ワンダー・サテライト・ランド


※このお話は中編オルレアンの番外編です。先にこちらを閲覧することを推奨しています。

 十月のおわり。世間はハロウィン一色であり、どこもかしこもお化けカボチャやコウモリといったハロウィンの装飾品でいっぱいだった。もともと他国の文化であるが、ここ十数年はお祭り感覚で楽しむ人が増えているのでもはや最初から存在した伝統的なイベントだと思わなくもない。
 そしての通う学校はなぜかこうした季節のイベントに力を入れる傾向があって、九月の後半になった途端校内はハロウィンの装飾で染まった。生徒会が力を入れているらしいとは噂に聞くが、絶対ほかに協力者がいるだろうとは思う。そうでなければこんな派手にはならない。至るところの掲示板が黒とオレンジ、ときどき紫で埋まってるあたり、案外教員たちもやる気に満ちているのではないか。

「しかしよくやるよなァ」

 下校時刻を過ぎ、昇降口は家路につく生徒で溢れかえっていた。も同じようにその流れにのって、この春仲良くなったサボと下駄箱にいるのだが、どうやら彼も同じことを考えていたらしい。実は昇降口にも装飾がされており、大きく「トリックオアトリート」と書かれたポップで少し不気味な掲示物が飾られている。
 それを見たサボの感想が今の台詞なわけで。呆れつつ、でもどこか楽しそうな表情をする彼はたぶんこういうイベントが好きな人間だ。

「いやいや、サボたちこそ。こんなの送ってきてめっちゃ楽しんでるよね?」

 こんなの。というのはの手に握られた一通のカードだ。どこで手に入れたのか、上質なベージュ色の台紙に本文が書かれた中紙をはさんで二つ折りされているそれは、しかし不格好な字で「しょうたいじょう」と書かれていた。おまけに多分カボチャと思われるイラストがいくつか。字体や絵柄から察するにやサボの後輩ルフィである。漢字が苦手なのか彼のノートやメモは大体ひらがなが多く、逆に読みづらいこともしばしば。
 事の始まりは数分前。部活もない今日はそのまま家に帰る予定だったのだが、教室を出たの前にサボがやってきたのだ。てっきりエースに用事かと思えば、彼は今日休みだったことを思い出して「はいこれ」と渡されたのがこのカードである。
 見た目から何かの招待状であり、差出人はAとSとLの三つのアルファベットのみ。つまりエースとサボとルフィの三人だ。訳が分からないという意味を込めてサボの顔を見上げたものの、彼は強引にの腕を引っ張って歩き出す始末。
 説明もないまま、下駄箱に連れられて今に至る。

「いいだろ? ルフィが一生懸命書いてた」
「悪いとは言ってないよ。ただ、手が込んでるなっていう話」

 靴を履いて学校を出る。サボと並んで、向かうは初めて訪ねる彼らの家だ。日の沈む時間が早くなったせいで、四時半を過ぎたら空の色は青と赤が入り混じっている。
 簡潔に言えばカードには、彼らの家でハロウィンの宴をするから今夜来られたしという内容がもっとざっくり書かれていた。パーティーを宴と呼ぶのは高校生にしては渋いが、まあそこは百歩譲ったとしても当日急に家に来いと言われる人間の気持ちを彼らは完全に無視している。
 エース、サボ、ルフィ。彼ら三人とはこの春、とあるきっかけから知り合った仲だ。複雑な家庭事情で今は知り合いのお爺さんの家に三人で住んでいるらしい。高校生でありながらバンドを組んで、ライブも定期的に行っている彼らは知る人ぞ知る有名人である。
 そんな三人から宴の誘いを受けたは、何も予定がないので向かうことに承諾したわけなのだが。

「そりゃあ頑張って準備したからな。楽しみだ」
「ていうか、私に予定があったらどうしてたの?」
「んー? まァそんときゃ、うまく言いくる――なんとかなるだろ」
「いま言いくるめるって言おうとしたよね」
「細かいことはいいじゃねェか」

 全然よくないのに、サボはよほど宴が楽しみなのか足取りが軽くスタスタ先をいく。出会ったときから自由人の気質はあったが、サボを含め彼らはとにかく規律というものをあまり意識していない。それゆえに振り回されるのはいつだってだということを、このあと思い知る羽目になる。


*


 彼らの家は学校から自転車で三十分も離れた場所にある、少し不気味な外観をしていた。いや、不気味なのはハロウィンだからかもしれない。やけに凝った装飾がされており、今にもそれらしいキャラクターが出てきそうである。
 例のお爺さんは現在家を離れてあちこちを旅しているらしく、実質三人で暮らしているのだとか。生活能力があるとは思えなかったが、三人寄れば文殊の知恵というし何とかなっているのだろう。どのみち自由人の集まりだからきっとすべてのことにおいて適当に違いない。
 どこかの屋敷のような門をくぐってアプローチを歩いていく。物々しい雰囲気の中、玄関までの道のりがやけに遠く感じられた。そういえば、帰りはサボしかいなかったが二人は家にいるのだろうか。そう聞こうとしたとき、突然目の前に何かが飛び出してきた。

「トリックオアトリート!」
「ひっ……」

 尻もちをついたのは言うまでもなく、の前にいたのはエースとルフィ――ではなく、狼男の恰好したエースと(たぶん)悪魔の恰好したルフィだった。
 狼男を模したエースは本格的な狼の毛皮をまとっており、手はまさしく狼のそれだ。引っかかれたら大怪我しそうである。変わってルフィのほうは、可愛らしく角と羽をつけたデーモン姿だ。肩にコウモリの置物が乗っている。
 どうやらハロウィンらしく仮装して出迎えてくれたようだが、本格的すぎるしいきなりすぎるしでの受け止め可能領域を完全に超えてしまった。つまり腰が抜けたのである。

「かなり効いてんなァ」
の奴、腰抜かしてるぞ」
「おい、立てるか?」

 立てるわけがないのに、この二人ときたら先ほどから笑ってばかりだ。まるで助ける気はなく人の無様な姿を楽しんでいる、ように見える。わかってたことだが本当にマイペースである。
 エースのいつもより何倍も狂暴そうな腕を掴んで立ち上がったは、ふと先ほどまで一緒にいたサボがいなくなっていることに気づいて首を傾げた。先に家に入ったのだろうか。

「あれ、サボは?」
「あーあいつなら用事があるって先に中に入ってったぞ」

 言って、エースは玄関のほうを指さした。
 用事があるって今からハロウィンパーティーをやるだけではないのか。の疑問は、しかしぐいっと視界に現れたルフィによって遮られた。目を輝かせて何かをねだる仕草を見せている。

「えっと、なにかなルフィ」
「なにって、そりゃァ食いモンだよ。トリックオアトリートって言ったじゃねェか」
「あーお菓子ね……って、あるわけないでしょ。急に連れてこられたんだから」
「ちぇっ……持ってねェのか」
「おい。食いモン持ってねェならわかってんだろうな」
「えっ、ちょ、なに――」

 二人が少しずつ距離を詰めてくるので思わず後ずさりして距離を保とうと必死になる。にやにやと悪巧みをするような顔でに近寄る姿は、仮装のおかげとでもいうのか怖さ倍増だ。エースもルフィも、出会った頃に比べてだいぶ心の距離が縮まったのは喜ぶべきことだったが、こういうところで発揮されては困る。
 トリックオアトリート。ハロウィンで子供たちがお菓子をもらうために使っている言葉であり、お菓子をくれなきゃいたずらするぞといった意味合いになる。も昨年は仲の良い友人たちと一緒にお菓子を持ち寄って小さなパーティーを開いたものだが、訳あって今年はひとりぼっちだったところを突然彼らに呼ばれたといった具合だ。
 とはいえ、この状況は予想していなかった。宴というからてっきりもてなしてくれるのだと思っていたのに、菓子を要求された挙句持ってないからいたずらすると二人は意気込んでこちらに向かってくるとは。彼らの考えるいたずらなど想像もつかないが、きっとろくな内容じゃないことは確かだ。だからハロウィンのお化けよろしく歩いてくる二人に向かって、近づくなという仕草をした。
 その直後――

「なんだよ。おれも仲間に入れてくれよ」

 後ろから声をかけられたかと思えば、首元に大きな鎌があてがわれた。大きなそれは本物なのか偽物なのかもはや区別がつかないほどで、少しでも動いたらの首に触れてしまいそうだった。人間本当に驚くと、声ではなく声にならない何かを吐きだしてしまうらしい。は目を見開いてしばらく硬直する。
 数秒後に冷静さを取り戻すと、切れ味が鋭く見える刃を避けてゆっくりと振り返ったの目に映ったのは、不気味な笑みを携えた白い面をかぶる誰かだった。しかし、エースとルフィのほかにこの家にいるのは一人しかいない。

「サボ、なの……?」

 サボと思しき白い面の誰かは、黒いフード付きのマントに身を包み、大きな鎌を振るう、言うなれば死神の仮装をしていた。よく見れば面からはみ出る髪の色が彼と同じ金色である。やはり死神の正体はサボなのだ。

「いいだろ。三人でそれぞれ選んで仮装したんだ」面をはずした彼はニッと笑って楽しそうにマントを翻す。確かに三人とも似合っているが、何もを驚かせる必要性はまったく感じない。普通に登場してほしい。
「……」
「サボ。こいつ食いモン持ってねェらしいから、いたずら決定だぞ」
「そうなのか? 残念だったな

 残念だったな。台詞と表情がちぐはぐで、かわいそうなどと微塵も思っていないことがわかる。サボはこの三人の中で唯一、話がまともに通じる人だという認識だが三人そろってしまえば話は別だ。悪事を企てる側となった彼をは止める術がない。

「……サボはわかっててここに呼んだんでしょ! せめてコンビニくらい寄ってくれてもいいじゃん。なんでいたずらされる前提なの」
「ンなもん決まってんだろ。おもしれェからだ」なぜかエースが胸を張って答えた。けれど、全然理由になっていない。面白いからという理由が通じるなら世の中なんでもまかり通ってしまう。まあ彼らに秩序というものを求めること自体が無理難題ではあるけれど。
 宴に呼ばれたはずが、の目の前には怪しい笑みを浮かべる仮装した狼男と死神と悪魔。想像していた宴と違い、ただこの三人のターゲットとなるために呼ばれたのではないかと思わざるを得ない。まだここは玄関でもない、ただのアプローチである。

「いや、だから三人そろうと怖いんだってば……」

 一体何をするつもりなのか。徐々に近づきつつある彼らとの距離に、はもはやなす術なく流れに身を任せるまま覚悟を決めたように向き合う。
 からかうのが好きな彼らのことだ、どうせ虫とかロシアンルーレットとかそういう類のいたずらに違いない。ハロウィンだからもしかしたら血みどろの何かを用意して驚かせようとしている可能性も捨てきれない。いずれにしろ、いたずらに付き合わなければならないのが億劫だった。後ろ手に何かを隠し持っているようだし、ますます不安が拭いきれない。下校前の高揚感から一転、気分が沈んでいく。
 そうして眼前に迫ったエースたちが口角を上げて、隠していた"何か"をの頭上に突き出した瞬間――
 パンッ。
 空気が破裂したような音が三回連続して聞こえた。あまりの衝撃音には「ぎゃー!」と可愛くない叫び声とともに尻もちをついてしまう。なにが、起きたんだろう……。
 しばらく呆然としたあと視線を制服に移せば、カラフルな紙吹雪と細いテープが散らばっていることに気づいた。

「え、これってクラッカー……?」
「なっはっはっはっはっはっ」
「いい具合にビビってやがるな」
「あははは。"ぎゃー"はさすがに想像してなかった」

 悠長に思い思いの感想を述べているエースとサボに、腹を抱えて笑い転げるルフィ。いたずら成功かと問われれば、ある意味想像もしていなかった内容で不意打ちをくらったから成功したのだろう。しかし、三人が考えるいたずらにしては面白味に欠けている気がした。される側が言うのもおかしな話であるけれど。
 ぽかんとするに、サボが笑いながら驚かせてごめんと謝ってきた。

の歓迎会でもあったんだ」
「歓迎会?」
「うん。これからバンドにも参加する回数増えるだろうし、おれたちの仲間ってことで家に招待することにしたんだよ」
「リーダーのおれが認めたんだ、ありがたく思え」

 友好的なサボの態度に比べてエースの言い方は若干トゲがあるが、彼なりの受け入れ方なのだろう。数か月一緒にいてわかるようになってきたことの一つだ。
 そうか。私は彼らに本当の意味で受け入れてもらえたんだ。だからこうして家に呼んでくれたのだ。
 他人を自分の家に呼ぶことは勇気がいる。少なくともにとっては、自分の心の内をさらす行為と同等の意味を持っていた。じんわりと心が温かくなっていくのを感じながら、は地べたに座ったまま相変わらず楽しそうにする三人を微笑ましく見つめる。

「改めてこれからよろしくな、
「おれらの足を引っ張るなよ」
「早くメシにしよう」

 無秩序な世界の片鱗を見たは、その光景に自然と溶け込むように「私もお腹空いた」とルフィの言葉に賛同する。四人の笑い声が薄暗い家を明るく照らし、瞬く星が静かにたちを見守っているような気がした。
 こうして、彼らとのハロウィンの夜は更けていく。