あんた誰?

 7月吉日。目が眩むほどの陽射しを受けながら、翼は都内のマンション前で引っ越しのトラックを待っていた。高校卒業と同時にスペインのチームへ入団が決まって、それからはずっと海外での生活だったが、3年ぶりにしばらく日本で過ごすことになって、見つけた場所だった。

 7階建ての駅徒歩5分であるマンションは、外観も部屋の間取りも中々よかった。事前に柾輝からメールで写真を送ってもらって見ていたけど、想像してたよりも洒落た雰囲気で何よりである。

 引っ越し当日は柾輝たちに手配を頼んで、手伝いに来てもらうことになっている。

「おー翼久しぶり」

「元気そうだね」

「まあな。そっちの生活はどうよ」

「だいぶ慣れてきたよ。スペイン語は勉強中って感じ」

「そういや、直樹はちょっと遅れるってさ」

「まさか寝坊じゃないの」

「どうだろうな。アイツならあり得る」

 相変わらずで何よりだけど、久々に再会する友人に対して失礼なヤツ。

 話し込む途中で、道の向こうから1台のトラックが視界に入った。どうやら到着したらしい。今日は一日重労働ってことになりそうだ。


*


 昼過ぎになったところで、直樹が汗だくになってやってきた。翼の顔を見るなり、「スマン」と一言かけられたので、文句の言葉は飲み込むことにして再会を喜んだ。

 柾輝も直樹も、卒業してからもサッカーは続けてるから話が尽きない上に、一緒にいるとあの頃を思い出して懐かしい気持ちにさせられる。今日も引っ越し作業がある程度片付いたら、飯行く約束してるし、向こうのチーム仲間とはまた違う気の置けない奴らだ。

 荷物の搬入が終わって、引っ越し屋のスタッフを見送ると、あとは部屋中に散乱した段ボールを整理しなきゃいけない。

 といっても、今日ですべてを片付けるのは到底無理な話なので、ある程度。事前に段ボールに書いておいた名前を見て、とりあえず大きいものから手をつける。柾輝たちに指示を出して、リビングで作業を開始した。

「それで?どのくらいこっちにおるん?」

 最初こそ、こういう作業に慣れてないのか、苦戦していた直樹だったが、コツを掴むと喋る余裕ができたらしい。

「決まってないけど、少なくとも2ヶ月はいる」

「今まではオフがあっても数週間で向こうに帰ってたけど、今回は結構長いな」

「まーね。向こうの暮らしもいいけど、俺はやっぱこっちの方がしっくりくる」

「この感じ懐かしいのう」

 ふと、直樹が独り言のようにつぶやいた。

 男3人で段ボールあさりながら、何言ってるんだか。と思いつつ、自分でも似たような気持ちになっているのは否めない。悔しいから口には出さないけど。柾輝だって、同じこと思ってるに違いない。

 片づけに没頭していると、外からの西日でいつの間にか日が傾きかけていることを知った。

「だいぶスペースできたな」

「サンキュ。あとは明日以降一人でやるよ」

 サッカーで鍛えてるとはいえ、いつもはやらない重労働に腰をさすりながら柾輝が部屋を見渡した。大きな家具類が片付くだけでだいぶ部屋の見栄えが変わる。

「よっしゃー働いたわ」

「大げさなんだよお前」

 一仕事終えたサラリーマンさながらの台詞を放ち、腹減ったと出かける準備をする直樹に柾輝と二人で笑いながらそれに続く。だが、翼たちの行動を遮るかのようにピンポーンと無機質な音が響いた。

 思わず3人で顔を見合わせる。引っ越し当日に誰だと怪訝に思いながら、玄関までいってドアを開ける。

「さっきから物音激しいんですけど、喧嘩ですか」

「……」

 随分と見当違いな質問をされて、拍子抜けした。

 見た目は大学生のようだが、上はTシャツに下はジャージと女子大学生の普段着とはかけ離れているような気がした。偏見かもしれないけど。おまけに髪をとかしていないのか、少々乱れている。とても初対面の人物に会いに行くような恰好ではない。

 言葉を失って呆然としている中、彼女は続けた。

「わたし、昨日完徹で寝不足なので静かにお願いします」

「は……?そっちの事情なんて知らない」

「と、とにかく、女子ならあまり物音立てないでください!では失礼します」

 早口に捲し立てて、彼女はその場を去り、隣の部屋へと逃げ込むようにして入っていった。一部始終を見ていた二人の必死に隠そうとする笑い声(全然隠せてない)を背に、翼は隣の部屋を睨みつけた。

 これが、彼女、との出会いである。