今日は普通ゴミの日じゃないですよ
重たい瞼を開けると、案の定身体が怠かった。机の上に散乱した書類の束とパソコンを前にして、は座ったまま朝を迎えた。どうやら、課題をやりながら寝てしまったらしい。
少しずつ身体を動かそうと試みるもやはり痛い。徹夜なんて2度もやるものじゃない、とつくづく思う。けれどもには、明後日までに提出しなければならない課題がある。今日も朝から図書館へ行かなければならなかった。
なんとか立ち上がったは、洗面所の鏡の前でふと昨日のことを思いだした。課題の合間に休憩を取っていたところ、突如激しい物音が隣から聞こえたのである。どすん、どしん。これまで静かだったはずの隣の部屋から、耳慣れない音を聞いては肩をびくりと震わせた。
一瞬のことかと思えば、しばらくしても音は止まない。ついには男の荒々しい声まで聞こえる。人の事情なんて知ったことではないが、束の間の休息を妨害されては困るのでは意を決して隣の部屋に向かった。
しかし開いたドアから出てきたのは、想像していた強面の人物とは裏腹に綺麗で整った顔の女の子だった。こんな女の子が激しい物音を立てていたのかと思うと信じられなかったが、静かにしてほしいという旨だけ伝えてそのまま自分の部屋に戻ったのである。
だが、冷静になって考えてみればあれは決して喧嘩していたのではなく、『引っ越し』だったのだということに気づいて自己嫌悪に陥ったことは言うまでもない。
だから向こうも怪訝な顔をしたのだ。
「あーあ、わたしってばいくら疲れてたからってあれはないよ」
隣なだけあって、これから顔を合わせることは十分にある。そう思うと憂鬱である。彼女からしてみれば、謂われのない文句を言われただけなのだ。
歯ブラシを片手に、キッチンへ行き朝食のパンをセットしておく。軽くシャワーを浴びれば眠気も少々治まるけれど、夜中に入ったから無駄に水を流すことはしない。これ鉄則。
身支度を済ませ戻ると、ちょうどいいタイミングで焼き上がったパンがトースターから頭をのぞかせていた。それを勢いよく口に放り込む。両親が見たら「行儀が悪い」と言われるかもしれない。だが、課題に追われる大学生の朝は慌ただしい。もうそろそろ出ないと、自分の通う図書館は1年前に建て替えられてから利用者数が増えて、自習席がすぐ埋まってしまう。
朝食もそこそこに、はいつものジャージ、ではなくTシャツとジーパンで家を出た。忘れ物がないことを確認して、鍵をかけようとしたとき、ガチャリ、と隣からドアの開く音が聞こえた。例の引っ越してきた人である。
早速鉢合わせるなんて、偶然とはいえ恐ろしい。
は昨日のことを謝ろうと、彼女の方へと向けた。が、目に飛び込んできた光景にまったく別のことを口にした。
「ふ、普通ゴミは今日じゃありませんよ」
声に出してしまった瞬間、気づいたその人がこちらに顔を向ける。そして予想通りの反応を示して視線を戻すと、彼女はそのまま中に入ろうとしていた。
「ふーん、そ」
愛想のないその一言に、やっぱり怒っているのだと落胆する。いや、落胆するのもおかしい。もとはと言えば自分が勘違いのが悪いのだ。このままではまずいと思って、今度こそ言いたかったことを口にする。
「あの、昨日はすみませんでした!」
「…………」
「昨日こちらに越してきたんですね、私てっきり勘違いしてしまって……本当にごめんなさい」
ダメ押しで頭を下げる。これから隣人として付き合っていくわけだし、できれば波風たてたくないのが本音だ。もう遅いかもしれないけど、謝るに越したことはない。
「ちょっと。怒ってるのはそっちじゃないんだけど」
「え?」
思わず顔を上げる。どういうことだろうか。
「だから、あんた昨日他にもっと失礼なこと言ったの覚えてないの?」
「え、そうだったんですか……」
「俺のこと見た目で女だって判断しただろ。いるんだよね、人を外見だけで判断する奴」
ん、この人いまなんて言った?俺って言った?
ってことは、男なの。
「え、ええええ!?」
眉間に皺を寄せながらを睨む。なるほど、確かにうかがえる表情は男子である。だけど、世の中って不公平だ。女の自分よりも顔の整った男の人が存在するなんて、虚しいことこの上ない。
そのあと彼女、改め彼は自分を椎名翼と名乗った。ついこの前までスペインにいたらしい。サッカーをやっているそうだが、生憎スポーツは詳しくないのでよくわからなかった。けれど、一応有名なチームに所属しているらしい。顔が良い上にスポーツもできるとは、神様って本当に不公平だ。
けれども、やはり失礼なことを言ってしまったのには変わりないのでもう一度深くお詫びをした。別に、とそっけない返事をされて落ち込んでいると、別に気にしてない、と付け加えてくれた。
椎名さんとのわだかまりが解けた、と思う。はほっとして、その場をあとにした。