それをかわいい恋と呼ぶ

 サボと奇跡の再会を果たしたは、けれどドラゴンの提案によってしばらく革命軍の本拠地で世話になっている。どのくらいの期間なのか具体的な日数は特に決めていないが、少なくとも半年ほどはとどまるよう言われた。
 そういうわけで、セント・ヴィーナス島の知り合いには一言手紙を出しておいた。いきなり姿を消してやきもきしている常連客もいるだろう。昨日になってニコスから安否が確認できて胸をなでおろしたという返信が届いた。やはり心配させていたので申し訳なくなる。
 モモイロ島に来てすでに三週間が経とうとしている中、所属も何もないが"ただそこにいるだけ"では申し訳が立たないという理由でコアラから仕事がないか頼んだのが五日前。給仕や掃除、洗濯は間に合っているらしく、無理やり絞り出してくれたのが倉庫の整理整頓だった。
 情報通信室や幹部の執務室がある階のいちばん奥に、その部屋は存在する。縦に長いそこは、無秩序な世界が広がっていた。コアラに案内されて初めて入ったときの衝撃は忘れない。扉を開けて早々、埃が舞ってせき込んだはおそるおそる尋ねた。
 "コアラちゃん、まさかこれ全部……?"
 "えへへ、やりがいあるでしょう? 何日かかってもいいからね"
 笑顔でとんでもない発言をし、日付が十年以上前のものは捨てていいというわかりやすい基準だけ残していった彼女は執務室へ消えた。
 一体どのくらい放置されていたのか、整理整頓の六日目となる今日も終わりが見えなかった。床に散らばる紙の束と本の山。それと誰かの私物と思われる物が多数。自分の部屋に置けなくなったけど、捨てることもできない。じゃあ倉庫に入れてしまおう。の想像にすぎないが、たぶん間違っていないはずだ。
 左右にある窓を開け放ち、換気しながら書類をさばく。本はひとまず棚に並べ、私物は捨てていいのかわからないから端に避けておく。ようやく部屋の床にあったあらゆる物の選別が終わったところで、一度床を水拭きするためには靴を脱いで裸足になった。事前に借りておいたモップを、水を溜めたバケツに浸す。ぱしゃん。ある程度埃ははらったものの、モップはすぐに黒く染まっていく。やはりまだまだ時間はかかりそうだった。

「進んでるか?」
「ひえっ!」

 水拭きに集中していたは突然後ろで聞こえた声に間抜けな叫び声を上げた。その拍子につるりと床を滑って尻餅をつくというオマケ付きである。尻を打ちつけ「いたあ」と嘆きつつ、声の主を恨みがましく振り返った。犯人はわかっている。

「何してんだよ、危なっかしいな」言いつつ部屋に入ってきたサボがの脇を抱えて立ち上がらせた。誰のせいだと思って……と文句をのみ込んで何しに来たのか一応聞いてみる。

「何って、様子見に来た」
「またそれ? 別に掃除してるだけだよ、それに昨日の今日じゃ見栄えも大して変わらないし」
「まァ細かいことは気にすんなよ」

 あの頃と変わらない、けれど確実に大人びた笑顔で言ってのけるサボの肩書きは参謀総長だと聞いている。そして同時に革命軍のナンバー2だという。つまりドラゴンの次に偉い立場なのだ。それが今はどうだろう。が倉庫の掃除を始めた途端、毎日どこかのタイミングで必ず顔を見せに来る彼は、とても偉い立場だとは思えない。ちゃんと仕事してるのかと問いただしたいところである。
 私が馴染めてるのか気にしてくれているのかもしれないけど――それにしたって、子どもじゃあるまいし毎日確認しなくてもいいだろう。細かいことは気にするなと彼は言うが、さすがに気にしないわけにはいかない。

「あのさ、サボ。心配してるのかもしれないけど、私ひとりでも大丈夫だし。というか掃除してるだけだから」

 ここで本当は会いに来てくれるのは嬉しいと素直に言えたらよかったのかもしれないが、あいにくは幼少の頃サボを好きになって以降ほかの誰に対してもそういう感情を抱いたことがないせいで、こと恋愛に関しては疎い――というより奥手だった。
 感情表現は不器用なほうではないと自負しているものの、サボとは四歳の頃会ったきりでそのまま約十七年の空白期間がある。突然大人になった彼と再会していきなりそういう雰囲気になるわけもなく、まだ出会った頃の延長線上にいる気がした。
 ――だって、見違えるくらい格好良くなってるんだもの。
 私の知っているサボは、欠けた歯が可愛らしい少年だった。なんとなく面影は残しつつ、けれどしっかりと男に成長して現れたら、戸惑うのも仕方ないというもの。
 それに結婚しようとは言ってもらえたが、彼には為すべきことがあるし、にも新しい故郷がある。おいそれと進められる話ではない。
 ちらっとサボに視線を移せば、の言葉に窮したのか困ったように腕を組んで唸っていた。

「やっとの思いで再会した婚約者と離れたくないんですよね総長」

 また別の場所から新たな声が届く。サボの後ろをのぞくと、扉に身体を預け呆れた目で彼を見ているコアラがいた。どうやら部下にも仕事をほっぽり出してここに来ていることが知られているようだ。

「げ」
「まったく、毎日毎日。に嫌われるよ?」
「ンなわけねェだろ」
「しつこい男は嫌われるんです」
「おれはしつこくねェ! が気になるだけだ」

 軽口を叩き合う二人をよそに、の顔に熱が集中する。さらっと言われたが、サボはのことが気になるらしいし、先ほどコアラが言った台詞を否定しなかった。
 "やっとの思いで再会した婚約者と離れたくない"
 嬉しさと恥ずかしさと。言いようのない感情がこみ上げてくる。胸の奥がぎゅっと締めつけられる感覚がする。これは――昔も同じ感覚になったことがある。彼のことが好きだと思う。その瞬間、体中に血が駆け巡ってじっとしていられなくなる。
 思わず二人から顔を背けて口元を覆った。どんな表情をしているか自分でもわかる。だらしないところを見られたくなくて、さりげなくやったつもりが目ざといコアラは見逃さなかった。

「ああ! が赤面してる」
「ちょ、コアラちゃんっ……!」

 覗きこもうとしてくるので慌てて隠すようも必死になる。可愛いなあ、なんて悠長なことを言われてまるで子ども扱いだ(コアラちゃんとは一つしか変わらないのに)。
 耳まで赤いから隠せてないよ。楽しんでるようにも聞こえるコアラとは逆に、急に静かになったサボが気になってふと視線を向けた。すると右手で顔を覆い、盛大にため息をつく姿が目に入る。ややあって、くそーと嘆いたかと思えば扉のほうへ踵を返した。

「なんでこのあと会議があるんだ」
「前々から決まってたでしょ」後ろをついてくるコアラに「早く終わらせよう」と総長らしからぬ発言をし、振り向きざま「。またあとで来る」これまた全然懲りていない発言を残して倉庫を出ていった。
 しばらく呆けて二人を見送ったは、火照る顔を冷ますようにせっせとモップを動かしはじめた。
 この調子じゃ、恋人どころか結婚なんて夢のまた夢かもしれない。

2021/9/4