仕方ないから慰めてあげる

 は大学に来ていた。授業はないが、教授から呼び出されたのである。心当たりがあったために、呼び出されたこと自体には何ら問題はない。けれども、聞きたいような聞きたくないような相反する気持ちがの心の中で渦巻いていた。

 優勝者に海外留学一年間とその一年間を過ごすための奨学金が与えられるというプログラミングコンテストがあることを聞いたのは半年前のことだ。制限時間で複数ある問いをいくつ正解することができるかを競う。同じ正解数の場合は、プログラムの中身で判定する。複数の大学で行うこのコンテストはチームではなく個人での参加だった。

 教授から「参加してみないか」と問われたは、二つ返事で引き受けた。自分の力を試す良いチャンスであったし、何よりもし優勝すれば海外留学できるのだから挑戦しないわけにはいかない。のほかに、同じ研究室から一つ下の後輩女子、別の学部の男子が三人がこの大学から参加することとなった。あとは皆別の大学で、たまに合同研究会で見かける名前も数人いた。

 その結果が今日、発表されることになっている。は構内を歩きながら、研究室に近づくにつれて心臓の鼓動が早くなるのを感じていた。手ごたえは感じたし、自分の作ったプログラムにも自信があった。いけるかもしれない。そんな淡い期待での心が次第に満たされていく。

 だがしかし、世の中はそううまくできていないものである。

『言いにくいんだけど』

 苦い表情で切り出した教授の言葉は続きを聞かなくてもわかった。優勝を逃したということを。だが、悲劇はそれで終わりではなかった。あろうことか、後輩よりも順位が下だとういうのだ。自分の耳を疑ったが、もらった評価表には確かに「三位」と書かれていた。

 そのあと、どうやって帰ってきたかは定かではない。教授への挨拶もそこそこに研究室を去り、来た道をただひたすら無心になって戻り、気づいたら自宅前まで来ていた。道中で心の乱れは少し収まったように思う。涙は出なかった。

 もうどうでもいい。そんな投げやりな気持ちでため息をつき、家に入ろうとしたその時だった。

「なに、そのしけた顔。こっちは練習終わってやっと飯にありつくってところなのに」

 ここ数日ですっかり慣れてしまった声に、もう驚くことはない。顔を上げると、スポーツウェアを身にまとった翼が立っていた。身長は私と変わらないはずだが、スポーツ選手だからなのか一般人の私とは明らかに違うオーラを放っていて存在感が抜群である。

 けれど、和気藹々と話す気分にはなれなかった。

「別に、なんでもないです。ていうか、いつものメンバーとでも飲んできたらどうですか」

「柾輝たちとは確かに付き合い長いけど、いつも一緒っていうわけじゃない。ていうかなんなの、機嫌悪いわけ?」

 つっけんどんな態度に訝しく思った翼が眉をひそめる。当然だ。

 昨日、翼とワインを片手に話が弾んだことを思い出す。奇しくも、お互い映画が好きだということから自分のお薦めを語っていたら明け方近くにまでなってしまった。練習が何時からだったのかは知らないが、途中で帰ることもできたはずなのに最後まで付き合ってくれたのは彼の優しさだろうか。

 口が悪い、というか物事をはっきり言う翼は話していて楽しい。自分でも驚くほど、打ち解けていたと思う。それでも触れてほしくないことはある。

「翼さんには関係ありませんから」

 突き放すように言った声は思っていた以上に冷たく聞こえた。ああ、せっかく仲良くなれたと思ったのに、と気持ちは裏腹である。
「なに、失恋でもした?」

「なっ……!全然違います!」

「じゃあなに」

「…………」

「早く。俺腹減ってるんだけど」

 いや知らないし。だったら勝手に家の中へ入ればいいじゃないか。……というのは、すんでのところで飲み込む。翼と言い合ったところで自分に勝ち目がないのはこれまでのやり取りで学んでいた。これ以上、無駄な労力を使いたくない。ただでさえ、気分は下降気味なのだから。

 は肩を落として、目の前の厄介な人物を見やる。

「はあーー……」

「随分と長いため息だね」

「誰のせいですか誰の」

「はいはい」

「わかりましたよ、話せばいいんでしょ」

「そうそう、素直に話した方が楽になるって。ってことで、この近くにさ、イイ感じのイタリアン見つけたから行こうぜ」

 奢ってやるよ、と意地悪そうな笑みを浮かべた。上からなのが相変わらずである。こちらの気持ちなど考えもしないで、こうしてずかずかと入り込んでくるのは翼の性分なのだろうか。けれどもなぜか抗うことができない。

 連れて来られたのは、たちが住む場所から本当に徒歩5分程度の小さな店だった。入学してから住んでいるのに知らなかったと言えば、最近できたのだと教えてくれた。

 中に入ると、小さな外観通り客席数は多くなく、たちが入店してほぼ満席の状態になった。メニューを広げた翼が適当に注文する。どうやら以前来たときに、大体の内容を把握しているようだ。

 そして、すかさず本題を口にした。

「……で?結局なんだったわけ」

「え、もう?」

「もったいぶる必要ないじゃん」

 料理はおろか、最初の一杯さえ来ていないのに早く話せと迫る。強引というか、少しくらい待ってくれないのだろうか。

「翼さんってほんと横暴ですね、まあ今に始まったことじゃないですけど」

「わかってんなら早くしな」

 テーブルに肘をついた翼がこちらを向いた。覚悟を決めて、は今日の出来事を話していく。その間、翼は一切口を挟むことなく聞く姿勢を崩さなかった。その辺は徹底しているのか、視線は合わなくても聞いているのだということが伝わってくる。

 不思議だ。状況は変わらないのに、心がだいぶ落ち着きを取り戻している。もちろん、悔しい思いはあるし、何が悪かったのかも考えて今後に活かす必要はある。

 けれど、それ以上にこの場に翼がいてくれてよかったと思っている自分がいる。

 が数分話し続けている途中、ビールが二杯運ばれてきた。そこで一旦話を区切り、飲み物を口にする。

「……なるほどね。それで泣く泣く帰ってきたわけだ」

「別にっ、泣いてないですし」

「まああんたがなに勉強してるかなんて知らないけど、頑張ったってことで何でも好きなの頼みな」

「翼さん、本当に慰める気あります?」

「さあね」