カジノ任務(2)

 連れてこられたのはカジノの奥にある三つのVIPルームのうちの一つだった。高級そうな赤い布地のソファと一台のルーレット――カジノの王様とも呼ぶべき代表的かつ人気の高いゲームが置かれている。
 ジスターは、フレイヤにソファへ座るよう促すと自分はルーレットの前のアンティークな木製の椅子に腰かけた。ついてきたディーラーとゲームをしながらフレイヤに語るのは、隣国との戦争を計画していることだった。
 隣国とウィンダミアとの確執を深め、何も対策を打たない国王に国民が不満を持ちはじめるのを狙う(国王の耳にも届いているようだが、裏でジスターが上手く言いくるめているようだった)。そうやって波風を立たせて怨嗟の声を広げていけば、自然に反乱は起きる。彼はそれを待っている。そしてウィンダミアが攻め入れば、軍事力の低い隣国はすぐに白旗を上げることになる。そうなれば領土拡大も夢ではない。
 嬉々としてそう語るジスターの目は、将来国を担うだけあって貪欲だった。国益を望む彼は、ある意味王の器として相応しいのかもしれないが、犠牲を伴う国益にどんな意味があるのだろう。フレイヤには理解できなかった。
 そのあとも彼は、隣国の商人にケチをつけたり、物を盗んだと盗人扱いしたりと町人たちをけしかけてあらぬ疑いをかけていると次々に喋ってくれた。酔うと饒舌になるのか、第一、二王子を押しのけて次期国王の座を狙っているという聞いてもいないことまで打ち明けた。やはりこの男が石を投げて無駄な争いを作っていたのだとわかり、軽蔑の目を向ける。
 しかし、ジスターは気にすることなく椅子から立ち上がると、フレイヤの隣に腰かけてから「グラスの中身がないね。注文してあげよう」とフロアスタッフを呼びつけようとしたので、

「あ、お酒はもう結構です。少し酔ってきたみたいなので……」

 今度ははっきりと断りの言葉を伝えた。
 流されるままアレキサンダーというカクテルを口にしたフレイヤは、甘いのをいいことにすべて飲んでしまったのだが、ベースは度数の高い酒なので酔いがここにきて回ってきた。これ以上飲んだら歩くのもままならなくなってしまうのが目に見えている。

「なら、私がいつも利用するスイートルームへ行って休もうか。君とはもう少し一緒にいたい」ジスターがさらに距離を詰めてきた直後、
「ゃ……ッ」
 胸元にチップを二枚押し込まれて悲鳴を上げた。
 思わず後ずさって彼から離れようとしたのだが、すかさず手首を掴まれて自由を奪われる。少々鈍っていた思考回路が一気に覚醒してフレイヤは恐怖を覚えた。やはり紳士の皮をかぶった下衆王子だ。確かにそういう接待の仕方もあるのだろうが、フレイヤはあくまで情報収集するための仮の姿。こんなことをされるためにバニーガールを買って出たわけではないし、何よりあれだけ心配していたサボに見られたら――

「お客様。失礼ですが、彼女は今日ここに来たばかりですのでそういった行為はお控えください。それに、王子殿下をお待ちのバニーガールならたくさんいますよ」
「……ッ」

 鼓膜を揺らしたのは、とても低くて抑揚の一切ない男の声だった。他人にはわからないだろうが、ものすごく怒っているときの"それ"でフレイヤの背筋が凍る。いつの間に入って来たのか、男――サボはソファ越しにフレイヤ達のすぐ後ろにいた。白いワイシャツに黒のベストとボウタイを着用したカジノ従業員という装いは、すっかりフロアに馴染んでいて違和感がない。
 ジスターから掴まれた手首を振り払うことができないフレイヤはただ事の成り行きを見守るしかなかった。

「ここはVIPルームだぞ、いくら従業員でも勝手に入ってくるのはいただけないな」
「お言葉ですがジスター王子。私はシフトマネージャーです。この時間帯の監督責任はすべて私にあります。今すぐ彼女から手を離していただけますか」サボの声がまた一段階下がる。
「しつこい奴だな。彼女は今から私の部屋に――」
「いいから離せ。汚ェ手でフレイヤに触るな」

 サボの威圧感ある声と同時に、彼の手がジスターの腕をひねり上げた。その握力にジスターは「痛ッ……」と軽い悲鳴を上げて手を引っ込めたのでフレイヤの手首が解放される。腕を押さえながらうずくまっているジスターにディーラーが駆け寄るが、VIPルームの入口からコアラやハックが入ってきて場は騒然となった。王子は訳が分からないといった表情で困惑しつつ、従業員に扮したコアラに宥められている。
 ようやく自由になり、ほっとしたのも束の間、今度はサボに右手をとられてフレイヤは強制的に立たされると、上手くバランスが取れずに彼の体に真正面からぶつかった。すぐに謝ろうとしたのに、フレイヤが口を開くより早く彼のほうがどんどん進んでいこうとするので、なぜだか不安に駆られる。

「行くぞ」
「え……でも、」ちらりとジスターのほうを振り返って様子をうかがうと、
「心配すんな、あいつならコアラ達が対応してくれる。お前はこっち」

 そう言うサボの表情は暗くて怖かった。
 以前の潜入任務でも、彼はこんなふうにして怒っていたことがある。自分の不手際のせいで彼を怒らせてしまい、そのあと気の済むまで抱かれた。普段は優しくて思いやりのある彼は、知らない男性が絡むと嫉妬心を露わにする――ということは、再会してからの数か月で知ったことだが、こういう事態は滅多に起こらないことなのでフレイヤもただ困惑するばかりだ。相手を接待するためとはいえ、お酒まで飲んでしまったことはサボの逆鱗に触れたかもしれない。

「ごめんなさい……」

 思わず口から出たのは謝罪の言葉だった。何に対する謝罪だろうと自身で考える。任務として言えば成功したし、強いて言うならジスターに無礼な態度をとったことだが、そんなのは微々たる問題だ。やっぱりサボを怒らせてしまったことへの罪悪感がフレイヤには拭えない。
 VIPルームを出た彼は、バックヤードに戻るのかと思えば、併設しているホテルのほうに向かっていった。実は潜入するためにこのホテルに宿泊しており、上層階に各々部屋をとっている。エレベーターに乗り上から三つ目の二十一階のボタンを押した彼は、沈黙したままじっと正面の開閉扉を睨みつけていた。フレイヤの声は聞こえているだろうに応えてくれないのが苦しかった。

「サボ……私、」
「抱きたい」
「え?」
「やっぱりお前にそんな恰好させるんじゃなかった。今、おれはすげェ気分が悪い」
「それは、でも……コアラちゃんだと規定に反するから仕方なく――」
「そうだとしてもフレイヤ。お前のその恰好は、お前が思ってる以上に男を誘惑する。わからないかもしれねェけど……」

 サボ。と名前を呼ぼうとしたら、エレベーターが二十一階に到着したのか、チンという音とともに扉が開いた。開く時間さえ惜しいと言わんばかりに、扉が開ききる前に出ていくサボの腕に連れられるままフレイヤはただ怒りを露わにする背中を見つめるだけだった。
 どうしよう。もう何を言っても無駄かもしれない。彼の怒りを鎮める方法は――と、考えているうちに宿泊している部屋の前にたどり着く。

「前ほど冷静さは失ってねェつもりだが……今日はめちゃくちゃに抱いていいか?」

 振り返ったサボの不安そうな瞳が揺れる。いいか、と聞く余裕があるだけ確かに以前より理性が保たれているのかもしれない。
 フレイヤはこっくりと頷くと、自分から彼に抱きついて唇を重ねた。

2024.03.19 カジノ任務編 part2