とある兵士は、革命軍一のおとぎ話に魅了されている

 革命軍に入隊してもう何年になるだろう。八歳のときから世話になっているのでもう十年以上だ。
 僕はいわゆる戦争孤児というやつで、家族も家も失い、母国を離れることを余儀なくされた。そうした境遇の子どもは多くいるし、そのまま残って革命軍の戦士として育っていく者もいれば、新しい人生を始めようとここを去っていく者もいる。僕は特にやりたいこともなかったし、理不尽に死んでゆく一般人を救いたくて戦うことに決めた。
 "彼"を知ったのはそんなときだ。魚人空手の訓練の途中、遠くのほうから「待て」という怒声が広大な白土に響き渡った。何事かと騒がしいほうに目を向けて、僕は口をあんぐり開けて驚く。自分と同じくらいの子どもが大人に追いかけられているではないか。少し距離が離れていたが、見たことない顔だなと思って隣の奴に聞いてみる。「あいつ誰だ?」問いかけに僕より数か月早く入隊していた彼は、一瞬視線を投げやってからああ、と納得したように笑った。
 サボ――それが、"彼"の名前だった。自分と同じで最近連れてこられたようで、なにやら深い事情があるらしい。ここに来る以前の記憶がないとも教えてもらった。しかし、特別"彼"と関わりがあったわけではないので、いつもハックさんやイナズマさんに怒られているイメージしかなく、どちらかと言えば問題児という印象を抱いていた。
 それが変わったのは初めて任務に赴いたときだ。十五歳になったばかりの僕は"彼"がいるチームの中に編成され、前線に立って相手を翻弄する役目を与えられた。緊張している僕に先輩達はあまり気負うなと声をかけてくれたが、功績を残したいという思いが強くあった。それが裏目に出てしまったのか、不意を突かれて死角から敵に襲われてしまった。
 やられると思って身構えた体は、しかし待てども一切痛みがやってこなくて恐るおそる目を開いて状況を確認する。そのとき、自分の目の前に立っていたのが当時十七歳だった"彼"だった。呆然と立ちすくんでいた僕は思わず「どうして」とこぼしてしまったらしく、はっと口を噤んだものの、"彼"には聞こえていたらしい。振り返った"彼"は心底不思議そうな顔してこう言った。
『仲間を助けるのに理由がいるのか?』
 太陽を真後ろに受けて暗く見えた"彼"は、しかしどこまでも真っすぐで格好良くて「怪我はねェな」と笑った顔が印象的だった。
 この人についていきたい――そう思った瞬間でもあった。
 それ以来、僕はサボさんを尊敬し、彼をサポートするために日々鍛錬を積んで任務も共にすることが増えていった。あの若さでもう武装色と見聞色の覇気が使えるし、竜爪拳という武術を心得ていてすでに実力はハックさん達を超えていた。彼が敵わないのはきっとボスであるドラゴンさんだけだろう。依然として記憶は戻らないままだったが、革命軍の一員としてなくてはならない存在になっていた。
 もう一つ、僕がサボさんを好む理由は女性関係だ。男というのは正直な生き物なので、綺麗でスタイルのいい女性が大勢いる店に入ると鼻の下を伸ばす若い兵士が多い中、なぜか彼だけはまったくその手にのらず一切関わろうとしなかった。「サボをご指名だってよォ」と茶化すように先輩が彼を誘っても、「おれはいい」の一言で一蹴する。さらには、あからさまにそういう目的で近づいてくる露出の高い服装の女が「今晩どう?」なんて誘ってきても、「興味ねェ」である。
 これにはさすがの僕も驚いたが、それと同時に好感度がさらに上がった。サボさんは一般的に言うところの美形に属するタイプであり、本部でも女性陣から騒がれている対象だ。自分がそういう目で見られていることに気づいていないわけがないのに、意に介さず、遊びもしないのである。男が好きという声も聞こえるが、僕はそうは思わなかった。実際、彼は女も男も皆等しく接していたし、ただ単に特別な人を作る気がないのだと理解していた。
 だとすれば、彼のそういう存在になり得る人とは一体どんな人なのだろうか。
 ここに来る前の記憶がない彼にプライベートなことを根掘り葉掘り聞くのは無礼だと思って控えているが、実際は気になって仕方なかった。もしもこの先、色恋には興味ないという彼を虜にするほどの人が現れたとしたら、それはどんな人なんだろうと――



「フレッドさん!」

 訓練場に向かっている途中、名前を呼ばれて振り返ると駆けてくる人物が一人。その姿を視認して目を見開く。
 はぁ、と少し苦しそうに膝を押さえながら「よかった」とこぼして呼吸を整える彼女が次の言葉を発する前に僕は口を開いた。

フレイヤさん。どうして僕の名前をご存知なんですか」

 彼女――フレイヤさんとは一度しか会ったことがない。それもサボさんと話しているところに、数分だけ彼女が用事で彼を訪ねてきて挨拶を交わした程度。そのとき名乗った覚えはないはずだがどういうことだろう。

「ごめんなさい。サボがそう呼んでいた気がして……違いましたか?」
「いや、合ってます!」

 間髪入れずに否定してから合点がいった。なるほど、サボさんには親しみをこめて「フレッド」と呼んでもらっているので彼女もそれを聞いていたのだろう。そうした小さいことに僕はとても嬉しくなった。
 フレイヤさんは、参謀総長サボさんの恋人である。革命軍にいる者なら基本誰でも(新人兵士はたまに知らないことがある)知っている事実だ。驚くべきことに、彼女こそが彼の心を射止めた人物だ。この場合の「驚くべき」という表現にはいろいろ含まれる。
 実をいうと、サボさんの記憶は二年前の頂上戦争を境にすべてよみがえったのだが、そこから判明したのは海賊であるポートガス・D・エースやモンキー・D・ルフィと兄弟であることのほか、彼らと過ごす前に一緒にいた女の子の存在だ。
 アウトルックという貴族の家に生まれた彼にはいわゆる許嫁がいたらしく、それがここにいるフレイヤ・カートレットさんである。つまり彼女も貴族なわけだが、サボさん同様自分の家が嫌いで母国を飛び出した経歴を持つ。最初こそ親が決めた婚約だったものの、その事実を知る前に二人は意気投合して将来を誓い合ったそうだ。それだけでも胸が躍るほどおとぎ話のように聞こえる。だって、会ったその日に一緒にいようと思えるほどの人間に出会える確率はこの広い海でものすごく小さな数字だろうから。
 しかし、二人のすごいところはこのあとだ。
 悲しいことに、サボさんは家にいることが耐えられなくなってフレイヤさんに告げることなく家出をして、後に兄弟となるエースさんと出会ったそうだ。同じゴア王国の一部だが、貴族である彼女が到底行かない場所で暮らしていたというから皮肉な話だ。こうして五年間、やり取りのない日々を送り二人は十歳になる。
 事態が動いたのは世界貴族が来るという当日のこと。フレイヤさんの元にサボさんから五年ぶりに手紙が来た。先に海へ出るという知らせと兄弟のことが書かれていた。当然彼女は離れていた五年間のサボさんのことが知りたくてエースさん達のいる場所へ向かった。しかし、待っていたのは残酷な現実だった。
 サボさんが死んだと聞かされ、もう二度と会えないと知った彼女は絶望の淵に立たされた。そこから十二年、彼女は誰とも恋に落ちることなく独り身を貫いて彼だけを想い続けたという。幼少期の恋なんて、それこそ一過性のものにすぎないと思うのだが、二人にとっては特別で一生の出会いだったのだろう。
 サボさんはサボさんで、記憶を取り戻した頃にはフレイヤさんが母国を出ていて八方塞がりだったため、僕も含めていろんな仲間が任務先で手当たり次第に探すことになる。二年の間、大切な兄弟の死による悪夢にうなされる日々の中、彼女を探すことに必死になった。それまで彼には"執着"という感情がないように思えたが、彼女のことは特別に想っているのか十年ほど一緒にいて初めて見る姿だった。しかしそんな想いも虚しく一向に見つからなくて、いよいよ諦めることも視野に入れていた頃だ。ドラゴンさんから思いもよらぬ知らせが舞い降りたのは。
 この広い海の上で、溺れそうになっていたフレイヤさんを我らがボスであるドラゴンさんが見つけたというのだ。
 サボさんが来る日も来る日も必死になって探していた彼女がようやく見つかったと知ったときは、自分事のように喜んだ。そして、同時に理解する。彼女こそ、彼を虜にした唯一の女性なのだと。あれほど異性から好意を向けられる人が一切靡かない理由がここにあった。彼には、記憶を失っても心に居続ける特別な女性がいて、その人以外まったく興味がないのだ。
 これ以上に切ない恋の話は少なくとも僕の周りにはないのだが、二人は十七年の時を経て奇跡的に再会するのだからやっぱりおとぎ話みたいだと形容するほかない。
 こうして僕はすっかり二人に魅了されている。障害がなくなり、愛を育むように二人の間には常に甘い空気が漂っていた。こそばゆい気持ちになりつつ微笑ましく思う。
 ようやく呼吸が落ち着いたのか、フレイヤさんは微笑んでから「それで……」と話を切り出す。

「あのときは自己紹介ができなくてすみません。私はフレイヤ・カートレットです。フレッドというのは愛称ですよね。よろしければ本名を教えていただけませんか?」
「あ、僕こそ失礼しましたッ! 本名はフレデリック・トマス・ボルタと言います。長いのでサボさんや同僚からはフレッドと呼ばれてます。フレイヤさんもどうぞ気軽に呼んでもらえたら」
「ボルタ……? もしかして、英雄と呼ばれた騎士リーマス・ボルタに関係が――」

 僕は目を見開いた。まさかこんなところで母国の騎士の名を知っている人がいるとは思わず、うっかり彼女の両手を握ってしまった。

「えっ、リーマスをご存知なんですか? そうなんです、僕の母の家系がボルタ家の一員で男は代々国家騎士団に入団をしているんです!」
フレイヤさんは総長の恋人兼婚約者です。みだりに触れないでください、言いつけますよ?」

 にゅっと横から程よく焼けた小麦色の腕が伸びてきて、思いっきり自身の手をはたかれた。「ったァ……容赦ないな、ミリ」「当然です」愛想ない氷のような表情で僕を見下ろすのは、女兵士のミリ。高身長ですらりとした体型だが、いざ戦闘となると美しい身のこなしで敵をなぎ倒していく後輩だ。もう一つ重要な情報を加えると、僕以上にサボさんとフレイヤさんを敬愛している。彼女もまた訓練場へ向かう途中だったようで、偶然この場に居合わせたらしい。年下だというのに僕より高いせいでジッと睨まれると威圧感が増す。
 とはいえリーマスの名を母国出身以外の人間が知っているのが珍しく、興奮した勢いでサボさんの大事な人に触れてしまったことは反省した。

「失礼しました。まさかその名前を知っている人がいるなんて思わなくて」
「気にしないでください。昔、絵本で『英雄リーマス伝説』を読んだことがあるんです。でも、そうだったんですね。だからフレッドさんもその血を引き継いで強いのでしょうか」

 サボが「あいつは筋がいい」とこぼしていたので。口元に手を当てて楽しそうに言った。
 なるほど、リーマスが絵本になっていることは知っていたが、それだけで結びつけられるのはフレイヤさんの造詣が深いからだろう。やっぱりそういうところも好感が持てる。
 二人の間で僕のことが話題に上がること自体恐れ多いが、尊敬する人に評価されるのはそれ以上に嬉しかった。もっと頑張ろう。サボさんの役に立てるように、ボルタの名に恥じぬように。

「引き止めてすみませんでした。フレッドさんもミリちゃんも、訓練頑張ってくださいね。あとで差し入れ持っていきます」

 ぺこりと頭を下げたフレイヤさんは踵を返し、食堂のほうに向かって歩き出した。残されたミリと二人でしばらく小さな背中を見つめたあと、僕はつい本音を漏らしてしまう。

フレイヤさん、良い匂いがしたな――痛ッ……ばかっ、お前頭はやめろよ」
「不埒な発言です。言いつけますよ?」
「お前な……何でもかんでも言いつけるって言うなよ、別に下心はないって。ミリだってそう思うだろ?」フレイヤさんから良い匂いがするのは事実だ。

 僕の問いかけに、ミリは渋面を作って答えづらそうにする。まあ気持ちは十分に理解できる。サボさんは性別に関係なく、フレイヤさんに下心がある人間に対して容赦ない。

「……それは認めます」

 しばらく悩んでいたミリが素直に答えたのをおかしく思って、僕は腹を抱えて笑った。

2024/04/28
サボくんとフレイヤを敬愛する部下の人たち