コアラちゃんとわたし

 "コアラちゃん。明日は会議がないってサボから聞いたんだけど、空いてる時間で少しだけ外出できないかな。行ってみたいカフェがあるんだ"
 昨日の就寝前、突然からそう声をかけられてぽかんとしてしまった。確かに彼女の言う通り会議はないのだが、何も急に行かなくたって事前に言ってくれたらもっと時間を作ることだってできるのに。言いかけた言葉は、けれどの目を見たらそのままのみ込むしかなかった。何やら思いつめた表情でこちらの返事を待っているように見えて、もしかしたら人に聞かれたくない相談事でもあるのかもしれないと思ったからだ。
 いいよ、行こう。
 その答えにが表情を緩ませて笑顔を作ったので、コアラも内心楽しみに心を弾ませながらその日は眠りについた。
 当日彼女が連れてきてくれたのは、確かに見たことない外観のカフェだった。木の家を模しているのか、全体的に茶色で統一され、壁には細かく木の模様まで描かれている。新しくできたばかりということもあって清潔感もあり、どちらかといえば若年層向けに作られたような印象を受ける。窓からのぞける範囲では、中の客も若い人たちで溢れていた。
 店の入口もかわいらしく、あえて歪な形をした木の扉だった。が開けるとカランコロンという人の出入りを知らせるドアベルが鳴り、すぐに店員が駆けつけてくる。

「いらっしゃいませー!」
「こんにちは。予約している・カートレットです」
「はい、お待ちしておりました。こちらへどうぞ」

 慣れたようなやり取りで済ませたので危うく聞き流すところだった。颯爽と店員に続いて歩こうとするの肩を、しかしコアラは「ちょっと」と呼び止める。

「なんで予約してあるの?」
「え……えっとそれは……新しいし……人気だから入れないと困ると思って……」

 妙に歯切れが悪く、まるで誤魔化しているような言い方だった。昨日の夜に予定を聞かれたから連絡したのは今日の朝だろうけれど、人気だというなら急に予約を入れて席を確保できるものなのか気になった。とはいえ新しくできたカフェに予約して来るという行為自体に怪しさを感じる必要性もないので、コアラはあまり納得しなかったが「そう」と短く返しておとなしく店員に続いた。
 カフェと名乗りつつ、軽食と呼ぶにはがっつりしすぎるメニューまで豊富なラインナップに先ほどのことも忘れてコアラはとつかの間の休息を楽しんでいた。店員から日替わりランチがおすすめだと言われたので、二人そろって同じメニューを頼み、他愛ない話をしながら時間が過ぎていく。今日はデミグラスハンバーグとクリームコロッケのようで、本部の食堂で食べるのとはまた違った味にお互い舌鼓を打った。
 ランチを終え、食後の紅茶が出てきたところでコアラはそろそろ今日の本題に入ってもいいだろうかと思案した。のほうから切り出してくれるまで待とうかとも思ったが、一向にその気配が感じられないので言いにくいのかもしれない。その証拠に、彼女は先ほどから妙に落ち着かない様子で周りを気にしている。

「で? サボ君のこと?」
「……え?」
「何か相談でもあるんでしょう? 急にカフェに行きたいなんて、サボ君に聞かれたくないことなのかなって」

 恋人の名前が出るとは思っていなかったのか、一瞬反応に遅れては驚いた顔をした。コアラとしては、何も外出しなくたって女同士であれば大浴場や自分の部屋で話す時間はいくらでも作ることができる(彼女の部屋はサボが無遠慮に出入りするからダメ)。だからやっぱり違和感が拭えないのだ。
 コアラの問いかけに、みるみるうちに顔が赤くなっていったは手にしていた紅茶のカップを勢いよくソーサーの上に押しつけた。

「ちがっ……サボのことじゃなくて、わっ――」案の定、中身が少しこぼれてしまう。
「もう、そんな強く置いたら零れるに決まってるでしょ」
「ごめん。でも本当に相談があるとかじゃなくて……コアラちゃんと久しぶりにお出かけしたいなって思ったからっ……!」

 怪しい。の視線がコアラからはずれてテーブルを見ていた。彼女は嘘が下手なタイプなのですぐわかる。もちろん一緒に出かけたいという気持ちも本当だろうが、本意は別にあるような気がした。それが恋人とのことでないとなると、一体彼女はどうして急に自分を誘ってまで外出しようなんて言ったのだろう。不意に視線を周りへ巡らせる。
 昼食の時間帯から少しずれているにもかかわらず、全席が埋まっていた店内はいろいろな会話であふれていて、微妙に気まずい空気を醸し出すコアラたちを気にする客は誰もいない。

「前日に言うなんて急すぎる。絶対なにかある! 言わないと私帰るからね」
「あ、まって。あと少しだけ、もうすぐ出てくるはずだからっ……」
「出てくるってなに――」立ち上がろうとしたコアラをが慌てて引き留めたそのときだった。
「お誕生日おめでとうございまあ〜す!」

 場違いなほど明るい複数の声が降りかかってぎょっとしたコアラが何事かと思って、声のした方向に顔を向けると、「おめでとうございます。貴方がコアラさん、ですよね」と座席に大皿プレートが置かれた。
 ハッピーバースデーとチョコレートで書かれた言葉に、色とりどりの果物、それから小さな三段重ねのケーキ。突然のことに言葉を失って、ただそこに置かれた可愛らしいデザートをじっと見つめるだけになっていた。

「お誕生日おめでとう」
 やわらかい声が耳に届く。の声だと認識した途端、はっとしてから
「もしかして私に……?」ようやくそれだけ口にできた。人は驚くと言葉数が少なくなってしまうものなのだろうか、先ほどから本当に何も出てこない。
「もちろんだよ!」

 あと、これはプレゼント。
 そう言って彼女が鞄からピンクの包装紙に包まれた長方形の箱を取り出した。受け取りつつ、呆然と箱を見つめながらじんわりと体が内側から温められていく感覚に陥る。
 気づいたときには視界がぼやけていた。膜が張って前が見えない。泣いているのだとすぐに理解したが、止め方を忘れたように次々に頬を濡らしていくから隠す意味もなかった。
 そんな自分の様子がおかしかったのか、「泣いてくれるほど嬉しいってことでいいのかな」と呟く声が聞こえた。あ。私、まだお礼言ってない。

「ありが、とうっ……!」
 真っ直ぐ、の瞳を見つめて言った。すると、やさしく微笑む彼女と視線が合う。

「おめでとうコアラちゃん。これからも仲良くしてください」


*


 その日、サボは会議室で妙に楽しそうなコアラを見つけて首を傾げた。珍しい。感情表現は豊かなほうだと思うが、ここまでわかりやすかっただろうか。
 そういえば、今日の朝も食堂でに構っていたサボに小言を言うことなく時折こちらの会話に混ざりながら食べていた。珍しい。いつもなら「食べるときくらい離れたら?」とか何とか言ってくるのに。

「なんだコアラ。随分機嫌がいいな」

 誰しも機嫌がいい日悪い日というのはあるし特別気にすることはない。だから、なんとなく興味本位で聞いただけだ。それなのに、コアラはこちらを振り返るとなぜか嬉しそうに笑って「聞きたい?」まるで待ってましたと言わんばかりの表情でサボに近づいてきた。

「……なんだよ」
「昨日ね、が私のためにサプライズで誕生日のお祝いしてくれたんだよ! 行きたいカフェがあるなんて突然言うからサボ君のことで相談でもあるのかと思ったけどそうじゃなかった」

 思い出に浸りながら一息にそう語ったコアラは、頬が緩むのを隠しきれないまま会議で使用する資料を人数分席に置いていく。会議室にはまだ自分と彼女だけで、ほかの誰も来ていない。
 コアラの珍しい姿を眺めながら、そういえば見かけないアクセサリーが耳からのぞいていることに気づく。昨日までしてなかったということはにもらったのかもしれない。
 と、不意にサボの脳内に二日前のとのやり取りが思い出された。コアラの予定を聞かれて「会議はない」と答えたあと、自分のことのように喜ぶ彼女を見て何がそんなに嬉しいのかと不思議に思ったのだが――なるほど、そういうことだったのか。

「ふーん……よかったな」

 想像以上に低い声が自分の口から出ていることに気づいて口元を押さえたが間に合わなかった。コアラがますます楽しそうにこちらを見ていた。腹立たしい。

「面白くないって顔してる。……サボ君はあと五か月待たないといけないよね」
「してねェよ! 早く手ェ動かせ」
「もお。自分だってとデートしたら機嫌良いくせに、こういう時だけ私に当たらないでよね」

 頬を膨らませたコアラは、しかし機嫌がいいのでやはり普段より怒りのボルテージは低くそれ以上何も言ってこなかった。
 面白くねェって顔してる?
 ああそうだよ。女のお前に嫉妬したって仕方ねェけど、羨ましいモンは羨ましいんだ。

2022/10/25
コアラちゃんの誕生日をお祝いする+プチ嫉妬するサボくんの話