おれのこねこがかわいすぎる

「うそ……なにこれ……」

 鏡に映る自分の姿に、はそのあり得ないモノをぺたぺたと触りながら静かに驚く。普通の人間ならば到底あり得ないもの――そう、猫耳と尻尾が生えていて、まるで最初からそこに存在していたかのように体に溶け込んでいた。どうやらこの二か所だけで済んだみたいだが、普段から小さくて頼りない見た目がますます目立っている気がしては大きなため息をついた。
 起き抜けの穏やかだった心中は、鏡の前に立った瞬間から驚愕や落胆、疑心といったいろいろな感情が入り混じって忙しない。しかし混乱する状況でも、の頭の片隅ではこのあとの予定が流れていく。あと一時間後には始業開始だし、その前に朝食もとる必要がある。
 ――だけど、どうやってこの姿を隠す?
 仮に隠せたとして、一日中見つからないようにするのは至難の業だろう。普段からそうしているならまだしも、室内でずっと被りものをしているのは変に思われる。とすれば、に残された道は一つ。先輩にだけ事情を説明して仕事を休ませてもらうことだ。
 は室内用の電伝虫で、公私ともに世話になっている通信部の先輩へ連絡を入れた。真剣に話しているこちらに対してなぜか彼女が始終楽しそうにしているのが気になったが、ともかく他言無用とだけ伝えて通話を終える。作業する人数が減ってしまうのは申し訳ないと思いつつ、この状態で本部内を歩くのは気が滅入る。誰かとすれ違うたびに好奇の的になるのが目に見えているから。サボには先輩のほうからうまく誤魔化してもらえるように頼んだのできっと大丈夫だろう。
 朝食は始業開始後に急いで食堂から何かを持ってくるとして、今の時間は何もすることがない。とりあえずもうひと眠りしようとベッドへ戻る。仕事が始まってしまえば居住スペースは静かになるから、それまでは大人しくするべきだ。
 廊下から扉の開閉音や寝坊した、遅れる急がなきゃといった騒がしい声が聞こえはじめる。私もこんな状態じゃなかったら今頃食堂にいたのに、と詮無いことを考えて今一度頭部に生えた耳に触れた。

 こうなった原因として思い当たるのは昨日の科学班の実験に付き合ったことだった。
 本部にある科学実験室では、複数の研究者が集まって毎日何かの研究だったり新薬の開発などを行ったりしている。白衣をまとった男女と何度かすれ違ったことがあるは、事あるごとに「ちょっと付き合って」という言葉に乗せられるまま実験室に連れてこられたことがしばしばあった。
 今回も同じ境遇で彼らの「実験」に付き合った結果がこれだ。「新薬を作ったから試してくれ」その言葉から始まり、大丈夫だから一日も経てば元に戻るからというまったく大丈夫ではなさそうな言葉でもって結局付き合うことになった(はやんわり断ったのだが、女性陣の押しに根負けした)。
 渡された薬は特に怪しい感じは見受けられなかった。それどころか甘い香りさえして、薬という感覚は飲む頃にはすっかりなくなっていた。期待の目を向ける彼らを前に、は一気に飲み干す。味も甘いし、やはり薬という感覚はなくジュースを飲んでいるようだった。
 的にはこのあと何か体に変化が訪れるものだと思って身構えていたし、きっと彼らも同じだったはずだ。効果が表れるのを期待してじろじろこちらを見ていたというのに、けれどそれは待てど暮らせどやってこなかった。
 やがて彼らの視線は期待から落胆へ変わり、実験について「失敗だった」の一言で片づけられた。に対する謝罪もそこそこに、体に異変が起きたらすぐに報告するよう言われて実験室を後にしたのだが、まさか半日遅れで効果が表れるとは彼らも想定外の出来事だろうに違いない。だってまだ信じられないでいる。
 というより――なんで猫なんだろう。一体なんの実験をするつもりだったのか。この結果が想定しているものなのかもわからなかった。真面目に研究をしている傍ら、面白がってを実験に付き合わせることは時々あるのだが、このパターンは初めてで本当に元に戻るのか心配になってくる。
 横になって考えているうちに急に不安に駆られたは、だから近づいてくる足音にも一切気づかず、何やら廊下が騒がしいとやっと気づいた頃には「ちょっといいか。開けるぞ」というサボの声に驚く羽目になった。

「え……!?」

 こちらが了承する前に扉を開けるのはここじゃサボくらいで、同性のコアラでさえ返事を待ってくれるというのに。彼に対してどうしても一つ不満をあげるとしたら、この自由すぎるところと強引なところかもしれない。もちろん全部が全部ダメではないのだが、時と場合によってが困るのだ。
 反射的に布団の中へもぐる。心臓がばくばく鳴っている。どうして今日に限って、と胸の内で嘆く。
 おはようと爽やかにシャツとベスト、ふくらはぎのあたりが弛んだボトムといういつもの格好で入ってきたサボを目の前にして、しかしははたと気づく。今の自分は仕事を休むつもりだったから、パジャマのままだし髪はさっき申し訳程度に梳かしただけ。寝ぐせがあったかもしれないが、直した覚えはない。おまけに今日は動物の耳と尻尾を生やした情けない姿をしている。いくら共に朝を迎える仲だとはいっても、向こうがきっちりした格好でいるとなったら話は別だ。
 思い出したように恥ずかしくなったは、けれど入ってきた人物を無視するわけにもいかず、仕方なしに布団を頭からかぶったまま顔面だけさらすという最終手段をとった。

「お、おはよう……何か用事?」
「いや、お前が仕事休むって聞いて心配で来てみたんだが……何かあったのか?」

 サボが訝しげにをじっと見つめる。それもそうだろう、こんな姿で出迎えておいて「何もない」というほうが不自然だ。しかしそれでもサボに本当の理由を話すわけにはいかない。

「何でもないよ。ちょっと調子が悪くて寝てたの」
「……へェ。調子が悪い、ね」
「な、に」

 サボが全然納得していないときの顔を作った。そしてこれはを見透かしているときの顔でもある。

「"今日は大変なことになってるので休みですけど、一日も経てば元に戻ると思います"って通信部の女子が言ってたぞ。なにか隠してるだろ」
「ち、違うよ! 本当に何でもないの。ちょっと体調がよくないだけで休めば戻るから心配しないでサボは仕事に戻って」

 どうやら先輩方は説明をしてくれたようだが、全然うまく誤魔化せていないことを知って落胆する。大体"大変なこと"なんて言われて気にしないほうが無理だし、サボのことだから本当に心配して来てくれたことに間違いはないんだろうけど。
 扉のそばにいたはずの彼は、いつの間にかとの距離を縮めていた。腕を組んで眉間にしわを寄せる。

「頭から布団かぶって不安そうにしてるお前を置いて仕事に行けって? おれがそんな薄情な人間だと思うか?」
「だからこれには理由があって……っ」

 不意に布団を取られては声にならない悲鳴をあげた。力を入れて引っ張り返そうとしたのに、サボのそれには敵わなくて一気に引きはがされる。ベッドの縁に片膝をかけて身を乗り出してきたサボが驚愕した表情を見せた。
 固まったまま数秒同じ姿勢でこちらを見つめていたあとすぐに呆れた顔をして、

「お前……またあいつらの実験に付き合ったのか」が説明するより早く事情を察してしまうほど、彼の中では”よくあること”になっているらしい。そんなつもりは毛頭ないのに、結果そうなってしまっているので反論の余地がなかった。
「ごめんなさい。断ったのに断り切れなかったというか、ほぼ強制的なんだもん……」
「無事ならいいけど、今回のそれは何なんだ」
「わかんない。朝起きたらこうなってた」
「ふーん……」

 じろじろと興味深そうに猫耳を見つめながら顎に手をあてて何やら考えているサボに、は嫌な予感がして思わず彼と距離を取ってしまった。こういうときの彼はほぼ百パーセントの確率で何か良からぬことを考えている。が困るような、けれど無理難題というわけでもない微妙な加減で仕掛けてくるのだ。
 しかし、距離を取るが気に食わなかったらしいサボは「なんで逃げるんだよ」と不満そうに抗議してきてまた一歩こちらに近づいた。

「……なんとなく、サボが悪巧みしてる気がして」
「……」
「あ、否定しないってことはやっぱりそうなんだ。もう、すぐそうやって――」
「けど気になるじゃねェか。こんな可愛いモンつけてたら」と、サボの手が猫耳に伸びてきたかと思うとやさしく触れてきた。
「ひゃぅっ」

 思わず変な声が漏れ出てしまい、は羞恥で口を押さえた。しかしこれがよくなかったのか、サボの妙なスイッチを入れてしまったらしくいよいよブーツを脱いでベッドにあがってくる。本物の耳と尾がついているせいか動物的本能によっては危険を察知して逃げようと身を翻したとき、「ひっ」何かを掴まれて鳥肌が立ち、その拍子に膝がかくんと落ちた。中途半端なうつ伏せ状態にさせられて、けれど背中に重みを感じ気づけばは身動きが取れない状況に追い込まれていた。
 尻尾を捕まえられたと理解したときには遅く、サボの手がふにふにとその感触を楽しむように触りはじめる。

「やめてサボっ、くすぐったい……ぁっ」
「へェ、おもしれェな。尻尾が感じるのか」
「あぅ、やっ、もむのだめえっ……」

 どんな感触なのか確かめる程度のつもりだったと白々しい言い訳をしつつ、場所を変えながら親指、人差し指、中指で微妙な力加減で揉まれる。しばらくそれを繰り返したあと、指先が尻尾の先から臀部のほうへゆっくりたどっていく。その何とも言えない触り方にはもどかしさを感じてしまい勝手に腰が揺れる。ねだっているみたいで恥ずかしいのに止められなくてサボの指を追いかける。尻尾がまさか性感帯になっているなんて誰が思うだろう、本来これは自分にはない身体の一部だというのに。
 そんなの行動に気を良くしたのか、サボが「もっと触ってほしいのか?」なんて意地悪いことを聞いてくる。やさしく焦らすように触れてくる手つきに耐えられなくて、本能に従うまま頷いてしまった。

「はは、いつもより素直だ。ところで、耳はどうなんだろうな。気にならねェか?」

 身体を起こされて、そのままサボの胸に後ろから寄りかかる形になった。やっとのことで尻尾から手が離れたものの、すでに息が上がっていてもその気になってしまっている。
 気になるってそんなのわかってるくせに。さっき一瞬触れただけで、変な声を出してしまったのに。

「ふっ……く、んんっ……」
「な、気になるだろ?」
「ぁっ……ん」顎をすくわれて強制的に顔の向きを変えられると、そのままキスされた。やんわり口づけるだけのキスは少しもの足りなくて、でも言葉にするのは恥ずかしいから目で訴える。
「わかってるよ。けど、先にこっちで楽しませてくれ」

 と、サボの右手が猫耳に触れた途端――

「ひゃぁ」びりびりと痺れる感覚が耳から全身へ駆け巡った。それは、が弱点とする背中を触られたときと同じような快感をもたらした。さっき触れられたときと比べ物にならない。
「はっ……んっ、ぁっ、や……っ」
「猫の耳は些細な音も聞き取るから重要な部位だって聞いたことあったが、こんな敏感だとは驚いたな」

 言いながらサボの手は止まらない。耳介っていう人間と異なった部分が、よりたくさん集音できるよういろんな方向に動かせるらしいぞと雑学的な話を繰り広げつつ、その耳介とやらに指を這わせてくすぐるように引っ掻き回す。くるくる円を描いて徐々に奥へ指が触れる。一時的に生えただけのはずが、まるで元から自分のものであるかのような感覚に程よい心地良さを覚えながら高揚感に包まれる。
 時折、甘噛みもされては声にならない叫びをあげた。身体の震えが止まらず、腰が浮いてしまう。もっと気持ちよくなりたいと訴えている証拠だった。
 そうして満足げに笑いながら楽しんでいたサボが、しかしついにとんでもないことを言いだして戦慄する。

「なあ。猫みたいにニャアって鳴いてくれよ」
「や、やだっ……本物の猫じゃないしっ」
「そうか、残念だな。じゃあ元に戻るまでずっとこのままだ」
「ぁあっ……やだ、やめてっ」
「気持ちよくなりたいんだろ? だったらわかるよな」
「……っ」

 サボが意地悪だ。どうして彼はいつもこういうとき、を困らせることばかり言ってくるのだろう。言わなければずっとこの中途半端な状態が続くし、言ったら言ったで何か人としての尊厳を失う気がして恥ずかしい。の前に究極の二択が提示されていた。
 こうして悩んでいる間に、「きゃっ……」サボが突然動き出したかと思うと、器用に腰を掴んで抱え上げられる。仰向けにシーツへ沈んだ彼の身体を跨ぐように馬乗りする形になって、は羞恥で顔を赤くした。

「たまにはを見上げるのもいいかと思って」
「ひっ」

 尻尾をきゅっと掴まれて、もう片方の手がの腰に添えられる。

「もう逃げられねェぞ。言うか、このままかどっちか選べ」

 ぐいとサボのモノを押しつけられて「んっ」お腹のずっと奥が疼く。煽られているのだとわかり、余計に恥ずかしさが増してどうにかなりそうだった。けれど、の身体の火照りもこのままじゃ治まりそうにない。そしてそれをどうにかできるのはこの世でこの人しかいないのだ。
 サボを見下ろすことに慣れていないは、少しだけ視線をはずして大きく深呼吸した。

「……っ、〜〜っ……にゃ、にゃあ」ああ、言ってしまった。もうなかったことにできない。はずかしい気持ちでいっぱいになる。
「…………」
「もおっ……なにか反応してよ、はずかしいのにっ」

 恥を忍んで口にしたというのに、提案者のサボがこちらを見たまま黙っているのでなんだか自分一人だけ馬鹿みたいに思えてくる。もしかして本当は変だったから何も言葉が出てこないとかかな。それはそれでショックを隠せない。
 こちらからどうだったと聞くのも憚られるので、「サボ」と名前だけでどうにかわかってもらえないかと懇願する。刹那――

「んっ……ちょっ……急にどうし、ぁっ……」彼の腰が動き出して、ぐりぐりと擦りつけられる。パジャマ越しでもわかる、さっきよりも膨張したそれにの下腹部がきゅんと反応を示した。

 サボの手が再び尻尾に触れて、愛撫するみたいにやさしく揉んでくるのでまた自然と腰が揺れてしまう。

「想像以上にヤラしいな。の声でそれ言われたらもう止められねェ」
「やっ……ん」

 ――ありがとう。すげェ可愛かった。けどまだ啼けるよな。今は猫なんだ、おれのためにもっとないてみせてくれ。
 サボの低くて心地良い声がの鼓膜をくすぐる。
 彼の従順な飼い猫のように尻尾をすり寄せると、はこっくり頷いた。

2022/11/26
ジュゲムジュゲ夢vol.6
悪戯編