「この場にいるどのご令嬢よりも綺麗ですよ、フレイヤお嬢様」
慎ましい態度で恋人がそんなことを言うからぽかんと固まってしまった。一瞬どうしてと首をかしげそうになってから、ようやく自分の置かれた立場を理解する。
とある有力貴族が主催の夜会に潜入することが決まったとき、再び貴族令嬢に扮してほしいとコアラから頼まれたのが二週間前のこと。用意してもらったドレスを身にまとい、煌びやかな舞踏会にフレイヤはサボと出席していた。彼は今回も執事として参加することを譲らず、こうしてフレイヤの付き人として職務をまっとうしている。
黒のテールコートに白シャツと蝶ネクタイ。コートと同じ素材の黒ズボン。白の手袋が格式の高さを強調し、以前と同様に髪をオールバックにしてワックスか何かでぺったりなでつけていた。左目の傷がはっきりと見えるけれど、それもまた彼を造る一部分となり妙に色気のある執事として注目を集めている。幸いなことに、誰も彼が革命軍の参謀総長だと気づいていない。服装と髪型が変わると、見慣れているフレイヤでさえ一瞬別人かと思うほどだった。
「褒めすぎよ。でも……ありがとう。貴方こそ、とても似合っているわ」
「お褒めにお預かり光栄です」
周囲にあたかもどこかの貴族令嬢と執事だということを印象付ける。ただ、先ほどからほかの客たちの視線が気になって夜会に集中できないのが難点だ。せっかく美味しい料理がテーブルにたくさん並んでいるというのに。
サボが右手を差し出してきたので、左手を乗せてエスコートしてもらいながら一度広間の隅へ避難する。ふうっとひと息ついて、フレイヤは視線を公爵の隣にいる背の高い細身の男に目を向けた。
彼こそ、今日のターゲットである武器商人である。タキシード姿でとてもそんなふうには見えないほど紳士的だが、狡猾で頭の切れる敏腕商人であり、あちこちで武器を売りさばいているという。今回はその武器の出どころを掴むのが目的だ。警戒心が強いので情報を得るにはかなり時間がかかりそうだと思いきや、お酒にはめっぽう弱く、度数が高い酒を飲もうものならすぐに酔っ払ってしまう――らしい。そこが狙い目だとコアラたちが言っていた。
ということで、フレイヤは今回も夜会に招待されたただの貴族令嬢を装い、パーティーを楽しむフリをしていればいいという。サボが子息として一人で潜入するのは変に目立つから令嬢と執事という組み合わせであれば怪しまれないだろうとの判断だった。
サボはターゲットに話しかけるタイミングをうかがいながら、パーティーに参加する主の身の回りの世話をする仕草を上手くこなしている。今なら料理を持ってきても問題ないだろうか。
でもこういうときって普通は「私、お肉が食べたいわ」とか言って執事に持ってこさせるのかな……。
社交界デビューをしなかったフレイヤにはそのあたりの勝手がわからなかった。
「あの、フレイヤさん。先ほどから料理を召し上がっていないようなので、こちらをお持ちしたのですが……何でも××地方の珍しい魚だそうです」
フレイヤが内心迷っていると、ふいに声をかけられたので振り返る。鮮やかな色彩に豪華な刺繍が入ったコートをまとった若い男性が立っていた。その右手には料理の皿が握られており、どうやら自分のためにわざわざ持ってきてくれたらしいことがわかる。先ほど挨拶を交わした程度だったが、フレイヤがまったく料理に手をつけていないことを気にかけてくれたようだ。
「おい、抜け駆けなんて卑怯だぞ。フレイヤさん、実は僕の領地に海の見える別荘がありまして、ぜひ一度いらしてください。最高のおもてなしを――」
「失礼ですが、お嬢様の料理は私がお持ちしますので結構ですし、別荘へ行かれるというのもお嬢様は大変お忙しい身でありますので、まずは私を通してからにしてください」
反対側からやって来た別の男性の声を遮るように割って入ってきた執事のサボが眉間に深いしわを寄せて言った。フレイヤと男性二人の間に立つ彼は執事口調でありながら、どこか機嫌が悪そうでピリピリとした空気を感じる。別に料理くらいいいのにと思うけど、逆の立場だったら面白くないから何も言わない。もしも、サボがどこかの子息という設定で自分がメイドとして付き添うことになったとき、彼の周りに令嬢たちが群がってきたら気分が悪い。
二人の男性はサボに対してただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、あっけなく逃げてしまった。本当に呆気なくて、フレイヤはぼうっとその虚しい背中を見つめる。
「ったく、隙がありゃすぐフレイヤに色目使いやがって」
ぼそっとこぼした言葉が執事らしからぬ口調でフレイヤは苦笑した。周りの目がなくなったかと思うと、すぐに役目を解き放つサボの切り替えの早さには目を見張ってしまう。
「気を遣ってくれてありがとう。料理はサボが任務中に自分で取りに行くからいいよ」
「いや――おれが席を外してる間は隣の控室にいてほしい」
「控室? わかった」
「悪いな。料理はそのあと目いっぱい持ってきてやるから」と、こちらの頭を撫でようとして手を伸ばしかけてきたが、自分の立場を思い出したのだろう、すぐに手を引っ込めた。
ターゲットがそろそろ動き出そうとしているのが視界の隅に映る。サボがここから動かなければならない。そうなるとしばらく一人の時間が続く。控室は確か女性用と男性用でわかれていて、休憩スペースになっていたはずだ。夜会ではずっと立っていなきゃいけないが、控室であればソファの一つや二つあるだろうから足を休めることができる。
「大丈夫。待ってるからね」
「おう」
すべて小声で会話を終えたフレイヤは、サボとは反対側の出口へ向かい隣の女性用控室に向かった。パーティーが始まって一時間ほど経った頃のことだった。
*
誰もいないことを願っていたのだが、扉を開けた瞬間早々にその願いが打ち砕かれてげんなりしたフレイヤは目立たぬよう空いている一人用のソファに腰を下ろした。パーティー会場ほどではないにしろ、ゆったりとしたソファが複数あり、バルコニー側へ続く窓側には長テーブルが置かれており水差しとグラスまで用意されている。夜会の雰囲気に疲れて休憩するにはちょうどいい場所だった。
元貴族とはいえ、やはりこういう場に慣れないフレイヤは夜会の空気に気圧されて喉が渇いていた。せっかくサービスとして置いてあるのだからと、一度ソファから立ち上がってテーブルへ向かう。
レモンの輪切りが数枚入っていた水をグラスへ注ぎひとくち含むと、乾いていた口の中が潤い、さっぱりとした爽快感が体を駆け巡る。ただの水でもレモンの香りがするだけこんなにも気分が上がるとは、自分もなかなか単純だ。お酒を飲むよりも心地いい。
ふと窓に意識を向けると雲間から月が見えた。綺麗な金色がまるでサボの――と、そこまで考えてフレイヤはかあっと顔が熱くなった。仮にも任務中に何を考えているのだろう。彼はいま、情報を聞き出すためにターゲットへ仕掛けているところだというのに。
意識を振り払ってグラスに口をつけたそのとき、ふいに横から影が差した。
「まあ。ここには貴女のお好きな殿方たちはいませんのになぜいらしたの?」
高飛車で険のある言い方をされて、フレイヤは思わず相手をむっとした顔で見た。声を発したのはレースや刺繍が美しい落ち着いた深い青緑のドレスを着た、フレイヤとそう変わらなそうな女性だった。知り合いなのだろう、その後ろにも数人同じ年代の女性が腕を組んでこちらを見ている。
絡まれることはないと思っていたが、先ほどの会場で一連のやり取りを見られていたのだと思うと辟易した。
「休憩しに来てはいけませんか?」
「別に。ただ……殿方たちを侍らせていいご身分ね。一体どんな技を使ったのかしら」
「容姿さえ整っていれば貴族の令息たちにちやほやされていいですわね。私なんて○○女学院で教養やマナーばかり勉強する窮屈な毎日を過ごしたから成績の良さだけが取り柄だけど……貴女みたいに見た目だけ気にしていたらよかったのかしら」
○○女学院という名前はフレイヤも聞いたことがある。特に教養面で優れた貴族令嬢を集めた学校だ。今の時代は女も学が必要とかで設立からまだ三十年と歴史は浅いが、世界のあちこちから学びたいという意欲のある令嬢が集まっているという。入学するにはそれなりの実力が必要なので、試験で良い結果を残さなければ学校に通うことさえできない。彼女はそんな○○女学院の卒業生らしい。なるほど、この感じでは首席だった可能性もある。
しかし、言いたい放題の彼女たちだって、パーティーが始まってすぐに男性たちと仲睦まじく談笑しているのをフレイヤは見かけた。だから自分だけこうやって罵倒される筋合いはないし、別に優遇されているわけでもないただの貴族令嬢を妬む必要なんてないのに。どうして絡んでくるのだろう。放っておいてほしい。
フレイヤはわかりやすくため息をついた。サボが戻ってきたら美味しい料理が食べられると思って密かに期待していたのにこれでは台無しだ。しかし、フレイヤもただ言われているだけにとどまるつもりはなかった。ここでの自分は確かに作られた設定の中の”フレイヤ”だが、こんなふうに馬鹿にされて黙っているほど気弱なお嬢様設定ではない。
「才に傲りてもって人に驕らず」
「……は? なんですの急に」
「才能を誇って人を見下してはいけない。かつて私に教養を教えてくれた人が言っていました。遠い国の軍師が残した言葉だそうです。どれだけ知識があってもそれをひけらかしたら意味ないんです。常に謙虚であるべきだ、私のメイドはそう教えてくれました」
「なにそれッ……どういう意味――」彼女がこちらの言葉にかっとなって手を振り上げた瞬間、
「おっと、そこまでにしてもらおうか」
緊張感でいっぱいの張りつめた空気にそぐわない、爽やかな青年の声が響き渡った。
彼女の振り上げた手首を間一髪のタイミングで掴み、頬にくるはずだった痛みを防いでくれたのは、待ち焦がれていた相手のサボだった。想像していたよりもずっと早く帰ってきた彼にフレイヤは目を見開いたが、こうやっていつも自分のピンチを救ってくれることが嬉しくて、そのたびに胸が高鳴る。この人はどうしていつもいてほしいときにいてくれるんだろう。本当にタイミングが良すぎる。
彼女たちも同じように突如現れたサボの存在に目を丸くさせていた。女性専用の休憩室なので、まさか異性が入ってくるとは思ってもみなかったらしく、貴族の令嬢ともあろう彼女たちのぽかんとしている表情は面白い。こう言っては失礼かもしれないが少しだけ胸がすく思いがした。
暴力を防いだとはいえ、みだりに触れた詫びを入れたサボは、しかし鋭い眼光を彼女たちに向けて続ける。
「フレイヤお嬢様が何か失礼なことでもなさいましたでしょうか」
再び緊張感が部屋を満たしていくのがわかる。肌がピリリとやけるような、サボから怒りの感情を感じ取ることができる。口調や表情こそ典型的な温厚でやさしい執事を思わせるそれだが、目はまったく笑っていないのでわかってしまう。
それに気づいた彼女は慌てて自身の行動の恥ずかしさを誤魔化すように取り繕った。
「別に貴方には関係のないことよっ……! もういいわ、いきましょう皆さん」
「あ、ちょっと……」
乱暴に扉を開けて控室を出ていくので引きとめる余裕もなく、彼女たちの姿は瞬く間に見えなくなってしまった。
サボがあからさまに深いため息をついてソファにどっかと腰を沈めて気を緩めた。もうここには自分と彼しかいないので、お嬢様と執事を演じなくてもいいという意味だ。
「男の目から離すつもりでここにいるよう仕向けたんだが、まさか女にまで絡まれてるとは予想外だった……だけど、よく考えたら前にもこんなことがあったよな。ごめん」
「ううん。教養はみだりにひけらかすものじゃないって言われたのが気に食わなかったんだと思うよ、先に絡んできたのは向こうだけどね」
「言い返したのか」と、サボが意外そうな顔をした。
「……だめだった?」
「いーや。別にいいんじゃねェか? これに懲りたら何も言ってこねェだろ。そんなことよりメシ食いに戻ろう、腹減った」
サボが腹減ったという仕草をしたのでフレイヤはようやく心から笑みをこぼした。任務のことは特に話があがらなかったが、ここへ来たということは片が付いたのだろう。そうなのであれば、フレイヤから尋ねることは何もない。上手くいったということだ。
それよりもテールコートを着こなした執事の恰好で「メシ食いに戻ろう」なんて言っていることのほうが可笑しくて、フレイヤは彼の手を引っ張った。
「ふふ、美味しい料理いっぱい食べようね」
2025/02/16
お嬢様フレイヤと執事のサボくん