アオハルは待ってくれない

※現パロ

『ごめん! 実は急に妹が熱を出しちゃって看病しなきゃいけなくなったの。両親は仕事でいないし、私しかいなくてさ……本当にごめんね』
 スマホ越しに聞いた友人の台詞に落ち込みはしたものの、やむを得ない事情なのだから不満はない。寂しい気持ちを抑え込んで「仕方ないよ。お大事にね」と伝えて通話を終えたのが先ほど。深い息を吐き出してから駅の改札に視線を向けると、電車が到着したのかたくさんの人がこっちに流れ込んできた。
 大学生活が始まってからあと二か月ほどで一年が経つという休日。高校時代の友人と半年ぶりに会う約束をして、当時利用していたターミナル駅で待ち合わせすることになった。ところが、さっきの電話で友人は来れなくなったので急きょ予定がなくなり、独りぼっちで過ごすことが決まっていっとき途方に暮れる。このまま帰るという選択肢もあるが、せっかくお洒落をして出てきたのだから買い物だけでも、という心理が働いて駅に直結している商業施設へと足を向けた。
 一月の終わりは当然まだ寒いが、日中は陽の光が当たると暖かく過ごしやすい。どこかの気象予報士が今年は暖冬だと言っていたのできっとのその影響だろう。今は暑いくらいで、羽織っているロングコートを脱ぐために一度立ち止まった、その時だった。

「君さ、一人だよね」

 横から突然声をかけられて、コートに触れていた私の手がぴたりと止まる。無視したい気持ちのほうが強かったが、ついてこられたら困るので仕方なしに視線を正面から右にずらした。
 二十歳くらいの若い男だった。一人だよねという言葉の響きからして質問ではなく確信めいている。ほかにも女の人がいるのになぜ私なんだ。

「一人ですが、急いでいるので」
「友人が来られなくなったんでしょ。じゃあ急いでないじゃん」
「……」電話の内容を聞かれてたのか。面倒なことになった。

 落胆して男と向かい合う。これが世間で言うところの"ナンパ"だと理解するのに時間はかからず、しかし初めてのことに少し動揺した。中高とモテた試しがないし、大学生になってからもそれとなくいい雰囲気になった人はいたのに、結局付き合えないまま彼のほうから離れていったので一体自分の何がダメだったのかと真剣に悩むほどである。
 それがどうしてこんな状況になっているのだろう。男が聞いてもいない駅の近くにあるという美味しい肉バル店の情報をべらべらと話しはじめたので、もう一度断ろうと口を開きかけたとき、しかし間に誰かが割って入ってきた。

「悪い、待たせたな」

 突如現れた別の男が、私とナンパ男とを引きはがすように私の体を後ろへ追いやった。当然ナンパ男は「……なんだよ、結局男がいるのか」とぶつくさ文句を言って舌打ちした。いや、違います。と言い返そうにも間に立つ男の圧を背中から感じて言い出せない。二人はさらに一言二言交わしたあと、ナンパ男が「じゃあお前に関係ねェじゃん」と声を荒げたので、思わず肩をすくめた。

「別におれの女じゃないが、こいつはやめとけ。寝相がすげェ悪いし、顔も普通だし、料理は壊滅的だし、仮に付き合ってもいいことねェぞ」
「……ッ、そんな女こっちから願い下げだよ!」

 なぜか血相を変えて逃げていってしまい、走っていく虚しいナンパ男の背中を呆然と見送る。というのも束の間、はっとして前に立つ長躯の男をじっと睨みつけた。私は今ものすごく貶されなかったか?
 くるりと振り返った男が腕を組みながら不機嫌そうに私を見下ろしてきた。
 青い炎を思わせる模様が描かれたグレーのトレーナーに、黒のゆるめのパンツと白のハイカットスニーカー。頭にはニット帽までつけたやんちゃをしてそうなスポーツ青年風の男――サボは小学生の頃からの腐れ縁だ。どうしてここにいるのかは知らないが、この男はいま私に対してとても失礼な発言をした。

「寝相とか料理とか言わなくてよくない? あと顔が普通も余計だし」
「困ってそうだったから助けてやったんだろ」
「それはありがたいけど……なんか違う」

 ちくっと胸に棘が刺さった気がした。ナンパ男の誘いを断ってもらって嬉しいはずなのに、サボの言葉に傷ついている自分がいる。せっかく大学が離れて断ち切れたと思ったら、久しぶりに会ってこんなすぐぶり返すなんて、つくづく心というのは制御できないものだと思う。
 サボは大学こそ違うが、小中高と同じでいわゆる幼なじみだ。一緒に過ごすうちに気づいたら好きになっていたというありがちな恋心は、けれど数年して諦めることになる。

「それより、お前一人で何してんだよ」
「なにって買い物だけど。まあ本当は友達と一緒だったのが、急用で来られなくなって一人になったんだけどね」
「気をつけろよ。お前みたいな女でもナンパ男は声かけることだってあるんだ」
「……ソウデスネ」

 お前みたいな女。
 小学生の頃から「鈍くさい」だの「アホ」だのと意地悪な言葉ばかりかけられて、そのたびに「うるさい」と言い返してきたが、子どもゆえに気にすることなく平気でいられた。女子の中でサボと一番親しいのは私だったから、安心していた部分もあったと思う。
 しかし、中学生になると事情は変わってくる。伸びた金色の髪は少しウェーブがかって目立つし、顔も成長するにつれて男らしさが出てきた。明確に性別の違いを意識せざるを得なくなる状況になった結果、サボは校内でかなりモテた。告白も結構な数を受けたらしく、クラスが違う私のもとにもすぐ情報が回ってくるレベル。ただ付き合っているという話は聞いたことがなかったので、愚かな私は幼なじみである自分がまだ有利であると思っていたのだ。サボの口から「誰があんな奴好きになるか」と聞くまでは。
 中学最後の年、サボがいつまで経っても告白を受け入れる様子がないので周りの男子が冷やかすように幼なじみである私の名前を出してこう聞いた。

「サボとミョウジさんって幼なじみなんだろ? もしかしてお前が誰とも付き合わない理由ってミョウジさんがいるから? 本当は好きなんじゃねェの」

 運悪く廊下でその話を聞いてしまった自分。答えを聞きたいような、聞きたくないような。悩んだ結果、立ち去ることを選んだ私より先にサボの口が答えを紡いだのだ。はっきりと拒絶の言葉を。
 それからというもの、彼の意地悪な発言は自身の恋心を少しずつしぼませていき、同じ高校に入学しても接点が減ったことで消え去りつつあった。
 近所に住んでいるので、たまに遭遇することはあっても近況を話す程度でそれ以上のことは起こらない。唯一の救いといえばサボが彼女を作っていないことだが、幼なじみの壁を越えられない私はそのうち来るだろう「いつか」を恐れている。ここでいっそのこと縁を切るくらいのことをすればいいのかもしれないけれど、意地悪なことを言われてもやっぱり簡単には切り捨てられない。それどころか、久しぶりに会えて嬉しいなんて思っている自分に腹が立つ。私がサボの彼女になれる可能性は一ミリもないというのに。

「で? 本当に買い物するのか?」
「ううん、買い物はいいや。さっき聞いた肉バルのお店に行ってみる。それで相談なんだけど……一緒に行かない?」


 ▽


 親友のエースと遊んでいたらスマホにメッセージアプリから通知が来たので相手を確認した。コアラ? なんだ、日曜日に。タップしてアプリを開くと一枚の写真とメッセージが一件。
 "友達から送られてきたんだけど、左に写ってる子、ナマエちゃんだよね? サボ君、確か今日エース君とこの辺りに用事があるって言ってたから念のために送っておきます"
 送られてきた写真を拡大してまじまじと確認すると、確かに幼なじみの女が映っていた。見たことないロングコートを着ているが間違いない。問題は、何やら変な男に絡まれているという点である。
 偶然駅の近くを歩いていたサボは、エースに断って足早に彼女がいる改札のほうへ向かった。何してんだあいつ、と悪態をついて。
 到着したとき、幸いにも彼女はまだその場にいてしつこく男に絡まれていたので、待ち合わせしていたふうを装って撃退した。あんな男がこいつと二人で仲良く食事? 冗談だろ。胸中で吐き捨てて、サボは男に向かってがんを飛ばした。
 詳しく話を聞けば、元々友人と待ち合わせをしていたが、妹の看病をすることになって来られなくなり一人で買い物することになったという。不可抗力とはいえ、一人だったら帰れよと理不尽なことを言いそうになって口を噤んだ。プライベートなことに口をはさむつもりはないし、そんなことを言う資格もない。
 誤解を招くだろうが、サボは幼なじみである彼女のことが好きだ。それも出会ってから今日までずっと。ところが、六歳からの「好き」は大きくになるにつれて気恥ずかしさやからかわれるのが嫌ということから、素直になれなくなっていた。どうしてか、彼女と話すたびに口をついて出るのは意地の悪い言葉ばかり。同じく幼なじみのエースにも、高校時代の同級生コアラにも「バカ」と言われる始末である。
 今だってせっかく彼女のほうから珍しく「一緒に食事に行かないか」と誘われたのに――

「別に行っても――」
「おいサボ。てめェ、なに勝手に……あ? ナマエじゃねェか、なんでここにお前がいるんだ」

 行ってもいい、という自分の横柄な物言いを遮って現れたのは置き去りにしたエースだった。そういえばどこに何しに行くのか告げずに来てしまったので、きっと探してくれたのだろう。少し息が上がっていた。よく考えたらエースがいるのに彼女と食事に行くのはおかしい。先に約束していたのはエースのほうだ。

「まあちょっと用事で。そっちは……二人で遊んでたんだね」彼女が自分達を交互に見やって悲しそうに目を伏せた。直後――
「……ちょっとこいつに話があるからナマエはそこで待ってろ」

 エースが突然サボの首に腕を回して彼女から距離をとった。そしてコソコソと耳打ちしてくる。

「おい。事情は後で聞くから、お前はあいつと二人で遊んでこい」
「は?」

 何を言い出すかと思えば、彼女がこの場にいるのをエースなりに判断したようで気を利かせて二人きりにしてくれるらしい。

ナマエは一人なんだろ、ちょうどいいじゃねェか。いい加減素直になれサボ。大学は別々なんだし、前みたいに相手が勘違いしてくれる男ばっかじゃねェだろ」

 実を言うと、サボだけが仲間外れで彼女とエース、コアラは同じキャンパスに通学していた。コアラに至っては学科まで同じなので、以前彼女と良い雰囲気になっている男がいるという話を聞いたときは心底焦ったものだ。このときはエースが偽の恋人役を演じて協力してくれた。まあ構内を二人で歩くというだけで相手が勝手に勘違いしたのだが。
 エースの言いたいことは、だから十分に理解している。高校よりも大勢の人間が集うキャンパスで、彼女に想いを寄せる人間がこれから一人も現れないなんてことはきっとない。

「いいか? 二人で行ってこい。それでちゃんと伝えろよ、このままだと本当に別の男に持ってかれるぞ。高校から垢ぬけてかなり可愛くなったっておれの周りでも言ってる奴らがそれなりにいる」

 知ってるよ。あいつが可愛いのは高校からじゃなくて昔からだ。そんなこと、自分が一番よくわかっている。ここで動かなけなければ、きっと自分はいつまでも彼女と進展がないということも。

「わかってる」
「なら、決まりだな」

 ニィっと歯を見せて笑ったエースが肩に回していた腕を解放して離れていき、彼女がいるほうに振り向いた。

「あーナマエ。おれはちょっとルフィんとこに行かなきゃならねェ。だからお前は遠慮なくサボと二人でメシでも何でも行ってこい」

 唐突にそんなことを言われた彼女は、当然ながらぽかんとして首を傾げた。誘ったはいいものの、エースがいるとは予想外だっただろうから断られると思ったに違いない。

「……よくわかんないけど、エースは帰ることになったの?」
「ああ、悪ィな。けどサボがいるから大丈夫だろ」

 じゃあまた大学でな。と彼女に挨拶したあと、くるりと方向転換したエースは自分にだけ聞こえるように「行け」と拳で背中を押した。そしてそのまま改札の中に吸い込まれるようにして消えていった。
 取り残されたサボは、ちらりと隣の女に視線を移す。まだぼうっと改札のほうを見て動かない。わざとらしいエースの行動を訝しんでいるようにも見えるし、友人を見送っているだけのようにも見える。だが、何も言わなかったあたり嫌ではなさそうだ。親友の厚意を無駄にするわけにはいかないし、ここで行動を起こさなきゃ男じゃねェよな……。
 長年拗らせてきた彼女への想いにどう決着をつけるか、具体的な案はないままだったがひとまず彼女に向かって「行くか」と声をかける。これまでにも二人きりなんてしょっちゅうあったのに、どうしてか今は心臓がバクバクと妙に大きな音を立てていた。

「うん……」

 我に返った彼女がぎこちなくこちらに歩み寄ってくるので、サボは逡巡した末に彼女の小さな左手をとった。瞬間、ぎょっとした顔をして彼女がこっちを見てくる。「……この手は……?」「また変な男に絡まれたら困るだろ。予防線」「そう……」半分は本音、もう半分は下心。自分なりの勇気の出し方。彼女の顔はとてもじゃないが見られず、半歩前を歩いて平静を装う。背中がむずがゆくて、どうにも落ち着かないのが実際のところではあるが。
 駅構内を出て例の店に向かって歩き出す。互いに沈黙したまま会話がなく、少し気まずい。気まずいのだが――
 ちらりと振り返ると、すぐ後ろの彼女は俯いて歩いていた。しかし、髪からのぞく両耳がほんのり赤く染まっているのを見た途端、形容しがたい感情が押し寄せ、胸がぎゅうっと締めつけられる感覚に襲われた。そして抱きしめたい衝動に駆られたサボは、慌てて邪念を振り払い右手の小さな温もりをぎゅっと強く握った。