おはよう眠り姫

※このお話は『眠り姫』をモチーフにした童話パロです。そのため昔話風にですます調で話が進行します。

 ハートの海賊団を束ねる船長、トラファルガー・ローがその話を聞いたのは一つの任務を終えて戻ってくる道中のことでした。仲間の一人が熱を出して寝込んでいるというので、医者である彼は気になって仕方ありません。船員たちの体調管理も船長である彼の仕事のうちの一つだからです。
 急いでポーラータング号へ戻ってきた彼は、医務室で寝ているらしい仲間のもとへ脇目も振らずに向かいました。思わず勢いよく開けてしまった扉の音に、傍で看病していたミンク族のベポが静かにしてという仕草をしたので、「悪い……」彼は素直に謝りました。

「で、どうなんだ容態は」
「熱が高かったからさっき鎮静剤を打ったよ」
「そうか……」

 ベッドで静かに眠っているのはハートの海賊団の戦闘員である女性です。最近、加入してようやくベポたち船員とも打ち解けてきた矢先の出来事でした。思えばこの個性的な面々(一部ミンク族もいますが)の中で、ずっと空気を張りつめていたのかもしれません。女性の船員はほかにもいますが、やはり船長を筆頭に何かと一癖も二癖もあるメンバーがそろっているので馴染むのが大変だったのでしょう。疲れが溜まっていたに違いありません。
 ベポに礼を伝えたローは看病を交代するといって近くの椅子に腰を下ろしました。ベポは小声で「お大事にね」と女に向かって呟くと静かに医務室を後にしました。


 女と二人きりになったローはその眠る姿をじっと見つめながら、彼女がこの船に入ってきたときのことを思い出していました。
 怪我や軽い病気に効果がある薬草を採取するため、とある島に上陸したハートの海賊団の一行は森の中にぽつんとある一軒家を見つけました。こんな森の奥に住んでいるなんて一体どんな奴だと彼らは不審に思いながら、その家を訪ねてみたところ、中には三人の魔女が住んでいました。
 噂に聞く魔女と違って彼女たちは人間に優しく、手料理でもてなしてくれました。この世界で聞く"魔女"というのは、もっと恐ろしく人間を陥れるような存在だと聞いていたので呆気にとられます。
 彼らは島に立ち寄った事情を説明し、ついでに海賊であることも伝えました。顔を見合わせた三人の魔女は何やらこそこそ話し始めたかと思うと、やがて二階から誰かを呼びつけました。下りてきたのは若い二十歳くらいの、茶色のワンピースに上からベージュのエプロンを着た質素な雰囲気の娘でした。
 魔女たちと暮らしているのが不思議なほどどこにでもいるような恰好をしていましたが、それよりも彼らが目を奪われたのは彼女の声です。よく鈴の鳴るようなとは言いますが、本当にそうした声を持つ人間に会ったことはありません。だから、まさしく玲瓏な響きを持った彼女の声は衝撃的と言っていいほど彼らにとって大きな出会いでした。
 さらに驚くべきことに、魔女たちはその娘を一緒に連れて行ってはくれないかというのです。何を言われたのか一瞬の躊躇いが生じたものの、ローはすぐに首を横に振りました。ずっと森の奥で暮らしていた人間が急に海へ出て――それも海賊として、だなんて生きていけるわけがありません。ローの言い分はもっともです。
 しかし、魔女たちにも事情がありました。
 それは、娘が邪悪な魔女によって呪いをかけられているというのです。二十歳の誕生日を迎えるとき、娘は何かの針に刺されて死ぬと予言されました。それを阻止するように、魔女たちが「死ぬわけではなく、眠るだけ」という魔法に書き換えましたが、彼女の両親は安心できずに島中の針という針を捨てさせたといいます。さらに娘を邪悪な魔女から隠すよう森の奥へ住むように三人の魔女たちに言いました。
 こうして二十歳を迎えるまで大人しく四人で暮らしていたところに、ローたちハートの海賊団がやってきたというわけです。娘はあと数か月で二十歳を迎えるというので、できれば邪悪な魔女の目の届かない島の外へ連れ出してほしいというのが彼女たちの願いでした。
 突拍子もない話でしたが、ここは"偉大なる航路"の上、そうした不思議な話があってもおかしくありません。隣でベポたちが驚きに声をあげて騒いでいました。
 海賊としてこの娘がやっていけるとは到底思えませんでしたが、ローはこのとき「連れ出してほしい」という言葉を「連れ出すだけでいい」という都合のいい解釈をして捉えました。何も一緒に海を渡る必要はなく、安全な島で下ろしてやれば二十歳近い娘なら生きていけると思ったのです。
 善は急げということで急きょ娘の両親も訪れ、あれよあれよという間に彼女の旅立ちが決まりました。当の本人は訳もわからず、ただ流されるまま海賊船に乗ることとなってしまいましたが、どのみち途中で下ろすことになるのだからあまり関係ないだろうと、このときのローは浅はかな考えでいました。


 いつの間にか自分も寝てしまっていたことに気づいたローは背中を起こして、目の前の女性の様子をうかがいました。先ほどと変わらない姿勢で眠っていました。不思議なことに、本当に変わらないままです。ぴくりとも動いていません。一体どういうことでしょう、あれから数時間が経っていました。
 さすがに違和感を覚えたローは椅子から立ち上がると、すぐさまベポを呼びに行きました。食堂でペンギンやシャチと食事をしていたベポが慌てて医務室に来ると、しかし確かに鎮静剤を打ったと言います。一向に起きる気配を見せない彼女の姿を見て、騒ぎに駆けつけてきたペンギンがとんでもないことを言い出しました。

「キャプテン、もしかしてこれが例の呪いってやつなんじゃないですか?」
「……なんだと」
「ほら、彼女を連れてくるときに言われた呪いがあったでしょ。この状況絶対それっスよ」

 ペンギンの言い分は、ベポの打った鎮静剤の注射が針の代わりとなり、眠ったまま起きないのではないかということでした。もし本当にそうなら、呪いとはどれほど距離が離れようと関係なくふりかかるものだということになります。とはいえ、針が注射というのは後付けのような気がしていまいち納得できず、しっくりこない部分もあったローは険しい表情で呟きます。

「一理あるとは思うが……到底信じられねェな」
「でもこんな寝息が静かなんて鎮静剤打っただけとは思えないね」
「――ってことはキャプテン。わかってるんだよね?」
「……ああ」

 ローは短い言葉の中に省略されたいくつもの確認事項を理解した上で頷きました。
 実は魔女たちの話には続きがあります。
 針に刺されても「死ぬのではなく眠るだけ」という魔法に書き換えられたという話のあと、彼女たちはこう続けました。
 "殿方のキスで目覚める"
 はじめにこの話を聞いたときは、どこの地方のおとぎ話だと抗議しました。あらゆる不思議なことが起きる世界とはいえ、魔法を解くカギが口づけなどと誰が思うでしょうか。しかし魔女たちはいたって真剣な顔でそう言うのでひとまず納得するふりをしてやり過ごしました。
 だから、今も半信半疑であるのです――

「そもそも、こいつが船を下りなかったことが問題なんだが」

 そうです。もともと次の島で下船させる予定だった娘は、直前になって「遠くへ行ってみたい」などと言い出し、ローたちと旅を続けることになってしまったのです。陸での生活が長かった彼女の”何か”に火がついたのか、海に魅了されたかのように目を輝かせて、初めて自分の意思を主張しました。
 本来ならすぐに拒否して下ろすのが一般論でしたし、何より海賊の船旅に付き合わせるには頼りなさすぎだったのですが、無垢な双眸を向けられた彼は断るに断れませんでした。

「けど、許可したのはキャプテンですよ。おれらはそれに従っただけっスからね」

 もっともな意見を返されてしまい、言葉に詰まったローは渋々「わかっている」と返事するしかありませんでした。ペンギンの言葉にシャチもベポも頷き返し、「じゃあおれ達は出てくんであとよろしくお願いします」と彼らはローを一人残してさっさと医務室を出ていってしまいました。
 途端、部屋に静寂が訪れてどうしたものかとローは悩みました。やるべきことはわかっていますが、どうにも気が進まず眠っている娘を見つめるばかりです。どうして自分がこんなふうに悩まなければならないのか、そもそも島を出た時点で魔女とやらの呪いは解けてもいいのではないかとローはやはり信じきれていませんでした。なぜなら彼女の生まれた島はもう何か月も前に出航し、距離的にもだいぶ離れたのでいくら優れた魔女でもどこにいるかわからない娘一人をどうにかできるとは思えないからです。
 珍しくいろいろ悩んだローは、ひとまず頬を叩いてみることにしました。

「おい、起きろ」

 三回ほど軽く叩いて起きるよう声をかけてみましたが、娘は無反応でぐっすりと眠ったままでした。本当にペンギンの言う通り、魔女の呪いで深い眠りについてしまったのでしょうか。そしてそれを解くためにはキスをしなければならないのでしょうか。
 ふと、ローの目は彼女の真っ赤な唇に向けられました。二十歳にしては、顔は幼い印象を受けますが、体はしっかり成熟した女性のそれです。吸い寄せられるように彼の指が娘の唇をなぞったかと思うと、変な衝動に駆られそうになり、はっと我に返りました。

「なんでおれがっ……」

 呟いてからちらりと娘に視線を移すと、ローは自分の唇を娘のそれに静かに重ねました。半ば自棄になったようなキスは、おとぎ話のようなロマンチックなものでは決してありませんでしたが、初めて触れた彼女の唇はとても柔らかくそれでいて冷たかったので、本当に眠り姫なのかしれないとそのときばかりは思いました。
 そしてもっと驚くべきことは、彼女が数秒してから本当に目を覚ましたことでした。閉じていた瞼がぱっちりと開いてローの顔をとらえたかと思うと、彼女は呑気に、そして例の美しい声でこう言いました。

「あれ、船長さんじゃないですか。おはようございます」