微睡むジェリーフィッシュ

 午後の作戦会議が時間変更になったことを知らせにサボの元へ向かったコアラが執務室の扉をノックすると、しかし中からなぜかの声でどうぞと返ってきた。あれ、と思って中へ入ると驚くべき光景が視界に入ってきてドアノブを持ったまま立ち尽くしてしまった。
 コアラの反応にが苦笑しつつ、「こんな格好でごめんね」と謝ったが、今の彼女は立ち上がることができないのだから仕方ない。同じ姿勢でいるのはつらいものがあるだろうに、いつからそうしているのかわからないものの、の表情は穏やかだった。相変わらずサボに対して甘いというか、一応勤務時間中であることは念頭に置いていても、きっと疲れているのを見かねて了承したのだろう。心なしか上司の顔も穏やかなので、注意するのも無粋というものだ。

「珍しく何度も欠伸を噛み殺してたからね、聞いたの。もしかして疲れてるのって」

 が視線をコアラから自身の膝へ移して優しく笑うと、そこで幸せそうに眠るサボの髪を撫でた。往復する手つきから丁寧でこの上ない優しさを感じ取ることができる。
 ソファに腰かける彼女の膝を枕代わりにして、上司がすやすやと眠っていた。目に飛び込んできた光景にコアラは最初こそ驚いたものの、事あるごとにに構うサボを見ているせいか呆れることこそすれど特別なことだとは思わなくなった。
 彼にとってと過ごす時間は平和的日常なのだ。任務に追われる日々を送っているからこそ、束の間の休息くらい大目に見てあげてもいいだろう。もちろん限度はあるけれど。

「そっか。ここのところ訓練や会議、任務が続いていたからそのせいかもね。まあその割にはお盛んみたいだけど」
「えっ……」の頬がじわじわ赤く染まる。
「バレてないとでも思ってる? わかってるんだからね」
「そ、そうなんだ……」
「別に怒ってるわけじゃないよ。サボ君の機嫌がいいからすぐわかるだけ」

 これが実際本当にわかってしまうから、この二人のすごいところだ。別に口に出しているわけでもないのに、翌日のサボが快活で機嫌よく執務室に入ってくると勝手にこちらで察することができてしまう。まあ仕事が捗るので構わないのだが。
 逆にのほうは動作がぎこちなかったり、痕が隠せてなかったりとサボとは違う形でわかりやすい。ここに来た当初は恥ずかしがって言葉を詰まらせることが多かった彼女も、今では赤面こそするが堂々と受け答えするようになった。根が素直なので、嘘はつけないし誤魔化すのも苦手なのだろう。そこが彼女の良いところであり、微笑ましいところだった。

「最近忙しかったから今回は特別に見逃してあげる」
「ごめんね、ありがとう。一応一時間って決めてはいるから」
「いいよ。会議は夕方に変更になったから寝かせてあげて」

 手を挙げてに別れを告げると、コアラは邪魔をしまいとすぐに執務室を後にした。
 仕事の途中でああなってしまったのかと思ったらどうやら違ったらしい。去り際、執務机を見たらきっちり仕事が片付いていたので抜かりない。
 コアラは上司の無防備な姿を思い出して、くすくす笑いながら廊下を歩いていく。


*


 三回目だ、とは口に出さずに心の中でカウントした。
 今日は通信部での仕事がなくサボのサポートをすることになって執務室にいたのだが、机上のコーヒーを手にする瞬間、彼が欠伸を噛み殺したのをは見逃さなかった。一回ならまだしも今日はやけに多いなと気づいたのはこのときだ。
 仕事が忙しいのは珍しいことではないので気にする必要はないかと思ったが、普段あまり見られない挙動が多いとなると気にしないほうが無理な話だった。近くのテーブルで書類の仕分けをしていたは、だから聞いたのだ。

「サボ。もしかして疲れてる?」

 問いかけに対して、彼は一瞬ぽかんと呆けた顔を見せた。聞こえていなかったわけではなく、こちらの質問が意外だったのだろう。しかしすぐに理解したサボは少しばつの悪い表情を作って頬を掻いた。

「なんでそう思う?」
「……欠伸の回数多いなって」

 言ってからは失言かもしれないと後悔した。一生懸命仕事をしている人間に欠伸が多いなんて失礼にも程があるのではないだろうか。考え無しに発言してしまったことに対しては慌てて謝る。

「ごめん。頑張ってるのに失礼なこと言ったね、今のなし」
「疲れてるって言ったら何かしてくれるのか?」
「えっ……」

 まさかの返しには戸惑った声を出した。頬杖つきながら楽しそうにしているサボと目が合って、思わぬ方向からカウンター攻撃を食らってしまった。こちらの失言を逆手に取ってそうくるとは。
 何かしてくれるのかって、そんなこと言われてもなあ。どうしよう。
 そうして答えに窮している間に、サボが席を離れていつの間にかの目の前に立ちはだかっていた。

「ちょうどきりがいいとこだったんだ。休憩がてら貸してくれよ」
「……?」


 貸してくれよってそういう意味だったのかと、は少しくすぐったさを覚えながら自分の膝に乗っかる重みに苦笑した。微かな恥ずかしさを残しつつ、けれどいつもと違う目線でサボを見ていることに心臓がどきどきしている。
 少しウェーブした金髪が自分の膝で無造作に散らばる光景はなんだか不思議な感覚だった。いつもは仄かな明かりの下でしかわからない部分が今日は鮮明に映っている。が知っているのは、出会った当初である四歳のサボと今のサボだけ。その間にどんな経験をしたのか詳しくは聞いていないが、顔の傷が忌々しいものだということはなんとなく理解していた。隠すように前髪を流していることも。あえて触れることはしないけれど、お互い"貴族"には良い思い出がないから聞かないままでいいとも思う。
 傷から視線をはずして、はさっきから気になっていたことを口にする。

「痛くない? 寝心地悪くない……?」
「だから大丈夫だって。あーあ、一日このままがいいなァ」
「もうなに言ってるの。今日は作戦会議があるんでしょう」
「わかってるよ。でもよく眠れそうだ」

 下から屈託のない笑顔が向けられてむず痒くなる。どうもこの角度は慣れないせいか正面から向き合うよりよっぽど恥ずかしさが増すらしい。でもサボが休憩を取れるならこれもまた悪くないと思う。コアラやハックといった仲間の誰かが来るかもしれないということが頭によぎるも、今のにはサボが気持ちよく過ごせるなら何でもしてあげたい気分だった。
 それに、この体勢でいるとどうしてもあれをやってみたくてそわそわと落ち着かない。中途半端に右手をサボの頭に持っていっては下ろす、という動作を繰り返している。そのせいで「さっきからどうしたんだよ。緊張してるのか?」と、サボがおかしそうに笑った。
 緊張しているわけではないが、言うか否か迷った末、結局はこの機会を逃すまいと勇気を出すことにする。

「ねえサボ」
「ん?」
「その……なんていうか、撫でてもいい?」
「……」
「あ、やっぱりだめかな」

 無言のままサボが口元を押さえて難しそうな顔を作っていた。
 こういうことは断ってからやるべきなのか、それとも勝手にやっていいのかよくわからなかった。人によって頭を撫でられるのが苦手という場合もあるから一応聞いてみただけで、サボはどっちなのだろう。彼から撫でられたことはあっても、のほうからサボに同じことをした覚えがなかったから判断に迷ったのだ。そう思って聞いたのだが。
 この表情はどういう意味なんだろう――でも「いい」と言ってくれないということは、やはり撫でられるのは好きではないのかもしれない。

「いや、そうじゃねェ……ただ――」

 が勘繰ってマイナスな方向へと想像しているあいだに、サボがまた新しい顔を作っていた。今度はなんだか恥ずかしそうに見える。

「あ、わかった。もしかして照れくさいんでしょ」
「はあ?」
「隠さなくてもいいのに。よし、今日は私がサボを甘やかしてあげる。ふふ」
「……何だよ、笑うな」
「んーサボがかわいいなって」

 綺麗な金色に指を絡めて、その手を往復させる。サボはかわいいと言われたのが気に食わないらしく、つまらなそうに口を尖らせた(そういうところがかわいいのだけれど)。
 撫でられるほうは経験から気持ちいいとわかっているが、撫でるほうも気持ちいいものなのだとはこのとき初めて知った。

「おやすみサボ。一時間したら起こしてあげる」
「……ん」

 余程疲れていたのだろうか、むすっとした表情はすぐに崩れていき、瞼がゆっくり閉じていく。すでに微睡みの中のようだ。
 今は誰も部屋に来ませんように。そう願って、はサボの寝顔をいとおしそうに見つめた。

2022/09/01
たし恋見てみたいエピvol.7
サボくんに膝枕する夢主