コアラと買い物に出かけることが決まったのは昨日のことだった。本部へ来てすぐの頃に一度だけ、物資調達のために一緒に外出したことがあるが、あれは必要最低限の生活必需品をそろえるという名目だったのでショッピングのような楽しさよりも、これからの生活について不安を抱えていたこともあって正直記憶は曖昧だった。
だから今回コアラから誘ってもらえたことはにとって非常に喜ばしいことだ。忙しい幹部である彼女と本部内で会話する機会はあっても、ゆっくり外で過ごすことはなかなかできない。サボと二人きりはもちろん嬉しいが、同性同士で店をめぐるのことは年齢の近い同性の友人がいなかったがこれまで経験したことのないものだ。
そうしてコアラから伝えられた日程は明後日――言われてから一日経ったので、もう明日のことだ。だからは、ちょうど仕事を終えて部屋に来ていたサボにコアラと出かけることを伝えた。
以前裏通りに断りなくひとりで出かけて怒らせてしまったことがあるので、それからというもの外出の際は一応伝えるようにしている。まあ今回裏通りに行く用事はないのだが。
「それはいいけど、コアラのそばを離れるなよ?」
「……サボってときどきお母さんみたいなこと言うね」
「へェ。言ってくれるじゃねェか」
不意にの前に大きな影が差した。状況を理解するより早く、その影がに迫ってきて気づいたら重なっていた。
啄むような優しい口づけに身体の熱が少しずつ温度を上げていく。それが次第に貪りつくすような深いものに変わっていき、気づけば舌の侵入を許していた。
サボの熱い舌が歯に触れて根元をなぞる。まるで生き物のように動く舌が、の口腔を支配しようとする。その感覚にぞくぞくと背中に電気が走って、呼吸もままならなくなっていく。苦しいのに、気持ちいいと感じてしまうあたり、もうだいぶサボに侵食されている。
ぢゅ、という淫靡な水音がを羞恥に追い込み、思考することを奪われ、何も考えられなくなってしまう。まるでわざと音を立ててを煽っているような気がして――やめてほしいのに、身体はサボを受け入れてしまう。
「……母ちゃんはこんなことできねェだろ?」
たっぷり味わって満足したサボがようやく唇を離して、したり顔を作ってこちらを見下ろしていた。いつも翻弄されるのはで悔しい。
「っ……もーなんでこんなことするの」
「好きなくせに」
「……!」
うるさいっ。
図星をつかれてうまく反応ができずに、は顔を赤くして俯いた。実際のところ反論の余地はないし、否定すればするほどサボの思惑通りになるので潔くこのあたりで引いておくのが吉。彼にからかわれるのは日常茶飯事だが、こちらが慌てたりすると彼の変なスイッチを入れてしまうみたいなのでなるべく穏便に事を済ませたかった。
あのままいけば、いつもの流れでサボがその気になってしまう。明日は朝早いし、今日は睡眠をしっかり取ってコアラとの買い物を楽しみたい。
だから面白そうにするサボを無視して、は落ち着きはらったように「とにかく、明日はそういうことだからもう寝る!」と無理やり話題を終わらせてベッドの中に入った。
*
モモイロ島は不思議な島だ。カマバッカ王国の中心部になるそうだが、その国民のほとんどが特殊な拳法を取得しているという。来た当初から強烈な個性の集まりだという印象を受けており、それは半年以上経った今も変わらない。特にサボと歩いていると熱視線を感じることがあって、彼に色めき立っているのがすぐわかる。少し複雑な思いはあるものの、特別何かがあったわけでもないから気にしないことにしているのだが。
そんな国の中心となるモモイロ島のとある町へ、とコアラは繰り出していた。
繁華街のように盛り上がる王都は地元料理やカフェ、特注ブランドの衣類、家具や雑貨、食材といったあらゆる店が立ち並ぶ。石畳で舗装された道路が、セント・ヴィーナス島を思わせては少し懐かしさを覚えていた。
ペルシュロンという馬を乗り物として利用することがあるベルツェでは、雨で土がぬかるんだ場合動けなくなることがあるため、主要な道は必ず石畳になっている。ここもどうやら同じらしい。今のところ見かけないが、何か特殊な乗り物があるのかもしれない。
二人で大通りを歩きながら気になった店に一軒ずつ入っていく。コアラのおかげで革命軍の人間だとすぐ認識されるため、外の人間でも警戒されることなく見て回れるのはありがたかった。
「それで? 最近どうなの?」
お洒落な雑貨屋に入って、店内をぐるりと一周するように見ている最中だった。コアラが突然そう切り出してきたので、は思わず「なにが?」と聞き返した。
質問に質問で返されたことでコアラは一瞬きょとんとしたがすぐに、
「とぼけないでよ〜」
肘で軽く小突かれた。的にはとぼけたつもりはなく純粋に疑問だったのでそう聞いただけだったが、コアラには違うように見えているらしい。彼女は意地悪く笑って続ける。
「あんな大胆な洋服、少し前だったら私にはちょっと……って言って遠慮してたのに即決してたじゃない」
こっそりと秘密の話をするみたいに耳打ちされて、は全身の血液が一気に顔へ集中するのがわかった。なんでもお見通しというか筒抜けであることを(不本意だが)知っていても、いざ指摘されると羞恥に身を固めてしまう。が無言でいることに、コアラはますます頬を緩ませて楽しそうにしていた。
店内には自分たち二人と店長だと思われる若い女性(に見える)が一人。どうやらここの雑貨やアクセサリーは店長のお手製らしく一点ものなので売り切れたらそれまでなのだそうだ。一つとして同じ商品がないというのがこの店の売りだからか、が見て回っている間にすでに三組の客が買い物を済ませていった。
多少の会話ができる雰囲気になるタイミングを待っていたかのように、自分たちだけになった途端コアラが問いかけてきたものの、思い出して少し不安にかられた。
「や、やっぱり大胆すぎるかな。確かに普段着ない服なんだけど、たまにはサボを驚かせたいというか、ドキドキさせたいというか……あ〜下心見え見えかなあ」
は顔を覆って自己嫌悪した。
この店に来る前、トイヴォという女性服専門店に行ったときのことだ。
コアラとこれから訪れる初夏らしい服を選んでいるとき、突然彼女が「こんなのどう?」と持ってきたブラウスが、普段が着ないような鎖骨を大胆に見せたものだった。胸元も結構開いている。目を丸くさせて固まるをよそに、「サボ君も喜ぶんじゃないかな」楽しそうにそう続けて、に服をあてがいながらサイズを確かめはじめた。
ぼうっとするのも一瞬、色はベージュに近いホワイトで季節感が出る七分袖であることに加えて胸の下がくしゅっと絞られたデザインなのがかわいかった。そうして気づけば「買う!」と即断していて、いまの左手にその服が入った袋が握られている。
「いいと思うよ。たまにはがサボ君を翻弄したって。むしろいつもやられっぱなしなんだし、してやるつもりでいいんじゃないかな」
「え、どうしてコアラちゃんがそれを――」
「あ。言っちゃいけないんだった」
「……もしかしてサボってみんなの前で私の話をしてるの……?」
は聞きたくないような、けれど知っておきたい気持ちを抑えられず恐る恐る問いかけた。が革命軍の人々の中でどんな人間に映っているのか不安になった。サボが変なことを言っていなければいいのだが。
「あー違うの、誤解しないで。惚気だよ。サボ君ってば思い出したように『は可愛いよなァ』って口元緩むんだもん」
そのエピソードのほとんどがをからかうか意地悪してるかのどっちかだから、大変だなって思ってた。
言いながらコアラは顎に手を当てて唸っている。違うと彼女は否定してくれたが、自分の話がされているのは事実のようなので居たたまれない。ああもう、明日から本部を歩くのが恥ずかしい。
小声で話していたつもりが興奮して次第に大きな声を出していたらしく、店長が「初々しいわねえ」なんて笑ってたちを見てくるので、もう一刻も早くこの場を立ち去りたくなる。けれどコアラがどうしても欲しいものがあるというので、だけ先に出て近くの店を見ながら待つことにした。
*
白昼の日差しはサボの黒いコートを余計に鬱陶しく見せていたが、本部を出たばかりの時間帯は曇っていたし、同じモモイロ島内といっても本部から離れるときはつい癖で着てきてしまう。
町の中をサボはいつもの帽子を被らず、誰とわからないサングラスをつけて歩いていた。なぜこんな格好しているのかと言われれば、まあもちろんのことが気がかりであり、ちょうど運よく空きの時間ができたのでこうしてハックを連れて買い物するふりをしている。
「サボ。その格好だと逆に目立つんじゃないか」
隣にいるハックが周りを気にしながら不満そうな声で意見した。自分一人で行くつもりだったのだが、ハックに見つかり事情を説明したらなぜか一緒に行くといってついてきたのだ。目立つというなら男二人でこんな女性専用の店が立ち並ぶ通りを歩いているほうがそうではないだろうか。
モモイロ島内でサボの存在は色濃く知られている上に、一応彼女たちに内緒で来た後ろめたさも相まってサングラスをつけてきたのだが、ハックに言わせればこれとコートの組み合わせがよくないようだ。まあ確かにガラはよくないな……。とはいえ今さら引き返すこともできない。
「あいつらとは一定の距離を置いてるから大丈夫だろ」
「大体コアラやに断りもせずついてきて、知られたらどうするつもりだ」
「仕方ねェだろ。心配なんだよ」
「気持ちはわかるが、コアラもいるんだしもう少し――」
しかしハックの言葉は途中から耳に入ってこなかった。店からが出てきたからだ。それなのにコアラは一緒ではなかった。どうやら彼女はまだ店内にいるらしく、は一人で待つことになったようだ。隣の店のショーウィンドウに釘付けになっている。
まああれくらいの距離であれば仮に何かあってもすぐにコアラも気づけるだろう。そう安心したのも束の間、サボの視界に不審な動きでに近づこうとしている二人組の姿が映った。
それは反射的な行動だった。制するハックを無視して足早に二人組のすぐ近くまで移動し、ひとまず様子を見守る。このまま何もなければ引き下がるし、何かが起これば――サボはたちに秘密で来ていることを気づかれたとて行動するつもりでいた。
二人組を注視していると、彼らの視線がの服に注がれていることに気づいて何を見ているのかすぐに合点がいった。おまけに一人でいるから声もかけやすいなどと思われてるかもしれない。冗談じゃねェ。そこからはほぼ勝手に身体が動いた。
「悪いな。待たせちまった」
彼らが行動するより早く、サボのほうが先手を打った。
素早く自分のコートをかけてやり、腰を引き寄せる。突然のことには「ひゃっ」という短い悲鳴をあげてよろけたが、サボが支えているのですぐに姿勢は整う。細い腰の感触にぐらつく理性と、あと少し遅かったらという怒気。
やさしくぶつかった身体がくっついたまま、の驚愕した顔が向けられる。
「えっ、なんでここにサボが……」
「で? お前らはこいつに何か用でもあるのか」
の言葉には答えずに、二人組に向かって睨みをきかせる。よく見れば地元の人間っぽくない、たまたま居合わせた観光客のようだった。サボの有無を言わせぬ威圧感に震えあがった彼らはわかりやすく顔を引きつらせて「何でもないです」と一言残して嵐のように去っていった。海賊だったら一戦交わうこともあっただろうが、一般人だからか大人しく引き下がっていく背中は見苦しい。
事が済んでやっとのほうに向きなおったサボは、しかし彼女の姿に言葉を失って呆然と見つめることしかできずにいた。
「ねえ。なんでサボがここにいるの?」
「……」
「サボ?」
「いや……お前、こんな小さかったのか」
「っ……人が気にしてることをっ……!」
「そういう意味じゃねェよ。可愛いって意味だ」
おれとこんなに差があるとは思わなかった。以前自分のシャツを着ていた彼女の姿に心を奪われたことがあるが、また違った意味で危険なモノを見てしまった気がする。
の透けたトップス(名前がついている気がしたが覚えてない)が気になって隠すつもりでかけたコートだった。あの二人組が、彼女の肩から背中の中間にかけて透けている白い肌を見ていたことに気づいてとっさに取った行動である。
それが思わぬ功績――と言うには非常に不本意であるものの――を運んで、サボにおいしい光景をもたらしてくれた。
可愛い。このまま連れて帰りてェな。
小さいことを気にしているらしいは渋々納得してくれたようだが、「なんでここにいるのか」という問いに先ほどから無視を貫き通しているサボにはまだ疑問が残っているようで視線はこちらに注がれたままだ。ひとまず用意していた回答を口にする。
「なんでってそりゃあ用事だよ。ハックも来てる」用事の詳細は伏せて、サボはそう返事した。嘘はついてない。
「ちょっとサボ君? なんでキミがここにいるの!」
背中越しに怒りと呆れの感情が滲んだ声がかかったのはそのときだった。大げさに体が跳ね上がる。タイミングが悪かったのか、コアラが買い物を済ませて店から出てきたようだ。「まさか尾けてきたんじゃないでしょうね」と鋭い一言まで付け加えることを忘れない。これだからコアラに隠し事はできないとつくづく実感する。
「だから用事だって言ってるだろ。たまたま通りかかったらが見えただけだ」
一応否定はしておく。しかし、コアラにその場しのぎの言葉は通用しない。
「そんな嘘が通ると思ってるの? ここは女性向け専門店ばっかりなのに。大体何なの、そのサングラス。変装でもしてるつもり?」
「あー……それはまァ――」
「サボ。観念して白状したらどうだ」
ハックに促されて、コアラの剣幕に負けて。サボはの前で正直にここへ来た理由を打ち明ける羽目になった。
2022/09/27
たし恋見てみたいエピvol.16
彼コート