身勝手な貴方

「なんか機嫌悪いね。どうしたの?」

 食堂の片隅でひとり、コーヒーを片手に仏頂面で新聞を読んでいる上司に話しかける。向かいに座ったコアラもようやく休憩時間がとれたのでひと息ついたところだ。周りを見回すと人が多いので、どうやらほとんどがいつもの時間帯よりも遅めに昼食をとっているらしい。
 しかし、上司の表情は休憩中の割に何やら面白くなさそうな顔をしていた。彼の心を乱すような記事は、今朝の新聞には掲載されていないはずだ。世界情勢も騒ぐほどの大きい動きはないし、弟の危機が迫っているわけでもない。じゃあ彼は何に対してこんなに怒っているんだろう。

「……別に。何でもねェ」

 なんでもないって顔じゃないけど……。
 コアラは内心そう思いながらマグカップに口をつける。これは早々に席を移動して上司から離れるべきだろうか、そんなことを考えていた直後――女性の甲高い声が食堂内に響き渡って思わず視線をそちらに向けた。
 二つ隣のテーブルで、若い女兵士たちが頭を突き合わせて何やら盛り上がっている。その中によく知る彼女も混ざっていることに気づいたコアラは、機嫌の悪い上司を放置して移動することにした。


 彼女たちが盛り上がっていたのは、ファッション雑誌に掲載されている「王子大解剖!」という特集記事のせいだった。何でも、王子という枠を越えて市民に愛されている十カ国の王子の素性を解剖した特集らしいのだが、「どの王子がかっこいいか」という話題で会話が白熱しているようだ。
 コアラも興味をそそられて雑誌をのぞいてみると、どれも新聞で話題になるような大きい国の王子ではないものの、写真からは確かに親しみを感じられる。王族は庶民からすれば手の届かない存在だが、こんなふうに一般市民が読む雑誌でプライベートを語っていれば親近感がわく。
 なるほど。コアラは上司の機嫌が悪い理由をようやく理解して、彼に同情した。好いている人が自分以外を「かっこいい」なんて言っていたら、それは面白くないだろう。でも、正直これまでの彼の態度を思い返せば、彼女がこういう話で盛り上がってしまうのも無理ないとも思う。コアラは、上司より彼女の味方だ。

「……ナマエは誰がかっこいいと思うの?」

 彼女にこっそり聞いてみる。上司に聞こえるとまたダメージを食らうだろうからもちろん小声だ。

「私はね〜××王国の第一王子。見てよ、この筋肉。すごい鍛えてるよね。国家騎士団の長でもあるらしいよ。それなのに、好きな食べ物は町のカフェで売ってるホットドッグなんだって。庶民っぽくていいよね」
「筋肉フェチでもないのに、見た瞬間この人って言ってたよね」
「王族っぽくないもんね。おまけに顔もイケメンだし。この面食い」

 こちらに合わせて彼女も小さい声で答えてくれたのはよかったが、次々にほかの子たちが会話に加わったせいで上司・サボの眉間にしわができる。新聞の端が、彼の手の中でぐしゃりと歪んだ。コアラは冷や汗をかきながら、聞いたことを後悔した。彼女たちは話に夢中になって彼の存在に気づいていないのかもしれないが、ますます彼の機嫌は悪くなる一方だ。
 それから数分、同じ話題で盛り上がった彼女たちは休憩時間を終えてようやく食堂から出ていった。
 コアラは深いため息をこぼしてから、残された上司にちらりと顔を向ける。先ほどに比べて表情は落ち着いているが、それが逆に怒りを内に秘めているようで恐ろしい。彼は無言のまま新聞を折りたたみ、カップを片づけると、ナマエが消えていったほうへ追いかけるようにしてこの場を去った。


*


 同僚たちと浮ついた話で盛り上がり、気分上々で廊下を歩いていたら、突然右腕を引っ張られて私の身体はすぐ近くの部屋に引きずり込まれた。

「……ッ」

 あまりにも突然で声を出す余裕がなく、ひゅっと息をのむだけになる。掴まれていた腕を解放された直後、とんっと軽く押されて背中が扉に触れた。逃げ道を塞ぐように、目の前の男が強引に距離を詰めてくる。

「随分と楽しそうだったな。……で? その雑誌の男はおれより強ェ奴なのか?」

 とても低い声だった。いつもの和やかな参謀総長じゃない、怒気を孕んだ声。薄暗い部屋の中でも、怒っていることくらいは長い付き合いだからわかる。でも――

「そ、それってサボに関係ある……?」
「関係あるだろ。おれはお前の"一番"を譲る気はない」
「……」

 言葉の意味をはかりかねた。サボが私の一番でいたい? そんなこと、間違ってもあり得ない話だと私の頭は冷静に判断してしまう。
 幼い頃から共に過ごした仲間であり、やんちゃで向こう見ずな性格だが、いざというときは頼りになって強くて格好いい。気づけば目で追い、恋をしていた。
 けれど、サボの中で私という存在が眼中にないことは気持ちを自覚するより早く理解していた。「ナマエが恋人? あり得ないだろ」そう言っていたのは他ならぬ本人だ。目の前でそんなことを言われてしまえば、期待なんて持てるはずもなく、長い間ずっと心に秘めてきた。
 なのに、どうして今になってそんなふうに言ってくるのだろう。別に本気でどこかの王子とどうこうなりたいと思っているわけではない。ただ、訓練の息抜きでちょっと盛り上がっただけにすぎない。そもそも小さい国の王子とサボとでどっちが強いかなんて、わざわざ聞かなくてもわかりきっているだろうに。

「意味がわからないんだけど。大体、その言い方だと私がサボを……す、好きみたいに聞こえるし」
「なんだよ。違うのか?」
「……ッ、別にっ、そんなこと今はどうでもいいでしょ!」
「よくねェよ」

 ドンっと扉に手をついてますます距離が近くなる。少し威圧感があって、射抜くような視線は目をそらすことを許さないと言っているようで。今まで一度も私たちの間にこんな雰囲気が流れたことはないから、どうしていいかわからない。期待しちゃいけないのに。

「ちょ、近いってばっ……」サボの胸を押し返して距離をとろうとするが、逆に手を掴まれてそのまま彼の顔が近づいてくる。
「余所見するな」

 耳元でたった一言。付き合ってもいないのに、まるで自分以外を見ることは許さないという言葉。自惚れてはいけないと思いつつ、それはじわじわと身体の奥に浸透していき、私の心を捕えて離さなかった。