もち肌


※『たしかに恋をしていた』の番外編です

 革命軍に明確な休日というものはないが、一般市民の間では「年末年始」などと呼ばれて皆がのんびり休暇をとる文化があるらしい。この道に身を置いてからもう十年以上経つ僕にはゆっくりする時間なんて到底考えられないから不思議な話である。
 新年を迎えてから三日目の今日。しかし、僕は本部の中庭でその不思議な休暇の一幕を垣間見ている。
 冬らしい澄んだ清らかな空の下、吹き抜けの中庭では餅つき大会真っ最中だ。どこから取り寄せたのか、臼と杵(餅つき用の道具らしい)を用意して、子ども達が「よいしょ」とか「えいっ」とかいう掛け声を叫びながら楽しそうに餅をついている。最初こそ不慣れな動きに戸惑っていた彼らも、餅つきを経験したことがあるという仲間が偶然いたおかげでだいぶ様になってきた。餅をつくのは子ども、合いの手はその餅つき経験者の兵士が担当し、そばで大人達が固唾をのんで見守っていた。
 子どもと一緒に杵を持ち、サポートしている女性がいる。彼女の名前はフレイヤさん。参謀総長サボさんの恋人だ。エプロン姿の彼女は前日からもち米の準備をしていたと聞く。料理に詳しいという理由で、たびたび本部の料理人と新しいメニューを考案する姿を見かけるので、今回のイベントも彼女の提案かもしれない。
 しかし、肝心の総長は立て込んでいる案件がありドラゴンさんとイワさんの三人で会議中だった。後から行くと言っていたが、餅つきはもう終盤である。

「そろそろいいかな」

 フレイヤさんが餅の状態を確認する。合いの手を担当していた兵士も「そうですね」と同意した。杵を持った子どもを筆頭に施設の小さな連中が群がっていく。「はやく食べたい」「熱そう」「どんな味がするの」それぞれ興味のまま言葉にする彼らの目は、もうつきたての餅のことしか見えていない。
 フレイヤさんは用意しておいたボウルに餅を入れたあと、それを抱えてテーブルまで移動した。その場で食べられるようにテーブルの上にはいくつもの皿が重なって置いてある。彼女が餅を一口サイズにちぎっていく作業をする横で、待機していた料理長が皿に何やらいろいろな具をのせていた。見たことないものばかりだったので、気になった僕は近くで楽しそうにフレイヤさんの様子を見ていたコアラさんに尋ねてみる。

「あの皿にのってる具みたいなのってなんすか?」
「あ〜あれはね、味付けだよ」
「味付け……?」
「うん。シンプルにお餅の味を楽しむのと、ほかの味を足して楽しむのと両方用意してあるんだって。ワノ国では、お餅はいろんな味付けがあるみたい」
「なるほど、ワノ国か」

 コアラさんの言葉を聞いてから、僕はもう一度皿の上の具を凝視する。紫をもっと濃くした色のものは、確か前に聞いた「餡」とかいうやつだ。黄色の皮は柑橘類っぽいし、あとはほとんど僕が知らない調味料や具だった。コアラさんの話では、餅は意外といろいろな味付けで楽しめる食べ物だという。
 フレイヤさんと料理長が準備している様子を周りの大人も美味しそうに見つめていた。そういえば、今日は朝から餅つき大会があるからと言ってみんな朝食を抜いてここへ集まっている。そろそろ腹の虫も鳴る頃だろう。かく言う僕も腹が減ってきた。
 テーブルの上に餅がのった小皿が何枚も並べられている圧巻の光景に「おお」と感嘆の声があちこちで聞こえた。中央には調味料と具がのった皿が複数。

「よし、これで準備完了だ。味わって食えよ」

 料理長が発した途端、わあっとテーブルにみんなが群がる。
 フレイヤさんは、子ども用に小さくちぎった餅を渡していた(ただし、料理長の話では四歳以降でないとダメらしい)。きちんと一人ひとりに「よく噛んで食べるんだよ」と声をかけている。面倒見がいい彼女の周りはいつも子ども達の笑顔が絶えない。
 その様子を微笑ましく思いつつ、僕も自分の分を手に取る。味付けは「あんこ」と呼ばれる定番と「醤油」と料理長に教えてもらった調味料をもらった。この場で仲間と一緒に楽しみたかったが、生憎ともう仕事に戻らなければならないので、この場を取り仕切ったフレイヤさんに挨拶しておこうと子ども達と話し込む彼女の元に近づいた。

「お餅、ありがとうございます。おれ達はそろそろ仕事に戻るのでそこでいただきます」
「あっ、待ってください」

 立ち去ろうとする僕らをフレイヤさんが呼び止めたので一度振り返る。彼女が抱えていたのは餅がのった皿。しかし僕は「あれ?」と首を傾げる。全員餅は手にしているし、一体誰に――という頭の中の疑問は彼女によってすぐに解消された。

「サボの分です。ここに来なかったということは、まだ仕事で忙しいんですよね。届けてもらえますか?」
「……! もちろん! 責任もって届けます」
「ふふ、よろしくお願いします」

 笑顔のフレイヤさんに見送られながら、僕はくすぐったい気持ちで中庭を出た。相変わらずよくできた女性だなあと感心する。そして少なからず総長を羨ましく思ってしまうのだった。


*


「餅ってこんな感触なのか。初めて食うけど、面白いな」
「これは"キナコ"って言うらしいぞ。不思議な味だ」
「定番のあんこってやつもうめェな」

 あれから総長の執務室に来た僕らは、ちょうど会議を終えて戻ってきた彼と遭遇した。残念そうに「もう終わっちまったのか」と肩を落とした彼に餅がのった皿を見せると、少しだけ口元を緩めて礼を述べたのでほっとする。
 総長もまた餅は初めて食べるらしく、最初は指でつついて不思議そうな顔をしていた。ようやく口に入れてから「へェ」と物珍しそうな表情で咀嚼する姿はちょっと面白い。美味しいようだ。
 そういうわけでしばらく執務室の空気は和やかに、みんなが餅という未知の食べ物に興味を抱いて舌鼓を打っていた。だから、不意打ちだった。

「餅ってのはフレイヤの肌みてェだな……白くて柔らけェし、この滑らかな感じがそっくりだ」

 その瞬間だけしんと静まり返った室内に、総長の声ははっきり全員に届いただろう。また性懲りもなくこの人は問題発言を堂々と……。僕は呆れて彼のほうに視線を投げた。

「……いいんですか? そんなこと言ったらみんな想像しますよ」

 実を言うと、総長は最近忙しくてフレイヤさんとしばらく会えていない。僕らもそれを理解しているが、今の発言は聞き捨てならない。なぜなら彼は彼女のことに関して、いろいろ自慢してくる割に僕らに対して理不尽な要求をする。

「ダメに決まってんだろ。想像するな」

 例えばこんなふうに。

フレイヤさんと会えずにいろんな意味で溜まってるのは一応理解できますけど、発言には気をつけてくださいね。特にコアラさんとか女性陣の前でそういうこと言うと非難轟々ですよ」
「……気をつける」

 と言いつつ、総長の表情は確かに疲れ気味だった。ほかの同僚も少々憐れんだ目で彼を見ている。フレイヤさんも気を利かせてここを訪ねてこないのだろうけど、そろそろ限界かもしれない。彼女を呼んで一緒に仮眠をするくらいなら、きっとコアラさんも許してくれるはずだ。
 僕は口の中に広がる醤油とモチモチとした不思議な感触を噛みしめながら、餅を見つめて呆けている総長に向かって「本物を呼んできましょうか」と声をかけた。