが、それを受け入れてただ従うだけの女だと思われているなら癪だ。男のこめかみがピクリと反応した。

「……それをおれが許すと思うか」
「あなたに抱かれるくらいなら死んだほうがマシよ」

 時間稼ぎをするという意味でもあったし、何より屈するのが負けたようで悔しかった。だからフレイヤは抵抗した。しかし、この選択が間違いだったということにすぐ気づくことになる。

「弱くてすぐ折れちまいそうだと思ったが、想像以上に虐めがいのある女だな。いいねェ、そういう強気な瞳から希望の光を奪うのも一興ってものだ」

 舌なめずりをする男の表情がひどく歪んで見えたのはきっと気のせいではない。フレイヤはこれから自分の身に起こることに身体を震わせた。そして一刻も早くサボたちが来ることを願ったのだった。


*


「どうしてフレイヤから目を離したの!」

 コアラたちと合流してから、彼女の第一声がそれだった。そんなことを言われなくても自分が一番よくわかっていたが、あえてサボは言い返さず彼女の抗議を受け入れた。実際自分が不甲斐ないせいでフレイヤがいなくなってしまったのだから反論する余地はない。
 休暇で訪れていたスペード島をフレイヤと二人で散策していたときのこと。昼間から激しい喧嘩をしている二人組に遭遇した。普段だったら勝手にやっていればいいと見過ごすところだが、殴り合いに発展しそうな雰囲気があったのと街が街なだけに子どもやほかの連中を巻き込む恐れがあったために、いったん彼女をその場に残して仲介に入った。
 ところが、喧嘩を止めて戻ってきてみるとフレイヤの姿が見えず、近くの店にもいないし宿泊先のホテルにも戻っていないことがわかり、トラブルに巻き込まれたのだと判断したサボはすぐにコアラたちを呼び寄せて聞き込みをしながらあちこち探し回っている――というのが現状である。
 スペード島がカジノ王国だというのは有名だが、昼間は比較的治安がいいことで一般人も多く出入りしている島だ。それにカジノだけではなく、珍しい食材を使った料理を提供する店や観光スポットも多いことから老若男女問わず多くの人が訪れる。一変して夜は海賊や山賊、浮浪者といった犯罪者が酒場兼賭博場に集まるので子どもや一般人は近づかない。
 だから安心していた。実際、フレイヤと歩いていた通りには観光客しかいなかった。海賊などの連中はそのほとんどが見た目でわかるし、有名な奴であれば賞金首になっている。自分がわからないはずがない。なのにどうしてだ。憤る気持ちを抑えきれなかった。
 そうして地面を睨みつけて途方に暮れていた自分の肩をコアラがぽんと叩いてハッと我に返った。

「サボ君。裏通りを調査してるミリから連絡。数か月前から停泊している××海賊団が若くて綺麗な女性ばかりを狙ってヒューマンショップに流してるって噂があるみたい。フレイヤの特徴を伝えたら、一時間くらい前に似たような子を連れ去っていくところを見たって人がいた」
「……どこだ」
「え?」
「そいつらの停泊してる船だよ」
「――」



 ミリから聞き出した、その海賊団が停泊している港を特定したサボはすぐさま駆けだした。後ろから「待って」というコアラの制止の声が聞こえたが、フレイヤが人攫いに遭ったとわかったら居ても立っても居られなかった。今すぐ助け出さないといけないような気がして、例の海賊団が停泊している東側の港へ急ぐ。
 ミリの話では、観光客かつ一人でいる女だけを狙っているというからなかなか用意周到だ。もしかしたら喧嘩というのも、自分とフレイヤを引き離すためにわざと仕組んだ可能性が考えられたが、今はそんなことよりも彼女を奪還することが最優先だ。
 そのとき、町の高台に設置された時計塔から大きな鐘の音が鳴った。時刻は昼の十二時を指している。町は活発的に営んでいるが、人々のあずかり知らないところで非人道的行為が行われようとしていた。


*


 抵抗する人間に興奮するという特殊な性癖を持つ人間が一定数いることを、フレイヤはこの場で実感していた。自分を見つめる男の瞳は爛々としていて、男の手綱ひとつでフレイヤの体に巻きつく複雑な縄は強度を増していく。引っ張られるたびに腕や胸を締めつけられるので、歯を食いしばって痛みに耐えるほかない。悲鳴を上げれば、この男の思う壺だからだ。
 薄暗い明かりの下、フレイヤは人攫いの海賊から辱めを受けていた。最初こそ抵抗していたのだが、それこそが男の狙いとも言うべきか、気味の悪い笑みを浮かべて愉しそうにこちらを見下ろし縛る力を強めてくる。どういう巻き方なのか、腕と胴体とが一緒に縛られているせいでまったく身動きがとれなかった。天井から吊るされていたロープははずしてくれたが、代わりに足首を固定されてしまったので結局フレイヤに自由はない。

「売り物に傷をつけちまうのは心苦しいが、売れなかったらおれが飼ってやるから安心しろ。可愛く啼いてくれりゃあ優しく扱ってやる」
「……嘘。あなたは暴力的なことを好む人間です。私が素直になろうが悲鳴を上げようが酷いことをするに決まってる」
「ハッ、言うねえ。確かにおれァ抵抗する女をねじ伏せるほうが好きだが、従順な女も嫌いじゃねェさ」と、男が握っているロープを手前に引っ張った。
「ぅ……やめっ」
「あーいいねその顔。ゾクゾクするぜ」

 苦痛に歪んだ人間の顔が好きだなんてサディストもいいところだ。自分は本当に最低最悪の海賊に捕まってしまったのだと胸中で嘆く。
 最も屈辱的なのは締め上げられるたびに背中がのけ反って胸を主張するような恰好になってしまうことだった。こうした緊縛は元々罪人を捕らえるために生まれた技術だというけれど、近年はそっちの方向で使われることがあるというのはたった今しがた理解したばかりだ。ある場所ではそういう趣向の人間のための専門店もあるというから信じられない。
 仲間を追い払った室内はフレイヤと船長である目の前の男のみ。今のところ、縄による締めつけ以外に被害は受けていないが、このあとのことはわからない。サボたちが彼らの存在に気づいて早く来てくれることを願うほかなかった。
 意識をこっちに戻すと、目の前に影が差して男が近距離にいるのがわかり後ずさろうとしたが、足首が固定されているため上手く動けない。お尻と両足で地面を這うように逃げるフレイヤを、しかし男は簡単に追いつめてくる。屈んだ男と目が合い、嫌な予感がした。

「何かが物足りねェと思ってたが……ココ、開けちまうか」

 男の手がブラウスのボタンに触れた。それまで一切直接的には触れてこなかった男がついにフレイヤの身体に手をかけようとしている。その事実を認識した途端、フレイヤは恐怖で震えあがった。

「ゃっ……それだけは……それだけはやめてくださいっ!!」
「あァ? やめる義理なんかねェよ。誰に向かって物言ってんだ」

 男は怒鳴って、両手をブラウスにかけて左右に無理やり引きちぎった。ブチブチとボタンが四方に飛んでいくのが見える。
 嫌だ。こんな、粗暴な男に身体を晒していいようにされるなんて。この身体は、恋人である”彼”にしか許していないのに。
 サボ、サボ……ッ、たすけて――


*


 東側の港は海賊などの一般人の目にはあまり触れない場所のようで、複数の海賊船が見受けられるがどれも見たことのない海賊旗ばかりだった。賞金首にもなっていない連中かもしれない。とはいえ、人身売買は革命軍として見過ごすわけにはいかなかった。何よりフレイヤを攫ったことが許せない。
 ミリから聞いた情報によれば、奴らの船は港の船着き場から少し離れた入り江のほうに停泊していた。ほかの連中からさらに気づかれないようにしているのか、見つかりにくい場所に忘れ去られたように停泊していた。
 目的の船へ降り立ったサボは甲板で酒瓶片手に見張りをしているらしい細身の男に話しかけた。

「誰だお前」
「誰でもいいだろ。そんなことより攫った女はどこにいる」
「女ァ? 知らねェよ。お前に答える義理は――ぐへっ」

 答える気がなさそうだったので早々に気絶してもらった。しかし、甲板にこの男がいるだけでほかは誰もいないのが気になる。出払っているのだろうか。訝しみつつ、サボは静まり返る船内に侵入してフレイヤの居所を探る。彼女だけ放置して連中がいないなら好都合だ。


 船の規模からして××海賊団という連中がそれほど数の多い海賊とは思えなかったが、それにしたってこの静けさは異様だった。出払っているにしても、見張り一人というのは一体どういう――
『やめてくださいっ!! 』
 考え事をしながら船内を探し回っていると、一番奥のほうから女の甲高い声が聞こえた。聞き間違えるはずがない、探し求めていたフレイヤの声だった。
 サボは一気にその部屋まで駆けていく。今の悲鳴からして彼女に危険が迫っていることは明白だった。狭い廊下を走っていくにつれて、くぐもっている男の声も同時に聞こえた。
 バン――!

フレイヤっ……!」

 船室の扉を勢いよく開けたとき、果たしてそこにフレイヤの姿はあった。だが、想像していた彼女の姿ではなく、衣服はボロボロで胸元がはだけているし、妙な縛り方で彼女を辱めている。とてつもなく胸糞悪い光景で吐き気がした。間一髪といったところだろうが、到底許せることができそうにない。どぷどぷと黒い塊が自分の腹の底に溜まっていくのがわかり、けれど今は彼女の安全が最優先だと言い聞かせる。

「なんだてめェ! いきなり入ってきて邪魔しやがって」
「黙れ。その汚ェ手を今すぐどけろ」

 言いつつ、フレイヤの胸に伸びている男の手を思いきり払う。力加減ができず、男が扉の入口まで吹っ飛んだが構わずサボは扉を突き破って廊下に倒れた男の前に屈んだ。
「サボ君!」「総長!」しかし、後から追いかけてきたコアラとミリがやってきてその場は騒然となり、続けてバタバタとこの男の仲間と思われる集団が押し寄せてきた。きっと騒ぎを聞きつけて戻ってきたのだろう。人払いさせていた理由など知ったことではないが、自分一人で十分な人数だ。

「コアラ、ミリ。お前ら二人でフレイヤを連れて帰れ、おれは片をつけてから戻る」
「……わかりました」

 コアラの返事を最後に、二人は無言でフレイヤの元へ駆けていき静かに縄を解いて彼女を救出してくれた。その様子をしばらく眺めながら数分と経たないうちに「じゃあ私達は先に戻って待ってるから」とフレイヤを支えて去っていく二人を見送る。
 あとは自分がここを一掃して人身売買の経路を絶てばいい。簡単なことだ。小物海賊団程度、今の自分にとって恐れるものではない。
 待ってろフレイヤ。おれもすぐそっちに行くからな――
 鉄パイプに手をかけたサボは、覚束ない足取りの小さな背中にそう呟いてから海賊と一戦交えた。

2025.04.19 緊縛×フレイヤ