まさかこんな時間になるとは思ってなかったな――
サボは胸中で嘆いてから、暗がりに見える革命軍本部のモモイロ島を眺めた。夜風が海面にさざ波を立たせ、そこに月の光が当たってきらきらと輝く。静かな夜の風景とは裏腹に、急く気持ちは一層高まるばかりだ。
数週間前、サボは軍隊長たちと共に政府がかかわる重要な任務を遂行していた。ところが、行く先々でトラブルに見舞われ、挙句の果てに負傷する事態となり、命からがら逃げてきた先の島でようやく助かった――というわけではなく、そこで一度本部へ連絡を入れたものの、再び戦火に見舞われたサボは島からの脱出を余儀なくされた。
幸い、国民たちが逞しかったおかげで彼らとともに船で脱出することに成功し、どうにかモモイロ島まで目指してきたわけである。住む家を失い、家族を失った者たちが、そのまま革命軍に入隊希望をしたのは当然の流れだった。
こうして彼らとともに本部へ向かうことになったのはよかったのだが、所持していた電伝虫が傍受されているせいで仲間に連絡をとることが叶わず、音信不通の状態のまま帰還することになってしまった。おまけに、最後の通信も不穏な状況だっただけにやきもきしているに違いない。いつ帰るかもわからない人間を待つというのは心理的につらいものがある。
しかし、サボには絶対に生きて帰らなければという強い想いがあった。仲間はもちろんのこと、そこに恋人であるフレイヤの存在があるからだ。彼女に会うために、この手に抱くために、必ず生きて帰ろう。二度とあいつに寂しい思いをさせないために。そういう強い気持ちがいつも心の中にあった。とはいえ、これだけ連絡なしに帰らなかったことは今までにないので彼女の心中を想うとやるせない。
もう少しだフレイヤ。帰ったら存分に抱きしめさせてほしい。
そろそろ船がモモイロ島の港へ着く。向こうは見かけない船の姿に警戒するだろうが、掲げた革命軍の旗と自分の姿を見ればわかるはずだ。
やがて向こう岸の様子が目視で確認できるほど近づくと、「え、サボさん!?」「総長!」といった驚嘆の声があちこちから聞こえる。急いで本部に知らせにいってくれたのか、船が完全に港へ到着した頃には夜にもかかわらず多くの仲間が出迎えてくれた。
「サボ君のばかーーー! 心配したんだよぉお!」
コアラに至っては泣きながら縋りつかれた。仕方ないと言えば仕方ないが。「悪かったって。けど、なんとか脱出できそうだって伝えたろ?」と彼女の態度にたじろぎつつ弁明する。戦火の中、逃げる国民たちを誘導しながら大型船があるという港までどうにか移動してきたことやサボ一人で対応せねばいけなかったことまで事細かに説明した。結果、当然全員が逃げきれたわけではないが、少なくともサボが誘導した国民は全員無事に送り届けることに成功したというわけだ。
コアラに応対しながらサボはきょろきょろと目的の人物を探した。これだけの人間が外に出ていたら気づいているだろうと思ったのだが、よく考えたら時間が時間なので就寝していてもおかしくない。寝ちまってるかと落胆しかけたとき、
「フレイヤならこっちだよ。小さいからみんなの陰に隠れちゃってるけど……ほら待ちに待った彼女」
と、誰を探しているとも口にしていないのにコアラがフレイヤを差し出してきた。背中を押された彼女がたたらを踏みながらぎこちない所作で自分の前に現れる。数週間ぶりの姿は相変わらず小さくて、コアラの言う通り仲間の連中と並ぶとサイズが違うことは一目瞭然なのだが、その存在は誰よりも大きいということもまた事実だった。自分が一番欲していた温もり。
「あ、サ――ッ」
フレイヤが言葉を発する前にサボは動いていた。小さい体を目いっぱいこの腕に抱きしめる。強く、つよく。その拍子に帽子が地面へ落ちていったが拾う余裕はもちろんない。
考えるよりも先に体が勝手に動く――脊髄反射にも似た行動は、彼女だけでなく周囲をも驚かせた。しかしいつもと違うのは誰もからかいの言葉を投げないことだ。長いこと通信が途絶えて安否がわからなかった状態の自分が無事に帰還し、恋人と抱擁をかわすのは何もおかしなことではない。
柔らかいその抱き心地に安心感を覚え、サボは空白の時間を埋めるようにさらにきつく抱いた。彼女が「苦しい」ともがいているが応える余裕はなく、ただひたすら腕の中の存在を確かめるように首元に顔を埋めて彼女の匂いを吸い込む。花の香り。中庭に咲く植物たちを世話する彼女がまとう――フレイヤだとすぐにわかる好きな匂いだ。
「フレイヤ……」
「んぅ……さぼ、おちついて……」
「フレイヤッ……」
「サボ、大丈夫だよ。私はここにいる。帰って来たんだよ」
ふいに頭を撫でられて、ぴくんとサボの体が硬直した。それはまるで子どもをあやすような触れ方で、優しく何度も往復していく。一定間隔で動くその手にざわついていた心がやすらぎを取り戻す。
こうした安心感を与えてくれるフレイヤだからこそ、自分より何倍も大きな存在に感じることがある。もちろん比喩だが、サボには大きな意味を持つ。
大丈夫。ここにフレイヤの存在はきちんとある。おれは――待つ人がいる場所へちゃんと帰って来た。
「……ただいま、フレイヤ」
ゆっくりフレイヤから離れて彼女の顔を見つめる。苦しさから解放された彼女がやわらかく微笑んで、小さな両手がサボの顔を包んだ。
「おかえりなさい」
「なァ。もう一回、抱きしめていいか?」
「え……あ、うん」
「はいストーップ!」
フレイヤの背中に回した腕は、しかしその身体を抱きしめる前に誰かの声によって遮られた。いつの間にか自分と彼女を囲うようにして呆れた視線を送っている仲間達と目が合い、ようやく彼女と二人きりではなかったことを思い出した。さっきまでは視界の隅にほかの奴らも映っていたはずだったが、抱きしめた途端世界が閉ざされたように彼女しか目に入らなくなった。
「気持ちはわかりますけど、そういう熱い抱擁は部屋でやったほうがいいです。みんな見てますよー」
「フレイヤさんも総長に流されたらダメですって」
部下達が一斉にダメ出ししてきたかと思うと、フレイヤとの間に割って入って来た一人が「このあと報告とかいろいろあるでしょう。ドラゴンさんだって心配してたんですからね」と苦言を呈した。
仲間の誰にも連絡ができなかったということは、当然ドラゴンもこちらの事情を知らないので確かに気を揉んでいただろうことは推測できる。彼女との時間はもちろん大切だが、仕事を放棄するわけにはいかない。
「悪いフレイヤ。これからドラゴンさんのところに報告に行く。お前とゆっくりできるのはその後だ」
「謝らないで。大事な情報を持って帰って来たんでしょう? 私は待ってるから大丈夫」
「……ありがとう。じゃあ行ってくる」
去り際、フレイヤを抱き寄せて瞼に軽くキスを落とす。改めて帰還してきたことを実感したサボは拾ってくれたらしい帽子を受け取ると、軽い足取りで本部の建物があるほうへ歩き出した。
夜の港に海から冷たい風が吹く。けれど、仲間の無事を確認するために大勢が駆けつけて今や祝杯ムードとなった港は大騒ぎである。背中にそうした声を聞きながら、サボは心の底から安堵のため息を漏らした。
2024/05/18
107巻より音信不通だったサボくんが本部に帰還する話