一言の魔法

高校三年のお話。
登場キャラ:椎名翼(しいな つばさ)、黒川柾輝(くろかわ まさき)



 いつも通りでいいんだって自分に言い聞かせても、今まで言えてたはずの言葉が出てこない。なぜか心がぐちゃぐちゃで、気持ちばかりが焦ってどうしようもない。一生の別れだというわけでもないのに。本人に打ち明けろ、と柾輝は言うけどそれができてたらこんなに悩まないのだ。

 翼と必要以上の会話をしなくなってからもう1ヶ月以上が経とうとしている。そろそろ踏み出さなきゃいけないとわかってるのに、自分の足は動いてくれない。


*


 高校三年、秋の終わり。

 受験シーズン本格到来。日々勉強に励む中、私はなんとか志望大学の推薦入試に合格した。理系科目の成績が芳しくない私はそれ以外でカバーすることでこの難を切り抜けたのだ。とはいえ、そのあともやることがないわけじゃない。大学から出された課題もあるし、まだ夢のほんの最初の一歩を踏み始めただけ。

 勿論、親や先生には伝えたけれど私には誰よりも伝えたかった人がいる。自分も夢を持っているからこそ、悪態はついても否定だけはせず背中を押してくれた存在。

 昨年同じ文系クラスでも離れてしまった翼を探しに真向いの教室へと向かった。

、俺スペインに行く」

「え……?」

 翼に言われた一言は頭を鈍器で殴られた衝撃のようだった。いや、予想してこなかったわけじゃない。前々から翼が目指している場所は知っている。ただ、こんな高校在学中に決まるものだとは思っていなかっただけなのだ。

 私は翼におめでとうを返せず、あまつさえ大学合格の報告もできなかった。

 それから私はあからさまに翼を避けた。自分でも馬鹿なことをやってると思ったし、翼も呆れているに違いない。だけど整理のつかない気持ちに益々不安だけが募っていって、どうすればいいのかわからなかった。

 私は自分のやりたいことをついこの間見つけたばかりで、でも翼はもう夢を掴んで旅立とうとしている。どんどん翼が遠くなる。それが怖い。

 翼もそんな私に何も言ってこないし、とうとう愛想つかされたのかと本気で思った頃。痺れを切らしたらしい柾輝が一つ先輩である私の教室までやって来た。

「いつまで逃げてるんだよ」

 突き刺さる視線と言葉。紛れもなく私に向けられるそれに顔を上げられない。だって柾輝の言うことは正論なのだから。

に夢があるように翼にも夢がある」

「わかってる……」

「翼はこれから世界に挑戦しに行くんだ。アンタが背中を押してやらないで誰ができるってんだよ」

 一つひとつの言葉が心に染み入る。本当はどうしなきゃいけないなんてこと、わかってるのに。私のわがままで困らせているのだ。こんなことしていても翼はスペインに行くし、私は大学に進学する。

「それに、向こう行って翼が他の女に乗り換えるような軽い男だと思ってる?」

「思うわけないじゃん!」

「んなら、もう答えは出てるじゃねーか」

 翼はアンタを置いてったりしねーさ。

 早く行け、と後押しする形で私を送り出してくれた柾輝は本当に年下だとは思えない。心で何度もありがとうを繰り返して私は屋上にいるという翼の元へと走り出す。

 ごめん、翼。私が間違ってた。私が駄々をこねてる子どもでごめんね、本当は真っ先に「おめでとう」と言ってあげなきゃいけなかったよね。

「つばさっ」

 屋上の扉を勢いよく開けて、彼を呼ぶ。風に靡く男子にしては長めの髪の茶色が夕日に照らされてより明るく見える。相変わらず綺麗なそれにため息さえ出るほどだ。

 振り返った翼が、1ヶ月以上も話さなかったというのに何事もなかったかのように私に笑いかける。

「久しぶりだね、と話すの」

「そう、だね」

「ほんっと、誰かさんが強情っぱりで困るよ」

 う……、こればかりは本当のことだから言い返せない。

「それについてはごめんなさい」

 とはいえ、翼は別段怒っているわけでもなく呆れてるわけでもなかった。いっつも翼は私より大人っていうか敵わない。不器用な自分がたまに惨めに思える。

 当の翼は私がなんの為にここへ来たかをあらかじめ知っているかのように話し始めた。

。俺たちはまだ子どもだし、将来を誓うなんてそんな大げさなこと今は言えない」

「うん」

「ついてこいとも言わない。だってお前にも夢があるんだから」

「っ……」

「それでも。俺はこれからもと一緒にいたいと思うし、お前も同じ気持ちだって思ってる」

「うんっ……」

 そんなの当たり前じゃん。って言葉は声に出せなかった。涙で顔がぐちゃぐちゃで、ついには嗚咽まで漏れてしまって何も返せない。

 翼は私がほしい言葉をいつもくれる。すべてお見通しというほど、彼には見えている。

「だからさ、待っててほしい」

 翼の夢は中学の頃から知っていた。

『世界を目指す』

 これは決して夢物語なんかじゃなくて、実現できるしてみせるという意味で彼は昔から語っていた。それを掴んだ翼を私なんかが止めていいはずがない。私に翼の夢を奪う権利なんてどこにもない。

 翼も同じなのだ。自分がスペインに行くからといって「一緒に行こう」とは言わない。私が高校に入学してから見つけた『やりたいこと』を全力で応援してくれている。

 だったら私がこんなところで泣き言いうわけにはいかない。翼が選んだ道を私も応援したい。彼が好きだから。

「がんばって翼、私も負けない」

「うん」

「それから、おめでとう。行ってらっしゃい」

 やっと作れた笑顔に翼もそれを返してくれた。そっと抱き合って、お互いの存在を改めて確かめ合って。

 大丈夫、私たちはこれからも一緒に歩んでいける。