気づいてほしくて輝いている(2)
おかしいな、と思ったのは試合開始のホイッスルが鳴ってから数分後のことだった。右ウイングの阿部小太郎の動きを読んでいた翼が彼の前に立ちふさがっていたにもかかわらず、圧倒的な身体能力でもってそれを難なくかわし、失敗したと思われたトラップで高くあがったボールを蹴りにいったのである。ヘディングでクリアできるとふんでいた木田も、近くでそれを見ていた翼も、そして東京選抜全員が驚きを隠せなかった。ゴールは危険行為だとして無効となったが、とんでもない奴だとは認識した。
左右にいるウイング二人によるサイド攻撃は事前に聞いていて知っていた。だからこそ、フォーメーションを変更して3バックを4バックにした布陣で臨んだのだ。案の定だった。足の速い左ウイングと馬鹿でかい右ウイング。サイドチェンジをうまく使って確実に前線へボールをあげていく様は、さすが東海選抜を破っただけのことはある。
それと同時に嫌な予感がした。コートに立つ翼を見つめながら、は言い知れぬ不安をいだく。いや、でもまだ始まったばかりだ。は頭を横にふって雑念を取り払い、再びコートを見渡した。
東京が攻撃を仕掛ける。
「うまい!フェイント」
と、思ったのも束の間。真田が相手のセンターバックをかわしたと思いきや、後ろに潜んでいた別のDF(ディフェンダー)にボールを取られてしまう。ロングボールでカウンターだ。すかさず、東京が守り姿勢となる。
左ウイング日生光宏と東京のディフェンス畑がボールに向かって走っていく。一歩早かった日生がボールに触ったかと思うと、すぐにセンタリングでゴール前へと蹴った。その先に待っているのは……例の右ウイング阿部だ。
「あ……」
待ち構えていたかのように、翼が阿部をマークしていた。身体を寄せてシュート態勢を崩している。これならうてない、そう誰もが思ったに違いない。
だが、試合は予想を上回る展開を見せる。
「な、なにぃー!?」
「うったあ!?」
コート内から驚きの声があがる。翼と競り合っていた阿部が翼を土台にしてオーバーヘッドをうったのである。それはキーパーによって弾いて防いだものの、そこから翼の中で何かが変わってしまったかのようにミスが続いた。そして、ついに相手に先制を許してしまう。
ラインの外から見守ることしかできないは、もどかしさを抱えながら拳を握る。
「翼……」
*
やられた。スペース内に阿部がいるのを一瞬失念した自分のミスだ。翼の脳に普段考えないようにしている"ある事"がよぎる。
違う。負けたわけじゃない。まだ完全にやられたわけじゃない。そう自分に言い聞かせた翼はポジションへと戻ろうとすると、渋沢が後ろから声をかけてきた。
「椎名。頭を切り換えよう。お前ももっと周りを使え」
「ああ」
気を遣って言ったのだろうが、翼の心は早くも暗闇に呑み込まれようとしていた。恵まれている者には決してわからない闇。
その後も試合は東京が攻められる形で進んでいった。一度PKをとるも、はずして結局東北がリードしたまま時間が過ぎていく。そうしてる間にも、翼は迫りくる暗闇と必死に戦っていた。翼はDFの中でも、そして東京選抜全体でも小柄だ。今までその弱点を補うように、頭脳と技術でもって相手の攻撃を防いできた。だが、いま圧倒的な体格の選手を前にして、元々持つ『身体能力』という武器が彼の前に立ちはだかっている。
――あいつの身体能力は確かにすごい。けど、その差なんか認めない。認めたら俺は……
「あ」
阿部のスルーパスをマサキがとめたが、ファールをとられてしまう。いい位置でのフリーキックを与えることになった東京側にいよいよ焦りがにじみ出る。
――認めたら俺は……サッカーができなくなっちまう。
*
その頃、コートの外ではコーチが監督に意見していた。翼の精神的な動揺に気づいたのだろう。いつもの冷静さを欠いた翼は確かに動きが悪い。彼を交代させたほうがいいという意見はともすれば正しいのかもしれなかった。けれど――
「監督。手伝いの分際でこんなことを言うのは間違っているとわかっています。でも言わせてください。翼は……翼はいま戦っているんです。11番の体格は翼に比べて確かに大きい壁で一筋縄ではいかない。けど、今までだって彼はそれを、彼なりの武器で乗り越えてきたんです。私は同じ飛葉にいた人間として近くで見てきたから知ってる。翼はこんなところで負けない。絶対に」
監督を前にこんなことを主張できるなんて自分でも驚いていた。だが、言葉に嘘はない。信じているから素直に口にできたことだ。
しばらくして、監督がふっと笑みをこぼした。
「そうね。ここで交代させたら、それこそあの子に未来はない」
「翼さんはこんなことでつぶれる人じゃありません!体が小さくたって勝てる方法があるはずです。気持ちで負けなければ」
後ろから頼もしい声が聞こえた。風祭将だ。東京選抜のスーパーサブである。チームが苦しい状況の時、精神安定剤のような周りを元気づける要素を持っている選手だ。そんな彼が翼を支持してくれている。心の底からありがとうという気持ちになった。
そしてその言葉を聞いた監督は、風祭将をコートへと送り出した。頼むわよ、という言葉とともに。
「将くんなら大丈夫です。きっと、翼を支えてくれる」
監督がコートへ入っていく後ろ姿を見つめながら、何かを必死で願うように唇をかんでいた。そんな彼女には力強く声にした。だって、本気でそう思うから。
将が投入されても試合の形勢はさほど変わらなかった。けれども、彼が入ることでディフェンス陣は立ち直りつつあった。本来、FW(フォワード)という前線で戦うはずの彼がゴール前で守りに徹してくれていたからだ。11番の阿部を徹底マークすることで、動きが段々と鈍くなり周りが見えやすくなる。東北選抜は、個人能力は長けているがチームプレーはイマイチだった。
――翼、あとは翼だよ。どうか負けないで。
は祈った。
*
翼は苛々していた。将が入ってきたのはいいが、なぜか自分と同じラインに立ち11番を止めようと必死で食らいついている。いや……本当は気づいていた。将は、翼が冷静さを忘れて焦っている自分をフォローしてくれているのだ。
じゃあ、なんでこんなに苛々するのだろう。翼は阿部と競り合う将の姿を見つめながら、自分に問う。そこでふと気づく。この姿を知っていることに。ああそうか。これは、昔の自分だ。小さい体で真正面からぶつかることしか知らなかった昔の自分――
そしてその姿は、翼に冷静さを取り戻させるには充分だった。あの頃、体格差をうめるためにそれ以外武器はないと思っていた。でも違う。小さいからこそできることがあり、頭脳を使えばいくらでもやりようはあることを知ったのだ。
――なんだよ、将。お前に気づかされるなんて……サンキュ。
東京側のスローインになったところで、郭の代わりに翼は自分が投げると言った。考えがあった。あいつなら、将なら、気づくと信じて。
将はいま阿部をマークをしている。大丈夫。
翼は郭へ向けてボールを投げた。すると、すかさず阿部が狙っていたかのように回り込んできた。しかし将がマークしてることで、そのボールをカットする。翼はそれを読んだ上で、ボールを前線へと送り出した。前にいる真田へとダイレクトにボールが行き渡るが、キーパーが先に飛び出してゴールは止められた。
「ちぇ。途中まで読み通りだったのに、最後のはキーパーの飛び出しが良かったか。」
「そうか!11番が狙うようにわざとゴールの近くにボールを出して彼をマークしているぼくの動きまで予想してボールカットしたんだ」
「こういう
「翼さん!」
その瞬間、きっと誰もが気づいただろう。東京選抜にかかっていた薄暗い雲が晴れたかのように空気が変わったことを。翼が不敵な笑みを見せた。
「ディフェンスの見本、見せてやるよ」
*
「翼っ!」
ああそうだ。この顔だ。サッカーをしている時の翼は好戦的で、それでいて楽しそうなのだ。だからこそ、いつまでも見ていたいと思う。応援したいと思う。
「玲ちゃん……私泣きそうだよ」
「泣きそう、じゃなくてもう泣いてるじゃない」
「え、うそ。あれほんとだ。なんだよー翼のくせにーかっこいいよー」
「はいはい」
監督が苦笑いしながら窘めた。視線をコートに戻すと、翼が前線へドリブルしながら走っている姿が目に入る。センターバックである彼は、基本ディフェンスの要として攻めてくるFW陣と対峙するのだが、時に攻撃に参加するリベロの役割も担う。
相手のゴール前まで走っていった翼はそのままシュートうった。そして、見事ゴールを決めたのである。東京選抜の一点。意味が大きい一点。はまた目尻に涙を浮かべてその光景を見つめていた。
こうして息を吹き返した東京は、攻撃と防御を繰り返しながら東北と渡り合った。結果は同点のまま。延長戦にもつれ込むこととなった。そして、初選抜試合に登場した小岩のアシストのおかげで東京はさらに一点をもぎ取った。
東京選抜 VS 東北選抜、結果は2-1で東京の勝利で終わりを迎えた――
「翼、お疲れさま」
試合を終えた翼の元へ駆けよったはタオルを持って声をかけた。
「おう」
「……」
「なに、無言とか気持ち悪いんだけど」
「ちょ、ひどい。思い出してたんだよさっきの試合」
「まあ……手強い相手ではあったよね」
「でも、かっこよかったよ。身体能力の差をものともしない翼はやっぱ強いなあって思った。飛葉の頃と変わってなくて、でもさらに上達してて……正直、驚いた」
「が素直に褒めるとか、明日は槍でも降ってくるんじゃない?」
「あのね、そこは素直に『ありがとう』でしょうが!なんで翼はいっつもそういうこと言うかなー」
「嘘だよ。俺のこと信じて交代するなって言ってくれたんだって?監督に」
「え、なんで知ってっ……」
にやり、と翼が笑う。
「将に聞いた。なんかすごい熱く語ったらしいね。お前がそこまで俺のこと信頼してたなんて知らなかったよ」
「い、今すぐその口を閉じろぉ!さもなくば――」
「やなこった」
憎たらしく舌を出して翼が毒を吐いた。しばらくくだらない応酬が続く。近くにいたマサキが呆れていたが、今日くらいは別にいいかなとも思う。
これからも、サッカーを通して成長する翼を隣で見ていたい。そう、強く思った。