君のことはなんでもお見通し

「なあコアラ。あいつ、ちょっとおかしくねェか?」
「……あいつって、ナマエさんのこと?」
「ああ。頭押さえてたり、廊下で立ち止まって壁に寄りかかったり……声かけても「大丈夫」しか言わねェし、お前なら何か知ってるんじゃないかと思ってさ」

 上司の視線が少し離れた書架にいる彼女のほうに向けられる。顎に手を添えて、「う〜ん」と唸る彼の姿にコアラはクスッと笑みをこぼした。興味のないことにはどこまでも鈍感なくせに、彼女のことになると気にせずにはいられないらしい。好き嫌いがはっきりしていていっそ清々しいほどだ。
 もちろんコアラは彼女の不調の理由を知っているが、サボに打ち明けたところで解決できるというわけではないので悩むところである。かといって口止めされているわけでもない。心配するのは当然だろう。どのみち午後は休みをとると言っていたから、気づかれるのも時間の問題かもしれない。

「まあサボ君が気にしたところでどうにかなるものでもないけど、恋人であるキミには言っておいていいのかもしれないね」

 コアラは上司にだけ聞こえるようこっそり彼女の状態を伝えた。


 ▽


 最初は少し頭痛がする程度。そのあとちょっと関節が痛んで、けど熱っぽいというわけではないため仕事を続けていたらようやくいつもの現象だということに気づいた。仕事に忙殺されていたせいで、そこから一か月が経とうとしていることに気づけなかったし、最近は症状が軽くて気にしていなかったというのもある。
 書類をチェックしながら廊下を歩いていると眩暈がして壁に寄りかかったり、急に吐き気に襲われたり。今回はなかなか重い。薬あったっけ……医務室に行こうかな。
 そんなことを考えながら仕事をしていたら、サボに「いつもと様子が違う」なんて指摘されて苦笑した。精神的な症状は出ないタイプなので、あからさまにわかることはないだろうと思っていたのだが、彼にはどう映っていたのだろう。忙しい彼に心配をかけたくなくて「大丈夫」と回避したはいいものの、きっと納得していない。それ以上追及されたら困るので、なるべく近づかないよう心がけた。幸い、午後は休みをとることが決まったので部屋にこもって休んでいれば会うこともない。
 そう思って午前中の仕事をどうにか終わらせふらふらになりながら部屋に戻ってきたときには、体は限界を迎えていた。薬を探すのも億劫で、ベッドに入り込む。下腹部がきゅうっと痛んで思わずうずくまった。

「〜〜ッ、この痛み、久しぶりだな……」

 布団をかぶって横になってもあまり落ち着かなかった。眠りにつこうにも、痛みが先行してそれどころではない。やっぱり薬を探して飲もう。体を起こしてベッドから出た瞬間、しかしあることに気づく。薬がなかったら? ここから医務室まで結構な距離だ。この体で往復するとなったらいつもの倍は時間を要する。考えるだけで頭の痛みがひどくなった。
 とはいえ、このままでは休むこともままならないので仕方なしに気だるい体に鞭打って一度棚を見てみようと決意したときだった。
『ちょっとサボ君、なに考えてるの』
『なにって、体を温めるといいんだろ?』
『そんなにたくさんあっても仕方ないでしょ。よく考えて!』
 部屋の外が何やら騒がしい上に、サボという名前を聞き取った私の体がぴたりと硬直した。え、ここにサボが来てるの……? 呆然と固まっている間に、扉の向こうから名前を呼ばれ「開けるぞ」と言われてしまえば、待ってともダメとも伝える暇などなく、無遠慮に部屋のドアが勢いよく開いた。
 そこに立っていたのは予想通りの人物で、しかしなぜか両手に毛布を何枚も抱えているサボだった。それらを入口脇に置いた彼はようやく私の姿を視界に入れて、

「……って、お前なにしてんだ。休んでなきゃダメだろ」
「あ、えっと……薬を飲みたくてそこの棚に、」

 いや、なに普通に答えてるんだ。どうしてサボがここにいるのかを聞くのが先決なのに。
 ズキ――また頭痛がひどくなった。こめかみを押さえて口を開こうとしたとき、「ほら」目の前に差し出されたそれをまじまじと見つめて息をのんだ。彼の手には私がときどき服用している薬が握られている。どうしてサボがこれを……。
 私の疑問を察したように彼の口が開く。

「医務室に寄ってお前のことを話したら処方してくれたよ、いつものやつだって」
「そう、なんだ」
「早く飲んで横になれ」

 つらいんだろ? 大きなまん丸の瞳が心配そうにこちらを見下ろす。やさしい目と表情。弱っているときにこういうことをされると、なぜだか泣きたくなってしまう。心は元気なはずなのに、知らない間に不安になっていたのだろうか。涙を堪えて頷くと、口元を緩めた彼が手を引いてベッドまで連れていってくれた。
 子どものように促されるまま薬を飲めば、あとは痛みが和らぐのを待つだけ。そのうち睡魔も襲ってくるはずだ。サボは帰るのかと思われたが、部屋に残ってベッドのそばに腰を下ろしたかと思うと私をじっと見下ろしてくる。見られている気恥ずかしさを隠すように、どうしてここに来たのかと問いかけて気を紛らわした。

「悪い。様子がおかしかったからコアラにお前のことを聞いたんだ」

 やっぱり納得いかずに、あのあとコアラに尋ねたのだという。そこで不調の理由を知ったサボはいろいろ駆け回ってくれたようだ。忙しいのに心配してくれたという事実が弱る私の心を満たしていく。

「今月は久々に重たくて……もしかして、あれはそのため?」と、入口に置かれた大量の毛布を指差す。サボの視線が私の指の先をたどっていき、目にした途端ばつが悪そうに頭をかいた。
「……まァな。コアラにそんなたくさんあっても意味ないって言われちまったけど」
「ふふ。方向性は間違ってないよ、ありがとう」

 先ほど外で聞こえた会話はどうやら毛布のことだったらしい。医者から体を温めると痛みが和らぐという話を聞いて、余っているありったけの毛布を運んできたようだ。やることが大胆で、少しズレているところがかわいかった。

「ねえ。温めてくれるなら、下腹部あたりをさすってほしい。ゆっくり」
「えっ!」
「……ッ、変な意味じゃないよ、さぼのばか、えっち」

 あからさまに動揺したサボの手をつねる。痛ェと手を引っ込めた彼が「元気じゃねェか」反対の手で額をちょこんと小突いてきたので自然と笑顔になった。薬が効くにはまだ早いが、彼の思いやりが私にとって一番即効性がある薬かもしれない、なんて。そういえばさっきより痛みが和らいだような気がする。

「サボの手はあったかいから湯たんぽ代わりになるの」
「そりゃよかった。しばらくいてやるから安心して寝ていい」
「うん……ありがと」

 大きな手がゆっくり円を描くように下腹部の周りを動く。その周期的な動きに誘われるまま、やがて瞼が重くなっていくのを感じ、気づけば意識を手放していた。