甘くて切なくて冷たい(2)

 は何回目かもわからないため息を吐いて時計に視線を送った。午後の三時を過ぎたので、ぞろぞろと談話室に人が集まってくる。休憩時間だ。
 一足先に座っていたはちょうどこちらに向かってくるコアラの姿を見つけた。声をかけるとすぐに駆け寄ってきてくれたので、内心ほっとして心のわだかまりを彼女に話してしまおうと決意する。考えたって答えは出ないだろうし、だったら仕事で一番近くにいる相手に聞くのが手っ取り早い気がした。

「あの、コアラちゃんお疲れさま。ちょっと相談したいことがあるんだけどいい?」
「え〜急にどうしたの? 何でも聞くよ」

 隣に腰かけたコアラがこてんと首をかしげる。彼女の明るくて元気なところに救われる思いがした。たった一つしか違わないのにその一つがとても大きい差であり、を包み込んでくれる包容力や温かさが彼女には備わっている。

「サボのことなんだけど――」

 は胸に渦を巻く晴れない感情を訥々と吐露した。
 サボとはじめて二人きりで過ごした夜から一週間が過ぎようとしていた。もう少し準備ができたら、と言った彼はこの七日間確かに忙しくしているし、で少しずつ雑用をやるようになったのでなかなか二人だけで会う時間は少ない。それでもまったくないというわけではなく、「今日こんなことがあった」という報告をする程度には会話している。
 彼が部屋を出ていく直前、毎回振り返って「おやすみ」と額にキスをくれるのがくすぐったくて、けれど同時にもどかしくもあるのがの本音だった。
 "もう少し"ってどれくらい?
 まるで催促しているようで聞きたいのに聞けず、毎回のみ込んでいた。だってキスしたいと思ってるなんてはしたないような気がして――
 話しているうちに段々自分の言っていることが恥ずかしくなり、最後のほうは尻すぼみになってしまったが、コアラが始終真面目に聞いてくれたおかげで抱えていたものを吐き出せた解放感にあふれる。すべて話し終えてから彼女がしばらく考え込んでいることに気づいて、は彼女の言葉を待つことにした。やがて、たぶんなんだけどと切り出す。

のことすごく大事にしてるんじゃないかな」
「大事……」
「聞いてないだろうし言ったらサボ君怒りそうだけど、が見つかったって連絡が届いたときすごかったんだよ」

 きょろきょろと本人がいないことを確認してから、内緒話をするみたいにこっそり彼女が話し出した。談話室は休憩時間のせいか、すぐ近くでも複数の人が話し込んでいる。みんな自分たちの話題に夢中でこちらを気にする様子はなく、それぞれ話に花を咲かせていた。
 コアラが語ってくれたのは、がドラゴンに助けられた直後の出来事だった。
 ・カートレットという名から、サボが探している人物だと気づいたドラゴンはすぐに本部へ知らせたようなのだ(そのこともが知らない間に行われていた)。記憶を取り戻したサボからほとんどの人が聞いていた話だったので、本部は大騒ぎになったという。
 でもそういえばあのときドラゴンは「君が」となぜかこちらを知っているような驚きぶりだった。彼は自分もゴア王国出身だからと説明していたが、きっとそれだけではなくサボが探していた人間だから驚いていたのだと今なら理解できる。
 偶然とはいえ、が革命軍に来ると知ったサボはしばらく放心状態だったとコアラは言う。まだ貴族でいるなら今すぐ連れ出したいなんて言ってたくせにね、と懐かしむように笑った。「でもそのあとじわじわ実感がわいてきたみたいで、その日の夜執務室に行ったらこっそり泣いてたんだよ」彼女が小さな声で続けた。
 の知らないサボが少しずつ実体になって形作られていく。そこに言いようのない喜びがこみ上げてきて不意に泣きそうになった。

「そんなことが……」

 初めて来たときから歓迎されている感じはしたが、すでにサボの事情をみんなが知っていたという事実に驚く。記憶をなくしたとは聞いていたものの、取り戻してから今日に至るまでのサボをは知らない。話したくないなら知らないままでもいいと思っていたし、もサボが死んだと聞かされてからどんな生活をしていたのかすべてを打ち明けたわけではなかったから。

「とは言っても、の気持ちは何もはしたなくなんてないよ。好きなんだから当たり前に抱く感情だし、サボ君に言ったっていいと思う」
「……そう、なのかな」
「そうだよ。あ、じゃあ私もう行かないと! 私が話したことサボ君には内緒……にしなくてもいっか。慌てる彼も面白そうだし」

 いたずらな笑みを浮かべてコアラが手を振った。彼女のいつものスタイルである桃色のブラウスのフリルが揺れるのを眺めながら、は今夜こそと決意を固めた。


*


 その日の夜、なぜか扉をノックしたのはサボではなく彼の若い部下で「総長が外で待っているそうですよ」と伝えに来てくれた。戸惑いつつ礼を述べて、とりあえず外に出るために上着を羽織ったは言われた通り、彼がいるという本部の建物から少し離れた丘の上まで歩いていく。
 モモイロ島の地形についてはまだよくわかっていないが、全体的に名前の通りピンクであふれている場所だ。人も植物も、明るくてでもどこか少し変わっているような印象を受ける。
 完全に舗装されているわけではない道をのぼっていく途中で、手すりと同程度の高さの石垣から離れた町が見渡せるほど開かれた景色が視界に入って思わず立ち止まった。夜であることも相まって、セント・ヴィーナス島とはまた違った幻想的な光景を生み出している。いくつもの小さな明かりがぽつぽつと不規則に並ぶ景色にうっとりしていると、「」と前から名前を呼ばれた。
 視線を景色から声のするほうへ移すと暗がりに一つの影が見える。なかなか来ないから心配になって下りてきたらしいサボが、何してんだと言いかけて立ち止まっていた訳を理解した。

「綺麗だろ」
「うん。すごいね、こんな場所があるなんて知らなかった」
「もっとよく見たくないか?」
「え? わあ、ちょっとっ、なに……」

 急に体が浮いたかと思ったら石垣の縁に座らされた。こうして軽々と自分を持ち上げることができてしまうほどサボはやっぱり成長している。そう思ったら急に緊張してきて、「さっきよりよく見えるね」と景色のすばらしさで誤魔化す。
 今夜は風が強く吹いていた。びゅうっという誰かのうめき声のような音がする。そのたびに髪がなびいて顔を覆うように視界を遮る。沈黙が二人の間に流れてしばらく景色に見入っていると、いつの間にか同じように石垣に腰かけていたサボがまた名前を呼んだので、髪を整えながら返事をする。

「おれは革命軍だし、いずれは危険な任務もある。それこそ命に関わるような」

 突然始まった話に、はぽかんとして何を言われているのか一瞬反応に困ったものの彼の真摯な眼差しと視線がかち合うと瞬きも許さないというように見つめられた。
 射止められそうな視線にかろうじて頷くことができたは、続きの言葉をじっくり待つ。革命軍という名前を聞いたときからわかっていた。世界政府に対抗するというのは、この世界に君臨する絶対的存在「世界貴族」に対抗するのと同等の意味を持つ。それがわからないほどは無知でもなければ愚かでもない。

「それでもおれはこの先の未来をとともにありたいと思うし、隣にいてほしい」
「……っ、うんっ……もちろんだよ。私もサボと一緒にいたいし、支えたい!」

 こちらの返事にようやく相好を崩したサボが「ありがとう。まァなんて言われても手放す気はねェけど」腰を引き寄せられて急に距離が縮んだ。彼の顔が目の前に迫ってきて、あ、もしかして今度こそとはぎゅっと目を閉じた。
 しかしの予想に反して、サボはすんなりと体を離した。一週間前とまったく同じで、キスをするのかと思えばこうして距離ができてしまう。どうして、どうしてなんだろう。コアラに言われた言葉を思い出してポジティブになろうとした矢先にの気持ちはしぼんだ。心が悲鳴を上げたように、その言葉が自然と口をついていた。

「し、してくれないの?」
「ん?」
「……キス。もう少し準備ができたらっていつ? 私はもう平気だよ」

 泣くつもりはなかったが、涙声になってしまって恥ずかしい。子どもみたいで、成長したサボに全然見合わないのではないかとさえ思えてくる。
 しかしサボはのそうした言動には一切触れず、「はあ」と盛大なため息を漏らした。

「あーなんだよ我慢してたのに。そんなこと言うなよなァ」

 がしがし頭をかいて一人唸りはじめた。こっちは遠慮してたのに。大事に取っておくつもりだったのに。けど、お前がそのつもりなら。ぶつぶつ独り言を言っているサボを、は珍しいものでも見るように目を丸くさせて見つめる。この前の余裕そうなサボと違って、今はどちらかというとあの頃の面影を感じる。
 やがて気を取り直したらしいサボが改まって真剣な表情を作った。

「いいんだな?」暗いのに、サボの端正な顔が獲物を捕らえて逃がすまいとする獣のように見えた。鋭い眼孔までもがよく見える。
 その問いかけにゆっくり頷くと、彼が近づいてきた。再び距離が縮まっていって、それで――
「ん……」

 はじめて触れた彼の唇は、甘くて切なくて、夜風にさらされていたからか冷たかった。きっとこれから何度も触れるだろうその場所を、は記憶するように堪能した。しばらくすると彼に腰を抱かれて、二人の体がぴったり重なる。まるで、溶けて一つになったみたいに。
 もう風は気にならなかった。

2022/11/11
たし恋見てみたいエピvol.22
初キスの話より後編