夢をみて夢にみて


※『たしかに恋をしていた』の番外編

「汝、病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、この者を妻として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか」

 丸眼鏡をかけた牧師がサボに問いかける。厳かな雰囲気に自然と背筋が伸びてしまうこの状況を、サボは幾度となく夢見てきた。"仮"とはいえ、いつか彼女とこうして隣に立てたらどれほど幸せなことだろうと思い描いた未来だ。
 アーチ状の高い天井に囲まれたコンクリート。左右の壁に敷き詰められたステンドグラスから太陽の光が差し込んで、見事な光景を作り出している。一般的に信者が座る長椅子には、革命軍の仲間たちが座ってこちらの様子を見守り、サボの隣には純白のドレスを身にまとい少し緊張した面持ちのフレイヤが立っている。
 ここに来る前に、すでに見ているというのにその美しさから感嘆のため息をこぼしそうになるのをぐっと堪えて、壇上にいる牧師を見る。

「誓います」

 答えてから、言葉の重みをしっかり受け止めて、改めて生涯フレイヤを愛していくのだと胸に誓った。
 牧師が今度は彼女のほうに向き、今と同じ言葉を問いかける。小柄ながら、今日は凛としていて頼もしささえ感じるのは気のせいだろうか。緊張しながらも誓いますと口にした彼女の表情がとても晴れやかで、胸が打たれる思いだった。毎日感じる彼女への"愛"は日に日に増していくばかりだ。
 誓約が終わると、指輪の交換がはじまる。"仮"であるために仲間が用意してくれたものだったが、サイズは一応ピッタリのものを見つけてきてくれたようだ。互いの薬指へはめてから、フレイヤの嬉しそうな顔が目に入り、ぎゅっと胸が軋む音がした。

「それでは誓いのキスを」

 牧師の言葉のあと、改めてフレイヤと向かい合い一歩前へ出て歩み寄る。目が合った瞬間に彼女が微笑んだ。ああ、綺麗だな。彼女は時々「私にはもったいない」とこぼすが、その言葉そっくりそのまま返したい。彼女こそ、自分にはもったいないくらいの女性だと思っているし、だからこそ彼女に恥じないふさわしい男でありたいと強く願う。
 白いレースのベールを上げると、彼女の顔がよりくっきりと映る。普段のメイクより華やかな印象を受けるが、目元は潜入調査をしたときのような濃い色ではなく薄めで、代わりに口元が熟れた林檎のように真っ赤でバランスがとれているなと素人ながら思った。
 目を閉じて顔を少し上げたフレイヤの両肩に手を置く。そっと顔を近づけて、そのまま彼女の綺麗な唇へ――


*


「……代わりにフレイヤ?」

 執務室でコアラと次の任務について話しているときのことだった。
 とある国の第二王女が貴族の男と式を挙げることになったが、王室や政府の要人が出席するためここ最近反政府組織の動きが活発になっているという。そこで、身代わりの挙式を隠れ蓑にして、秘密裏に少人数での式を挙げるという案があがった。しかし、そこで問題が発生する。国の警備隊だけでは身代わりをまかなうことができなかったのだ。そこで国王は以前から懇意にしているドラゴンへ相談を持ちかけたという。新郎新婦も招待客も牧師も人員手配は問題ない上に、有事には戦闘も可能。なるほど、適任なわけだ。
 けど新婦役がどうしてフレイヤなんだ。サボは不機嫌な表情を隠さずに問う。

「王女と背格好が似てるんだって」

 文句を口にしたらコアラが少し申し訳なさそうに言った。ドラゴンの提案とはいえ、フレイヤは保護対象の一般人としてここにいるだけで戦えるわけではない。テロ組織がいるような国へ連れていくのも不服だというのに、任務で新婦役をやらせるなんて恋人としては断固反対したいところだ。しかし、参謀総長としての自分はそういう私情を挟むことができない。

「仕方ねェか……」
「もちろん、新郎役はサボ君だよ」
「当然だろ」

 間髪入れずに言葉を返して計画書に目を移した。すでに当日の流れまできっちり決まっているらしいそれを眺めながら、ふとあることに気づく。
 誓約、指輪交換、誓いのキス――そうか。仮とはいえ、フレイヤと式を挙げることができるのだ。その事実に気がついてサボは不満だった胸の内が徐々に軽くなっていくのを感じた。
 革命軍として自分のすべきことが残っている以上、今すぐ彼女と悠々自適に生活するというわけにはいかない。以前彼女は「これからも一緒にいたい、支えたい」と言ってくれたのを思い出す。いつまで待たされるかもわからない男のために申し訳なさが募る一方でその健気さに救われてもいる。彼女の気持ちが揺らぐはずないとわかっていながら縛りつけていると思うと気が引けるが、きっとそれでも彼女はついてきてくれると信じていた。
 だからこそ、必ず幸せにしたいという想いは強い。

「じゃあフレイヤにはサボ君から伝えてくれる?」
「ああわかった」



 フレイヤを探しに執務室を出たサボは、あちこち探し回ってようやく中庭で水やりと雑草除去をしていた彼女を見つけた。日差し除けの帽子に軍手をしながらしゃがんで作業している姿は、どこからどう見てもそっちの道の人間で、彼女が元貴族だなんて誰も思わない。時折見せる所作に貴族の断片を感じるときもあるが、普段は一般人そのものだ。
 サボは中庭に入って作業しているフレイヤに近づいて、そばに落ちているホースを手に取った。すぐそばの蛇口をひねると水が出てくる。その音に肩を揺らした彼女がサボを視界にとらえて驚いてから、
「びっくりした。コアラちゃんと打ち合わせじゃなかったの?」と刈り取った雑草をゴミ袋に放ってゆっくり立ち上がった。

「もう終わった」
「そっか。ここに来たってことは私に用事?」

 察しがいいなと思う。園芸用の帽子を脱いだフレイヤが日陰に移動しようと言うので、サボもそれに続く。中庭のベンチに二人で腰かけて小さな庭園を見ながらサボは彼女に今後の任務について口にする。重苦しい雰囲気にならないよう心がけて。

「次の任務は訳あってフレイヤを連れていくことになった」

 吐き出してから、思ったより自分が落ち着いているらしいことに気づいて拍子抜けした。フレイヤを危険な目に合わせたくないのはサボの私情だが、革命軍としては(言い方は悪いが)使えるものは使うべきだろう。現に彼女は植物に詳しいという理由で潜入調査に参加してもらったことがある。
 しかし、今回は前回と事情も状況も違う。テロ行為が行われるかもしれない場所に彼女を連れて行かなければならない。それはつまり、怪我を負う可能性があるということだ。

「……理由を聞いてもいい?」

 空気が揺れる。フレイヤがこっちを見ていることに気づいて、サボもゆっくり顔を彼女に向けた。不安そうな感じには見て取れない。単純にどうしてか気になっているだけのように見えた。元々変に肝が据わっているところがあるので物怖じはしないだろうが、それはまだ彼女が事情を知らないからだ。知ったら考えが変わる可能性もある。
 とはいえ任務は待ってくれないので、サボは先刻コアラから聞いた内容をそのまま彼女に伝えた。その間、彼女は一切相槌を打たずにただただ聞くだけに徹していた。時間にしたら数分だろうに、なぜかとても長く喋っていた気になる。

「――ってわけでフレイヤを危険な目に晒すかもしれねェんだ……けど、」
「守ってくれるんでしょう?」
「……え?」
「革命軍に貢献できるなら、サボの助けになるなら何でもするよ。それで危険って言われても大丈夫。参謀総長の妻になるんだもん、そのくらい平気。それに、サボが守ってくれるって信じてる」

 その言葉にサボは面食らって目を見開いた。事情を説明したら少しは怯えるかと覚悟していたが、そうした恐怖を飛び越えて「何でもする」ときた。さりげなく「妻」発言もしてくるし、想像していた回答とかけ離れていてサボはむずがゆい気持ちになった。小さいくせに、たまにフレイヤが大きな存在に見えるのは気のせいではない。こういうところにきっとこの先何度も助けられるのだろうと思うと、狂おしいほど彼女が愛しかった。
 さらに「仮でもサボと式を挙げられるなんて嬉しいな……って、任務だからそんなこと言ったらダメだよね」と照れくさそうにしたと思ったら急に真剣な表情を作ってそわそわしはじめたので、重苦しいどころか全然いつもと変わらなくてサボは豪快に笑った。

「な、なんで笑うの……?」
「いや、おれの恋人はすげーなってことだよ」
「……?」

 意味がわからないのか、怪訝な顔をして首をかしげる。わからなくていい。彼女の何気ない一言で救われていること、そのたびに好きになっていくこと。だからこそ、幸せにしたいと思うこと。
 仮だけど、おれも嬉しいんだ。お前のドレス姿、綺麗だろうなって今から楽しみで仕方ない。溢れ出す想いを、サボは一言に乗せて伝える。

「好きだフレイヤ。よろしく頼む」
「……! うん、頑張ります」