やめて、でもやめないで

 ノックをしても応答がなかったので、「入るよ」と一応の断りをいれてからは執務室の扉を開けた。目的の人物は、しかし視線の先にはおらずきょろきょろと部屋を見渡すとソファのほうでうたた寝していることに気づく。書類を握ったまま放り出されている右手が、仕事の途中でうっかり寝てしまったのだと物語っていてなんだか微笑ましく思える。
 そばのテーブルに置かれたコーヒーカップの中身をのぞくと空になっていた。がここに来た理由は一時間ほど前に淹れたコーヒーのカップを回収するというだけで、特に用事という用事があって来たわけではない。だから、このままカップだけ持って立ち去ることだってできるはずなのに、どういうわけかの足はテーブルのほうではなくサボが寝ているソファに向いていた。
 背もたれに上半身を預けて無防備に眠っている彼の寝顔をじっと見つめる。精悍な顔立ちだと再会したときから常々思っていた。俯いているせいでウェーブがかった前髪が瞼にかぶっている。はほぼ無意識にその前髪に触れて顔がよく見えるように横によけた。
 こんな人が自分の恋人だなんて、たまに信じられないこともあるけれど、いつもたくさんの愛をくれるから卑屈にならなくて済むし、だからこそこの人の隣に立っても恥ずかしくない自分でいようと思う。

「うーん、やっぱりかっこいい……」

 ぼそっと独りごちて、の手が一度前髪から離れる。直後、すぐに視線はサボの唇に吸い寄せられた。少しだけ開いたそこは、いつもを惑わして翻弄してくる危険な場所で、けれど同時に甘くてふわふわしてていつまでも吸いついていたいなんて思ってしまうのははしたないだろうか。
 自身の思考には急激に恥ずかしさを覚えて顔を覆った。両手はそのままにちらりと指の隙間からサボの顔をのぞく。相変わらず書類を持ったまま起きる気配がない。の心中は先ほどからやめるべきか、本能のまま行動してしまおうか悩んでいた。無駄に彼の目の前をうろうろして唸り声をあげる。
 しんとした執務室にの独り言がこぼれ落ちる。
 どうしよう。いいかな。でももし気づかれたら――
 の脳はあれこれ忙しなく堂々巡りする。その間にも時間は過ぎていくし、迷っている間に誰かが来れば何をしているのかと問われるだろう。

「……少しくらいなら大丈夫だよね」

 散々迷った末に、はゆっくりサボに近づくと誘われるように彼の唇へ自分のそれを重ねた。柔らかな感触と少し冷たい温度が瞬時に伝わって胸の奥がずくんと疼く。一旦離して、指先で自分の唇に触れる。サボの感触が脳裏に焼きついて、もう一回と内なる欲望がを積極的にさせていく。
 本能の赴くままソファに膝をついてがふたたびサボに口づけた刹那――

「なんだよ。それで終わりか?」
「……え……っ、ん」

 軽く押し当てるだけのつもりが、不意を突かれて後頭部を押さえつけられた。驚く間もなく、視界いっぱいにサボの端正な顔が広がって口を塞がれる。優しく啄むようなキスを繰り返されて、じわじわと身体を焦がすような熱に浮かされたの思考は停止を余儀なくされた。
 まさかサボが起きていたとは思わずされるがままになる。いつの間にか後頭部だけでなく、腰まで捕まえられて逃げるに逃げられない状態に追いつめられた。
 子どもみたいな優しい口づけが少しずつ執拗なものに変わっていく感覚に、の身体の力は次第に抜けていく。わずかな隙間からこぼれる吐息ものみ込まれて、いよいよ自分の足で立っていられなくなった。

「……ふ、ぁっ……」
 がくんと膝から崩れ落ちそうになって、「わっ――と、大丈夫……じゃねェな」サボが支えてくれていたおかげで尻もちをつかずに済んだものの、彼は解放するどころかそのままを抱えて膝の上に座らせた。
「このくらいでとろとろになってどうするんだよ」
 サボが片笑みを浮かべて再び顔を近づけてくる。息つく暇を与えてもらえず、下唇を舐められたかと思えば直後に噛まれた。視界の隅にいつの間にか放り出されたいた書類が映り、サボの手は今や器用にの腰に回っている。
 うっすらと開いた唇から簡単に舌の侵入を許したは、そのまま自分の舌を搦めとられて強く吸われた。食らいつくのが精いっぱいで、呼吸すらままならなくて。必死に応えようとしているのに、サボの好き勝手に蹂躙されてかなわない。のキスがまるで幼いものだと指摘されているように思えて羞恥の念にかられた。

「っは……ぅ、」長い口づけからようやく解放されて息を整える。生理的な涙で膜が張った視界に、サボのいじわるそうな笑みが映り込む。顎をすくわれて強引に視線が絡み、
「一人で唸ってたから何するのかと思えば、可愛いことしてくれるな。けど、おれはあれくらいじゃ満足できねェよ」
 太腿の内側を指先がするりと滑っていく。ゆっくり焦らすように、けれど少しずつ中心に移動してくる。
「ぁ……だ、めっ」

 ――本当にダメなの? ちょっと期待してたんじゃないの?
 悪魔のささやきが聞こえた気がした。サボは起きないかもしれない。でも起きるかもしれない。そんな緊張感がをいつもと違う行動に誘導した。私、いつからそんなスリルを楽しむような人間になったんだろう。
 ぼうっとしている間にまた口を塞がれた。すぐに舌が絡んで甘い痺れを引き起こす。息が苦しい。でも身体は固定されたまま逃げられないし、抵抗する力もない。
 しばらくサボからされるがままに身を預けて、次々に襲ってくる快感に耐えていた。唇を噛まれて、舌を噛まれて。小さな痛みを伴う愛撫がの身に火をつけていく。やがてサボの唇が離れていくと、口の端から唾液がこぼれていった。
 コーヒーカップの回収に来たことなど、すでにの頭の中から消えてなくなっていた。そんなの心を見透かしたように、サボが悪魔の問いを投げかけてくる。

「答えろ。本当に"ダメ"なのか?」

2022/10/14
たし恋見てみたいエピvol.20
寝てるサボくんにキスしてみた話