きみには秘密

 食堂から戻ってきたコアラが、「が食欲なさそう」と心配そうに伝えてきたのでサボはふと考え込んだ。
 しかし答えはすぐに見つかって、執務室を出て真っ先に向かったのが医務室である。が服用している薬をもらうためだ。彼女には内緒にしているが、実は専属医に頼み込んで彼女のカルテを見せてもらっているので怪我をしたり、不調を訴えたりした際はすべて自分にも共有される。本来、これは仲間であっても許されることではない。カルテは個人のプライバシーに関わる問題であり、知り得ていいのは基本的に医者だけだ。
 ただし、例外もまた存在する。上司という権限を使えば、医者の立会いのもと、部下のカルテを閲覧することが可能になるのだ。正確には、サボはの直属上司ではないが、恋人であることを理由に特別に許可を得ていた――本人に言っていない時点で、いろいろ問題はあるだろうが。
 医務室にやってきたサボは、薬の調合をしていた革命軍の専属医に「が久しぶりに不調だ」と挨拶もそこそこに告げた。彼は眉を寄せ、一瞬何のことかと首を傾げたが、すぐに合点がいったようで、隣の薬剤室から目的のものを持ってきてくれた。
 サボが医務室を訪れる理由は、怪我をしたときかに関することの二択である。ありがたいことに体は丈夫であるので、めったなことでは体調不良にはならない(この前、十数年ぶりに風邪をひいたが)。医者は、自分の見た目に何も変わったところがなければ、だからに関する件だとすぐに判断してくれる。
 彼女が初めてこの場所を訪れたのは、本部へ来る前に負った傷の治療のためだが、それ以降で世話になったのが女性特有の現象によるものだ。この話を聞いたのが、半年ほど前。頭痛がひどくて医務室に行ったと通信部の人間から聞き、後ほど医者から事情を説明してもらったのである。
 サボはもちろん、その現象についてある程度の知識は持っていた。昔あらゆる分野の勉強をした際に、どこかの医学書でさらっと読んだだけなので詳しいメカニズムはわからないものの、それが約一か月に一度女性だけに訪れる現象だと心得ていた。人によって体の不調を訴えることがあるらしいことは、しかしが医務室に相談しに行ったことで知った。ストレスなどで変動することはあるが、彼女の周期もそのときに把握したのである。
 こうした経緯から、サボは彼女の顔色とカレンダーとで体調の良し悪しを管理していた。直近二か月ほど問題なさそうだったので、注意を怠っていた結果がこれだ。ポケットの中の薬を握りしめて、サボは食堂までの廊下を早足で歩く。


 ようやくたどり着いた食堂で彼女の姿を見つけたとき、何やら後輩と話し込んでいる最中だったが、構わずサボは割り込んだ。

「わりィが、ほかをあたってくれ。こいつはおれが借りてく」

 も後輩も突然現れた自分に驚いていた。会話を中断されたのだから当然だろう。しかし、サボからすれば、彼女は顔色が悪いのを隠して無理やり意識を保とうとしているようにしか見えず腹が立つ。
 頼むから無理はしないでくれ。そう言いたいのを堪えて、体調が悪いことを悟らせないよう振る舞った先輩としての矜持を守るため、ほかには何も言わずに食堂を後にする。有無を言わせないために、横抱きにして。


*


「薬、飲めそうか?」
「う、ん」

 ベッドに腰かけるの背中を支えつつ、コップと薬を手渡す。なんとか受け取り、口へ運んだあと喉が動いたのを確認できたのでほっと息をついた。
 食堂から出てまっすぐ彼女の部屋へ向かっている最中、どうしてと聞かれて答えたが、もちろん彼女がなぜそうであると判断できたのかについては触れていない。聞かれたら打ち明けるつもりはあったものの、彼女の意識が朦朧としていて結局その先は言葉にならなかった。あろうことか、そのまま意識を手放してしまった。
 こうして彼女を部屋まで運び、ベッドへ寝かせたわけだが、薬は飲んだほうがいいだろうと思って無理やり起こした。医者曰く、即効性の効果はないそうだ。ただし、彼女の症状にそって調合された薬なので効き目は絶大だというから安心できる。
 コップの水をすべて飲み干したが深く息を吐いた。これで数時間休めば和らぐはずだ。
 風邪を引いた彼女を見たことはないが、辛そうにしている場面なら何度かある。そのときも何かと理由をつけて様子を見に来たり、世話を焼いたりした。体を温めると良いと聞いて、たくさん毛布を持ってきたらコアラに怒られたことがある。けれど、方向性は間違っていないとが笑いながら慰めてくれたので、たくさんあるうちの一枚を渡してやった。
 あまり知られたくないのか、彼女は不調の理由を一切言わなかったが、あいにくとサボは医者から聞いてしまったので少々後ろめたい気持ちで接している。

「だいぶ辛そうだな。もう横になれ」
「ありがとう……あの……」
「ん?」

 は口を開きかけて、けれど声にすることなく俯いてしまった。何か心配事だろうか。真面目な性分だから仕事のことが気になっているのかもしれない。

「仕事なら大丈夫だって言っただろ。おれから伝えておくよ」
「そ、それもだけど……」
「……まだほかに心配事があるのか?」

 の目はサボを見ようとしなかった。「も」ということは、何かほかに気になっていることがあるのだろうが、見当がつかない。こちらとしては早く休んでほしいので、言いよどんでいる彼女に先を促すよう隣に腰かけてもう一度尋ねる。

「サボは……このあとどうするの?」
「おれ? 夕方から入ってる会議までは部下達と特訓だが――」

 言いかけて、サボはふとあることに気づいた。
 もしかしたら、が心配しているのは仕事のことではなく、このあと自分が仕事に戻ってしまうのを寂しく思っているのではないか。自惚れかもしれない。それでも予定を確認してくる彼女に、「おれに、いてほしいのか?」そう聞かずにはいられなかった。
 顔をのぞきこんでみると、ばつが悪そうにゆっくり頷くので抱きしめたい衝動に駆られる。

「わがまま言ってごめんね。サボに、お腹をさすってもらうとよく眠れるから」

 子どもみたいなこと言ってごめんなさい。
 ますます小さくなって身を縮めるがどうしようもなく愛おしく感じて、けれど今は体調が芳しくないので抱きしめることはせずに頭を撫でて、「いいよ、そばにいてやる」と返した。
 瞬間、彼女の体が弛緩して安心したように笑った。気にすることなどないのに。そんな小さなことは、わがままでも何でもない。

「ありがとう」
「礼なんていらねェよ。おれがやりたくてやってんだ」
「うん。でも……嬉しいから。ありがと」

 力なく笑いながらがようやく横になったのを見て、下腹部あたりに手を添えたサボは言われた通りゆっくり往復させていく。薬の効果があらわれるまで痛みは引かないようで、眉を寄せたまま呼吸を繰り返しているのが気になったが、サボにできることはこの手で少しでも早く彼女が眠れるように努めるだけだ。

「楽になるまでここにいてやるから」
「ん……」

 短い返事をしたが目を閉じる。
 "サボに、お腹をさすってもらうとよく眠れるから"
 そんなことで彼女が眠れるというのなら、サボはいくらでもそばにいて手を動かしてやりたいと思う。目を閉じてからどれくらい経っただろうか、やがて静かな寝息をたてはじめた彼女の表情がいくらか和らいでいるの見てそっと立ち上がると、静かに部屋をあとにした。

2023/03/26
周期を把握しているサボくん