きみのことになると冷静になれない

 その光景をつまらなそうに見ていたサボは、彼女が男に向かって微笑んでいるのを前に眉間のシワがより一層深くなった。危うく持っていたグラスを、文字通り指先の力だけで割りそうになって、どうにか平静を保つよう自身に言い聞かせる。
 とあるホテルのパーティー会場。
 表向きは国の要人たちが集まった娯楽のパーティーだが、その性質上栽培禁止とされている植物の取引が裏で行われているという情報を革命軍は得ていた。栽培を指揮しているらしい男からその場所を聞き出すのが今回の任務であり、情報収集役として抜擢されたのがだ。植物に精通しているという理由で非戦闘員の彼女に白羽の矢が立ったのだが、その話が出たときサボはすぐに却下した。その理由に見当がついているコアラとハックからは私情を挟むなと言われために、渋々頷いた今回の潜入調査である。
 視線を少し離れたところで楽しそうに会話するへ向ける。相手の男が給仕からシャンパングラスを一つ取ると彼女へ手渡した。任務とはいえ、まるで本当に楽しんでいるように見えて下唇を噛む。給仕に扮したサボは平静を装って片付けているフリをしつつ、隣のテーブルで歓談している二人の会話に聞き耳を立てた。

「でもベラドンナってたしか栽培禁止の植物ではありませんか?」
「へェ……君、詳しいね。政府はそう言ってるが、欲しがってる国が多く存在するのも事実なんだ。くわえて我が城内の地下室には栽培に適した研究室があってね、大量に育てることが可能なんだよ」
「興味深いお話ですね。もう少し詳しく聞きたいです」

 の目が鋭く光った。
 "ベラドンナ"。食した人間は一時的に驚異の体力と筋力を手に入れられる代わりに酷い幻覚を見る上、場合によっては死に至ることもある危険な植物。元々は医療で使用される薬草だったそうだが、副作用が判明してからは禁止リストに追加されたという。
 彼は自国でそれを秘密裏に栽培させ、貿易国に独自ルートで輸出している。そして奴はいま栽培場所をあっけなくに暴露した。

「純粋そうな顔して君もそういうことに興味があるのかい? ますます気に入ったな」
「なら、私にお話ししてくださいますか?」

 首を傾げながら、どこか挑発的な視線を相手に向けるのあざとさは一体誰に教わったのだろう。蠱惑的な表情に相手の男が舌なめずりをするのがわかった瞬間、サボは居ても立ってもいられずに歩き出していた。

「その前に君ともう少し仲を深めようか。部屋を取ってあるんだ、このまま一緒に移動しよう」
「あっ、ちょっとまって――」
「お客様。当パーティーではそのような行為は禁止されておりますのでご遠慮ください」

 男がの腰を抱いて連れ去ろうとしたので、サボは素早く彼女の腕を引いて自分の懐へ抱き寄せた。驚いた彼女が「サボ」と自分の名前を呼ぼうとしたので慌てて手で口を塞ぐ。仲間だとバレては困ることにようやく気づいて大人しくなった彼女をそっと解放してやり、「お怪我はないですか」恭しく聞いてからこっくり頷くのを確認したサボはこの場を早く去るよう促した。その後姿をつまらなそうに見ている男が「あーあ」と愚痴っぽくこぼす。

「せっかくいいところだったのに」
「失礼しました。ですが、国の要人であるあなたのような方はすぐスキャンダルになりますので行動には気をつけてください」

 軽い会釈で済ませて、サボもまた踵を返した。本当なら「汚い手で触るな」くらいは言ってやりたかったが、今の自分は給仕なので下手な行動ができない。腹の底に湧き上がる黒い感情をどうにか抑えてコアラ達の元へ戻る。だが、戻った先にの姿がなかった。

「あいつは?」
「先に部屋に戻るって。任務はほぼ成功したも同然だから」
「じゃあおれも抜けていいよな。あとはお前らに任せる」
「いいけど、のことあまりいじめないでよ」
「……何のことだ」
「全然隠せてないからね。怒ってること」

 コアラの声色にはこちらへの同情も含まれているが、の気持ちを慮るようにほどほどにしろという思いも同時に受け取れた。右手をあげて「わかってる」の意を伝えたサボは、人波をかき分けて扉をくぐった。


*


 先に部屋へ戻ると言っていた通り、の姿はエレベーターホールの前にあった。今日は貸し切りなのか、ほとんどの人間がパーティー会場にいるようで、エントランスには制服を着たホテルマンばかりだ。
 エレベーターの到着する音とともに扉が開くと彼女がひとりで乗り込んでいくので、サボは走って追いかけた。扉が閉まりかけるギリギリのところで彼女がこちらの存在に気づく。

「えっ、どうしてサボが、」
「先に戻るってコアラから聞いたから追いかけてきた」
「そう……」

 短い返事をしただけでそれ以上何も言わずに俯いたに、せき止めていた感情が溢れ出したサボは、彼女の手を搦めとってそのまま壁に追い詰めた。突然のことに悲鳴を上げた彼女と目が合う。

「おれが言いたいこと、わかるよな」

 縫いつけられた手も、壁に押しつけられた体も自由に動かせないが困惑顔でサボを見つめてくる。少々手荒な方法かもしれなかったが、自分の中に渦を巻く不満や嫉妬といったマイナスな感情を押しとどめる唯一の方法でもあった。
 震える唇が何かを紡ごうとして閉ざされる。そんな仕草さえ、今日の彼女はいちいち魅力的だ。肌を露出しすぎない、けれど体のラインがしっかり出るタイトな作りはシンプルでありながら上品な雰囲気を醸し出していた。
 メイクも普段とまったく異なり、ベージュのドレスに合うようにしっかり作られていて戸惑う。どちらかというと可愛い印象が強い彼女だが、化粧が変わるだけで人間の印象というのはこんなにも変化があるのかと驚く。男のサボにはよくわからないものの、グラデーションに彩られた瞼がやはり挑発的で、この目が先ほどの男に向けられていたのかと思うと気に食わない。
 髪だって器用にくるくると巻いてまとめられているし、後ろ毛を若干残しているせいで妙に色気がある。

「なあ。お前の恋人はおれだろ?」
「うん……」
「こんな格好で、あの男に愛嬌ふりまいて。おまけに楽しそうに笑ってたよな」
「でもそれは任務だからッ……相手のことは別に何とも思ってないよ」

 焦りながら弁解するに、そんなことわかってるよと苦々しく胸中で答える。返事する代わりに力なく笑ってから、彼女の頬に触れてそのまま顎へ滑らせていく。エレベーター内のオレンジの明かりが上向きの彼女の顔を照らす。キラキラと反射するのは化粧の影響だろうか、ますます魅力的でこちらを煽るばかりだった。彼女を想えば想うほど苦しく、どうして感情というのは思い通りにならないのだろう。

「そうだな。任務だって割り切れたら楽なんだが、お前のことになるとおれは時々冷静になれない。どうしたって嫉妬する」
「……」

 がどうすればいいのかと困惑しているのが手に取るようにわかる。しかし、こればかりは彼女がどうこうということではなく、サボ自身の問題なので自分でどうにか鎮静させるしかない。そしてそのやり方も一応わかっている。ただ、彼女に無理をさせてしまうし、きっといつもより乱暴的になってしまう。それをわかっていながら制御できないことがもどかしく、けれど早くこの腕の中に閉じ込めて目いっぱい彼女の存在を感じたかった。
 エレベーターが上昇していく。やけにゆっくり上がっているような気がして、サボはたまらず彼女のドレスに手をかけてチャックを半分ほど下ろした。

「や、サボ、ここエレベーター……ッ」
「おれ達しかいねェだろ」
「やだまって、」
「無理だ。今すぐあいつが触れた感触を消さないと気が済まない」

 の体を反転させて、背中とドレスの隙間から手を滑り込ませる。腰のあたりを撫でつつ、首から肩にかけて唇で触れていく。中途半端に乱れたドレスから彼女の綺麗な背中があらわになる。数回にわたってあちこちにキスを落として、時折音を立ててきつく吸いつくとくっきり紅い痕が生える。

「ん……そんなとこ触られてないっ……ぁ、やだ」
「嘘つけ。あいつお前の腰を抱いてたぞ」

 思い出しても腹が立つ。あの男、が自分に興味を抱いたとわかった途端に下心まる出しで近づいてきた挙句、馴れ馴れしく腰を抱いて部屋に連れていこうとしたじゃねェか。
 ――に触れていいのはこの世でおれだけだ。
 スリーピースに身を包み、髪を撫でつけたいかにもな男に向けてサボは語りかけた。
 やだと言いつつ、彼女の身体が小さく震えはじめる。弱点である背中を刺激すれば、少しずつ快感に変わっていくのがわかった。

「サボ、どうして……」
「言っただろ? 嫉妬してるって。お前におれを刻まないとこの気持ちは治まらねェよ」
「そんな……ッ、あ」

 エレベーターが該当の階に到着したことを知らせる音が鳴る。扉が開いたが、案の定誰もいなかった。サボは呆然とするの体を横抱きにして廊下に降り立つ。部屋は右と左どちらだったか、一瞬思考をめぐらせてから右奥だったことを思い出してすぐに足を動かす。ルームキーは自身の胸ポケットだから彼女に取ってもらうとして、そのあとは――
 サボの頭はすでにを抱くことでいっぱいだった。もう余計なことは考える必要ない。任務は終わった。

「今日は寝かせねェからな。覚悟しとけ」

2023/07/08
潜入ドレスリベンジ