チェーロ・フィオーレ

 休暇でヘブンズ島を訪れることになったサボは、不機嫌さを少しも隠さずに島の中を歩いていた。近寄りがたい空気を醸し出している自覚はあるが、それもこれもあいつらのせいなので致し方ない。
 一週間前、数か月に及ぶ任務が無事完了したことを報告し終えたサボはやっと恋人に会える喜びを噛みしめていた。電伝虫越しとはいえ、久しぶりに聞いた彼女の声に全身の疲れが癒えていくのがわかり、どうしようもなく口元が緩んでしまって、隣にいたコアラとハックに指摘されたのを覚えている。
 報告のついでに休暇が取れるから出かけようと彼女へ声をかけ、承諾を得たところまではよかった。楽しみにしている、という彼女の言葉も聞いたし、久しぶりに二人きりになれるのだと疑わなかった。

「それがなんでこうなるんだ」

 小さな嘆きは少し間をあけて歩いているハックに聞こえたらしく、「機嫌悪そうだな」と苦笑いされた。彼の両手には途中で買ったと思われる焼きそばと魚を模した皮の食べもの――確か「たい焼き」とか言ってたな、二つが握られていて楽しそうである。
 サボの右手にも定番メニューのたこ焼きがあるのだが、一切口をつけていない。冷めつつあるそれは、サボの胸中を映しているようだった。

「気を利かせてくれたっていいだろ?」
「私も最初はそう言ったんだがな。みんなで行くほうが楽しいって聞かなかったぞ」
「そういう奴だよなァ」

 呆れながら、コアラと談笑している彼女の姿を見つめる。何の話をしているのやら、やけに楽しそうでまた一度、心の温度が下がっていく気がした。いや、別にコアラもハックも仲間なのだからサボが気にするようなことは何もないのだ。つまり、ただ単純に二人きりになれないことが不服というだけで。

「おれがガキみたいじゃねェか」

 ぱくり。たこ焼きを一つ口の中へ放り込む。案の定、冷めていて美味しさが半減していた。残すのももったいないので、また一つ口へ入れていく。と、彼女が突然振り返ってこちらに詰め寄ってきたので、サボは軽くむせてしまった。

「わっ、大丈夫!?」
「……ん、悪い。どうした」
「あ、えっと……そろそろ二人で楽しんできたらってコアラちゃんが」
「……」

 もじもじしながら言う彼女の視線が定まらず、ちらりとサボを見たと思ったらすぐ地面へ落とされた。
 数時間前コアラとはしゃぎながら選んでいた今の服装はいつもと違って浴衣と呼ばれるワノ国では有名らしい和装だった。朝方到着してすぐ着付けしてもらったようで、麻の葉柄に白地の古典的な模様は可愛いというより大人っぽさが色濃く出ていた。
 けど、そうやって恥じらうのがサボにとってはたまらなく可愛く思えて仕方ない。今すぐどうにかしてしまい衝動を抑え込み、目を覆いながら必死で隠していると、不意に右手が引っ張られてたたらを踏む。

「あっちにラーメン屋があったの。一緒に食べよ」彼女がさらに強く手を引いた。その健気な行動に口元が緩んでしまいそうになるのを誤魔化すつもりで、サボは逆に彼女の華奢な手を絡めとった。

 下駄というなれない靴を履いているので、彼女に合わせて歩調を緩める。ちまちま歩く姿にやはりいつもと違う雰囲気が漂っていて気分が高揚する。柄にもなく心臓の鼓動が速くて落ち着かない。祭りの雰囲気が余計に興奮を掻き立てていく。
 彼女の言うラーメン屋は屋台だった。客席がたったの五席しかないので少し待たされたが、回転率が速いせいかすぐに順番が来た。
 どんぶりから湯気がもくもくと立つ。たこ焼きそっちのけでラーメンにがっつくサボを、隣で彼女がくすくす笑いながら見ていた。「美味しい?」あまりにも優しく微笑むからちょっと恥ずかしくなって、頷き返すことしかできなかった。よかった、と言って彼女も目の前のどんぶりに口をつけていく。俯くと浴衣に合わせた髪型のおかげで彼女の無防備な項が晒される。細ェな、なんて――
 待ちわびた二人きりの時間だった。


*


 ヘブンズ島に来ることにしたのは、ここで開催されている伝統の祭りチェーロ・フィオーレ≠見るためだった。以前情報誌で取り上げられていた、カラフルな傘の花が頭上にたくさん並ぶという光景は最近流行っているのか、あちこちで見かける。その元祖といえる祭りがヘブンズ島のチェーロ・フィオーレ≠セという。花が好きな彼女に見せてやりたかった。本物の花とはまた違った幻想的な光景だろう。
 屋台を出て、事前に頭に入れてある傘が並ぶ街の通りまで彼女を連れていく。どこに行くのかわかってない彼女が不思議そうな顔をしていた。さすがメインイベントなだけあって通りが近づくにつれて人通りが激しくなり、サボは彼女とはぐれないよう繋いでいる手を強く握りなおした。
 そして、その光景は突然視界を埋め尽くすように現れた。
 色とりどりの傘のアートに、隣を歩く彼女が息をのんだのがわかる。思わず立ち止まって感嘆のため息を吐いたあと、

「すごいよ、サボ……」
「だろ? お前こういうの好きかと思ってさ」
「うん、すごく好き。とっても綺麗」

 思い出すのは幼い頃、手紙でやり取りした数か月のこと。花のことをしきりに書いていた時期があったのを覚えている。当時のサボにはさっぱりだったが、手紙の中の彼女が嬉々として語るので印象に残っていたのだ。どうやら今でも気に入っているのか、本部でもいくつか花を育てている。
 時折風が吹くと、傘が揺れてさらに幻想的な光景を作り出す。傘のアートは複数の通りに飾られているらしく、場所によってデザインや色が異なるというからなかなか凝った祭りだ。
 サボも頭上のアートを見上げる。隙間から見える空と相まって確かに綺麗だった。数えるのも億劫になるほどたくさんの傘を前に、早くはやくとはしゃいでいる彼女が子どもみたいで可愛い。大人っぽい浴衣とのギャップがサボの心をくすぐる。
 飽きねェな――
 思わずふっと声に出して笑ってしまったサボを、彼女がきょとんとした顔で見つめていた。傘アートに夢中になっていたはずが、突然視線がこちらに向いてばつが悪く、とっさに視線を逸らした。彼女がゆっくり近づいてくる。

「どう? 機嫌直った?」
「……え?」
「サボ、ずーっと皺寄ってたよ」と、眉間に彼女の指が触れた。ぐりぐりと押されて「痛ェ」嘆きつつ抗議するサボを彼女が楽しそうに見ている。ようやく指が離れたので、地味に痛むそこを押さえながらサボはどうしたものかと考えた。
まさか機嫌が悪いことを悟られていたとは。だいぶ、悔しい。だから仕返しとばかりに、尚も目の前で笑っている彼女の顎を掴んで口づけた。

「んっ」

 急な行動に彼女は身を引こうとしたが、一旦離れて再び塞ぐという休む暇を与えないキスを繰り返しているうちに抵抗しなくなった。それどころか、ぎこちなく袖を掴まれてまた煽られる。自分のせいではあるものの、彼女の行動は否応なくサボの心臓を締め上げる。
 どれくらいそうしていたのか、とんとんと胸を叩かれたことで彼女が苦しそうにしているのがわかり、ようやく唇を離した。

「……はあ……も、急に、ひどいっ」
「まだ」
「……なにが?」
「機嫌直ってねェよ」
「あ……」

 離れていった体を抱き寄せて、もう一度顔を近づけようとすると彼女がぎゅっと目を瞑ってしまった。なるほど、再びキスされると思っているらしい。間違ってはいないのだが、つい赤く染まった頬や濡れた唇を凝視してしまう。浴衣という普段とは違った雰囲気が余計に彼女を艶やかに見せている。サボはしばらくその可愛らしい顔を堪能した。
 しかし一向に何も起こらないことを不思議に思った彼女が、うっすらと目を開ける。その仕草に合わせてサボは意地悪い笑みで見つめ返した。

「ひどい」
「可愛いって」
「そ、そういう問題じゃないよ!」

 彼女が怒って先を歩いていく。下駄を履いていることを忘れているのか、あんなに早く歩いたら――と、サボが危惧した直後にバランスを崩して彼女の体が前のめりになった。駆け寄って支えながら、

「ったく、下駄を履いてること忘れたのか?」
「……」どうやら今度は彼女のほうが機嫌を悪くしたらしい。ぷいっとそっぽを向かれた。
「悪かったって。出来心だ」
「もうしないで」
「……」
「なんでそこで黙るの! サボのばか」

 つってもなあ……と、サボは胸の内で言い訳を並べていく。
 男は好きな女限定で多少の加虐心が働くし、困った顔が見たいし、自分のせいでもっと困ればいいなんて思ったりするわけだ。意地悪しないなんてできもしない約束は無理だった。サボは彼女の恥ずかしがる姿がたまらなく好きだから。もちろん本当に嫌がることはしないけれど。
 とはいえ、確信していることがある。

「けど、好きだろ?」
「……?」
「おれに意地悪されるの」
「っ……」

 赤みの引いた頬が再び赤く染まって、彼女が声にならない叫びを上げた。予想通りの反応にサボはけらけら笑う。
 瞬間、大きな風が二人を包む。頭上で傘がゆらゆら揺れる。その隙間から漏れてくる太陽光に、サボはすっと目を細めた。

2022/09/18
夢道楽オンラインvol.4
休暇でお祭りを楽しむ二人