美しい花に虫がつくのは自然の摂理だが、害虫なら駆除すればいい

 ハートの海賊団が物資調達のために立ち寄った島はマルビア王国という名の鉱業が盛んな国だった。鉱物に関しての知識が薄い自分にはわからないが、詳しい奴から聞いたところによれば"ターニュエメラルド"という幻の宝石が有名で、最近では採掘量が減っているためにかなり高額で取引されるという。
 交易港から離れた入り江にポーラータング号を寄せて、できるだけ少人数で上陸したローは王都ローデイルに向かっていた。港町にも必要なものはそろっているが、海軍の出入りが多いため急きょ王都で調達することになったのだ。
 観光客であふれる港町を抜けて王都に足を踏み入れたローは市民が利用する場所を遠ざけて、あえて人通りが少ない露店が並ぶ路地裏ばかりを見て回る。途中、ペンギンとシャチが普段目にしない鉱物珍しさにはしゃいで、「キャプテン、これ欲しい!」と高そうな光り物のアクセサリーを身につけて主張してきたので早々に却下した。何しに来たんだ、お前ら……。
 呆れた視線を彼らから外して奥に目を向けたローが、「待ちやがれ」というだみ声とカチャンという金属音を拾ったのはその時だった。前方から深い緑色のローブを頭から被った人間が自分の横を通り過ぎていったかと思うと、数秒してから盗賊と思われるガラの悪い三人の男たちが同じように去っていく。どうやらローブを着た奴を追いかけているらしく、そいつは大通りに出て右に曲がろうとした――が、

「へへっ、逃がさねェぞ」

 追いかけている男のうちの一人が矢のような武器でローブの人間を襲った。とっさに攻撃を避けられたのはよかったものの、そいつはバランスを崩して転んでしまう。その拍子に頭を覆っていたローブがとれて、そいつの髪がふわりと宙に舞った。追いかけられているほうは女のようだ。
 女が立ち上がって体勢を整えた頃には、男たちが目前に迫っていて手首を掴んで無理やり、ひと気のない場所へ連れ込もうとしていた。

「チッ……」

 面倒くさい場面に出くわしたものだと、ローは辟易しつつも男たちがいるほうへ向かう。後ろから「あーキャプテン待ってください」と追いかけてくる二人に手伝えと命じて、大通りの一つ手前の曲がり角に消えた連中の後を追った。
 曲がってすぐに飛び込んできたのは、女を壁に追い詰めて三人で囲っている光景だった。女は先ほど転んだときに足を捻ったのか、左足をかばうように宙に浮かせている。ローは男たちに気づかれないようにそっと近づいていく。

「さっきはよくも恥をかかせてくれたなァ」
「知識のない人を狙って嘘を教えるほうがいけないと思います」
「うるせェよ!」
「……ッ」真ん中の男が壁を思い切り蹴った。
「どうやら痛い目に合いてェらしいな。まずはその綺麗な顔に――」
「やめとけ」

 男が手を振りかざす直前、ローは女と男たちの間に鬼哭を割り込ませて攻撃を妨害した。突然割り込んできた人物に、全員の視線が何事かとこちらに向けられるが、構うことなく続ける。「知らねェなら教えてやるが、このあたりは海軍がうろついてる。お前らが騒ぎを起こすとおれ達にまで迷惑がかかるってことだ。どうしてもこの女をどうにかするっていうならおれ達が相手になってやる」男たちを睨んで臨戦態勢の態度を示せば、相手はすぐに怯んで情けない声をあげた。
 しかし、先ほど壁を蹴った気性の荒い男は闘う気満々らしい。自分で言うのも意識しているみたいで気に食わないが、相手によっては五億ベリーという懸賞金で戦意を失ってくれる場合もある。この男はどうやら違うようだ。

「そんな脅しに乗ると思うか?」
「脅し? バカ言ってんじゃねェ。海賊が脅しなんかするか。相手になるっつったら首を取るに決まってんだろ」
「おいやめろっ……こいつは賞金首のトラファルガー・ローだぞ。おれ達なんかじゃ相手にならねェよ」
「あ? だからどうした――っておいっ」
「とにかく逃げるんだよ、命が惜しけりゃなっ!」

 勇んでいる男を遮って会話に入ってきた別の男はどうやら自分のことを知っているらしく、分が悪いと判断して手を引くことにしたようだ。麦わら屋と同盟を組んだことで七武海の座は失ったが、ドフラミンゴの件で懸賞金は跳ね上がって五億ベリー。町の盗賊が敵う相手ではない。
 小物らしく情けない足取りで路地裏から去っていく三人を眺めながら、ローはようやく視線を女に移した。恐怖で腰が抜けたのか、足の怪我のせいか。座り込んでしまった女が怯えた目でこちらを見ていた。このまま放っておいてもよかったが、女の持ち物から一瞬だけ見えたソレと医者の性分から怪我人を放置することが躊躇われて気づけばこう言っていた。

「ハァ……仕方ねェ。お前ら、この女をポーラータング号へ連れていけ」

 ペンギンたちに告げて、ローは鬼哭を担いで入り江にいったん戻ることにした。


*


 フレイヤは目の前で跪き、怪我の処置をしてくれている人相の悪い男をちらりと見やった。見た目で人を判断したくないとはいえ、実際目の前にすると恐れてしまうのは無理ない。カフェ<グランツ・カヴァナ>で働いていた頃、一度だけその顔を手配書で見たことがある。常連客の一人が読んでいた新聞からこぼれ落ちた「同盟」の文字に驚き、フレイヤは不遜にも幼なじみを心配してしまった。海賊には詳しくないフレイヤが常連客に"彼"について尋ねると、「死の外科医」などという物騒な二つ名を持つ海賊だというからますます気がかりだった。結果的にはドフラミンゴ討伐のために共闘したということを後から聞いたので胸を撫でおろしたのだけれど。
 男の名前はトラファルガー・ロー。ハートの海賊団を束ねる船長だ。医者としての腕も相当なもので、二年前の頂上戦争後、幼なじみを助けてくれたことは当時の新聞で知っていたが、そのときは彼の詳細についてはわからなかった。
 そもそもどうしてフレイヤが怪我をする羽目になったかと言えば、あの盗賊が悪いのである。
 革命軍が事後調査のためにマルビア王国へ行くことになったので、フレイヤも船上での料理や掃除、洗濯といった雑務担当として同行することが決まった。参謀総長のサボを含めたみんなが、事件があった場所や市民への聞き取り調査などであちこちに出向いている間、フレイヤは王都内を散策することを許されたのでひとり見て回っていた。その途中、盗賊たちが市民を相手に嘘を並べて高額な商品を売りつけようとしていたのでフレイヤが間に入って防いだというわけだ。
 こちらは本当のことを言っただけなのに、恥をかかされたとは随分な言いぐさだし、盗賊なら盗賊らしく盗みで――いや、盗むのも良くないけれど。とにかく、商売の邪魔をしたという理由で追いかけられる羽目になり、最終的に怪我を負わされ危ないところをハートの海賊団に助けてもらったのだ。
 ローは捻挫した左足首を包帯で丁寧に巻いてくれた。さすがは医者で、手際がよく無駄が一切ない。もし今後サボやほかのみんなに同じようなことが起きたら真似してみよう。フレイヤはそんなことを考えていた。

「とりあえずこれで大丈夫だろ。腫れてきたらもう一度医者に診てもらえ」

 一通りの処置を終えたローが立ち上がって救急セットを棚の中にしまった。戻ってきた彼は近くにあった椅子を引っ張ってきてフレイヤの前にどかっと腰を下ろす。簡易ベッドに腰かけるフレイヤは彼から感じる圧に恐怖で少し身を引いた。

「あの、ありがとうございます。あなたが来なければ今頃大変なことになっていました」
「だが、お前は一般人じゃねェだろう。あれくらいどうにかできたはずだ」
「……?」

 言っている意味がわからず首をかしげていると、ローが目を細めて「革命軍の人間だな」と尋問するように迫ってきた。反射的にギクッと体を震わせたのは生理現象だとして、どうしてわかったのだろうと焦る。名乗った覚えはないし、フレイヤは賞金首でもなければ革命軍に身を置いているのも偶然助けてもらったという事情があるだけだ。
 彼はそんなこちらの疑問をくみ取ったように、フレイヤの持つ鞄から見えている瓶を指さした。あ、と思った瞬間にはすでに遅く、赤いマークがはっきりと見えてしまっている。革命軍の印である「R」と「A」の文字が。

「まァ戦闘員には到底見えねェがな。書類仕事ってところか。ここへは何しに来た、ほかの連中はいるのか?」
「えっと……」

 矢継ぎ早に質問されて答えに窮する。何から説明すればいいのか。調査内容はもちろんフレイヤの口から勝手に言うことはできないし、かといってこの人に嘘は通用しないだろう。間を取って当たり障りない回答をするしかない。

「ちょっとキャプテン、そんな質問責めにしたら可哀想でしょ。女の子にはもっと優しくしなきゃ」

 フレイヤが困っていると思ったのか、ローの背後で今まで黙っていた二人のうちの一人が彼に苦言を呈した。シャチのキャスケット帽をかぶっている。
 そういえばこの潜水艇に連れてきてもらったとき、彼ら三人のほかは全員待機していたようで、ちらちらと物珍しい視線を向けられたのだが、はたして本当にここへ来てよかったのだろうかと今さらながら不安になる。応急処置をしてくれるという理由だけで海賊についていったのは軽率だったかもしれない。
 もう一人のほう――PENGUINと書かれた帽子をかぶった男も混ざって二人でローに詰め寄っている光景を見てなんだか申し訳なく思った。敵対しているわけではないにしろ、味方という立場でもないから彼らがフレイヤに優しくする義理はないのだ。
 話し合いを強制的に終わらせたローの視線が再びこちらに向けられる。

「とにかく。革命軍がこの国にいる理由を説明しろ。まさか助けてやった義理も返せねェとは言わねェよな」

 海賊らしく、人相の悪い笑みを浮かべた彼の魂胆が最初から革命軍だと知ってて自分を助けたのだと、この時になってようやく理解した。


*


 ポーラータング号――という名前らしい潜水艇の食堂には船員が一堂に会していた。テーブルの上に置かれたたくさんの大皿に人が群がり、一つとってはまた一つと山盛りだった皿は次々に減っていく。
 怪我の処置をしてもらったあと、フレイヤはハートの海賊団の船長、トラファルガー・ローに革命軍の一員(正確に言えば所属はしていないのだが)だということが知られてしまい、なぜマルビア王国にいるのかと問い詰められた。結局、「とある事件の事後調査で来ている」という情報のみ伝え、彼には納得してもらったものの、視線が痛いので話題を変えるためにお礼をすると言って半ば無理やりキッチンを借りたのだが……。
 美味しいと言ってくれる船員たちに対して、食堂の入口に立って仕方なそうにおにぎりを頬張るローに、ちらりと視線を向ける。騒いでいる輪の中からひとり離れて静観している姿は不機嫌そうにも見えるし、けれどあれが通常というような雰囲気にも受け取れる。

「キャプテンのことが気になる?」
「え?」
「じっと見てるからさ、気になるのかと思って」

 ペンギンが輪から抜け出して、カウンターの内側に立つフレイヤの前までやってきた。言い方は悪いと思うが、船長と違ってほかの船員は優しい。彼もまたそのうちの一人で、この潜水艇に連れてきてくれるときも得体のしれない女に対して始終和やかに接してくれた。
 ローのことが気になるか。気になると言われれば気になる。この海賊団を束ねているのは彼であり、彼の機嫌を損ねれば当然フレイヤに、ひいては革命軍にとって不利益なことになりかねないので気をつけたいところなのだ。

「私の答え方が気に食わなかったんじゃないかと思って……でも先ほども言った通り、私は訳あって革命軍に居候しているだけなんです。ここへついてきたのも雑務のためなので、詳細を知らないのも本当です」
「おれ達もそれはわかってるよ。君が戦闘員じゃないってことくらい。キャプテンのあれは、好物のおにぎりを振る舞われてどうしたらいいか困ってるってだけだから」
「そう、だといいのですが……」
「大丈夫だって。それより本当、こんなうめェメシありがとうな。みんな胃袋掴まれちまった」

 ペンギンの視線はテーブルの上で食事を楽しんでいる船員たちに向けられた。そこでは思い思いに食事を楽しんでいて、ありがたいことに「美味しい」と言って瞬く間に料理の皿が空になっていく光景が見えた。ちょうどお昼時ということもあって、みんなお腹が空いているらしかった。ちなみにおにぎりは船員たちから「キャプテンの好物はおにぎり」だという情報を得て作ったものである。
 相変わらずローの表情はふてぶてしく、無言のままおにぎりを食べている。お礼もしたことだし、夕方までには船に戻らないとサボたちが心配するだろう。電伝虫を借りて連絡を入れないと。
 フレイヤは少し迷った末に、彼の元へ向かうことを決める。

「ペンギンさん、私もう一度トラファルガーさんと話をしてきます」
「あ、フレイヤちゃんっ……」
 フレイヤはカウンターから移動してテーブルの上のおにぎりを一つとるとローの元へ急いだ。彼の表情はいまだに仏頂面だ。
「トラファルガーさん」
 名前を呼ぶと、ローの目がこちらに向けられる。サボよりも身長が高いせいか、見下ろされるとかなり圧が強く恐怖を覚える。しかし、それも一瞬のことでフレイヤは持ってきたおにぎりを手渡して「こちらもどうぞ」とすすめた。
 受け取った彼は無言で受け取ると、そのまま口へ運び――
「……てめェ」食べた瞬間、なぜか睨まれた。
「……?」
「嫌がらせか?」
「……? どういうことですか。皆さんからおにぎりが好きとうかがったのですが」

 ローの顔に青筋が立ち、しばらくこちらを見たあと盛大にため息をつかれ、静かにテーブルへ向かっていった彼は近くにいた船員にひとくち欠けたおにぎりを無理やり手渡した。
 その様子を見ながらフレイヤは首をかしげる。どういうことだろう、彼の好物はおにぎりではなかったのか。不味くて食べられないとか? いや、それならさっき食べていたおにぎりも同じだ。なら、具が気に入らなかったのか。考えているうちに、不機嫌さを隠さないまま戻ってきた彼が「言っておくが」と突然切り出す。

「おれはパンと梅干しが嫌いだ」
「え!」
「確かに好物はおにぎりだが、梅干しを入れたおにぎりは食わねェ」
「そ、そうでしたか。すみません、それは知らなかったです……」

 どうりで嫌な顔をしたわけだ。せっかく機嫌を取ろうと思ったのに失敗だ。これでは電伝虫を借りるのも難しいかもしれない。億超えの船長がそんなつまらないことで機嫌を損ねるとは思えないが、フレイヤは海賊という気性の荒さを知っているし、ルフィと同盟を組んでいるといっても本来の性質はわからない。一応こちらに害を及ぼすということはないと言ってくれたが、いつ手のひらを返されてもおかしくないのだ。

「仲間と連絡を取りてェんだろ。電伝虫は貸してやる」

 フレイヤが困っているのを察してか、ローのほうからそう提案してくれた。一応こちらの身上がわかっているからか、害をなす人間ではないと理解してくれているようだ。
 サボに連絡がとれるとわかってほっとする。昼に戻ってくる予定になっている自分がこの時間になっても船に戻ってこないのを不審に思って彼に連絡を入れている仲間がいるかもしれない。なるべく早く無事であることを知らせたかった。

「ついて来い」
「あ、待ってくださいっ……」

 フレイヤは食堂を出ていくローの背中を慌てて追いかけた。


*


 サボは自分の船室でひとりぼうっと天井を眺めていた。数分前に入った電伝虫からの連絡にようやくひと心地がついたように深い息を吐き出し、愛しい女の笑顔を思い浮かべる。
 船内で待機している仲間からフレイヤが戻ってこないと連絡が来たのは一時間ほど前のことだった。サボがコアラたちと王都ローデイルを調査している間、フレイヤも王都で買い物したり、必要なものを調達していたのだが、昼には戻ると言っていたのが指定の時間になっても戻ってこないのを訝んで仲間が連絡をくれた。
 ちょうど調査の区切りがついていたために、サボは急いで船へ戻り状況を確認した。詳しく聞けば、彼女は十二時には戻ってくると言って自分たちよりも三十分ほどあとに船を出ていったという。だが、その時間を三十分以上すぎても戻ってこないので、彼女が見て回る予定だったルートを中心に探したそうだ。それでも見つからなかったために、自分に連絡がきたわけだが――

 それから間もなくして、なぜかハートの海賊団の船長、トラファルガー・ローから通信があった。どうやら盗賊に追いかけられているところを彼らが助けたようで、怪我を負ったから応急処置のために自身の海賊船に一度連れて帰ったという。船長が医者だから怪我の処置も適切だっただろう、電伝虫越しのフレイヤは元気そうだった。
 そして律儀な彼女は御礼と称して彼らに料理を振る舞い、折を見てこちらに連絡できるようトラファルガー・ローに頼んだ。奴とはルフィを通して接触したことがあるが、悪い奴ではない――ということはわかっている。話しぶりから察するに乱暴もされた様子はないし、怪我も大したことなさそうでひと安心するべきだろう。

「サボ君、フレイヤが帰ってきたよ!」

 考え事をしていたところにコアラの声が突然聞こえ、サボは乱暴に扉を開けて甲板へ出ていく。「わ、ちょっとそんな急がなくても……」コアラの苦笑する声など気にする余裕はなく、無我夢中でフレイヤの姿を探した。
フレイヤっ……」
 バンッと勢いよく船内から甲板へ出たとき、目に飛び込んできたのはトラファルガー・ローにしっかり抱かれたフレイヤだった。背中と膝裏に男の手が回り、さも当然と言うような顔で彼女に触れている。呆然とその光景を見ていると、こちらの姿に気づいたローが彼女を抱えたまま軽々しくジャンプして近づいてきた。
 思わずその姿を凝視してしまったのは言うまでもない。どうしてお前がフレイヤを抱いてるんだ。勝手に触れるな。いや、フレイヤは怪我をしてるから仕方ないと言えば仕方ないだろう。そんなふうに相反する気持ちがせめぎ合い、サボは胸中で舌打ちをした。
 これはあきらかに嫉妬だ。自分は今、トラファルガー・ローに嫉妬している。フレイヤを助けたのが自分ではなく彼だという事実、ためらうことなく彼女に触れている事実。その場所はいつだって自分のはずなのに。そうした不満や独占欲が目の前の男に伝わってしまったのか、ローがニヤリと意味深に笑った。

「なるほどな。お前の女だったか」
「……」
「安心しろ、怪我の手当て以外は何もしちゃいねェ」

 慣れた手つきでフレイヤを下ろしたローはそのまま周囲を見渡すように船内に目を向けたが、何かを思いだした素振りを見せて「いや……」と再びこちらに視線を戻す。「足には触れたな。それからメシも食わせてもらった。随分と腕のいい女だ、事務仕事をさせとくにはもったいねェ」
 聞いてもいないのにベラベラと喋り、こちらの反応をうかがうような視線が鬱陶しい。いや、これは「うかがう」などという礼儀正しいものではない。完全に煽られている。ここで食ってかかれば相手の思うつぼだ。サボは長い息をゆっくり吐いて気持ちを落ち着かせる。

フレイヤが何の仕事をしてようとお前に関係ない。助けてくれたことと手当してくれたことには礼を言うが、用が済んだら帰ってくれ」
「サボ……」

 フレイヤがおろおろしながら自分とローを交互に見やる。剣呑な空気にどうしたらいいのか困っている様子だったが、これは自分の心の問題であり、目の前の男に嫉妬していることを彼女に知られるのはなんだか余裕がないみたいで情けない。だから一刻も早くここを去って仲間の元へ帰ってほしいのに――
 しかし、ローはその場を動かなかった。それどころか、聞きてェことがあると居座る気満々だった。ここへ来たのは怪我したフレイヤを送り届ける以外にも目的があったようで、むしろ本来の目的はそっちだと主張する。

フレイヤ、お前は先にコアラのところへ行ってろ」
「でも……」
「別に喧嘩するわけじゃない。大丈夫だから」
「……」

 革命軍がこの国にいる理由は、海賊にはあまり関係のないことだ。ドフラミンゴと確執があるようだったが、それももう解決済みのはず。彼らがどこに向かっていて何をしようとしているのか、自分たちには直接的には関係ない。騒ぎを起こしてこちらの邪魔をされても困る。

「単刀直入に聞く。お前らはここで何を調査してる」
「……」
「確かにこの国は最近国王が変わって不安定だが、革命軍が介入するほどのことじゃねェだろう」

 ローの鋭い瞳がこちらを射抜くように見る。ルフィと同じ最悪の世代などと呼ばれているが、弟とは似ても似つかないほど愛想がない男だ。海賊に愛想を求めるほうがおかしいかもしれないが。
 結論から言えば、この国に来たのは事後調査であって現状何か問題があるわけじゃない。すでに異物は取り除かれているので、そのあと国がきちんと機能しているか、いわば確認のようなものだ。それを説明すればローは納得したように口元に手を当てる。

「なるほどな。つまり様子を見に来ただけで、ここに政府や海軍がいるわけじゃねェってことだな」
「ああ。お前達の邪魔になるような連中はいねェはずだ。」

 とはいえ海軍の出入りがまったくないわけじゃないのだが、問題になるほどのことでもない。彼らも物資調達のために寄っただけの島で余計なことに巻き込まれたくないのだろう。革命軍は政府や世界貴族と対立した立場なのでいろいろ面倒事も多く、海賊同様追われている身。極力関わらないほうがいいに決まっている。
 さて、これでここに留まる理由はなくなかったかと思いきや、ローはふいに視線を甲板の向かい側に向けた。その視線の先にいるのは先ほど送り出したフレイヤがいる。

「ところで、あのフレイヤという女だが……一般人の割に海賊に対して耐性でもあるのかなかなか面白い。料理の腕もいいし、見た目も悪くねェ」
「……」
「お前が好きになるのも頷ける。危うくおれも――」
 その先を言わせる前にサボはローの肩を掴んで無理やりフレイヤから視線を引きはがした。突然のことに彼は驚いたものの、すぐに嫌味っぽく笑ってどうしたとでも言いたげにこちらを見下ろす。
「もう見るな」
「独占欲か? 嫉妬深い男は嫌われるぞ」
「――ッ」

 むきになって口を開きかけたが、「冗談だ。……ハッ、革命軍のナンバーツーともあろう人間がひとりの女にご執心とはな。面白ェもんを見せてもらった」
 そう言うと、もう用は済んだのか甲板を歩いて船を下りようとする。去り際、フレイヤに何か話しかけていたが、見る見るうちに彼女の頬が赤く染まるのを見て、腹の底から黒い液体がどろどろと外へ溶け出していく感覚に襲われた。
 以前にも似たようなことがあった。潜入調査でフレイヤがどこかの貴族と親しそうに会話をしていたとき、どうしようもない嫉妬心が体にまとわりつくように渦巻いたのを思いだす。彼女が絡むと、自分は冷静さを欠くらしい。特にほかの男と彼女が自分の知らないところで親密にしていると気になって仕方ない――というのは言うまでもなく、任務のことを一瞬忘れて自分の感情をコントロールするのが難しくなる。
 フレイヤがいい女だということは、誰に言われなくてもサボが一番よく知っていることだ。ましてやほかの男などにわざわざ言われなくとも。
 悔しくてギリッと唇を噛んだサボは、変わらずコアラたちと談笑するフレイヤを見つめたまましばらく立ち尽くしていた。


*


 その日の夜、フレイヤはサボの部屋を訪れていた。同室のコアラになるべく早く戻ってくると伝えたものの、彼女は少し考える仕草をしたあとに「それは難しいんじゃないかな」と言ってフレイヤを送り出した。どういう意味かを問う暇もなかった。

「サボ、コーヒー持ってきたよ」
「ん。ありがとう」

 備えつけのソファに並んで腰かけてサボにコーヒーを渡す。今日の買い物で見つけたマルビア特製のコーヒーだ(さすがに豆を挽くことはできないのでインスタントだけれど)。
 調査も残すところあと一日であり、現状は特に問題がないというから明日も変わらなければそのままマルビアを出航することになる。調査結果の詳細をフレイヤは聞かされていないが、コアラの話では事件後の経過は順調だという。国王が変わり、情勢的には不安定であるものの、新しい国王は国民想いの良い王だというから大丈夫だろう。そういう国はきっとすぐに立ち直れる。
 コーヒーを一口含んで、フレイヤは隣のサボを見つめる。怪我して戻ってきてからというもの、彼の様子はぎこちないものだった。話しかけてもうんとか気のない返事ばかりで、どうしたのか聞いても「なんでもない」の一点張り。だから様子が気になって、部屋に行ってもいいかと尋ねたわけだけど。

「怪我が大したことなくてよかったよ」

 サボがカップの中身に視線を向けたままぽつりとこぼした。その表情はどこか暗くて、元気がないように見える。調査で疲れているのかと思ったが、問題がないというならば特別疲れがたまるということもないはずだ。だったらどうして?

「うん。トラファルガーさんが適切な処置をしてくれたおかげで痛みもそんなにないし。最初は怖かったんだけど、ハートの海賊団の皆さん曰く一般人にはむやみに攻撃することないんだって。お医者さんだからかなあ、人相は怖いのに手つきは優しかった」
「へェ……」
「おにぎりが好きって言うからお礼に握ったんだけど、まさか梅干しが苦手だなんて思わなくて睨まれた」
「……」

 会話を盛り上げようとフレイヤが話すたびに、しかしサボの表情は暗くなる一方でついには相づちも打たなくなってしまった。つまらない話だっただろうかと心配になりつつ、彼の顔をのぞき込む。

「サボ……? ごめんね。つまらない話だったかもしれないけど、元気ないみたいだから気になっちゃって……疲れてるなら私もう帰るから――ひゃっ」

 ソファから立ち上がった直後、右手を引かれて再びソファに沈むことになったフレイヤは、サボの力強い抱擁に身動きが取れなくなった。後ろから首に腕を回して抱きしめられる。「サボ……?」問いかけてみても、返事がない。それどころか、「あ、えっ……ッ」下ろしている髪をすくわれて首元が露わになったかと思うと、ふにっとした感触が伝わった。その正体が唇だとすぐに理解できたものの、フレイヤはされるがままになり、ちゅうっと力強く吸われて体が震える。
(サボ……? 本当にどうしたんだろう)
 ちらりと首を少しだけ動かしてサボの様子をうかがう。唇が離れたあと、こてんと額をこちらの肩に乗せてしまったので表情はわからないが、やっぱり元気がない。そういう雰囲気でしてくるじゃれあいとも違うので、何か思うところがあるのだろう。けれど、フレイヤにはそれがわからないからもどかしかった。
 何度かサボと名前を呼んだ末に、ようやく彼が顔をあげてくれたのでどうしたのか問いかける。もし嫌なことがあったなら、自分でできることであれば彼の力になってあげたい。そう意気込んでいたフレイヤは、しかし彼の言葉でぽかんとする羽目になる。

「……あいつの話なんかするな」
「あいつ……って、トラファルガーさんのこと?」

 聞けば、むすっとした顔がこっちを見ている。肯定こそしないが、ローのことを言っているのは明白だった。これはもしかしなくても妬いてくれているのだろうか。フレイヤが彼の話ばかりするから拗ねたのだとしたら不謹慎にもかわいいと思ってしまう。だって、サボが気にすることなんか何もないのに。

「あのねっ、私が好きなのはサボだし、トラファルガーさんは確かにいい人かもしれないって思ったけど、もちろんサボに対する想いとは全然違うから、その……ごめんなさい」

 首周りにあるサボの腕に自分の両手を添えてフレイヤは俯いた。ヤキモチは嬉しいけれど、彼がつらい思いをするのは違う。もしそのせいで機嫌を悪くしているなら弁解して一番はあなたなのだと伝えなければ――
 ところが、こちらの焦りに対してサボの「へェ」という普段通りの口調でありながら、悪だくみをしそうな空気をにじませた相づちが聞こえた。

「その違いってェのは例えばどういうところなんだ」
「え?」
「おれとあいつは違うんだろ? だからどういうところが違うのか気になってさ。証明してくれよ」

 首が解放されたと思ったのもつかの間、ひょいっと体を持ち上げられてフレイヤはサボと正面から向かい合う形で彼の膝の上に乗っかった。突然のことに驚いて降りようとしたのだが、がっちり腰を掴まれていて逃げられない。おまけに「証明できるよな?」とサボの端正な顔が近づいてきて言葉に詰まる。
「……っ」
 どうしよう。このまま沈黙を貫いたところで、彼は解放してくれないだろう。だったら思い切って行動に移すしかない……?
「こ、こういうこと……?」ちゅ、という小さなリップ音が鳴る。触れるだけの軽いものだったが、フレイヤはサボにキスをした。ぎゅっとつむった目を開けると、彼がじっとこちらを見ていた。嬉しそうにも見えるし、不満そうにも見える。どちらともわからない表情だった。
 一拍を置いて、サボの腰を掴んでいないほうの親指がするりとフレイヤの唇を撫でていき、その仕草がやけに官能的で背筋が震える。

「まさかこれで終わりか?」
「え……んっ」ぺろりと上唇を舐められる。そして、妖しく口元に笑みを浮かべて、
「あいつにはしなくておれにはすること、もっとあるだろ。な、フレイヤ

 その笑顔は傍から見れば優しくて、みんなが知っている参謀総長そのものだけれど、フレイヤには瞳の奥に隠れた獰猛さを感じ取ることができる。サボの唇に食まれた直後、ゾクゾクとお腹のずっと奥深くが疼くのがわかった。

2025.07.18 ローさんに嫉妬するサボくん