王子さまは一人だけ


※『たしかに恋をしていた』の番外編

 結局何を渡していいのかわからないまま、ホワイトデー当日を迎えた日の朝。サボは、執務室で作業する部下たちから面白い話を聞いた。
『聞くところによると、日が沈んだあとにそれは光りはじめるらしいです』
『流通していないらしくて、店の主人が旅行で訪れたときに買ったんだとか。だから在庫も店頭にある分のみだそうです』
『普段は透明で、発光すると綺麗な青になるなんて不思議ですよねえ』
 何のことかというと、町の雑貨屋主人がある島に旅行した際に購入した不思議な花が巷で話題になっているのだという。その花は、島特有の環境で育つため流通させるのが難しく、これまでに何度も花を持ち帰った植物学者たちが品種改良を試みたが、成功することはなかった。
 一番の特徴は花を咲かせると、一年という長い期間発光する。日が沈んでから再び日が昇るまでの時間、毎日繰り返すらしい。不思議な生態だが、詳細はわかっていない。その話を聞いた瞬間これだと思った。
 こうしてサボは午後三時を過ぎた頃、ほとんどの仕事を片付けて急いで町に向かい、教えてもらった店の主人から例の花を購入した。すべてはフレイヤの喜ぶ顔が見たいという理由だった。

フレイヤ? たしか、子どもたちのところに行くって言ってた気がする」

 本部に戻ってきたとき、すでに日が傾きはじめていたが光るには完全に日が沈んで暗くならないといけないとのことなのであと三十分は猶予がある。途中ですれ違ったコアラにフレイヤの場所を聞いて、サボは急いで保護施設へ向かった。
 おやつを差し入れしたり、遊び相手になったりと彼女は子どもたちから慕われているが、サボには一人だけライバル視している人間がいる。子ども相手にムキになるなとコアラ達から口酸っぱく言われても、同じ女を好きでいる時点で立派な恋敵だろう。特に最近、色気づいてきたのかやたらと髪型や服装の感想をフレイヤに求めているのだ。彼女が自分以外を好きになることはないとわかっていても、そういう感情を向ける人間がいることが許せないというのは心が狭いだろうか。それも十三歳の子どもに対して。
 サボは店の主人が丁寧に包装してくれた鉢植えにそっと視線を落とす。不意に、この花を見たフレイヤの笑顔が浮かんで、早く会いたいという急く気持ちが歩くスピードを速めさせた。


*


 リュカには好きな女性がいる。
 十個も上の女性に抱くこの感情がただの憧れでないことはとっくの前に気づいていて、初めて会ってから数か月経った今も恋慕の情は消えてくれない。周囲の女子が「フレイヤちゃんにはサボくんがいる」と口うるさいのだが、リュカは耳を傾けなかった。そんなこと、あの告白をしたときからわかっている。
 今日がホワイトデーだというのは女子から教えてもらった。一か月前にフレイヤがバレンタインとして金平糖という不思議な砂糖菓子をくれた、その「お返し」をする日だという。
 やたらと張り切っている女子たちは、花冠とかいう王冠みたいなものを朝から作っていた。当然リュカも好きな人に何か返したいと思っているが、お金がかかるものは無理だし、かといって手先が器用ではない自分が女子のように手作りのものを渡すのは難しい。悩みに悩んだ結果、ちょうど施設の外に咲いていた中心が黄色で花弁が白い小さな花を見つけたのでそれを三本摘んで、女子に頼み白いリボンを茎のあたりに結んでもらった。味気ないが仕方ない。こういうのは真心が大事だというから、彼女ならきっと喜んでくれるはずだ。
 午後の三時半を回った頃、仕事を終えたフレイヤがリュカたちのもとへやってきた。今日もまたおやつの差し入れがあるのか、大皿に何かを乗せたトレイを持っている。良い匂いに誘われてみんなが駆け寄っていくが、今日はお菓子よりも先に「フレイヤちゃんに渡したいものがある」と言って彼女を囲った。

「渡したいもの?」
「ばれんたいんのおかえし!」
「私たちが作ったんだよ」
「お花のかんむり!」

 一斉に口を開いて、リュカより年下だが女子の中では最年長の子がフレイヤの頭に手作りの冠を乗せた。白とピンクという二色のシンプルな見た目だったが、純真な彼女にはそれがとても似合っていた。「みんなが作ってくれたの? 上手だね」と嬉しそうに話す彼女の笑顔が眩しい。綺麗に笑う人だという印象は最初から変わらないが、そうさせる一番の理由がリュカのライバルであり、敵わない男の存在であることがちょっとだけ面白くなかった。
 しかし、同じ人を好きになったからには自分も少しはアピールしたっていいだろう。たとえ彼女が振り向くことがなかったとしても。

フレイヤ!」
「あ、リュカくんこんにちは」
「おれも、フレイヤに"おかえし"用意したんだ」

 花冠をつけたままのフレイヤがこっちに歩み寄ってきて「本当? 嬉しいな」と目を細めた。ぎゅっと軋むような音を立てた心臓に気づかないふりをして、「これ」と摘んだばかりの三本の花を手渡す。花束というには稚拙でみすぼらしいが、小さくてかわいらしい見た目の彼女にぴったりだと思う。
 花が好きなことは知っていたからきっと喜んでくれるだろうと疑わなかった。ところが、彼女は目を見開いて花に視線を集中させたまま固まってしまった。もしや摘んではいけなかっただろうか。外に咲いていたとはいえ、勝手に摘んだらダメだったのかもしれない。

「もしかして、勝手にとったらいけなかった……?」
 不安になって恐るおそるフレイヤに尋ねる。
「……あ、ごめんね違うの。実は前にも同じことをしてくれた人がいて、ちょっとびっくりしただけ。ありがとう、綺麗なノースポールだね」

 受け取ったフレイヤは昔を懐かしむような表情で花を見つめた。どうやら花の名前はノースポールというらしい。当然リュカは知らない名だが、前にも同じようにこの花をもらったことがあるという。詳しく聞いてもいいか尋ねたら、少し恥ずかしそうにしながら語ってくれた。
 幼い頃、仲良くしていた男の子が自分と同じように、外に咲いていたノースポールを一輪摘んでプレゼントしてくれたらしく、押し花の栞にして使っていたそうだ。訳あってその男子とは離ればなれになり、自分も家を出ることになったため、栞はもう手元にないが大人になってから巡り巡って奇跡的に再会して、新たに花をプレゼントしてもらったことがあるようで、ちょっとだけ聞かなきゃよかったと後悔した。
 遠い日の記憶だと彼女は言っているが、表情から察するにずっと大切にしてきた思い出なのだと思う。リュカは顔も知らないその男子に嫉妬した。

「もう一つ、フレイヤに渡したいものがあるからちょっとしゃがんで」
「なあに?」

 屈託なく笑ったフレイヤが、リュカの言った通りに目線を合わせるよう屈んだ。柔らかそうな頬が目の前に差し出され、思わずごくりと唾をのみ込んだ。そして、勇気を振り絞り思い切ってそこに自分の唇を寄せる。刹那――ふに、と柔らかくて溶けてしまいそうな感触が唇から伝わって、リュカは火を噴きそうなほど顔を真っ赤に染めた。
 初めて触れるそこは形容するのが難しく、ただこれまでにリュカが感じたことのない、まるで夢心地のような感触で癖になりそうだった。女性の肌などリュカの覚えている限り母親の手の感触しか知らないが、彼女の肌は滑らかで気持ちいい。異性として好意を抱いていることを改めて実感する。
 キスされたフレイヤは目をぱちくりさせて驚いたまま自分を見ていた。どこかの地域では、頬へのキスは挨拶代わりだというし、ライバルがいない今なら思いの丈を伝えるチャンスだ。

「おれっ、フレイヤのこと――」
「このませガキ。おれのフレイヤに何してんだ」

 しかし、リュカの言葉は遮られ、目の前のフレイヤが誰かの手によって後ろに引っ張られ遠ざかる。「きゃっ」と小さく悲鳴を上げた彼女は、その誰かの腕の中に収まりしっかり抱かれていた。言うまでもない、リュカのライバルである。

「お前はガキのくせに油断も隙もねェな。人の女にキスしやがって」
「頬は挨拶の代わりだろ。ほかは全部サボのなんだからケチケチすんな」
「そういう問題じゃねェよ」

 男がむっとして言い返してきた。
 革命軍の参謀総長という仰々しい役職に就くライバルの名前はサボ。非常に不本意だが、フレイヤの恋人だ。そして悔しいことに、彼女はこの男にぞっこんである。リュカが入り込む余地は一ミリもない。
 サボの腕に抱かれたフレイヤの表情が、普段リュカが見ているものとは違う、安心したような顔つきに変わる。将来を誓い合っているらしく、彼女が心の底から信頼している相手だということがわかる。
 サボがフレイヤに何かを伝えたあと、差し入れに群がっていた子どもたちに向かって声をかけた。

「悪いなお前ら。フレイヤはおれがもらってく」

 菓子を手にする小さな背中が一斉に振り向いてサボを視覚に入れた途端、「二人ともまたくっついてる」とからかう声が飛ぶ。「フレイヤちゃん嬉しそう」「えっ、あ」指摘されたフレイヤがたちまち頬を染めて恥ずかしそうに笑った。悔しいが、彼女からこういう表情を引き出せるのはリュカのライバルだけなので、サボにはああいう発言をしているものの、邪魔したいわけではない。リュカが望むのは彼女の幸せだ。それを阻害してまで自分を押し通す気概は持ち合わせていない。
 とはいえ悔しい気持ちが拭えないのは事実なので、ちぇっと胸中で舌打ちして顔を背けた。もっと早く出会いたかったし、欲を言えば彼女と同じ年に生まれたかった。そんな詮無いことを考えていたリュカの前に誰かの影が落ちる。顔を上げると、「お花ありがとう、リュカくん」と微笑んだフレイヤが頭を撫でていき、そのままサボと施設を出ていった。


*


「頬は挨拶だよ気にしないで」

 自分で言ったものの、何かとリュカに突っかかるサボにはあまり意味ないかもしれない。頬へのキスは確かに挨拶としてよく利用される(もちろんフレイヤが住む地域ではないけれど)。親愛の意味が込められているので、友人同士でもよくあることなのだとか。
 施設を出たあと、渡したいものがあるからという理由で中庭に連れてこられたフレイヤはサボと二人でベンチに腰かけていた。ホワイトデーのお返しだというのは察しがついたものの、完全に日が沈まないと”それ”は現れないらしく、一体なんだろうと首をかしげるばかり。
 しかし本人はリュカの件が気になっているのか、少しばかりむくれていた。子どものキスなんて気にしなくてもいいのにと思うのだが、サボ曰く「フレイヤを恋愛対象で見てるなら年齢は関係ねェ」だそうだ。確かにリュカから何度かその手のアピールはあって、けれどそのたびに断りを入れている。リュカもそのあたりはきっと理解していると思う。
 むすっとしたまま吹き抜けの天井を睨みつけている彼の手元から薄っすら青い光が見えたのはそのときだった。例の渡すものだと思われる半透明の袋の中から何かが発光している。気づけば日が沈んでいることにようやく気づいた。

「ねえサボ。その持ってるもの、光ってない?」
「え?」

 サボの視線が天井から手元の袋に移動した。驚いた彼は「やべ、日が沈んじまったのか」慌ててがさこそと袋の中身を取り出した。
 中から顔を出したのは、文字通り発光している花だった。綺麗な青色の光で、花自体は透明……? 形はチューリップに似ているが、見たことない品種だった。きっとチューリップではない。

「……これ、どうしたの?」
「町の雑貨屋の店主が旅行先の島で見つけた不思議な花らしい。その土地でしか育たないんだが、花が咲いたら一年間は発光し続ける面白ェ花だ」
「そんなお花があるんだ。すごく綺麗、ありがとう。大切にするね」と笑って言えば、
「よかった。その顔が見たかった」

 サボの表情が和らぎ、伸びてきた手によって頬をくすぐるように撫でられる。二人きりのときだけに見せてくれる甘い顔がフレイヤを見つめてくる。
 植物に関しては、幼少期から図鑑や庭師のエメットに教わってそれなりに知識を得ていると自負していたが、この世界には未知の花がまだまだあるらしいことを今改めて実感していた。
 サボの話では、この青い光は日没から夜明けまでずっと見られるという。日中は一般的な花と変わりないのに、夜間だけ独特の生態を持つようで、おまけにそれが一年間続くというから不思議な話だ。どうやら今朝までホワイトデーの贈りものに悩んでいたところ、偶然この話を聞いて手に入れてきてくれたらしい(しかも仕事を早めに片付けてくれたという)。花が趣味の自分のために。そういう小さな気遣いが嬉しい。

「さっきね、リュカくんからもお花をもらったの」
「……おれ、あいつと被ってんのか」
「拗ねないで聞いて。実はね、そのお花が外に咲いていたノースポールだったんだ。覚えてる? 昔、サボがちょっと離れた公園で見つけたって言って私にくれたこと」

 先にリュカから花をもらった話にすかさず反応したサボを宥めて、フレイヤは経緯を説明した。人生で初めて贈られた花は、サボがくれたノースポールという一輪であること。偶然リュカがそれと同じ花を選んでプレゼントしてくれたこと。昔を思い出してちょっと懐かしくなったこと。
 サボと離れてから家を出るまで花束をもらう機会はいくつもあったが、フレイヤの人生において四歳のときにもらったあの花に勝るものはなかった。再会して彼との思い出を更新するたびに宝物が増えていくようになるまで。
 静かに話を聞いていた彼は、ようやく落ち着いた声でそういえばあげた気がすると軽く答えたので苦笑した。彼にはなんてことないプレゼントだったのかもしれないが、花が好きだというフレイヤを想ってわざわざ持ってきてくれたことにとてつもない喜びを感じたのを今でも覚えている。

「それで、リュカくんってサボに少し似てるなあって思ったの」
「やめろよ。あいつが選んだのは偶然だし、おれのほうが何倍も良い男だ」
 鼻を鳴らして心外だとでも言いたげな目を向けられ、思わず笑ってしまった。大人だと思ったらすぐ子どもっぽいことを言う。
「ふふ、なにそれ。でも……そうだね、まさかこんなに綺麗なお花をもらえると思ってなかったからすごく嬉しい」
「とはいえ、そのままにしておくのは癪だな」

 じろっとフレイヤの目――より少し下の頬にサボの視線が注がれる。腕を組んで考え込む彼を見つめながら、まださっきのことを気にしているのだと理解してくすぐったい気持ちにさせられた。ほぼ十歳離れている子どもにも妬いてくれるほど、自分を想っているのだと思うと彼のことがとても愛おしく思う。この先もフレイヤがサボ以外の人を好きになることなんてないのに。
 彼が唸っているそばで、フレイヤは改めて光る花を見つめる。島の名前がわからないけど、調べたらどこかの文献に載っているだろうか。少なくともフレイヤがこれまで見てきた図鑑にはなかったので、限られた資料にしか残されていない可能性がある。本部の図書館ならもしかしたらその資料があるかもしれない。

「上書きするのも嫌だし、おれはそれ以上のことをする」

 考え事をしている間にサボがようやく結論づけたのか、おもむろにベンチから立ち上がってフレイヤの前に立った。「……?」何をするのだろうと首を傾げていると、彼の顔がぐっと近づいてきてそのまま口を塞がれた。
 キスされていると気づいたときにはすでに遅く、身を乗り出してきた彼の膝がフレイヤの膝の間を割り、ベンチに背中を押しつけられたあげく、顎を掴まれて強制的に上を向かされた。
 ちゅっ、ちゅっと小鳥が啄むような可愛らしい口づけを交わして、唇を食まれたり、角度を変えて何度も重ねたり。全身から愛が伝わるキスだった。息継ぎをしながら、精いっぱいフレイヤも舌を絡めて彼に応える。

「リュカじゃフレイヤのこういう表情は引き出せねェよな」

 唇が離れたあと、ぼんやりしはじめた視界に意地悪そうな笑みを浮かべたサボが映る。フレイヤはしばらくぼうっとしながら彼の行動を見つめていたが、やがて我に返って「中庭でキスするのだめ!」と夢中になってしまった自分を棚に上げて彼に抗議した。