「あ、総長おかえりなさい。おはようございます」
「ただいま」
すれ違いざま、昨日本部へ帰還したばかりの総長に挨拶をする。笑顔で答えてくれた彼が執務室へ消えていく背中を見届けながら、やけに嬉しそうだなあと少し不思議に思った。
一夜が明けてもどこか夢心地で、あの彼が無事に帰ってきたことにみんなが喜び、湧いた。消息不明、安否もわからず、ルルシア王国の一件で不安に陥っていた本部は、けれど彼がすでに脱出していて命からがらルルシアの国民たちとここへたどり着いたと聞いて心底安堵したものだ。みんなに「おかえり」と出迎えられた彼は、一晩だってもまだあちこちで「無事でよかった」「おかえり」と声をかけられている。
食堂につくなり、同僚たちからこっちに座れと促されて席を下ろすと、彼らもまた総長の話題で持ちきりだった。どうやら先ほどまで彼がここにいたらしい。
「昨日海岸で見たときよりさらに嬉しそうだったなァ」
「そりゃそうだろ。なんたって久々だろうし」
総長のことを話しているのは間違いないが、何の話かはさっぱりわからなかった。聞くのも野暮な気がしたので口を噤み、彼らの話に耳を傾けて黙々と朝食をかっ込んだ。
*
「サボ君、昨日の今日で悪いんだけど早速この報告書――って、なにその顔」
「コアラか。後で片づけるからそこに置いといてくれ」
机の空いているスペースを指し示した彼に言われた通り、コアラは持っていた書類をそこに置く。後半の質問には答えなかったが、聞かなくても自明の理なのであえて深く追及することなく言葉を続ける。
「今日はフレイヤが料理を振る舞ってくれるみたいだよ」
「ん? あー……そうみたいだな」
書類から顔を上げた彼の顔は、喜びが心の底から溢れて心と体を満たしたあと、外に溢れ出てしまったような、例えるならそんな感情が体全体からにじみ出ていた。参謀総長ともあろう人が、だらしなく口元を緩めて嬉しさを隠そうともしない。そんな姿に苦笑しながらも、コアラは微笑ましく見つめた。
帰還したことに周りが湧いていた昨日、フレイヤだけはタイミングが悪くその場にいなかった。近隣の島へ仲間と食糧調達に出ていたのだ。幹部や仲間たちと喜び合いながら、けれど見当たらない恋人の姿に彼はがっかりしながらもすぐドラゴンたちと城内に消えてしまい、結局彼女に会えたのは夜遅くになってからだそうだ。
フレイヤもこういう日に限って遅くに帰ってきたので、ずっと待っていた恋人が帰還したことを知らなかったという。周りが教えてあげてもいいはずだが、逆に気を利かせたのか、彼が自ら会いに行くまでみんなが黙っていた。コアラも彼が帰還してから立て込んでいたので今日の朝まで彼女と話す機会がなく、事の顛末をようやく今朝聞いたばかりである。
「よかったねサボ君」
たった一言それだけ言うと、きょとんとした表情を見せてから「ああ」破顔して晴れやかに答えた。
*
料理長から食材の調達を頼まれてほかの料理人と近くの島へ出ていた間に何かがあったのか、城内がやけに騒がしい――というより、浮かれているようなそんな印象を受けた。どうしたのかと聞いてみたのだが、みんな「知らない」「わからない」「気のせい」の一点張り。首を傾げているフレイヤに「そのうちわかる」なんて言う人もいてますます訳が分からなかった。ちょうど夕食を終えたミリとフレッドにも会ったので、同じ質問をしたのだが、二人とも泣きながら「知らないです」と去ってしまい結局わからずじまい。
そのうちわかると言われてから数時間が経ち、もう夜の十時を回って就寝時間だ。湯あみを済ませたフレイヤは寂しさを抱えながら廊下を歩いていた。よそよそしいみんなの態度を思い出して、自分が元々革命軍の一員ではないことを痛感する。
「みんなどうしたんだろう……部外者の私には言えないことなのかな」呟いてから急に虚しさを覚えた。けれど、一度口に出した言葉は止まらない。次から次へと溢れ出る。
「仕方ないけど、やっぱり寂しいな」
"寂しい"。
それはみんなとの距離もそうだったが、今ここにいない彼のことも思い出して心が悲鳴をあげそうになる。せっかく温まった体が急速に冷えていくのを感じて、フレイヤはその場に立ち尽くした。
軍隊長たちとともにマリージョアへ向かった彼は途中で別行動をとり、一度連絡が来て安堵したのも束の間、再び安否不明になった。おまけにルルシア王国という消えてしまった国にいたと思われたために、余計フレイヤは眠れない夜を過ごしていた。
彼に限ってそんなことはない。大丈夫だ。待っていれば、いつものあのやさしい笑顔で「フレイヤ」と名前を呼んでくれる。あれから毎晩、寝る前にそう願っている。願っているけれど――
フレイヤはしゃがんで膝に顔を伏せた。涙がこぼれそうになるのを我慢する。
「サボ……無事、だよね――ッ」
鼻の奥がつんとして、こらえていた涙が目尻から頬へ伝っていくのを刹那、後ろからふわりと誰かに包まれ、体に重みを感じる。その正体に気づいた瞬間、フレイヤは堰とどめていたものが溢れ出したようにむせび泣いた。
一か月以上も会えず、連絡も一度きり。おまけに安否不明。心配しないほうが無理な話で、もう会えない覚悟も一度はした。それでも彼の言葉を信じたかった。必ず帰ってくるという力強い彼の言葉を。
「さぼっ……サ、ボ……ッ」
「ただいまフレイヤ」
抱きしめる力が強くなる。振り向くことができない。嗚咽が止まらず、涙が溢れていく。薄暗い廊下であることをいいことに、フレイヤは子どもみたいに泣く。
ただいま。
フレイヤがずっと待ちわびた言葉だった。
「ぁ、うぅ……」鼻をすすり、涙を止めようと必死になる。
「ようやく帰ってこれた。遅くなってごめんな」
「会えない、かと思った……でも必ず帰ってくるって言ったからっ……信じたかったッ」
「ありがとう。お前がいるから必ず生きて帰るって強くいられたんだ」
サボの顔がフレイヤの首元にうまり、声が一層近づく。大好きで、やさしくて、安心する声音。
聞きたいことはいろいろあるが、きっと事情があったのだろう。彼の任務には不足の事態がつきものだ。そんな彼にかけるべき言葉は一つしかない。
「そろそろ顔が見たいんだけど、こっち向いてくれるか」
言われて伏せていた顔をようやくあげた。直後、安心したからか腰が抜けてそのまま床に尻もちをつく。「あっ……」暗闇の中に、一つの顔が輪郭を伴って見えてくる。フレイヤが焦がれた、大好きな人の顔が視界いっぱいに映り込む。サボが目の前にいる。胸がいっぱいになる。心の底から嬉しくて、また涙が出そうになる。
「フレイヤ。今日は目いっぱい抱かせてほしい」
サボの甘い声がフレイヤの鼓膜をくすぐる。お腹の奥がきゅんと疼いてたまらない。
そんなの、聞かなくてもいいに決まってる。むしろ抱いてほしかった。たくさん刻んでほしい。そうした意味を込めて、フレイヤは彼の首に腕を回してキスをする。突然のことに驚いた彼もすぐ応えてくれた。
しばらくして唇が離れていき、そのまま彼に抱え上げられて部屋に向かう。途中で、一番大事な言葉を伝えていないことに気づいてフレイヤは口を開いた。
「おかえりなさい」
2024/08/20
新生サボくん記念ss