ウィンダミア王国の大型カジノ。周辺地域で最大規模と言えるここには、多くの客が娯楽を求めてやって来る。当然国外の人間も多く、基本的に利用客は観光で訪れた大金の保有者で占められているが、中にはVIP客と呼ばれるお得意様もいる。
革命軍が追っているジスター・デルカ・ウィンダミアもまたこのカジノのVIP客であった。彼はこの国の第三王子であり、国土の西側を治めている。手腕の高さでは王子の中でもトップでなのだが、最近とある疑惑が浮上しており、情報が巡り巡って革命軍にももたらされたのだ。
"偉大なる航路"に浮かぶ巨大な火山島、イグニフェル・インスラには十つの国が存在する。ウィンダミア王国も島を構成する国の一つであり、島の東南側に位置している。各国には当然決められた領土が森や山脈を隔てて存在するが、最近その国境付近で小さな諍いが多発しているという。その発生場所というのが、ジスターが治める西側――最西端の町なのだった。
国境付近ということもあり、隣国の者も商売や観光等で訪れることがあるが、両国の人間が頻繁に言い争いをするようになって、たびたび緊張感が漂っていた。事を荒立てないように毎回町長が間に入って事態をおさめているというが、その数が日に日に多くなってきているためいよいよ国王の耳にも届きはじめた。ひいては島の外、革命軍にもその情報が飛び込んできたのだ。
調査の結果、どうもウィンダミア側が隣国の人間に不当な罪をなすりつけて何かとトラブルに持ち込んでいることが判明した。さらに調べると、西を統治している第三王子ジスターが隣国との溝を深めてわざと戦争を起こさせようとしていることがわかった。
ウィンダミアと隣国を比較したとき、軍事的に有利なのは前者だ。騎士団の数、規模、領土から言ってもウィンダミアが負けることはほぼない。ジスターが狙っているのは領土拡大だろうと革命軍は判断し、動向を探るため三日前にサボ達が乗り込んだ次第だ。
王都から東にそれた都市アウルム。大型カジノを中心に大金が動く場所として有名で、国の要人もよく利用する。こうしてサボ達はジスターから詳しい情報を引き出すため、カジノに潜入する算段となった。だが、この作戦を指揮するサボ自身、一つだけ納得いかないことがあり、いまも渋面を作って目の前の女にくどくど小言を言っている。
「いいかフレイヤ。あくまでもお前は接待してそれとなく情報を引き出すだけだ。危ねェことは絶対にやめろ」
黒いレオタード――とかいう非常に布面積が少ないもはや下着とどこが違うのかと問いたいレベルの服に、網タイツと黒いピンヒール(コアラの話じゃピンのように尖った先端の細い女用の靴をそう呼ぶらしい)を履いて、襟とセットになった蝶ネクタイ、ご丁寧にカフスまで身につけたフレイヤがそわそわしながら従業員のみ出入りできるバックヤードで小さく頷いた。
カジノと言えばバニーガールなんてどこの誰が言い出した文化なのだろう。目のやり場に困るほど可愛いが、自分だけが見ていい姿であって他人が――それも知らない野郎どもが見ていいわけがない。それがどうして彼女がこんな格好することになったのか。サボはマニュアルに記載されたバニーガールの条件を忌々しく見やった。
「心配しないで。自衛はちゃんとするし」
「……」
「サボ……?」
「っだァ〜〜〜くそッ……こんな尻尾まで付けやがって」
フレイヤの腰に取りつけられたウサギの丸い尻尾を掴む。レオタードってやつは背中も大胆に開く服なのか、白い肌が見えすぎる。コアラによって下ろした髪は軽く巻かれていつもより大人っぽい仕上がりだし、化粧だってやけに目元がキラキラしていて男を誘うには十分だ。この格好で王子を接待する? やめてくれ。胸の内はすでにここにいる客達への嫉妬でいっぱいだった。マニュアルには、性的な接待は一切行わないと書かれていたが所詮ただの紙きれだ。従業員の目が届かない場所で、体に触れたり、別の場所に連れ込んだりする客がいてもおかしくない。
「なァ、本当に――」
「サボ君、気持ちはわかるけど大事な任務なんだからいい加減あきらめて! それに私達も近くで待機するし、いざとなったら助けられるよ」
コアラがサボの肩を叩いて慰めようとする。いざとなったらと言うが、そういう事態になったら自分がどういう精神状態なのか想像できないのでまずはフレイヤが危ない目に合わないようこっちで目を光らせておくほかない。幸い、自分やコアラのほかにハックは従業員として、部下数人が客として徘徊するので仲介できる人間は多くいる。何より自分がいればフレイヤが危険に晒されることなど絶対にさせない。
バックヤードが騒がしくなり、ほかの従業員たちがシックな衣装を身にまとってカジノへ出ていく。当然彼女のほかにもバニーガールの恰好した女はいて、やはり同じように見えそうで見えないという際どさが男の欲望を駆り立てる。サボにとってフレイヤ以外興味は一切ないが、生物学上同じ性別として男の性というものは理解している。ああいうのに弱い男は多い。
「じゃあ行ってきます」
扉に手をかけたフレイヤが振り返って小さく手をあげた。それに応えるように、コアラと一緒に手をあげて彼女を見送る。ヒールのせいでいつもより高く見えるからか、歩く姿がやけに妖艶に映って本当に目に毒だった。
可愛いウサギがカジノという薄汚い場所に放たれようとしている。バニーガールの条件――身長百六十未満の女性というたった一つの条件を見事クリアしたフレイヤは、金に飢えた卑しい野郎どもがいる煌びやかな世界へ消えていく。
「ほらサボ君、私達も行かなきゃ」
「……ああ、わかってる」
黒と白で統一された従業員の恰好したサボは、コアラに先を促されてようやく足を踏み出す。任務のためと何度も胸の中で唱えながら、たった今フレイヤが通った扉をくぐった。
*
豪華な装飾とジャズ音楽であふれているフロア内は、あっという間に紳士淑女の遊び場と化した。当初カジノという場にあまりいいイメージは抱いていなかったのだが、いざバニーガールとして立ってみると健全なナイトクラブという印象だった。併設されたバーやレストランもすでに大勢の客が楽しんでいて、これなら安心してもいいだろう。サボが心配するようなお触りしてくる男性客は今のところいない。
バニーガールの衣装はフレイヤの意思で着ているわけではないが、自分だけではないと思えばいくらか心が楽になった。中にはディーラーのバニーガールもいるし、大胆にライターを谷間に挟んでもてなすスタイルのバニーガールもいる。しかし、下品というわけではなくあくまで「魅せる」ことを意識したパフォーマンスという感じだった。
フレイヤも彼女たちに倣ってカクテルを持って行ったり、客を案内したりと接客業を営んできた身として様になる振る舞いをした。上質な服装と身に着けているアクセサリーを見れば一目瞭然だが、羽振りのいい客ばかりであることは間違いない。観光客の可能性が高そうだ。サボの話では、VIP客の中には国の要人たちも多く利用するというので、革命軍が追う第三王子もそろそろ――
「君、見たことない顔だな。新入りか?」
考え事をしていたせいで背後から近づいてくる足音にまったく気づかず「きゃっ」と、とっさに飛びのいて相手と距離をとった直後、バランスを崩してよろけた。慣れないピンヒールを履いているせいで転びそうになったのだが、「危ない!」と目の前の人物が手を伸ばして支えてくれたので事なきを得る。
焦ったフレイヤは動揺を隠しつつ、助けてくれた人からそっと離れて「ありがとう、ございます。大変失礼いたしました」と会釈した。
そしてまじまじと声をかけてきた人物を見つめて、はっと息をのんだ。切れ長の目にスッと通った鼻、髪は綺麗な銀色のストレート。黒のフォーマルスーツ(タキシードにボウタイ)を身にまとったウィンダミア王国第三王子、ジスター・デルカ・ウィンダミア本人だったのだ。背後に立たれていたことにまったく気づかなかった上に、予想に反した紳士の態度に困惑する。隣国に戦争をけしかけて領土拡大を狙う用意周到な人間という情報から察する彼の人物像は、決してこのような人の好い笑みを浮かべる人ではないだろう。
フレイヤは視線をさまよわせて、どう切り出すか必死に思考を巡らせた。当たり障りなく情報を聞き出すにはどうしたらいいのか――しかし、フレイヤが戸惑っているうちに相手のほうから近づいてきて見下ろされる。
「随分と可愛いらしいウサギだな。ほかの女性に比べて初々しさがうかがえる」
「あ、えっと……今日からこちらで接客しているフレイヤと言います」
「そうか……では、今日は君にお願いするとしよう。いつも私が頼んでいるものと、アレキサンダーを一つ持ってきてくれ」
「……かしこまりました」
失礼のないようにお辞儀をしてから、フレイヤは併設されたすぐ隣のバーカウンターまで向かった。まさか相手のほうから接触してくるとは思わず、心臓がばくばくと激しい音を立てているのを抑えて、ほうっと深呼吸する。願ってもないチャンスだ。ここで自分がしっかり王子の動向を探ることができれば、革命軍にとって大きな利益となる。戦うことはできなくても、接待で相手を油断させることは接客業をしているフレイヤにもできることだ。
アウルムのカジノにはバーやレストラン、ホテルといった施設が併設されている。カジノを利用しなくてもホテルに宿泊したりレストランを利用したりすることが可能なので、カジノがオープンする前から多くの人で賑わっていた。
フレイヤはバーテンダーに第三王子が来店したことを伝え、彼の言う「いつもの」と「アレキサンダー」というカクテルを注文した。待っている間、ジスターの様子をそっとうかがう。高級カジノなだけあってスロットの類はなくテーブルゲームばかりがそろう中、彼はスリーポーカーのテーブルに座っていた。VIP客にしか与えられない、金の剣のピンバッジが左の襟元でキラリと光る。お金を多く落としていく彼は、バニーガールの知り合いも多いらしい。通りかかるたびに接待女性へ軽い挨拶をしていた。
しばらくして二つのグラスを受け取ったフレイヤは、落とさないよう注意しながらジスターのいるテーブルへ持っていく。<グランツ・カヴァナ>で接客していたときのような、身軽な服装ではないので急ぎすぎるとさっきのように転んでしまう。慎重に、けれどなるべくテキパキと王子の元へ戻ったフレイヤは彼の席の空いたスペースにカクテルを差し出した。
「お待たせいたしました。こちらが「いつもの」カクテルと、アレキサンダーです」
ジスターの言う「いつもの」はジンベースのギブソンというカクテルだった。度数の高い酒だが、アルコールに強いのだろうか。だとしたら一筋縄ではいかなそうだ。
もう一つのアレキサンダーはブランデーベースで、生クリームとチョコレートが合わさった女性でも比較的飲みやすい甘いカクテルだ。どうして二つも注文したのかはわからないが、辛口と甘口の両方を楽しみたいのかもしれないと勝手に解釈して、フレイヤはいつでも動けるよう彼の近くで待機する。と、渡したはずのアレキサンダーがなぜか自分の前に戻ってきて「……?」首を傾げた。
「こっちは君に」
「え……?」
「初めてなんだろ? そういう子にはいつも贈ってるんだ、ほら」
「えっと……一応接客中ですので受け取れません」
マニュアルには客と飲み交わしてはいけないと記載されていないが、フレイヤの目的は情報収集することであって接待がメインではない。それにこちらが飲んでしまえば、思考力や判断力が鈍って任務に支障をきたす可能性が出てくる。そうなっては、サボたちに迷惑がかかってしまうので、ここは何としてでも断らなければならない。
しかし、フレイヤの思惑とは裏腹に王子の目がぎらりと鋭く光った。それまでの紳士的な表情とは違って、獰猛な雰囲気を漂わせる。
「私の酒が飲めないとでも?」
「……ッ」
「大丈夫。別に変なことはしないさ」
「あっ……」
腰を引かれて隣の椅子に強制的に座らされた。拒否することを許さない圧を肌で感じたフレイヤは、ディーラーからの「VIP客には逆らうな」という目配せにより、結局その場にとどまってジスターの様子をうかがうことになった。
最初こそ単純にスリーカードポーカーをディーラーと楽しんでいた彼は、他愛のない世間話をフレイヤに聞かせ、時折こちらにも当たり障りのない質問をいくつか(たとえばどうしてここで働いているのかなど)してきた。彼の手元にはチップが少しずつ積まれていき、ギャンブルにおける強さがうかがえる。実力はもちろんだが、運も強いのだと思う。先ほどの獲物を狩る目が嘘だったかのように彼の口調は穏やかで、時々声に出して笑っている姿はまるで一般人と変わらない。
しかし、カクテルグラスの中身がなくなるという頃、ジスターの態度は一変して目つきが鋭くなった。
「フレイヤ。君は××という国を知っているかな」
低くて重たい声がフレイヤの右耳に響く。ちらりと視線をジスターに移すと目が少し赤い。酔いはじめているのは一目瞭然だった。酒に強くはないのだろうか。
「名前は存じています。ウィンダミアの西側に位置する隣国ですね」
「そう。あそこは自然が豊かな国だ、資源も多い。しかし国王が平和を望むあまり軍事力が弱い。あれでは周囲にすぐ攻め入られる」
「ジスター王子殿下は、西方地域を統治されているとうかがいました」
酒に酔っている彼から情報を引き出すなら今だろう。ディーラーがいるのは気がかりだが、向こうから話を振ってきたので不審に思われることはないはずだ。フレイヤの言葉に、ジスターはふっと口元を緩める。「よく知っているな……君は、バニーガールにしては賢そうだ。そういう子は嫌いじゃないよ」少しずつ口調が砕けたものになっていく。三日月型に弧を描いた口が、フレイヤにはひどく歪んで見えた。
「だが、そういう込み入った話はVIPルームに移動してからにしよう」
2024.03.19 カジノ任務編part1