カーテンコールはやってこない

 ここは都内の一軒家。そこには椎名家が住んでいます。長男の翼は友人たちを呼び、テーブルを囲んで何やら真剣に取り組んでいました。翼を除くと、男子が四人に女子が一人。それぞれ白い紙の束を持っています。

「君はとても疲れているみたいだけど、どうしたの?」

 テーブルの入口近くに座っている少女が翼に向かって問いかけました。何も本人に言っているわけではなく、これは役柄の台詞です。
 そう、彼らは今度披露する劇の練習をしているのです。飛葉中サッカー部員である彼らは、監督の西園寺玲の策略によって文化祭で劇を演じることになってしまいました。最初は全員が猛反対しましたが、どうやら大人の事情でどうしてもやらなければならないらしく、渋々彼らは十月の文化祭に向けて練習しているところなのです。
 先ほど台詞を読み上げたサッカー部マネージャーの少女は、主人公であるロバを演じることになりました。彼らが演じる劇はグリム童話で有名な"ブレーメンの音楽隊"でした。
 話しかけた相手――イヌ役の翼は答えます。

「実は俺も年を取って体が日に日に弱ってんだ。狩りに出ても昔のように獲物を捕まえることができない。そのせいで主人が俺を殺そうとするんだよ。だから慌てて逃げてきたってわけ」

 疲れている割には言い方がとてもクールで年を取っているようには聞こえませんでしたが、誰も文句は言わずそのまま少女が続けます。

「それならこういうのはどう? わたしはこれからブレーメンへ行って、あの町の音楽隊に入ろうと思っているんだけど、君も一緒に行って音楽隊で雇ってもらったらどうだろう。わたしはギターをひくから、君は太鼓を叩きなよ」

 この言葉にイヌは大喜びして、二匹は一緒に旅に出かけることになりました。
 紙をめくる音が響きます。物語は続き、ロバとイヌがしばらく歩いていると、今度はネコが道端に座り込んで三日も雨に降られたようなひどい顔をしていました。ロバは尋ねます。

「あら、ネコさん。何をそんなに困っているの?」

 ネコ役は翼の隣に座る黒川柾輝が演じます。

「俺はこの通り年も取っちまったし、歯もきかなくなった。ネズミを追いかけ回すより、ストーブの前でゴロゴロしてるほうが好きなんだ。ところが、ご主人はそんな俺を川の中へぶち込もうとしたんだよ。だから急いで家を飛び出したのさ。かといって、行く宛もねえから困ってたところだ」

「なら、わたしたちと一緒にブレーメンへ行こうよ。きっと君も雇ってもらえるさ」

 ロバがそう言うと、ネコはいい考えだと答えて二匹についていくことにしました。
 紙面上ではネコは一応お婆さん猫ということになっていますが、柾輝はそれを無視して自分流のネコを演じています。少女はおかしく思いながらも、あえて何も言わずに物語を進めようと再びページをめくりました。
 やがて三匹はとある屋敷のそばを通りかかります。すると、門の上に一羽のニワトリがとまっていて、何かを叫んでいました。

「君は大きな声で叫んでいるみたいだけど、一体どうしたの?」

 ロバが尋ねました。

「いい天気だと知らせてんだよ。今日は聖母様の日だからな。ただ、明日になったら大勢の客が来るらしくて、この俺をスープにして食べちまえって、奴が料理人に言いやがったんだ。だから、俺は今夜首を切られて死ぬ」

 せめて声の出せるうちに鳴いているのだ、とニワトリは主張しました。
 ニワトリを演じるのは翼の向かいに座っている畑六助です。なんだか随分言葉遣いの荒いニワトリでしたが、少女は笑いを必死でこらえながら続きの言葉を話します。

「殺されることがわかってるのに、なんで逃げ出さないんだ! いや、そんなことよりわたしたちと一緒に来ない? ブレーメンへ行くところなんだけど、死ぬくらいならそれよりもマシなことはきっとある。それに君は良い声を持ってるし、一緒に音楽をやろう」
 この提案をニワトリは大変気に入り、四匹はそろってブレーメンを目指すことにしました。しかし、思った以上に遠く一日ではたどり着けそうもありません。

「なんでだよ、そこは頑張って歩けよ」

 突然、台本にはない台詞が叫ばれました。声を発したのはニワトリ役の六助です。物語に対して鋭い突っ込みを入れていますが、誰かのオリジナルならまだしも、グリム兄弟が各地に伝わる昔話を集めた童話集のうちの作品であり、文句を言ったところで物語は変わりません。
 しかし六助の言葉に翼や柾輝までもが賛同し始めて、練習が中断してしまいます。

「お前らなに文句言うてんのや。俺らなんかドロボウやぞ」
「ほんとふざけんなよなーなんで俺らがドロボウやらなきゃなんねーんだよ」

 ここにきて、ずっと黙っていた劇に参加する残りの二人――関西弁のほうが井上直樹、そしてもう一人が六助の兄である五助です。
 彼ら二人が演じるのは、このあとロバたちが歩き疲れて一休みしているところに見つけた一軒の家に住みついているドロボウたちでした。どうやら二人は配役に不満があるようです。

「それにこのあとの展開読んだら、お前らに追い払われるやんけ。納得いかん!」
「んなこと言われたって仕方ねえだろ。そういう話なんだから」
「大体ジャンケンで公平に決めただろ? 文句言うな」

 柾輝と翼からもっともなことを言われて言い返せなくなった直樹は悔しそうに唇を噛みしめました。確かに配役は監督からの指示ではなく、自分たちでジャンケンして決めたものなので文句を言うことはできません。

「……にしても、ブレーメンの音楽隊って本当はブレーメンへ行ってねーんだな」

 ぺらぺらと台本をめくっていた六助が驚きながら呟きました。これにはロバ役の少女も強く頷いて「私もそれ思った」と同意しました。
 グリム童話は数多くあり、どれも子供の頃に絵本で読んだり、アニメで見たりすることはありましたが、ブレーメンの音楽隊に関してタイトルは知っていても具体的な話の内容は知らなかったからです。

「ドロボウがいた家に住みちゃうんでしょ? それはそれでどうなんだろう」
「確かにな。しかもドロボウを追い出した上に食べ物や飲み物をもらっちまうんだろ? ロバたちもなかなかやるよな。グリムってやつぁ、かなり鬼畜だぜ」
「お前ら昔話に文句つけるなよ。こういうのはいろんな場所で伝承されてきた内容なんだ。それに六助、グリムがこの話を作ったわけじゃない」
「え、そうなんか翼」
「なんだよ、お前らそんなことも知らないで劇やろうとしてたわけ?」

 翼が呆れた口調で少女たちを見まわします。どうやら六助だけではなく、翼以外は全員グリム童話がグリムによって創作された物語だと思っていたようでした。

「さすが翼。よくご存じで」
「知らなすぎなだけだろ。グリム兄弟は有名人だ」

 少女が嫌味っぽく言いましたが、翼は物ともせず当然だとばかりに胸を張って答えました。そのあともしばらく物語に対する突っ込みが絶えず、やいやい言っているうちに、集中力が途切れて劇の練習は中断してしまい、その日は結局お開きになりました。


*


 翼の家で夕飯を食べたあと、監督の指示で少女は翼に送ってもらうことになったので夜道を二人で歩いていました。柾輝たちは先に帰っていったので、この場には少女と翼の二人です。
 グループでいるとわいわい騒ぐことが多いですが、盛り上げ役である直樹や畑兄弟がいなければ案外二人とも会話は少ないほうでした。まあ翼のほうは喋りが得意なので口を割らせれば、滝のように言葉が溢れてくるのですが。

「そういえば玲ちゃん、なんでブレーメンの音楽隊なんか選んだんだろう。もっとほかにあったはずなのに」

 閑静な住宅街を歩きながら、少女はぽつりと疑問に思っていたことを口にしました。あえて触れずに言われるがまま練習していましたが、どうして数あるグリム童話の中から"ブレーメンの音楽隊"を選んだのか、少女は気になっていました。そもそも人間がドロボウしか登場しない物語なので、逆にやりづらさのほうが大きいのです。
 しかし、その疑問に翼はあまり気にしていないふうに「気まぐれだろ」と答えました。

「玲、ああ見えて結構面白いことが好きだからね」
「まあそれは否定しないけど……」
「俺たちが動物演じるのを面白がってんだよ。文化祭だか何だか知らないけどよくやるよな」

 さすが、はとこのことはよく知っているという口調です。
 彼女は飛葉中サッカー部の監督でありながら、東京都選抜のコーチ――後に監督――に就任したこともあって、かなりのやり手だということは飛葉中のサッカー部員なら誰もが知っていることでした。今さら何も言う気はありませんが、全校生徒の前でロバを演じる中三女子というのもなかなかいないのではないかと思わなくもありません。
 こうして会話が弾んできたところで、少女の家が見えてきました。翼と少女は幼なじみなので家も近いのですが、スーパーやコンビニのないこの辺りは夜になると人通りが少ないので監督が心配して、毎回翼に少女を送らせるのです。といっても、少女的には翼の顔のほうが断然可愛らしいのでむしろ心配なのは帰りが一人になる翼のほうなのですが、彼は武道を心得ているので問題ないと決まって言います。

「じゃあ、あとは一人で大丈夫だよな」
「うん、ありがとう。いつもごめんね」
「……なんだよ、急に。別にいいって言ってるだろ」

 少女がらしくない言葉を口にしたからか、翼は不意を突かれたように、けれど慌てて答えました。その様子に思わずクスリと笑みをこぼした少女は、彼の照れている姿を見なかったことにして手を振ります。

「はーい。じゃあまた明日、学校でね」

 翼は手だけで答えると、しばらくそのまま立っていました。少女が玄関に入るのを見届けるまで、彼は律儀に待っているのです。その優しさに胸が熱くなるのを感じながら、少女は中学最後の文化祭に翼たちと参加できる喜びを噛みしめたのでした。