きみを想わない日はない

「総長なんかご機嫌っすね、どうしたんですか」
「そうか? 普通だろ」
「いやいや普通じゃないですって。まさか無自覚なんですか?」

 朝食を早めに終えて仕事を始めること数分。総長が鼻歌を歌いながらやって来たのでぎょっとした。機嫌が良い日はもちろんあるが、ここまで良いのは初めて見る(もしかしたら今までにもあったのかもしれないけれど)。ともかく無自覚に鼻歌を歌うほどの何かがあったことは明白だ。
 総長は、しかし"彼"の質問に答えることなく、何かを思い出したように「ちょっと席をはずす」と言って部屋を出ていったので結局機嫌のいい理由はわからなかった。しかしそれも束の間、後ろから肩を組まれて「おい」と声をかけられる。

「お前な〜ンなもんさん関連に決まってんだろうが」
「え?」
「総長の顔を見ればすぐわかる。頬の筋肉が緩んでるだろ? ありゃあ濃厚な夜だったんだろうよ。昨日は珍しく仕事が早く片付いたしな」
「えっ、あ、そういう……!?」

 合点がいった"彼"は「濃厚な夜」という単語に不埒な想像して赤面する。幼い頃から革命軍に志願した"彼"は十七歳に至る今まで恋愛に関して経験がないため疎く、総長の恋人の存在は知っているものの機嫌がいい理由をそこに結びつけることができなかった。

「このくらいで赤面してたらあの人についていけねェぞ。事あるごとにさんの話ふってくるからお前も覚悟しとけよ」

 総長より少し年上の彼は口調から呆れ半分からかい半分といった、付き合いの長さを感じさせる砕けた言い方で笑った。とはいえ、覚悟しとけだなんて随分とまた恐ろしい物言いである。彼女が来てからまだ一年と経っていないはずだが、どうやら彼は相当聞かされているらしい。総長がベタ惚れだという話を聞いていたにもかかわらず、"彼"にとって初めて総長のプライベートな部分を垣間見ることとなった。

「確かにさんってかわいらしい方ですよね。一度だけコアラさんと話しているところを見たことがあります」
「ばっかお前っ、下手にかわいいとか言うな。いや事実だけど」
「……ダメ、なんですか?」
「あの人、自分で話をふってくるくせに変な想像するなとか、見るな減るとか。とにかくめんどくせェんだ」

 だから「かわいい」も禁句だ。と、彼は釘を刺した。
 恋愛経験のない"彼"にはやっぱり不思議な話であり、理解の範疇を超えていて「はあ、わかりました」としか返せなかった。事実を言ってはいけないというのはどういう心情なのだろう。「かわいい」は褒め言葉だし、実際彼女はかわいい。それを他人から言われるのは、何かしら思うところがあるようだ。総長の彼女に対する想いの比重が、"彼"が想像するよりはるかに大きいのかもしれない。
 めんどくせェと言った先輩も、言っている割にはあまりめんどくさそうにしているようには見えなかった。いたずらする子どもを窘めるというか、仕方ないと割り切っているように思えるのだ。それはやっぱり付き合いの長さからくるのだろう。
 この場に総長がいなくてよかったと、"彼"はほっと息をついてから仕事に取りかかった。


*


 が通信部の部屋に来たとき、何やら机の上に大量の書類が積み上がっていることに気づいて先輩にたずねた。昨日仕事を終えたときはなかったはずだが、が帰ったあと残った人たちで作業していたのだろうか。

「あーこれ? それが通信機器のエラーか何かで紙が大量に出てきちゃってね、廃棄しなきゃいけないの」
「エラー……」
「おまけに機密事項もあるから普通に捨てられないってわけ。特処しに行かなきゃ」

 通信部が利用する電伝虫には複数の種類、大きさがあるが、それらと繋がる印刷機がどうやら接続不良を起こしたらしく同じデータを何枚も印刷したり、内容が途中で切れたりと不具合が多発したようだった。ただ廃棄するだけならまだしも、蓄積されるデータはオープンな情報もあれば秘匿しなければならない情報も多々ある。今回は後者なので単純な廃棄ではなく、特別秘匿処理と呼ばれる一切データを残さない方法での廃棄が必要らしい。

「例の特秘処理ってやつですね。私、行ってきます! この台車借りますね」
「……え、ああっ! はいいのいいの、今日は座って作業しててくれる?」

 しかし、意気込んだの出鼻をくじくように先輩から「座って作業しろ」と指示される。どうしてだろう。誰がどう見たってが一番手持ち無沙汰だというのに。
 台車に手をかけたを、先輩がなぜか労るように椅子へ無理やり座らせた。

「もしかして特秘処理ができないって思ってます? 大丈夫です、以前別の先輩に教えていただいたので――」
「違うちがう、そうじゃないって! 今日は体力使う仕事じゃなくて、座ってできる作業のほうがいいでしょう?」

 と、先輩の視線がの腰あたりに注がれる。そこで初めて彼女が何を言いたいのか理解したはハッとして背筋を伸ばした。まさかそんなにわかりやすかっただろうか。

「私、そんなにぎこちなかったですか……?」周りに気づかれないよう、なるべく人の目がある場所では気をつけて歩いているつもりだったので軽くショックを受ける。
「どうだろ、言われればそうだったような……でも違うのよ。が来る少し前に実はサボさんが来てね、『あいつ今日はそれほど動けねェだろうから体力使わない仕事にしてやってくれ』って」
「……」

 愛されてるわねえ。
 先輩がそう付け足して意味深な笑みを向けてくるから顔を覆いたくなった。わざわざそんなことを言いに来るなんて全部筒抜けではないか。確かに腰に違和感がまったくないと言えば嘘になるが、台車を押して廃棄処理をすることくらいならできるはずだ。
 先輩の言葉にどう反応すればいいのか困っていると、
「サボさんもニッコニコだったから、昨日は結構大変だったんじゃない?」と、少し離れたところで作業していた別の先輩が回転する椅子を利用してたちの前までやってきた。心なしか、にやついている。「ちょっとあんたねーをからかうんじゃないの」「そっちだって本当は気になってるくせに」二人の先輩のやり取りを聞きながら、はいたたまれなくなる。
 恥ずかしい。サボが言いに来たことも恥ずかしいし、その言葉だけで察せられてしまったことにも恥ずかしさが募る。

「す、すみません。気を遣わせてしまいました」
「なんでよ、いいじゃない。優しくてかっこいい自慢の恋人でしょう?」
「……は、い」

 肯定したものの、言ってから羞恥に顔を染める。先輩たちにも家族や恋人がいるからか、にそうした話題を持ちかけてお互いの恋愛を話したことがあるが、自身のことを打ち明けるのはやはり慣れない。そもそも経験が少ないので、話すことも限られるというもの。最近になってようやく恋人らしさが出てきたと自分で思うようになったくらいだ。まあそれはサボが見境なくに構っているせいも多分にあるのだが。
 の頷きに、先輩たちは「ふうん」と短い返事をしながら口角を上げてからかうような笑みを浮かべた。あ、これはまずいかもしれない。

「ねえ。サボさんって夜はどんな感じなの? あんなこと言いに来るくらいだから、やっぱり激しいのかしら」

 体力もたないんじゃない? 大丈夫?
 の耳元に近づいて、朝には似つかわしくない妖艶な声で囁かれた。おまけに顎をすくわれ撫でられてしまい、背中にぞわぞわと妙な感覚が走る。より経験豊富な女性が醸し出すこうした雰囲気は、同性でも条件反射のようにどきっとしてしまう。それも先輩はがこういう手に弱いことを知って翻弄してくるから質が悪い。

「それは……なんていうか……」答え方がわからないし、そもそも答えていいのかもわからないはその場をつなぐ言葉ばかりを並べてしどろもどろになる。
「お前らァ! あんまりちゃんをいじめるんじゃねェよ、あとで総長に告げ口するぞ」

 が困っているのを見かねてか、奥のほうで作業していた室長が彼女たちに苦言を呈してくれた。いじめられている感覚はないが、確かに答えに詰まる内容ばかりなのでありがたい助け船だった。

「え〜せっかくいいところだったのにつまんなあい。それに室長、一つ訂正させてください。いじめてません、これはれっきとした女子トークです」
「ンなことどうでもいいんだよ、仕事をやれ仕事を」
「室長ってほんとお堅いんだから……まあいいわ」

 今度、さっきの続きしましょ。男がいたら話せないこともあるしね。
 こっそり耳打ちして去っていったかと思うと、先輩たちはそろって台車に大量の書類を積み上げていく作業を始めた。
 呆然と固まったの耳は真っ赤のまま、台車がガラガラと音を立ててやっと我に返った。
 今度っていつだろうか。彼女たちのことだから本当に実現してしまいそうで、その日が来てほしいような来てほしくないような複雑な心境で目の前の機械に向き直り、仕事に取りかかった。

2022/09/17
たし恋見てみたいエピvol.12
夢主ちゃんを心ゆくまで貪った翌日の話