きみの隣は譲れない(1)

 保護施設に通うようになってから数週間が経った。はじめは女の子のために刺繍入りハンカチを直してあげたことからだったが、以降は読み聞かせだったり、ままごとに付き合ったり、一緒に絵を描いたり(これが結構苦手で子どもに笑われた)と仕事の合間をぬって関わりをもつようになった。セント・ヴィーナス島でも子どもたちと接する機会はあったものの、こうして一緒に遊ぶのは初めての経験で、にとっては良いリフレッシュになっている。
 本部の建物から渡り廊下伝いに進んだ先に、その施設はある。廊下を歩いている時点ですでに子どもたちの和気あいあいとした声が聞こえてきて、はクスッと笑みをこぼした。初めて訪れたときは緊張したものだが、今ではすっかり友達感覚で「お姉ちゃん」「ちゃん」と気さくに呼んでくれる。
 最近は女の子だけではなく、男の子とも接点ができている。少々やんちゃで元気すぎるので、が帰る頃には体力を奪われてしまうのだが。
 開かれた施設の入口から顔を出して中の様子をうかがう。今日もいくつかのグループに分かれて、本を読んだり、絵を描いたり、走り回っている。何人かの子たちがに気づいて「あ」と小さく声を上げた。

ちゃんこんにちは」

 施設の中ではお姉さん的存在の子が傍まで駆け寄って来てくれる。ニコニコといつも笑顔が絶えない優しい子だ。彼女に続いて小さい女の子たちもよたよたと近づいてきた。

「みんなこんにちは。今日はおやつを作って持ってきたよ、一緒に食べようか」
「おやつ!」
「いいにおいがする!」
「なんのおかし? ゼリー?」

 の周りを囲むようにして、手にしていたお皿を覗き込もうとする子どもたちが可愛かった。
 実は保護施設を管理する人から、おやつは週に二回と言われている。施設内で決められた食事やおやつがあるので、こちらから持っていける回数は限られているのだ。子どもたちの栄養を管理するのも大人の仕事だからと、はその決められた二回で普段は食べられないお菓子を持ってきていた。
 ゼリーは前回差し入れしたおやつだ。数種類のフルーツを使って持っていったらのど越しがよかったのか、子どもたちは喜んで食べてくれた。中には複数食べている子もいたくらいだ。
 しかし、今回が持ってきたのはマフィンである。定番のチョコチップ入りは子どもだけでなく大人にも好まれる味だ。もついつい二、三個食べてしまう。定番のほかにナッツやフルーツなど今日も味は数種類用意していた。

「今日はマフィンってお菓子。結構お腹にたまるからひとり一個だよ」

 そう言って奥に位置する大きなテーブルに乗せる。みんなが一斉に食事をする場所で、子ども用に高さが一般的なそれより低く作られている。
 施設の中は入ってすぐに、いちばん大きな広場を中央としてそこから寝泊まりする部屋、職員用の部屋、中庭に続く引き戸、浴室とあらゆる場所に繋がっている。本部にこうした施設があることには驚いたが、助けた子どもたちを蔑ろにしない優しさは革命軍の思い描く未来にそのまま繋がっている気がする。
 遊んでいた子たちも匂いにつられてか、徐々にテーブルの周りに集まってきていつの間にか中庭で遊んでいる子たち以外の全員がを囲んでいた。

さん、いつもありがとう」

 後ろから声をかけられ、が振り返ると柔らかな笑みを浮かべた施設長が立っていた。白髪混じりの眼鏡をかけた優しい初老の男性だ。子どもたちは怒ると怖いと言っているが、少なくともはその姿を見たことがない。

「いいんです。私も良い息抜きになっているので」
「私は少し打ち合わせがあるからちょっと席を外すんだけど、その間彼らを頼んでいいかな。もちろん隣の部屋だから何かあればすぐに声をかけて」
「わかりました」

 軽く手をあげて広場の奥にある職員用の部屋へ消えていった施設長を見送り、はテーブルのほうに向きなおる。すでに定位置に座っていた子どもたちのキラキラと輝く瞳と目が合い、おやつを今か今かと待ち構えている様子にぷっと吹き出してしまう。
 は立ち上がって食器棚へ向かうと、マフィンが乗せられる程度の小皿を取り出してテーブルまで持っていく。その途中、中庭に続いている出入口から「お前ら何してんだ?」と弾んだ少年の声が聞こえた。見れば、顔中泥だらけの男の子が数人並んで不思議そうにこちらを見ている。中心にいた一番背の高い黒髪の少年がの姿を認めると、口元を緩めて顔を綻ばせた。

じゃん。来てたんだ」
「うん、おやつ持ってきたよ。リュカくんたちもどう?」
「くう!」

 彼――リュカ少年は、施設内で最年長である十二歳の戦争孤児だ。妹と一緒に革命軍に保護されて二年が経つが、その妹がもう少し大きくなったらここを離れて故郷復興のために戻るのだという。妹思いの良いお兄ちゃんで面倒見がいいから年下の子たちからも慕われている。
 リュカにあわせて、ほかの男の子も次々に広場に戻ってきて席につく。おやつがあるとわかると、遊びより優先するらしい。瞬く間にテーブルが騒がしくなり、は慌ててマフィンを小皿に分けて子どもたちに渡していく。おやつの時間はめいめいが楽しそうに頬張って「美味しい」と言ってくれるので、にとっても和む時間だ。

お姉ちゃんはおやつもつくれるし、ごはんもつくれるし、かわいいし、とってもすてきなおよめさんになるね!」

 食べはじめてから数分経ってのことだった。隣に座っていた十歳くらいの女の子に話しかけられて瞬きする。一拍おいてから意味を理解して恥ずかしさがこみ上げてきた。子どもの発言とはいえ、「およめさん」と言われるとどうしたって"彼"を想像してしまうから。

「本当? 嬉しいな」

 それでも素直に褒めてもらえたことを喜ぶ。今日はまだ会えていな"彼"は今頃執務室で書類仕事中だろうか。夜にはきっと会えるはずだ。思いを巡らせている間、知らず知らずのうちに口角が上がってしまっていたらしい、「なんで笑ってるの」と指摘されて肩をすくめる。
「なー
 くいっと反対側から袖を引っ張られて、今度はそっちに顔を向ける。リュカが頬を染めて何かを言いたそうにしながら、視線をさまよわせていた。どうしたのかと彼の瞳を覗きこむと、

「お、大きくなったら……!」

 若干躊躇いを伴った大きな声を出されて目を見開く。「リュカくん……?」しかしなんだかとても真剣そうにを見てくるので思わずこちらも見つめ返して相手の言葉をじっくり待つ。彼が小さく息を吐いてから、勢いよく吸って口を開いた。
「大きくなったらおれと結婚してほしい!」
 思わずだろう。椅子から立ち上がりの両肩に手を置いて、彼はそう言った。目を瞬き、一時ぽかんとしたあと、かわいいなとリュカに微笑みかける。一生懸命さが伝わる告白にも心が温まるのを感じて、けれどだからこそ誤魔化したりすることはできないと判断した。

「ありがとう。リュカくんの気持ちは嬉しいけど、私にはもうずっと昔から心に決めた人がいるんだ」
「え……」
「結婚はね、その人とするって決めてるの。ごめんね」

 子どもには少々きつい言葉かもしれない。決断したそばからすでに後悔しはじめて心が痛んだ。リュカは驚きとも衝撃とも似つかない表情でを見ながら、しばらく呆然としたあと「……そっか」短くそれだけこぼすとゆっくり座り直して前を向いた。「、好きなやついるんだな」とても小さな声で悲しそうに言うものだからやっぱり胸が痛んだ。
 十歳も離れている子どもだからといって傷つかないわけではない。しかし変に期待をさせるほうが余計に傷を深くすることだってある。彼はまだ十二歳だ。この先以外の異性と出会えるチャンスはたくさんある。彼の良いところをしっかり見てくれる子が現れるはずだ。
 そう思いながら、は食べかけのマフィンを口にした。

2023/06/11
保護施設の子たちとの話1