指先までアイ・ラブ・ユー


※『たしかに恋をしていた』の番外編です

 バレンタインまであと二週間。今回フレイヤが挑戦しようとしているお菓子は、いつものクッキーやケーキと違って胃袋を満たすには少し物足りなさを感じるかもしれないが、見た目が非常にカラフルで愛らしく味も甘くて美味しいもの。
 その名前を知ったのは本の中。お菓子のレシピ集に掲載されていたのを偶然見つけて、可愛らしい見た目に一目惚れしていつか作りたいと思っていた。そうしたらちょうどよくバレンタインというイベントがやってきたというわけで、フレイヤはコアラとともに厨房にこもっている。

「金平糖?」
「うん。とある国の砂糖菓子なんだけど、小さくてカラフルですごくかわいいの」

 コアラが手元を覗きこんでその名前を復唱したので、フレイヤは本で読んだ内容を彼女に説明した。
 夕食後の厨房は、料理人たちも片づけを終えて自室に戻っているので静かだ。サボや男性の兵士たちに内緒でここを使わせてもらっているので、食堂近辺には誰も近づかないよう密かに伝えていた。最初からサプライズを計画しているわけではなかったが、コアラがどうせなら秘密にしておこうと言うのでこうしてこっそり準備を始めることになった。
 金平糖は砂糖菓子の一種で、異国からワノ国へもたらされた品々の一つであり、中でもひときわ美しく人々の目を引くお菓子だったという。当時は高級品だったらしく、位の高い武士や公家といった立場の偉い人間しか口にすることができない貴重な品で、製造方法は一切秘密だったのだとか。そこから次第にワノ国の中で浸透していき、庶民にも親しまれるようになったのは何十年もあとだという。
 本には、伝統的な製法で作られている店はワノ国のみであり、それ以外はこっそり持ち帰った人間が基本的な作り方で売っているそうだ。

「へェ〜〜なら、これはその基本的な作り方ってやつで作るんだ」
「そう。その日の気温とかによっても調整が必要で、実際の職人になるには大変みたい」
「でも見た目がかわいいのは本当だね。ベティさん達も喜びそう」
「でしょう? 私もお世話になってる先輩たちにも配るつもりなんだ。あとリュカくんたちにもね」

 グラニュー糖を鍋に入れて水で溶かす。焦げないようにかき混ぜて「糖蜜」と呼ばれる状態を作る。そのあと大きなドラ――実を言うとこれは料理長に頼んで取り寄せてもらって仕入れた品物、というフライパンにザラメを投入して、糖蜜を振りかけていく。乾いたらまた振りかける。日によって火力や糖蜜の量を調整し、「糖蜜をかけてかき混ぜる」という工程を繰り返し行っていくのだ。当然素人なので完璧とまではいかないが、レシピの通りにやればそれなりの味と形にはなる。

「今日はここまでかな」
 フレイヤは、かき混ぜる手を止めてコアラに言った。
「大変なんだね」
「本当の職人さんは長年の勘とか積み重ねた技術で調整するんだろうけど、私たちは素人だからそこはレシピ通りに作っていこう」

 コアラの言葉に、フレイヤはドラの中のザラメを一粒取り出して答える。平べったい真四角で、本来の形からは遠いが、ここから二週間かけて形を整えていく。
 まだ見ぬ金平糖の姿に思いを馳せて、フレイヤたちは使用した器具を片付けると厨房を後にした。


*


「随分と小せェ菓子だな。握り潰しちまう」
「気をつけなきゃダメだよ」

 執務机の上に置かれた小皿に、カラフルな小さい粒がたくさん散らばっている。白、黄色、ピンク、黄緑、オレンジ、水色。あまりにも小さくて、サボの握力では少し力加減を間違えると本当に握りつぶしてしまうほど繊細な菓子だった。
 夕方の四時を回った頃。バレンタインだと言って小さな粒を大量に乗せた皿を抱えたフレイヤがやってきた。餅つきに次ぐ新しいイベントらしい。恋人達が愛を誓い合うとか何とか。女はそういうのが好きだよな――と思いながら一生懸命な彼女を想像して口元が緩む。サボから言わせるとあまりイベント事には興味ないが、彼女が楽しければなんだっていいというのが結論である。彼女はいつでも恋人である自分や周りを喜ばせようと考える人間なので、そうした健気な態度には毎回胸を打たれる。
 そういうわけで、この金平糖も彼女が作ったものであればサボにとってただの菓子ではなく、大きな意味を持つ。

「にしても食いづれェ……こうやって一気に――」
「ああ〜何てことするの! コアラちゃんと二週間かけて作ったんだから味わって食べて」

 皿ごと口に持っていき傾けようとしたら、フレイヤが機嫌を損ねたようにむっとして皿を奪った。どうやらこんな小さいくせに、金平糖というやつは製造するのに相当時間がかかるらしい。
 しかし、一気に食べることを禁止されるとなると方法は一つしかなかった。

「……だったらフレイヤ。お前が食わせてくれるか?」
「えっ!」
「だってそうだろ? おれの握力じゃこいつを潰しちまうし、かといって一気に食うのはもったいねェ。そうなると誰かに食わせてもらうしかない」
「そ、そうだけど、でも……」

 まさか逆に提案されるとは思ってもみなかったのか、フレイヤは困惑気味に視線をさまよわせた。食べさせてもらうのは何も初めてのことじゃない。しかし、慣れないことも当然ながらあり、特にこうして人前で恋人らしいことをするのには抵抗があるのか、こうやって恥じらう。初々しくて可愛いが、こちらも「仕方ない」で済ますつもりはなかった。

「言い出したのはフレイヤだ。責任とって食わせてくれ」こう言えば、彼女は断らない。部下達はこういう自分を、"恋人の困り顔を見て楽しんでいる"と白い目で見てくるのだが、そうした気持ちもないわけではなかった。ちょっとした意地悪で彼女が一喜一憂するので、そうした反応が見たくてつい揶揄ってしまうのだ。
「じゃあ……少しだけなら」

 小さな手がおずおずと金平糖を掴んで自分の口元に寄ってくる。青の粒が一つ。よく見ると「角」のようなトゲがあって確かに面白い形をしている。
 目の前に出された金平糖をぱくりと口に含む。砂糖を丸ごと食べているような感覚で、普段フレイヤが差し入れてくれるスイーツとはまた違った味にサボは思わず「へェ。面白いな」と感嘆の声をあげた。

「素朴な味でしょう? 見た目も可愛いからお土産とかにも人気あるんだよ」
「もっと欲しい。ん」口を開けて次の分を待つ。
「待って。一粒ずつだと大変だから……三つくらいなら一気にいいよ」

 と、フレイヤが三粒を手に取って差し出してきたので面食らった。味わって食べてとか言っていたくせに、一粒ずつは大変だからという理由で方針をあっさり変えるとは可愛い奴である。ふっと声にならない笑いを漏らしたサボは同時にちょっとした悪戯心が働いて、金平糖とともに彼女の細い指先を文字通り口に含んだ。第一関節あたりに少し歯を立てて甘噛みする。

「ひゃ、なにしてるのっ……ぁッ」
「小さくて美味そうだなと思った」
「もうッ、ここ執務室だよ!」
「知ってるさ。けど関係ねェだろ、今は休け――」
「はいストップ〜〜フレイヤの言う通り、ここはキミ個人の部屋じゃなくて執務室でしょ。そういうのは後で二人になったときにやって」

 赤面して逃げようとするフレイヤの腰を抱き寄せた直後、邪魔するように眉をひそめたコアラが間に入って来た。つい先ほどまでほかの奴らに配ってくると言って執務室を出ていたのに戻ってくるのが早い。視線を感じて入口のほうに目を向けると、見たことない若い男が数人こっちを見ながら口をあんぐり開けていた。新しく入隊した兵士だろうか。

「いいとこだったのに」
「いいところじゃないよ。休憩中でも気をつけて、二人の関係を知らない人が見たら距離感おかしいからね」
「ごめんねコアラちゃん。私ももう通信部の先輩たちに渡しに行くから……じゃあサボ、またあとでね」

 するりと逃げるように腕の中から離れていった飼い猫に対して「行っちまった」と名残惜しんで扉を見つめる。
 しかし、入れ替わるようにして入って来た数人の兵士達が居心地悪そうにしながらそわそわしているので、サボの視線はすぐそっちに向けられた。その中に一人、自分よりも若そうな男が顔を赤くして視線をさまよわせていた。部屋の中は特別暑いわけでもないのに一体どうしたのだろう。気にしている間もなく、彼らが自己紹介を始めてしまったのでサボの頭の中からその件はすぐに消えていった。


 後から聞いた話では、自分とフレイヤの一部始終を見てしまったことによる刺激が強すぎたとか何とか――翌日、コアラからくどくど説教された。