甘く溶ける恋

「コアラさん! 頼まれてた資料持ってきました」

 資料室よりもさらに大量の書類を保管する倉庫から戻ってきた私は、目的の人物を談話室で見つけて声をかけた。休憩中だったようだ。ほかにも何人かがくつろいでいたり、仮眠をとっていたりする。

「ありがとう。ただ、このあと別件で打ち合わせだから、サボ君に渡しておいてもらえるかな」
「え、そうなんですか? だったら出直しますけど」
「ううん。この資料を必要としてるのはサボ君だから大丈夫。ちょうど今、あそこに――あ、」

 あそこで、とコアラが指さした方向――私から見えている景色とは逆、つまり真後ろの方向に参謀総長はいるらしい。しかし、なぜかコアラは途中で言葉を切って何やら呆れた顔をした。
 どうしたのだろうと気になって振り返り、その視線の先をたどる。

「あ……」

 しかし私もまた同じように声を漏らして固まる。狭くはないが、食堂に比べたら広くもないこの談話室のソファの隅に私の視線は釘付けになった。
 総長は確かにそこにいた。休憩中と言えば見えなくもないが、その手には何かの書類が握られているし、そばのテーブルにも複数の紙が見える。おまけに彼は一人ではなかった。
 革命軍としてはまだまだ下っ端の兵士である私でも、総長の恋人の話は噂に聞いていた。幼い頃に出会って結婚の約束を交わしたのに、離ればなれになってしまったのだという。しかし、十七年という長い歳月を越えて奇跡的に再会を果たし、今は本部で世話になっている、というのが彼の恋人であるの事情だ。
 初めて聞いたときは到底信じられなかった。なぜならこの広い海の上で離ればなれになったら、再会することは想像するよりはるかに難しいからだ。連絡手段があるならまだしも、二人の場合はかなり特殊だと聞いているからなおさら信じ難い。
 あ――
 私は目に映った光景に恥ずかしくなって思わず顔を覆った。
 総長の腕がの腰に回って抱き寄せたかと思うと、そのまま彼の足の間に華奢な体がすっぽり収まってしまった。どうやら彼女は飲み物を届けに来ただけのようだったが、引き止められてああなってしまったみたいだった。
 は抜け出そうと必死に抗議しているが、彼がそれを許さないとでも言うように後ろから回した腕でしっかり固めていた。総長のその態度に諦めたのか縮こまって渋々そこに収まったものの、ちらちらと周りを気にしているのがここからでもわかる。彼はどこ吹く風で、彼女を抱きしめたまま器用に仕事をしている、ように見えた。

「仲が良いんですね、本当に」

 気づけばそう漏らしていた。言うつもりはなかったのに、口から勝手に溢れていたのだ。
 私の言葉にコアラは「やっぱりそう見える?」と呆れているような、でも微笑ましく思っていることが手に取るようにわかる口ぶりで言った。
 コアラによれば、総長は何かと恋人に構いたがる質なのだそうだ。堂々とした態度にもう気にしなくなったという彼女は、けれど周りを気にしなさすぎる彼に物申したいこともあるらしいが。

「たまには見せられるほうの気持ちも考えてほしいって思うけどね。幸せそうな顔見ちゃうと文句も引っ込むっていうか、サボ君に関しては仕事が捗るから」
「そうなんですね……さんが原動力、なのかな」
「もちろん彼は彼の意志でここにいるけど、の存在もすごく大きいと思う。だって再会できたことがそもそも奇跡的なことだから」

 そう言ったコアラの目は、弟妹を見守るお姉さんそのもののように見えた(実際に彼女のほうが一つ年上なのだそうだ)。
 改めて私も二人を見つめる。最初こそ嫌々ながらそこに収まっていたが、もうすっかり綻んだ表情を見せて総長と会話をしていた。
 いいな。漠然とそんなふうに思う。
 世の中には"運命"という言葉があるけれど、彼らはまさにそれを体現したような恋をしていた。出会いだって、最初は貴族同士の政略結婚だったと聞いている。けれどお互いに貴族を続けることは苦であるため、いつか共に国を出て広い世界へ飛び出し自由を手に入れるという計画を立てたのだそうだ。しかしそれも突然途絶えてしまう。
 聞くところによると、総長は頂上戦争が終わるまで革命軍に来た以前の記憶が一切なかったという。それはつまり、という存在の記憶もなかったことになる。思い出した頃には、すでに彼女は国を出ているため足取りはわからない、八方塞がりだったはずだ。それどころか、もう二度と会えないと思ったに違いない。
 だというのに――

「じゃあそれ、サボ君によろしくね」
「あ、はい。わかりました」

 コアラと軽く挨拶を交わして別れる。ちょうど通りかかったイワンコフも加わって二人で歩いていく背中を見つめながら、その打ち合わせに総長は出席しなくていいのか不思議に思った。まあ「別件」と言っていたし、革命軍の戦士たちは世界のあらゆる場所に散らばっているので、幹部ともなれば複数の案件を抱えていてもおかしくない。
 一人残された私は、再び視線をソファの二人に戻す。相変わらずくっついたままで、それが作業しているのか戯れているのか不明だが、あの空気の中へ入っていくことに申し訳なさと気まずさを抱えながら私は意を決して進んでいく。邪魔するつもりは毛頭ないけれど、こちらも仕事なので仕方ない。

「あ、あの参謀総長! こちら頼まれていた資料です。コアラさんから渡すよう言付かったのでお持ちしました」
「……おれに? ああこれか。悪いな、助かった」

 ありがとうと言って、堂々と書類を受け取る総長とは正反対に、彼に覆われて身を縮こまらせているのほうはまさか誰かが声をかけてくるとは思っていなかったのだろう、さらに身体を丸めて俯いていた。それもそうだ、誰だってこんな姿を見られたら恥ずかしく感じる。
 だから、総長の気が知れない。コアラはもう慣れたと言っていたが、今まで夢中になれるほどの恋愛をしてこなかった私にはだいぶ刺激が強かった。今だって書類を手にしていないほうの腕が、の腹部に回っている。当たり前のように見せられているが、こんなふうに堂々と戯れているほうがきっと珍しいはずだ。

「ごめんなさい。仕事の話をするなら私やっぱり戻るよ」

 俯いていたはずのが申し訳なさそうに立ち上がった。その拍子に彼女から花の香りが漂ってきてどきりとする。これは――ゼラニウムだろうか。香水かと思ったが、この感じは人工的というより自然の花の香りが服に染みついたように思えた。そういえば、確か彼女は中庭の庭園で花を管理していたような――と、私がゼラニウムの花の形を思い出そうとしている間にがソファから離れていく。
 立ち去ろうとする彼女を、しかし総長は持ち前の運動神経で素早く遮り捕まえて、

「なんでだよ、お前だって休憩中だからこれ持ってきてくれたんだろ?」
「で、でも……」ちらりとが私に視線を向けて気にする素振りを見せた。
「私のことなら気にしないでくださいっ! 総長に届け物をしに来ただけなので……」
「ほら、こう言ってることだし。もう少しここにいろよ」
「あ。ちょっと引っ張らないでっ」

 の身体が後ろに傾いた刹那、彼女は再び総長の懐に綺麗に収まった。小さい身体は一度捕まると簡単に抜け出すことが難しい。

は自然の匂いがするなァ」

 総長の顔がの項に近づいたかと思うと、彼女の匂いを感じるように空気を目いっぱい吸い込んだ。その行動にぎょっとして固まる私をよそに、彼は彼女の髪をかき分けて、「なに、してっ……」「今日はそっち行けそうにねェから今のうちに充電する」たぶんキス――をしたのだと思う。加えてに回した腕が一層強くなるのを見てしまい、ついに耐えかねた。

「あ、あああのっ……お邪魔してすみませんでしたぁ!」

 私はさっとお辞儀を済ませて、その場から逃げるように去った。かろうじて一言だけは残すことができたが、視線はすでに二人から離れていた。
 心臓がばくばくとうるさく鳴っている。走っているせいではなく先ほどの光景が頭から離れなくて、この胸の高鳴りの正体は何なのだろう。恥ずかしいのに、心はひどく満たされたような――ふわふわと甘くて、くすぐったい気持ちは。
 頬に集まる熱を逃がすように手で顔をひたすら扇ぐ。参謀総長とその恋人のやり取りを思い返しながら、私もいつかあんなふうに想い合える人と巡り合えたら、なんて妄想する午後のひと時。

2022/09/07
たし恋見てみたいエピvol.9
女兵士目線の二人