夏が来るから青春しよう
※学パロ
五月の中旬。
日の入り時刻が遅くなったこの時期では、放課後でもまだ太陽の光がさんさんと降り注ぐ。熱中症に気をつけましょうという警鐘が早くも流れてきているので最近の気候はどうかしていると思う。一般的に初夏と呼ばれるはずの季節はもうないのかもしれない。
制服のワイシャツが肌に張りつくのを不快に感じながら、北校舎へ続く渡り廊下を歩いていた。窓からは部活へ急ぐ生徒が昇降口から次々に吐き出されていくのが見える。じっとしているだけでも暑いのに、これからもっと汗をかかなきゃならないなんて可哀想だと思った。
昨日、掃除当番をサボって帰宅したことが担任に知られてしまったらしい(掃除時間に下校する自分の姿を職員室の窓から見たと言われて、間の悪い担任だと自身のことを棚に上げて文句を言う)。放課後にプール掃除しろと押しつけられ、ぶつぶつ文句を言いながら向かっているところである。
サボった自分が当然悪いが、だからといってプール掃除だなんて担任も酷いことを言う。水泳部というれっきとした部活があるのに、あいつらは他にやることがあるとか何とかとまるめ込まれた。コアラとロビンの三人で駅前にできた新作スイーツのお店に行くという今日の予定は延期である。
我が校のプールは北校舎からさらに第二体育館へ進み、その屋上に位置する。階段を上りきって、男女の更衣室を通り過ぎた先の扉を開ける。瞬間、むわっとした生ぬるい風に吹かれて制服のスカートが翻った。慌てて裾を押さえながらちらちらと周囲を確認して誰もいないことにほっと息をついたとき、
「一人追加になったって聞いて誰かと思えばお前だったか」
扉の陰から突然現れた二つの人影にぎょっとして、「ぎゃあ!」と可愛くない声が出た。
「ぎゃあってお前、可愛くねェ」腹を抱えて笑い出したのは黒髪のそばかす男。可愛くないという正直な表現にこめかみがぴくりと反応する。もう一人の金髪は必死に我慢しているが、口元を押さえているだけで笑いを隠せていないので同罪。まったく失礼な二人だ。
「そっちこそ。あと二人いるって聞いてたけど、まさかエースとサボだとは……なにやらかしたの?」
「やらかしたわけじゃねえっつうの。ちょっと弟の用事で係の仕事休んだらプール掃除だってよ、あのクソじじい」
その「クソじじい」の顔を思い出したのか、エースの口がへの字に曲がった。係の仕事はたぶん来月に控えた行事のことだろうが、掃除をサボった自分と似たり寄ったりではないか。まあエースたちにルフィという中学生の弟がいて何かと世話を焼いていることは知っているので、新作ゲームを購入するためという私的な理由で帰った自分とは雲泥の差があると思うが。
「で? ナマエはなんで掃除をやることになったんだ」
サボがニコニコしながらデッキブラシを差し出して聞いてくる。
袖をまくったワイシャツに、靴下を脱いでロールアップされたズボン。二人の素足が濡れているところを見るとすでに掃除を始めていたようで、プールの中にはホースが雑に放置されていた。
高校二年になってクラスが別れた彼らとは小中も一緒のいわゆる幼なじみだ。弟のルフィのことも当然知っているし、四人で遊んだこともある。高校入学後は新しくできた友人とつるむことが多くなったので接点は減ったものの、昨年は同じクラスだったので普通に話すし、クラスが離れてもすれ違えば会話をする。小学生ならまだしも高校生となった今、一般的な男女の幼なじみがべったりすることはないだろうが、クラスの男子よりかは仲良くしている節がある。軽口を叩ける間柄は気を遣わなくて済むのでありがたい存在なのだ。
そういうわけで、この二人とは腐れ縁のような関係で今もそれなりに仲良くやっているのだが、まさかこんなしょうもない理由で共同作業をすることになるとは。おまけに自分のほうが馬鹿馬鹿しい理由なだけに言いづらい。
「どうせあれだろ。なにかの発売日だかで掃除をサボったとかしょうもねェ理由だ」
「なんで知って――ッ」言いかけてから気づいたが遅かった。エースの口角が三日月型につり上がり、こちらをニヤニヤしながら見ている。しまった、はめられた!
「かまかけるなんてズルい……」
「騙されやすいんだよお前。だから変な男にも引っかかるんだ」
デッキブラシに両手をかけて体を支えているエースが気怠そうに言うので思わず眉をひそめた。聞き捨てならない。
「別に引っかかってないし」
「二股されてただろうが。ったく、そんくらい付き合う前に気づけ」
「……なんでそのこと知ってるの」
「今はンなことどうでもいいだろ」
全然どうでもよくないのでエースに詰め寄る。問い詰めても「さァな」の一点張りで口を割ろうとしない。
たしかについ先週まで付き合っていた一つ上の先輩がいたが、二股していることを友人伝いに聞いて一か月も経たないうちに別れることになった。しかし、この話は自分と親しい友人数人しか知らないはずで、エースたちに話した覚えはない。大体なぜエースにこちらの恋愛に関してあーだこーだ言われなければならないのか。
冷静に考えてもやっぱり納得がいかず、そっぽを向いて沈黙を続けるエースに痺れを切らしかけたとき、
「やめろお前ら。とりあえず掃除が優先だろ? ほら、お前はそのブラシで奥のほう洗ってこい。おれとエースはこっちの続きをやるから」
サボに宥められて、そのままプールサイド側に背中を押された。振り返って二人のほうを見ると、悪ィなと片手でごめんのポーズを作るサボとは正反対に仏頂面のエースはこっちを見てもいなかった。
*
弟のルフィが学校でケンカ騒ぎになったという連絡を受けて、エースとともに自転車をすっ飛ばして向かったのは昨日の放課後のことだ。来月にある課外教室の係の仕事が入っていたが、弟の一大事とあっては自分もエースも黙っているわけにはいかない。まあ行ってみたら友達同士のいざこざに巻き込まれただけという結末だったが。
こうして翌日、案の定担任からペナルティを課せられた自分たちはプール掃除という非常に気だるい仕事を押しつけられ、仕方なしに北校舎の屋上へやってきたわけである。来る直前に一人追加になったと聞いたものの、ひとり増えたところで時間短縮にはならない。あまり嬉しくない情報にどうやったら早く終わらせられるかとエースと話していたときだ。いざその人物が現れた瞬間、よく知る女だったので驚いた。
サボはデッキブラシを動かしていた手をいったん止めて、奥側で同じように掃除している彼女を振り返る。程よい短さのスカートから伸びるすらっとした足。一生懸命ブラシを動かすたびに揺れる彼女の馬のしっぽ。太陽を反射して明るい茶色が目立ち、まくっている袖から見える白い腕がやけに眩しく見える。
上履きと靴下がプールサイドに揃って綺麗に置かれているが、掃除の仕方は大胆というか大雑把でクスッと笑みがこぼれた。たかだか教室掃除を一度サボったがために、それよりさらに面倒な掃除をさせられている彼女を不憫に思いつつ、こちらとしては思わぬ幸運に感謝したいところだ。
と、しばらく彼女の様子を見ていたら横から粘着質な視線を感じて「なんだよ」と居心地悪そうに答えた。
「別に。あいつのことよく見てるなって思っただけだ」
「エースこそ。さっきはあんなに突っかかってお前らしくないな」
互いにつつき合って、けれど明確なことは口にしない。ピリピリとした緊張感を肌で感じつつ、サボはエースの言葉を待つ。
エースとはルフィとともに一緒に暮らす兄弟でありながら同い年ということもあって親友みたいな関係だが、何も自身のことをすべて打ち明けているわけではない。密かに抱く想いの一つや二つくらいある。たとえばそう――幼なじみの女に対する恋心とか。
以前エースは友人に「好きなヤツいねェの?」と聞かれたとき、「いねェ」とはっきり答えている。それが本心であるかはともかく、少なくともこの頃のエースは女より同性や自分、ルフィといった身内といるほうが楽しそうに見えた。
それが今となっては、こうして彼女の周囲にいる男に妙なガンを飛ばしているので仲の良い奴らからは番犬などと呼ばれていたりする。先ほどの二股クズ野郎の話も友人の友人から回ってきたのだが、実を言えば彼女から別れ話をする前にエースがその男の教室に殴り込みに行ってちょっとした騒動になったという裏話がある。やり過ぎだとサボは止める側に回ったものの、腹の底では同じ思いだったので一発くらいなら許してやってもよかったと彼女の顔を見たら今さらそんなふうに思った。
「なんかあいつ見てるとイライラすんだよ。ヘラヘラしやがって」
プールの床にその鬱憤をぶちまけるようにしてデッキブラシを乱暴に動かすエースは、どうして自分が苛々するのかという原因はわかっていないようだった。一生わからないでいてほしいと思うが、こういうのは些細なことがきっかけですぐに自覚したりするものだ。
「そうか。おれは、昔からあいつは可愛いと思ってるよ」
「はあ? 本気かサボ、ついにおかしくなっちまったのか?」
「失礼なこと言うな。おかしくなんかなってねェよ」
エースが奇異なものでも見るような視線を投げてくるのでさすがに反論しないわけにはいかなかった。
そもそも彼女にほかの男が絡んでくることを疎ましく思っているくせに、自分の気持ちがわからないなど今時小学生でもわかるだろうに。サボはやれやれといったふうに吐息してから兄弟を見つめる。
「エースは早くイライラする理由を見つけたほうがいいと思うぞ」
「なんだよそれ。どういう――」
「おーい! そろそろ流そうぜ」
エースの言葉を無視し、律儀にブラシを動かし続けている彼女に向かって声をかけた。気づいた彼女が勢いよく振り返り、左手の親指と人差し指で丸を作ってOKの合図を示す。
残念なことにホースは一本しかないので流すのは地道に端からやっていくしかない。彼女がプールサイドに上がってこっちまで駆けてくる。
「じゃあエースがホースで水をかけて、私とサボがブラシで洗い流すってことにしよう」
蛇口につながっているホースを伸ばしてもってきた彼女がエースに手渡す。先ほどの会話が嘘のように彼女のほうは気にしていない様子だったが、エースに関してはあからさまに引きずっているので「ん」という素っ気ない返事をした。
しばらくするとホースから水が勢いよく飛び出してくる。エースが四隅から側面に沿って豪快に流すのを追いかけるように、自分と彼女でブラシを使って洗い落としていく。担任に言わせれば、掃除は三日間かけて行うらしいので今日ですべてを終わらせる必要はない。まあプール掃除がたったの三人に務まるとは思えないので妥当だろう。そもそも水泳部が存在するのだから、彼らに残り二日間で頑張ってもらいたいところである。
激しい水流と床を磨く摩擦音。素足を濡らす水は冷たくて気持ちいいが、上から降り注ぐ太陽の光は勘弁してほしい。先ほどから拭ってもぬぐっても汗が噴き出てくる。ちらりと隣にいる彼女に視線を向けると、同じように首元に汗がにじんでいるのが見えて妙に生々しさを感じたサボはとっさにそこから視線をはずした。「紫外線はお肌の敵なの!」とか言って、日焼け止めをしっかり塗っている彼女の姿を思い出したが、運動部のくせにこの白さはどうなってるんだ。
「ねえちょっと。どうしてあのこと知ってるの……?」
邪な考え事をしていたら、横から小さな力でシャツの袖を引っ張られた。内緒話をするように彼女が若干背伸びしながら耳打ちしてくる。その仕草に男心をくすぐられて背中がこそばゆい。恋心を抱く幼なじみの女とプール掃除とは、青春マンガの一ページのように思えて仕方なかった。
しかし、当の本人は落ち着かない様子で早く教えろと言わんばかりにじっと見てくる。どうしてと聞かれても、お前に言い寄ってきた男を調べてたなんて馬鹿正直に言えるはずもなく、友人の友人がその先輩と知り合い(これは本当)で噂を聞いたと誤魔化すほかなかった。
「ふうん……そうだったんだ」
納得したのかそうでないのか、よくわからない反応だったがとりあえずその場しのぎにはなった。サボはすぐさま話題を変える。
「そんな男のことは早く忘れて新しい恋でもすればいいだろ」
「んーしばらく恋愛はいいかな。好きになれると思って試しに付き合ったようなものだし。正直二股されてたって聞かされたとき、ふざけるなとは思っても悲しくはならなかったんだよね」
デートもしてみたけど、気を遣ってばっかりで疲れちゃったから恋愛に向いてないのかも。自嘲するように笑った彼女を、サボは「そんなことねェよ」とフォローすることもできたがしなかった。しばらく恋愛しないならそれでいいと思ったし、これ以上彼女の魅力に誰も気づかないでほしいと思う。ただでさえ、強力なライバルが身近にいるのだから。
しゅんと落ち込んでしまった彼女に「そういうのは焦って作るものでもない」と当たり障りない言葉で元気づける。そうだよねと彼女が顔を上げたとき、
「うお、やべっ……」
黙ったまま作業に徹していたエースが突然大声を上げた。二人して振り返ると、なぜかホースがあらぬ方向――こちらに向けられている。
あ、と気づいたときには遅かった。水が勢いよく飛んできて制服を濡らしていく。「わっ」彼女もそれは同じだったようで、短い悲鳴を上げながら思いきり水をかぶった。
「バカエース、何してんだお前」
「わりィ。水の出が急に悪くなったから確かめようと思ってホースをこっちに移動させたんだけどよ、まさかこんな勢いよく出るとは思わなかった」
慌てて押さえたホースは元通りプールの床に向かって流れ続けているが、シャツやズボンが犠牲になった。まあこの暑さなのですぐに乾くだろうが。
「でもちょっと気持ちいいかも。暑かったし」彼女はポジティブにそんなことを言うとケラケラ笑いながら濡れてしまったシャツの袖をまくって半袖のようにしている。
「だろ? まァこの気温だし、すぐ乾く――ッ」
エースが途中で言葉を詰まらせたあと突然彼女から顔を背けた。心なしか頬が赤い。
なんだ……? サボは訳が分からず首を傾げたが、彼女のほうに視線を向けてようやくその理由に見当がついた。なるほど、慣れない男子高校生には少々刺激が強いかもしれない。かくいうサボも内心穏やかではなく、目のやり場に困ってとっさに視線を逸らした。ほかの女ならともかく、彼女に関して言えば冷静でいられない。
二人して黙ったまま目を合わせようとしない態度に彼女も変に思ったらしく、「二人ともなに。急に黙っちゃってどうしたの」と不思議そうに聞いてくる。
本当のことを言うべきか迷った末に、「あー」とか「んー」とか歯切れの悪い返しばかりするものだから、彼女がしびれを切らして「もー、さっきからなんなの。はっきりしなよ」とじれったそうに返す。ちらっと彼女の姿を視界に入れて、やっぱりシャツが濡れているし髪も少し水気を帯びていることにサボはため息をついた。
「……なら言わせてもらうけど、下着が透けてる」
「えっ!」
「早く気づけ」
なるべく彼女を見ないようにしつつ恨みがましく言うと、彼女は慌てて自身の体に目を向けた。直後、ようやく事態に気づいて「うわっ」と両腕で胸をかばうようにガードしたが、先ほどしっかり見てしまったのでもうあまり意味がない。
彼女の狼狽えっぷりに、ひとまず幼なじみでも異性として認識されていることにほっとする。これで「まあサボとエースなら別にいっか」と楽観的な発言をしたら説教しようと思ったところだ。
「えー、これどのくらいで乾くかな」
へばりつくワイシャツを恨めしそうに見つめて唸る。
このまま帰ったらさすがにまずいよね、と能天気すぎる台詞に頭を抱えたくなった。前は鞄で隠せても後ろは無理だろう。エースが怒る気持ちもすごくわかる。こいつは隙がありすぎる。
「ったく、騒がしい女だなおめェは」
「はあ? 元はと言えばエースの――って、わ、なにっ……」
あれから静かだったエースがいつの間にかプールサイドの隅に置いていた自身の鞄からジャージを持ってきて、彼女に無理やり着せた。いまだに赤く染まった頬を隠すこともせず、律儀に視線をはずしながらきっちり首元までファスナーを締めてやる献身的な態度に、サボは吹き出しそうになった。不器用な奴だが、基本的に優しいんだよなァ。
「これで文句ねェだろ。悪かったな、水ぶっかけちまって」
「……」
「……なんか言えよ」
反応がない彼女に今度こそエースの顔が彼女に向けられる。恥ずかしそうにする親友と目を見開いて固まる幼なじみを複雑な想いで見つめながら、けれどあいにく自分はジャージを持ち合わせていなかったので仕方ないと言い聞かせる。
そんなこちらの思いも知らない彼女は、しばらくしてから名案だとでも言いたげに手を叩いて感動していた。
「なるほど、この手があったね! ありがとうエース、ちょっとぶかぶかだけどないよりマシだもんね」
よし、さっさと終わらせよう。
急にやる気を出した彼女は、ブラシを持ってひとり先にプールの奥へ行ってしまった。軽やかな足取りにエースが「こっちの気も知らねェで、暢気に鼻歌なんか歌いやがって」と、ぼそぼそ愚痴っぽくこぼす。サボに言わせれば、お前こそあいつのことなんとも思ってないんじゃなかったのかと問いたいところだ。
きっかけなんてどこに転がっているかわからない。できれば知らないままでいてほしかったが、きっと時間の問題だったのだろう。何も女の趣味まで合わなくていいのに、とサボは胸中で嘆いた。
「エース。顔赤ェぞ」
「うるせェ、生理現象だ」
何が生理現象だ。ついさっきまで可愛くねェとか言ってたくせに。
「まあそこは別にいいけど……にしても、」いったん言葉を区切って、楽しそうに掃除している彼女に目を向ける。下着は見えなくなったが、その代わりにサイズが合っていないジャージが性癖を刺激してくるので結局目のやり場に困る。「あれはあれで結構クるものがあるな」「やめろサボ。見るな」独り言のつもりで呟いたら見事エースに聞かれていた。見るなと言われてもエースの了承を得る必要はどこにもないのだが。
「無茶言うなよ」
やっぱりまだ顔が火照っている親友を見ながら、サボは眉を下げて笑った。
今はまだこれでいいのだと自分に言い聞かせる。いつか来るその日まで。