持ってないのには理由ワケがある

 最近、幼少の頃に出会い将来を誓った少女と再会した。
 彼女の名は・カートレット。自分と同じで元々ゴア王国の貴族だったが、その価値観に耐えられず家を捨てて海を渡り、"偉大なる航路"のセント・ヴィーナス島でカフェを経営していた。訳あって誘拐されかけたところを、革命軍の総司令官ドラゴンに保護されて今に至る。
 正直に言えば、サボの中では再会できると思っていなかった。カートレット家から除名された時点で二度と会えないだろうと考えたし、仮に会えたとして十七年も経っていればほかに好きな奴ができていてもおかしくない。自分の出した手紙のことなんか忘れて自由に生きている可能性のほうが大きかった。
 悔しくないと言ったら嘘だったし、幸せに暮らしていたらそれでいいなんていうのはただの建前だ。相手が自分ではないと思うと胸が張り裂けるほど苦しかった。だって、記憶がない間もがずっと頭の片隅にいたから。もちろんそれは"彼女"だと認識してのことではないが、逆に言えばそれほど彼女の存在が大きかったのだと思い知らされて、記憶が戻ってからはますます会いたくてたまらなくなった。
 エースの死について、幾度となく悪夢を見た。どうしてもっと早く、という思いがサボを苛んだ。しかし記憶を取り戻すのにはやはり何かきっかけがないと駄目だったのだろう。最悪のきっかけではあったものの、このまま知らずにのうのうと生きていくよりはるかにマシなのかもしれない。二年の時を経て乗り越えられたことは生きているルフィや仲間の存在が大きい。
 しかしサボの心に巣食うもう一つの気がかりについて――生きてどこかにいるだろう彼女のことは、なかなか踏ん切りがつかずにいた。会えるかもしれないという僅かな希望を捨てきれないことが原因だった。この広い海のどこかで生きているという事実が、サボに諦めるということをさせてくれない。
 そうした状況の中、日に日に募る想いが唐突に実を結んだことを知ったのは、ルフィと再会できたあとのことだった。その連絡を受けてからしばらく呆然として、はっと我に返ってから手が震えていることに気づいた。周りから次々に「よかったですね」と声をかけられて初めて実感する。本当に彼女に会えるのだと。
 四歳のしか記憶にないというのに、彼女がドラゴンとともにここへやって来た日、なぜかその姿を捉えた瞬間"彼女"だと確信が持てたのは直感的な何かだったのかもしれない。面影があると言えばあったし、ないと言えばない。ただ想像していたよりずっと綺麗で、違う意味で胸が苦しくなった。
 つくづく男というのは欲に正直な生き物だ。大人になったを認識した途端、邪なことが頭にちらつく。おまけに部下達が余計なことを言ってくるものだからほとほと困る。
 ――そもそもお前らに言われなくたってそんなのおれが一番わかってんだ。

 久しぶりに幸せな夢を見た。その余韻に浸りたくて寝返りを打ちながら再び目を瞑る。
 彼女のしなやかな肢体が浮かんで、サボははっと我に返る。朝からなに考えてんだ――自分を戒めるようにベッドから起き上がると、すぐさま洗面台に向かい顔を洗って気持ちを切り替える。邪念をはらい、身なりを整える準備をはじめることにしたサボがシャツに手をかけたとき、
 コンコン――ノックする音が聞こえて思わず肩が震えた。続けて「サボ、いる?」というこちらの心情など気にもしてない能天気な声が聞こえた。どうやらが訪ねてきたらしい。

「どうした」

 中途半端な格好だったので急いで着替えを済ませてから扉を開けて出迎える。無邪気に「おはよう」と返され、サボの表情が引きつった。今しがたに抱いていた劣情が頭を支配しているからだ。必死に振り払っている間に彼女が続ける。

「部屋の掃除しようかなって。普段お仕事が忙しくてあまりできてないんじゃないかと思ったから」

 落ち着かない様子での言葉を聞きながらサボは首を傾げた。昨日の話ではコアラに頼まれたことがあるのではなかったか。朝一番でここに来たということは予定が変更にでもなったのだろうか。

「……いいのか? やってくれるならそりゃあ助かるけど」
「コアラちゃんに頼まれた仕事がなくなっちゃってちょうど手が空いてるんだ。大丈夫」
「ありがとう。じゃあ頼むよ」
「あ! でも……その……」言い淀んで、ちらちらこちらを気にしはじめる。一体なんだ……?
「何か気になることでもあるのか?」

 サボが問うと、言うかどうか迷っているのか「えっと」とか「だからね」とか繋ぎ言葉ばかりでなかなか本題に入ろうとしない。気になっていることがあるなら遠慮なく聞いてもらってくれたほうがサボとしては嬉しい。むしろここまで彼女を悩ませていることが何なのか逆に気になって仕方ないという思いもあるが。
 部屋を掃除してくれる気があるのは事実だろう。そうでなければわざわざ男の居住棟に来たりしないはずだ。気遣ってくれる彼女の優しさにやっぱり後ろめたさを感じながら「言いにくいことなら別に」とこちらからは強要することを避ける。
 うつむき加減だったが一度顔を上げて視線を寄こした。しかし、すぐに逸らされて面食らう。だから一体何なんだ。

「その……サボも持ってたりしない……?」
「……なにを?」
「ほら、男の人が読む……ひ、わいな本って言えばいいのかな。前に、若い男の人は刺激を求めてそういうの読むって聞いたことがあって……もしかしたらサボも部屋に置いてるんじゃないかって思ったから……」
「……」
「な、なんか答えてよ……言ってる私が恥ずかしい……」

 が顔を覆って「あ〜なんで聞いちゃったんだろう」と早速後悔していた。羞恥で耳まで赤くしてしまった彼女はサボの反応が気になって仕方ないのか、もの言いたげな視線を向けてくるが、そんなことよりも彼女はどこでそういった知識を得たのか衝撃が大きくて呆然とする。
 そういえば恋人の有無は聞いていなかったことに今さらながら気づいて焦る。いや、再会したあのとき彼女は求婚を受け入れてくれたから恋人はいないだろうが、会わなかった十七年間ずっといなかったとは聞いてない。すうっと指先から体温が冷えていく感覚に陥った。
 ――つうか。若いとか関係ねェし、興味ある奴はみんな持ってるよ。ただ忙しくて普段は暇がねェってのが正直なところだが、おれの場合は……。
 いつの間にか彼女の不安そうな双眸がサボを捉えたまま離さないでいた。とりあえず受け答えはしないと、彼女に変な誤解だけはされたくない。

「……あー……おれはそういったたぐいの本は持ってねェよ。任務で外に出ることも多いし、忙しいからさ」という言い訳じみた台詞はに届いただろうか。彼女に対する後ろめたさから、小さくなってしまってないだろうか。
 しかしサボの心配は杞憂におわる。

「そ、そっか! じゃあもう入ってもいい?」

 不安そうな表情から一変、ぱあっと明るい笑顔を向けられてサボの心が小さく痛む。
 あーやめてくれ。そんな嬉しそうな顔するな。違うんだ。確かにおれは、本は持ってねェけど――
 胸中の必死な叫びは彼女に届くことなく、しかし軽いスキップをしながら部屋に入ってくる彼女を見たら口を噤むしかなかった。見られてやましいものは、確かにない。けど言えるわけないよなァ。お前で抜いてる。だからそんなモン必要ねェんだ、なんて。
 もの珍しそうに部屋の中を見回すの背中に小さな罪悪感を抱きつつ、それでも好きな女が近くにいて何も思わないほうがどうかしてるのだと自分を肯定する弁解を述べて、サボは身支度の続きを再開した。

2022/11/03
サボくんの裏事情